マスコミ批評

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

20090708_transplantation私は、娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。


移植法A案が参議院に回って、一部を修正して可決しそうな雰囲気だ。

衆議院で可決された段階では、親族への臓器優先提供という文言が盛り込まれていたそうだが(ぜんぜん知らなかった)、修正A案では、取り消され?(読売新聞社の概要図が曖昧の為、よくわからない)かわりに、法施行3年後の見直しなどの文言が盛り込まれるようだ。

そして、もっとも不思議なのは、現行法と同様、脳死の位置付けを曖昧なままに置き去り、移植だけは15歳以下でも可能にしようというものだ。

・・・・・・なんなのだ???これは???
(穿って見れば、賛成派、反対派の双方のガス抜きが出来る折衷案なのだろうが、よくわからん)

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

 自民、民主、公明党の参院有志議員は7日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案をまとめ、発表した。

 A案が脳死を「人の死」を前提としている点を修正し、現行法通り臓器提供時に限って人の死とすることが主な柱だ。9日にA案を審議している参院厚生労働委員会で修正動議を提出する見通しだ。脳死が「人の死」であることを前提とせずに、本人の意思が不明確な場合でも家族の同意だけで臓器提供が可能かどうかが議論になりそうだ。

 修正案をまとめたのは、西島英利、衛藤晟一(自民)、谷博之(民主)各参院議員ら6人。

(2009年7月8日 読売新聞)


さて、冒頭の私の『絶対、臓器提供はしない』という決意を読んで、あなたはどのように感じられたであろうか?

私の事を『人道的じゃない』『人の情けを知らない』『自分勝手で冷徹なヤツ』などと感じなかっただろうか?

そう感じたあなたは、多分、新聞などで見かける『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章で、目頭を熱くするタイプなのだろう。

こういう感情を惹起する人達は、移植法案採決などという状況で、臓器の提供側ではなく臓器移植を受ける側にシンパシーを感じがちで、自分自身に当てはめる時提供を受ける側として想像しがちな人達だ(新聞やテレビ報道でそのように仕向けられているからかもしれないが)。

そして、多分、その人達は、自分らの感情や態度を“人道的”であり“情に熱い”人間だとして誇りに感じている。

『人の命を救う事は、何にもまして尊い』、心からそれを思える自分は、、、、と。

そして、そのような認識は、世論(せろん)にもある。

それが証拠に、新聞にも『「前日まで元気だった子が、急に事故や病気で脳死状態になった場合、家族は冷静な判断ができない」として、本人の意思が不明でも家族に判断が委ねられるA案に異議を唱えた。』と書かれるように、反対する人達も、臓器提供を断るのに、“冷静な判断の上である”という大義名分を必要としている事からもわかる。

つまり、臓器提供を断るのに“うしろめたさ”を感じているのだ。

冷静に判断するなら“臓器提供することが人道的である”と皆が思っているから、拒否する事は“非人道的”な人間だと思われてしまうんじゃないのか・・・・・と。
 
 
 
嫌なものを嫌といえない、、、、、、これって、一体何なのだろう?

人命を人質に言論・思想の弾圧・・・・?価値観の画一化・・・・?ある種の全体主義・・・・??
 
 
 
マスコミは、そういう方向に、もって行こうとしている???

マスコミのやりそうなことだ。マッチポンプの“マッチ”の仕込みなのだろう。。。。そのうち、反対方向にいくんじゃない?子供の臓器が狙われる事件が起きたりしたらね。
 
 
 
だから、敢えて私は、『娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。』と言う。
 
 
子供の命を救う事自体に異を唱える人はいないだろう。当たり前だ。

いくら私が事あるごとに『日本は人口過剰だ』なんて言っていたとしても、救うことが可能な命を救う事に異論はない。だが、単なる延命は違和感を覚える(価値観を異にする事を否定するわけじゃない)。


人が生まれるのは、その親の“性欲”の結果だ。行為をしなければ生まれはしない。自然の摂理だ。そして、自然の摂理は、100%を保証していない。(保証したら、種から亜種が発生せず、生物の進化はない)

現代人の感覚で言う“五体満足”で生まれない場合もあるのだ。これこそ、万人に平等に、機会は均等に訪れる。

“五体満足”で生まれる事を100%望む事自体が間違い。悲しい事ではあるけれど。

五体満足で生まれなかったことが、不平等ではないのだ。

自然の摂理に不満があるのなら、神様に恨みを言えば良い。

こんな辛い目に逢いたくなければ、“性欲”の結果、子供が出来ないようにすれば良い。ペットの死に遭遇するのが辛いから、動物は飼わないというのと同じだ。

現代人は知恵も術もがあるんだから、臓器の不全で子供を失うなどの悲劇を味わいたくなければ、子供を作らなければ良い。

子供を作るって言う事は、それだけの覚悟の上で、すべき事だと、、、私は思っている。

だから、『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章を新聞で読むと、非常に違和感というか、嫌悪感を覚えるのだ。


(私が、“出来ちゃった結婚”に、嫌悪を感じるのも同じ理由だ。どうでもいいけど)


ここまで読まれて、私の事を『人道的じゃない』などと感じた人の中には、『(おまえは=私のこと)どうせ、自分の子供が移植を必要としてないからだ』なんて思う人もいるだろう。

私の子供は、心臓移植を必要としている。。。。。

かどうかは、わからない。現時点では必要はなさそうだ。今まで、娘の心臓を調べた事もないし。

いずれにせよ、もし、娘に移植が必要になっても、移植して延命しようとは考えていない。

今、死ぬ事と、3年後、5年後、10年後、15年後、20年後、25年後(現時点で心臓移植に、これ以上の実績は無い)に死ぬ事に、特別な差を見出せないからだ。

でも、私の価値観を、他人に押し付ける気は、ない。


だから、移植が人道的であるなんて価値観を強要するような世論(せろん=雰囲気)に嫌悪を感じるのだ。


価値観は、人それぞれ。臓器提供したい人はすればいいし、子供が脳死になって親がその臓器を提供したいならすればいいし、臓器移植を受けたい人は受ければ良いし。

それぞれの価値観にしたがって行動すれば良いだけで、他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない。

新聞に取り上げられている(移植が出来ずに)子を失った親は『もっとはやく、、、、』と言っているが、移植を受けさせなかった法律を恨み、制度を恨み、そのうち、『脳死のくせに、何故、臓器を提供してくれないんだ』と人を恨むんだろう。。。(かわいそうに・・・ある意味、偽善者達の犠牲でマスコミのオモチャだ)
 
 
マスコミ!なんでも世論(せろん)調査すれば良いってもんじゃねぇんだぞ!!わかってんのか?ゴルァ!!こんな事(死生観)は、どっちが多いとか、どっちが正しいとか、どっちが正義だとか、どっちが人道的だとか決める事じゃねぇんだよっ!バカっ。

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道徳的嫌悪感は原始的感情と関連

20090309a_sense_of_incongruity「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、確かに興味をそそる」と博士は述べている。「この研究はこれを証明するわけではないが、道徳的な状況で感じる嫌悪感が単なる比喩以上のものであるという考え方のかなり強力なエビデンスになる」。

『・・・この研究はこれを証明するわけではないが、、、、』と言っているので、じゃ、嫌悪感を感じる行動を野放しにしてみて、我々にとって、利益が無いのなら、証明できるんじゃない?

私がよく感じる“嫌悪感”・・・・を例に出す前に、一般的な嫌悪感を例に出してみよう。この場合は、宗教的な洗脳や自分では嫌悪を感じないのに『嫌悪を感じるのが人として当然』と言ったようなお仕着せの“道徳観”などは除外するよ。

例えば、政治家の不正。立場を利用して美味しい目にあっており、そのおかげで、庶民に不利益がもたらされる場合、誰もがその政治家に嫌悪を感じる。

例えば、学校での身体的ではないイジメ。

例えば、スクールゾーンに指定されて進入禁止になっている道路に通勤車で入ってくるヤツ。

例えば、見てみぬ振り。横断歩道をヨチヨチ歩いている老人や幼児を無視する人に対して感じる嫌悪感。

例えば、強姦。姦淫。

法律で禁止されている・いないにかかわらず、これらを野放しにしてみると・・・・・。

集団=公共の利益は損なわれる。


当然、このような行為は、マスコミの格好に餌食にもなる。

2009年3月6日 提供:WebMD

我々のもつ善悪の感覚は古代人の生存本能に起源があることを示す研究

Salynn Boyles


【2月26日】新規研究が、我々のもつ現代的な道徳的嫌悪感の古来の起源を洞察している。

善悪の感覚は、我々の大昔の祖先に嫌な味のする有毒な食べ物を本当に嫌だと感じさせた原始的な生存本能と直接関連するように思われると、トロント大学の研究は示唆している。

研究は『Science』2月27日号に掲載された。

「これらの結果は、道徳性の起源を異なる観点から見直し、我々のもつ道徳的基準は、複雑な思考のみによって導かれるのではなく、毒かもしれないものを避けることに関連する、より原始的な本能によっても導かれることを示唆している」と、首席治験責任医師のAdam K. Anderson, PhDはニュースリリースで述べている。


道徳性と嫌悪感

道徳性は、進化の観点から言うと、我々の論理的思考能力と密接に結びついた、ある程度、最近の現象であると広く考えられてきた。一方で嫌悪感は、食べると死んでしまうものを古代人が食べないようにさせた、古来の原始的な感情だと考えられている。

Anderson博士と研究の筆頭著者であるHanah Chapman博士らのグループは、道徳性と嫌悪感が、専門家がこれまで考えていたよりも密接に関連するかどうかを明らかにするため、一連の実験を行った。

「道徳的に不快なことについて話すときに使う『後味が悪かった』という表現が本当かどうか調べたいと、我々は考えた」と、Chapman博士はWebMDに語った。

「それは冷蔵庫に長く入れたままになっていたテイクアウトの容器を開けた時、または長いこと清掃されていなかった地下鉄のトイレに入った時にわき上がる感情と、何か関係があるのだろうか?」

研究者らは、筋肉の運動を導く電気的活動を記録する筋電図検査という技法を用いた。

検査では、人間が嫌悪感を示すときの表情に特徴的な、上唇を引き上げ鼻にしわを寄せるという動きに関係する、上唇挙筋という1つの特定の筋肉に焦点を合わせた。


「単なる比喩にはとどまらない」

最も基本的な原始的な形の嫌悪感を呼び起こすために行ったある実験では、被験者らにまずく苦い液体を飲ませた。別の実験では、不潔なトイレのように、本当に嫌なものだと一般的に認識されているものの絵を見せた。

道徳的嫌悪感を測定した最後の実験では、古典的な心理学実験で被験者らに不当な扱いをした。

3種類のすべての状況において被験者らの上唇挙筋の活性化が認められたことから、まずいものの味見をしたとき、本当に嫌なものを見たとき、および不当な扱いを受けたときの反応はすべて、同様の嫌悪感と関係することが示唆された。

「人々は道徳性を、ヒトの進化と発達の頂点と考えている」とChapman博士は述べている。「しかし我々は、この非常に古くからある原始的な反応も重要な役割を果たしていることを明らかにした」。

Harvard大学の研究者であるJoshua D. Greene, PhDは、本研究は、博士がこれまでに行った、感情が道徳的判断において重要な役割を果たすことを示唆する研究と合致すると、WebMDに述べている。

「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、確かに興味をそそる」と博士は述べている。「この研究はこれを証明するわけではないが、道徳的な状況で感じる嫌悪感が単なる比喩以上のものであるという考え方のかなり強力なエビデンスになる」。


moral-disgust-linked-to-primitive-emotion

(C)2009 WebMD Inc. All rights reserved.


さて、私の番である。私は以下のような行為にも、ものすごく嫌悪感を感じる。

2009年3月6日の毎日新聞社のニュースそのものが、それに該当する行為なのだが!

島根県では医師の卵達に貸し付けた奨学金、410万円が未回収になっているという。当然、悪いのは“借りた金を返さない人間”であるべきなのに、借金返済をしなかった医師を糾弾するのではなく、それを回収しなかった件の職員を糾弾しているのだ。

『県医療対策課によると、約15年にわたって未処理だったのは14人分で計5136万円。』だそうだ。で、その結果を取り上げて“職務怠慢”だと糾弾しているのだ。

もし、県職員が職務意識に燃えて、医師になった後の職場にまで押しかけて、借金の督促をしていたらどうだろう?新聞は、『やり過ぎの職員』と糾弾するんじゃないの?

私は、こういう姿勢に、生理的に“嫌悪”を感じるのだ。


マスコミって、いつも、すべてこうじゃない??


多分、マスコミ=記者も“借金を踏み倒した行為”にプリミティブに嫌悪を感じたはずなのだ。

それなのに、それを生理的な嫌悪=低レベルなリアクションとして軽視し、いや軽視するだけではなく、そういうプリミティブな感情に従って新聞記事を書く事を“かっこ悪い”或いは“軽薄だ”なんて評価を食らうことを恐れているとしか考えられない行為に出るのだ。あるいは、医師個人を悪者にして糾弾するより、“県”というでかい相手を悪者にした方が、インパクトが大きいという“スケベ根性”もあるのだろう。(これは今回は置いといて)

税金で賄った借金が回収できなかったら、それは社会の不利益である。これに異論のある人はいない筈だ。


借金回収にプライオリティを置くなら、取り立て方法に口を出すのは、履行の妨げ以外のなにものにもならない。職員は『やりすぎ』とマスコミに糾弾されるのを恐れて尻込みしちゃうのだから。

一方、借金取り立て方法を“生ぬるく”すれば、100%借金回収という“理想”は実現しない。ましてこの場合、相手は医師だ。返す金が無いわけがない。

このように、社会の利益、公共の利益が達成されるのを妨げる行為に対して、私が嫌悪感を感じるのは、その結果が社会の不利益になることからも、正しい感覚だといえる。


従って、嫌悪感を感じる行動(=借金を踏み倒す)を野放しにしてみて(=野放しにせざるを得ない状況を作り出す行為=マスコミの独善的な価値観の押し付け)、我々にとって、利益が無い事が証明できた訳だ。


だから、「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、正しい」と言って差し支えない。


私は最近の新しい進化論を知るに付け、このようなプリミティブな感覚は大事にしなくてはならないなと思っている。

そして、殆どの場合、これは正しいと思っている。

その現象に遭遇した時、まず、沸き起こる感情、、、これは、理屈をこねくり回すより、遥かに正確なのだ。我々の利益にとってね。


島根県の職員が“職務怠慢”かどうかをハッキリさせる為にも、彼らの怠慢をマスコミのせいにさせない為にも、マスコミは借金回収方法に口を出さない方が良い。借金を回収する行為に、なんら制限がかからない状況を作ってあれば、怠慢に“グーの根”も出ず、即刻懲戒免職に出来るし。

ほんとにお金に困っている人に対しては、他の社会保障を考えれば良いんだからね。例えば、医学生の頃お金を借りたんだけど病気で働けない・・・・なんて場合には、免除、或いは行政の借金の肩代わりとかね。


現代において、世の中の道徳的善悪の感覚が“狂った”のは、このようなマスコミの“考えすぎ”で“独善的”な影響が大きいと思うのだが、いかが??

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カルピスが花粉症に効く

20090218_togo_in_europe東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命科学専攻の八村敏志・准教授らによる、乳酸菌Lactobacillus acidophilus L-92株を経口摂取することによる過剰なTh2細胞のアポトーシス誘導効果が、「環境・生活習慣型アレルギーケアフォーラム 第1回マスコミセミナー」で発表されてから、ほぼ一年(2007年12月5日)が経つ。(カルピスは2002頃から八村准教授と共同研究をしていた)

L-92株が樹状細胞(DC)に働きかけて、Th2 優位な免疫状態を Th1 寄りにシフトさせるっていう機序らしいが、昨シーズンも今シーズンも、あまり、ぱっとしない。

ってゆーか、『カルピス飲んで、花粉症を治そう!!!』みたいな事をテレビの健康番組でも見かけない。(テレビを見てないから、私が知らないだけかもしれないが・・)

樹状細胞(DC)が貪食したL-92株由来の物質はエンドソームで TLR と結合し、IL-12 産生が誘導され・・・・って大雑把な流れなんだろうけど、『カルピスがイイらしいですよ』なんて患者さんには言えない。Th1/Th2 バランスなんて話したって分かってもらえないし、それよりなにより、昔からカルピスはあったのに、なんで花粉症の人が増えたんだよ?って事で一蹴されてしまう。


さて、科学的には事実なんだけど直感的に分かってもらえない事と、間違ってはいるんだけどコンセンサスが得られている事ってのは、世の中、かなり多いと感じる。具体的に挙げるのは控えるけれど、こんなことは、医療の世界だけじゃなくって、どの分野にも言える事なのだろう。

『景気が悪い』『景気が悪い』と連日のように連呼されれば、誰しも、財布の紐は締めるだろう。それがさらに景気を悪化させる。悪化するからマスコミは更に『景気が悪い』と叫ぶ。今の不景気の原因は、その半分はマスコミに原因があるといっても過言ではない。。。。。と、私のような経済のシロウトは考えるわけだが、『カルピスなんて・・・』と眉に唾つけられちゃうのと似ている。

免疫現象が抗原提示細胞による抗原の貪食から始まり、複雑な段階を経て、目に見える形になるまでを知っていても知らなくても、その治療行為に対する判定は下せる。

同様に、経済に対する複雑な要因や影響を与える因子を知らなくても、財務大臣を辞職に追い込むことが出来る。

これが良いことか悪いことかは私にはわからないが、大した効果もない事が分かっているのに、その分かっている大層な“理屈”を盾に行動が決定されている事があるのも事実だ。(世の中、ほとんどがこのように動いているのだろう)

大規模臨床試験などその際たるもので、その過程と結果は、ロジックなのかレトリックと呼べば良いのか、判断に困る事も多い。


『景気が悪い』に話を戻すが、私には、マスコミがこれを連呼する意図が分からない。手の打ち様があるのなら兎も角、原因療法が無いにもかかわらず、これを叫ぶのは、治療法の無い疾患で死にそうな患者に、『危ないぞ』『危ないぞ』と言うのと同じだ。

藁をもすがる思いで、2兆円をばら撒く麻生首相を批判するのは、藁をもすがる患者が大規模臨床試験に裏付けられていない“民間療法”に手を出す事をとやかく言うのと同じように見えてしまう。

まぁ、そもそも大規模臨床試験に裏付けられている・いないなんてのは、極端な話、紙一重の違いの場合もあるんだから、それを金科玉条のように扱うことも滑稽な事なのだが、こちらの立場に立てばそれを盾として使い、あちらの立場に立てば別な矛を用いて論破しようとするのは、この世界の常識だ。


今、坂の上の雲(文庫本全8巻)の第4巻が読み終わろうとしている。

作者の人物評は、まことにユニークであり、これが、また、小説の妙な味わいになっている。東郷平八郎の場合は、最初、かなりこき下ろされるのだが、国際的にも名を馳せるきっかけになるエピソードがある時点で発生する。面白いのは、東郷自身は全く変化が無いのに、まわり(環境)の変化が、彼の評価を一変させるのだ。(私が読み進んだページまでだと、作者自身の評価は不明)

東郷でなければ日本海軍の士気は下がり、日本は負けていたとも言われるエピソードだ。本筋(日露戦争)に影響を与える(のか?)出来事だから、私がエピソードって表現しちゃまずい。イベントと言い換えねばならないかもしれないが、でも、この事自体も、もし、日本が負けていれば、単なるエピソードに成り下がり、東郷の評価も地に落ちるのだろうから、言葉は難しい。なにより、エピ・・・という語感が、エピメテウスを連想しちゃい、結果論で評価することの愚かしさを示しているようで、これはまたこれで楽しい。(おっと、脱線・・)


さて、今日の不況が“本当に”お国の一大事だとしたら、先進国蔵相会議での中川昭一財務・金融担当相の振る舞いは、マスコミや野党が言うように、『この大変な時に、真剣味の無い態度は、まことに不謹慎』と一方的に批難されることじゃないだろう。

酒にだらしがないという一点で非難されることはあっても、それで辞職に追い込まれるのは当然だとしても、非常時の態度云々を言われる筋合いのものではないと思うぞ!!

現に、東郷平八郎も、万事休すかと思われた時に、『そんなのかんけぇねぇ~』みたいな態度を取ったから、日本は勝ったんだし!!!一大事にトップが動揺しないというのは、50%の確率で正しいのだから。


結果よければ名君、結果悪けりゃ職務怠慢・・・・・同じ行動なのに天と地の差が・・・。それを最初から悪いと決め付けるマスコミと野党と、こんな評価を鵜呑みにする街頭インタビューに出てくるようなバカな国民の為になんぞ『働けるかよっ!!』って辞めちゃったのかもしれないね・・・・、なんか、わかるような気がするけど。


カルピスから随分話が飛んだけど、脱線ついでに、もう一つ!

若い頃の東郷平八郎って、けっこういい男だよねぇ!役者にしても良かったんじゃねぇ~の?!『坂の上の雲』(NHK・21世紀スペシャル大河ドラマ)じゃ、渡哲也が演じるらしいけど、若い頃を演じるなら狂言の和泉元彌がいいと思うんだけどなぁ。(和泉元彌は好きじゃないけど、いい男だとは思うよ。東郷と似てるし)

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乳首を吸う頻度は?

20081021_breast出産後、赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激(乳首刺激)で、さらにプロラクチン(PRL)は分泌されるようになる。そして、その PRL によって、排卵が抑制される。その間、母親は次の子供を宿さないので、赤ちゃんは乳房を独り占めできる。。。。。

アマージ錠2.5mg』でも書いた事だが、では、乳首刺激によってプロラクチン分泌が増加するには、どれくらい吸うと効果があるのか??

未開の地では、乳児は母親の首から風呂敷のようなものに包まれて吊るされていて、何時でも乳首を吸えるようになっているところがあるらしい。その乳児達は、一回に少量を飲み、一日に100回を超えるほど乳首を吸うのだとか。(先進国の子育ての常識からはかけ離れているが)

もちろん、その回数に個人差はあるのだろうが、一時に乳飲み子を複数抱える事が困難な環境では、乳首を100回吸わせて、離乳するまで次の妊娠を抑制するってのは、合理的に見える。首から風呂敷のようなもので乳児を吊るすってのは、環境の淘汰を免れた進化の結果ではなく、人間の文化だろうから、知恵により自分の遺伝子を最大限残す事になる行動の貴重な例なのかもしれない(本人達はそんな意識は無くても)。


さて、女性の出産後のホルモンバランスは乳汁分泌するために傾き、乳汁は作られるようになるのだが、赤ちゃんが乳首をくわえて吸ってくれないと、やがて出なくなってしまう。そう、産後のホルモンバランスは短い期間で妊娠可能サイクルに戻ってしまうのだ。

これも、非常に合理的な仕組みだ。(母体に無駄な母乳を作られせないという点で。)

ただ、これを知っているだけじゃ、望まない妊娠を防ぐ手段にはなりえない。

そう、どれくらい吸えば、排卵は起きないのか??が大切なのだ。
(先進国では、抗プロラクチン薬を飲ますだけだけと・・・)
 
 
 
中国産の食材から健康被害を及ぼす成分が検出されたと、連日のように報道されている。しかし、その報道の内容は『乳首を吸うと妊娠しない』というレベルを超えてはいない。

理系風な表現をすれば、定性分析は済んだが、定量分析がまだだ・・・ということになる。

中国の野菜農家が生産性を上げる為、よく効く安い農薬を使う事と酪農家が水で薄めた牛乳の蛋白濃度を見せかける為にメラミンを入れる事を同じ土俵で語って良いものかどうかは、この際、置いといて、、、この問題で問われるのは、人体に対する影響が、どの程度の濃度で現れるのか?という事だ。

自然食品は安全などと寝ぼけた事をいう人もいるが、自然界には“猛毒”はごまんとある。自然が安全で人工が危険などと短絡的にイメージしてしまうような報道も慎むべき(ついでに体に良いと五穀米を食べつづけ痛風になるなんて話も)だが、これも、今回は置いといて、、、

さらに、人体に対する影響が、濃度の問題で語って良い場合と暴露の有無で語らなきゃならない問題がある事をもごちゃ混ぜに扱い報道する事も慎まねばならない(毒はやがて解毒されるが、HIV や プリオン蛋白は一度体内に入ったら排泄されない)が、これも、今回は置いといて、、、


上で、報道は「レベルは超えていない」・・・とは言ったものの、今朝のズームイン・スーパーでは、『検出されたメラミン濃度は、一日の摂取許容量の1/50・・・』などと、変化の兆しが見えた。

私は、この点を非常に評価したいと感じた。


そう、いつもはマスコミ・報道をこき下ろすばかりのエントリーなのだが、今回は、誉めてあげたいのだ。


この報道の姿勢が、全ての放送局、新聞社、その他のメディアに共通するものだとしたら、非常に望ましいものなのだが、もし、そうだとすると、『どうしてそんな事ができたの?』と逆に疑問が湧いてしまうのも事実だ。


大衆がマスコミの修飾された報道に嫌気が差した事を原因だとするには、あまりにも実感が湧かない。大衆が賢くなっているとは微塵も感じられないからだ。

では、、、、大衆の無関心?

自分の財布の中身に関わる事と、解りやすい正義(悪者を作って叩く)には強く関心を示している大衆が、社会的な正義や公共の利益に興味を示さないという事実を、諦めに似た境地で受け入れたからなのか??

いままでマスコミは、大衆には分別があり大衆は正しいという立場にたって、記事を書き、ニュース番組を作ってきた。だから、いかもに『おれが教えてやるよ』みたいな雰囲気が出ないようにしてきたんだろう。『そんなことは、賢い皆様ならご存知でいらっしゃるでしょうから、敢えて、私からは申し上げませんが・・・』みたいな調子でねっ?!

ところが、世の中の標準というか、基準というか、物差しのレベルがあまりにも幼稚化してきて、そろそろ、限界・・・ってことなのか?(知識の量は増えても、知恵として生かせていないも含め)

大衆迎合の記事を書いて、ニュースを作っても、インターネットにお客が奪われ、ジリ貧ならば、大衆に迎合(大衆には分別があり大衆は正しいという立場)して記事を書くより、『おれが教えてやるよ』みたいな雰囲気が出て、大衆に自らの無知を知らしめる事になったとしても、それを歓迎してくれる購読者・視聴者がいれば、それを大事にしていこうという開き直りなのか?!

その辺の事情は、私には知る由も無いのだが、いずれにせよ、今までのように、事件を面白おかしく、はたまた、些細な事をスクープの如く修飾し・・・なんて事は少なくなり、その事件が及ぼす影響を判断できる事実をだけを視聴者・購読者に伝えるという(推測・予測はしなくてよい)、本来の機能を取り戻してくれるなら、非常に歓迎すべき変化だと、私は感じたわけだ。(たまたま、、、だったら、このエントリーも恥ずかしいけど)


『検出されたメラミン濃度は、一日の接種許容量の1/50・・・』を言うと言わないとでは、印象が激変する事を、多分、見ていた人は感じたはずだ。たとえ、「中国めぇ」といつも中国が嫌いな人であっても、「まぁ、その程度ならゆるしてやるかぁ」ってね。これを言わなかったら、「中国!絶対、ゆるさん!!(ムカムカムカぁ)」ってなってた所だよね!
 
 
 
閑話休題・・・・というか、p.s. というか、このタイトルで始めたからには、多分、この話題は避けて通れないんじゃないかと思って、追記するんだけど、、、、、

赤ちゃんの代わりに、夫が吸ったら・・・・・・って、乳首を。

さらに『避妊目的でおっぱいを吸ってあげる』とか言う男が出てきたら・・・・・。

この辺の定性分析と定量分析は、、、、、だれかやってくれているのだろうか??

性交の間の男女の性器と女性の性的な喚起の磁気共鳴イメージ』なんて研究もあるくらいだからなぁ・・・・・って、一日100回もオッパイを吸えないジャン。。。。

いや、まてよ!『お薬を使わず、避妊できます!私、オッパイ吸い男にお任せください』なんてバカが現れないとも限らない・・・・。


おあとが、よろしいようで・・・・。

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素粒子への批判 厳粛に受け止め 犯罪被害者の会に本社

20080702_superior例の朝日新聞の“死神”報道の件だ。

『鳩山法相については「中傷する意図は全くありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとすれば、残念です」とした。』だってよ・・・・・・。


確信犯だよな、朝日新聞(テレビ朝日も含む)。


---言い逃げだな---

日韓併合や南京大虐殺を自虐的に報道し始めた頃からはじまったんだろうなぁ。

歴史的事実認識においても、韓国人ですら『日本が十のうち一の歪曲があるとするなら、韓国は十のうち九は歪曲があると言っていいでしょう。』と言う人がいるのに、日本は“絶対悪”だって言ってた訳だからねぇ。

これが朝日新聞の全職員?や周辺のインテリ層や学校の先生達にまでに“伝染”しちゃったもんだから、その息がかかってりゃ誰もが『天皇が悪い』『軍部の暴走』とかなっちゃうし、そう教えちゃうんだろう。

どこに焦点を当てて見るかによって判断の分かれることを、十把一絡げで『善だぁ、悪だぁ』ってやるほど愚かな事はない。(医学的な大規模臨床試験が良い例である)

それに、己のテリトリーに生きていく為のリソースが不足したら、テリトリーを拡大するのは“生物の本能”である。

日本人が本能的に“危機”を感じた時の植民活動や戦争に対しては、代替案を出さない人間達(朝日新聞などの自虐的歴史観の人達)にものを言う資格はない。

この体質が、まさに、現代の“死神発言”に繋がっているのだ。(報道に拠れば「朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていない」との事だから、印象操作以外のなにものでもない訳だし)


『植民活動や戦争をせず、日本人どおしで“人口を減らす(殺戮)”行為をすべきであった。日本が植民地化されるべきであった』と言うのなら、自虐的歴史観の人たちを、ある意味、尊敬できるけどね。
 
 
 
秋山真之といえば、日本海海戦に臨んでの「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」の起草者としても有名だが、子供の頃からその文才を発揮していたそうだ。幼馴染の正岡子規と、ともに筆で名を上げようと誓いあっていたのだそうだ。

  雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる

これは、子供の頃の作品だとか。


日清・日露戦争までは日本にも理があり・・・・これ以降は、只の侵略・・・・なんていう人もいるらしいが、「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」の言葉にどんな印象をもつのかは、人それぞれだろう。

「雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる」を知っていたなら、また、違ったものになるかもしれない。

情報はどのように出すかによって“印象”が変わる典型だろう。(秋山真之は有名すぎて適当ではないかも知れないけど)


現在、玉石混交の Web 情報をそのまま鵜呑みには出来ないけれど、マスコミが印象操作の為に「雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる」を敢えて伏せている事だけは、明らかだ。

だから、マスコミには、印象が変わる影響を極力配慮した報道をして欲しい。印象操作なんて“セコイ”ことしたって直ぐにばれちゃうのは、フィレンツェの大聖堂落書き事件で実証済みなんだからね。悪者を作りたいのはいつもの事だからわかるけど。

(あっ、イタリアで軽く扱っているから日本人がイタズラ書きして良いって訳じゃないのは、当然だよ。カトリックを知らない日本人が軽軽しく語るべきじゃないし、みんながやってるからって理由は、私のもっとも嫌いな部分だし)

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秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち

20080618_channel2“記念撮影”する傍観者たち(秋葉原に来る若者と言っている)を非難するなら、まず『だったら、そういう報道を止めろ!』って言いたい。(徹底的に顔まで晒すならまだしも)

マスコミの垂れ流す情報により『自分だけじゃないんだ』と、その心情(携帯電話で撮影したい)に“恥ずかしさ”を感じなくなるばかりか、赤信号、みんなで・・になっちゃうんだから。

他人と違う事が怖くて出来ない民族だからこそ、逆に言えば、マスコミが『こんな人、いっぱいいるんだよ』って言えば、日本人は安心して行動に移すのだからね。

マスコミが“情報の垂れ流し”しなくても、ネットで・・・って、ネットのバーチャルな世界を悪く言う向きもあるんだけど、ネット上で別の人格になりきって『俺、写真取りたい衝動に駈られたんだけど』『被害者を可哀想って思えない』と掲示板などに書くだけでは、『みんなもそうなんだっ!!』とは思わないんじゃない?現代の若者がいくら“短絡的”だからって。疑心暗鬼にこそなれ!

豪華客船が今にも沈没しようとしていた。

「さあ!救命ボートがあります。海に飛び込んでください!」
船員は叫んだが、まだ多くの乗客達はためらっていた。

「誰が一番に飛び込みますか?」アメリカ人達が飛び込んだ。
「紳士ならば、飛び込めますね?」イギリス人達が飛び込んだ。
「さっき、美人が先に飛び込みましたよ!」イタリア人達が飛び込んだ。
「飛び込むことは規則になってます!」ドイツ人達が飛び込んだ。

「みんな飛び込んでいますよ!」最後に日本人達が飛び込んだ。

さて、秋葉原の無差別殺傷事件現場で、日本人(マスコミは秋葉原に来る若者といっているが)は記念撮影をするんだけど、他の国の人だったらどうするんだろう・・・・?

■「誰が一番に飛び込みますか?」アメリカ人達が飛び込んだ。
・・・記念撮影をしている人間に、真っ先に殴りかかるのは、想像できる。

■「紳士ならば、飛び込めますね?」イギリス人達が飛び込んだ。
・・・紳士(だから、したくてうずうずしても)は記念撮影はしないだろう。

■「さっき、美人が先に飛び込みましたよ!」イタリア人達が飛び込んだ。
・・・事件現場に居合わせて、気を失ったりしている女性を介抱することを真っ先に考えるんだろうなぁ。

■「飛び込むことは規則になってます!」ドイツ人達が飛び込んだ。
記念撮影をすることが“良くないこと”だと決められていれば、、、、ってこんな事は決まってるだろうから、しないんだろう。


どの国の人であっても、少数は記念撮影をする人間はいるだろう。だけど、『みんながやっているから、自分も・・・・』ってのが、日本人だけなのは、疑う余地はない。HIV 感染者が増えつづけることしかり、安い米国産牛肉を疑いも無く食べることしかり。


モラルに『神様が見ているから出来ない』という感覚がない日本人。

それでも昔は『人様に見られるから出来ない』はあった。武士は食わねど高楊枝とやせ我慢ができた。

『人様に見られるから出来ない』は、“人様の実態(真実)を知らない”というの前提に成り立つ。

人様も自分と同様に腹をすかせていれば、やせ我慢したってしょうがない。

人様も自分と同様に貧乏なら、見栄を張ってもしょうがない。

だけど、こういう日本人の特徴は、良い面もあるはずだ。人様の懐具合がわからなければ、『自分だけ、恵まれない』って気分に陥る事もないのだから。

こういう意味でも、他人の青い芝生をマスコミがネタにしなければ、日本人の不平等感はなくなるのだ。(アメリカ型の報道姿勢を真似した結果がこれなんだろう。好んで報道する内容は日本の場合、このようにかなり幼稚だけど・・・)


可愛いもんだよ、日本人っ!!

始めての海外旅行で、得意の英会話を今こそ役立てようと張り切っていた日本人観光客。
しかし、ニューヨークの空港に降り立った途端、彼は、ひどい眩暈がして倒れてしまったのである。
通報を受けて、さっそく医師が駆けつけ、その日本人を抱え起こした。
 "How are you?"
日本人は、かすれる声で答えた。
 "I'm fine thank you, and you?"

日本人は、ジョーク一つで三回も笑うことが出来ます。

・ジョークを聞いた時
・そのオチの意味を教えてもらった時
・家に帰って、教えてもらったオチの意味がようやく理解できた時

中国人、シンガポール人、日本人が、自分の国の指導者を自慢した。

中国人は言った。
「我が国の指導者は、例えて云えば万里の長城だ。古く堅固で永遠に続くのだ」
シンガポール人は言った。
「我が国の指導者は、高層ビル群だ。新しくて上へ上へ伸びていく」
日本人は言った。
「我が国の指導者は、富士山だ。長いことそびえ立っているが──何もしない」


ところで、秋葉原無差別殺傷事件は諸外国でもトップニュースの扱いだったそうだ。【“記念撮影”する傍観者たち】ってのは、報道されたのだろうか??

こっちは、別の意味で報道してほしくないなぁ。

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ヒトの行動の予測(Predicting Human Behavior)

20080229_regretなるほどねぇ、、、ということは、マスコミに携わる人間達には“後悔”ってフィードバックは無いんだぁ。だって、あの報道姿勢は、ある意味予測不能だもんねぇ。

それに、自分達も全然学習してないくせに、他人の事を『過去から学ばない』とか言っちゃうしね。

報道って仕事の黎明期には、嘘や不正があったら真実を伝えるっていう、大きな正義があったんだと思うけど、いつのまにか“伝える事”にプライオリティが移っちゃった。だから、伝える事が無いときには、捏造・・・・・。

感覚の麻痺。

これじゃ、“後悔”もへったくれも無いワナっ!プっ!

Science February 22, 2008, Vol.319

神経回路網は、どれほどうまく、ヒトのインタラクティブな意思決定をモデル化できるだろうか?

最近、ヒトの意思決定において後悔のもつ重要な役割が実証された。

MarchioriとWarglienはこのたび、21種のインタラクティブなゲームにおいて、神経回路網フィードバックを修正し、後悔の役割を取り込んだ(p.1111; またCohenによる展望記事参照のこと)。

後悔をフィードバックに導入すると、神経回路網の有効性は劇的に改善し、ヒトの行動についての予測が、従来の経済学的学習理論よりも正確にできるようになったのである。

Predicting Human Interactive Learning by Regret-Driven Neural Networks
p. 1111-1113.
ECONOMICS: Learning with Regret
p. 1052-1053.


ところで、マスコミのイージス艦と漁船の衝突事故とその後の防衛省・自衛隊に対する報道を見てると、別な意味で怖いものを感じる。

それは、このような“人のミス”に対する突っ込みの厳しさだ。

自分の快楽のために人を無残に殺すことと、仕方のない理由で結果的に人が死ぬ事を区別せず、面白ければどちらでもネタにし、徹底的に突っ込む。

厳しいだけならまだしも、ねじ曲げて伝えられるから、防衛省・自衛隊だって、情報の公開には慎重にならざるを得ない、、、この衝突事故が、実は狂った自衛官の“撃沈ゲーム”だったとしたら、隠蔽って言葉は理解できるけど、そうじゃなくって、一体、何を隠蔽するというのだろうか?医師法21条がらみでも、マスコミはこの言葉を使いたがるけど、今回のスッタモンダ、すなわち国会議員に『医師法21条は死文化します』と言わしめたのもマスコミの体質のおかげと言って間違いないのに、全く、学習しないよなっ!マスコミ・・・・あっ、自分達のせいだって思ってないのかっ?(意味がわかっていないという意味では、木村太郎の麻疹ワクチン有毒発言があるけど、こんな狂ったキャスターを擁護する為に、フジテレビは You Tube に圧力かけてビデオを削除させてるのは、隠蔽とは言わないのだろうか?)

この衝突事故に対する報道の厳しさの大義名分(正当性へのすり替え?)というか、背景にはマスコミの自虐史観があるのは、まず、間違いないのだが、まぁ、100歩譲って、マスコミの自虐史観を肯定するとしたら、その真意は、過去の過ちを“後悔”して二度と同じ行動をとらないようにする為ってことだろう。

でも、“後悔”って、他人から『後悔しろよ』って押し付けられてするもんじゃない。

20080229_understandマスコミがいくら『解っていないヤツもいるようだから俺が解らせてやるが、旧日本軍は悪だ』『だから後悔しろ。日本人は卑屈にならなきゃいけないんだ』って言ってみた所で、それは、大脳生理学的に言っても意味は無く、行動に反映されない。


で、自虐史観のデメリットを見てみれば、それがエスカレートすると、どうなるか?これが『別な意味で怖いもの』なのだが、、、

『ふざけんじゃねぇ~よ!やってられるかっ!やぁ~めよっと』

・・・・つまり、もう、すでに医療の分野では起こりつつある事と同じことが始まる。自衛官の“立ち去り型サボタージュ”だ。


自衛隊は憲法違反だ!・・・あぁ、そうですか。。。


彼らが『もうやめるよ』って言えば、国防は無し!その結果・・・・は自虐史観の人たちの望む結果なのかな?マスコミが文字通り命を賭けてくれるのかな?ペンを剣に持ち替えてくれるのかな??

そうなったら、悪いのは軍の上層部の、、、、一部の、、、現場の自衛官は悪くない、、、、、色々な言葉を弄して・・・・って始るのだろう。

だけど、そもそも、武力を行使できる集団の善と悪を分離できるなんて、本当に思っているとしたら、それはそれで、まったくおめでたい。宗教を見て見れは一目瞭然。いや、ごく普通の人間の暮らしを観察すれば、人間の二面性を分離する、そんなことが不可能なことくらい簡単にわかるだろう。旧日本軍の一部を悪とするような東京裁判は単にスケープゴートを作っただけだし、中世ヨーロッパの魔女狩りみたいなものだ。


もしかしたら自虐史観のマスコミ人は、国を守ろうって考えている人たちは、どんなことがあっても『もう、やってられるかよ』って開き直らない人たちだと思っているのだろうか?

だとしたら、ただの親のスネを齧っている子供みたいだ。

・・・・・あっ!子供じゃ、しょうがないのかぁ・・・・・


だけと、自虐史観なんて、こんなふざけた考えを持っている人って、日本にどれ位いるんだろう。かなり少ないとは思うんだけど、数は少なくても、ひとつの目的、それも他人の為にがんばっている人にとって、こういう反応をされると、本当にかなしくなってやる気をなくすんだよねぇ。

すでに、厚生労働省では、モンスター患者(私はペイシェントという言葉は使いません。ペイシェントならモンスターにはならない)にやる気を削がれた医療従事者の為の対策会議が開かれていることを、自虐史観の人たちは、重く受け止めてほしいね。自衛隊員がいなくなったら、ホントどうすんの?


p.s.今朝のズーム・イン・スーパー、辛坊さんの毒入りギョーザ事件でのコメントでは、中国側の声明に対する福田首相の拡大解釈を皮肉っていた。。。。マスコミはアレをすっかり事件に仕立て上げて、それが前提で物事が進んでいるようだ。いつのまに???

アレは事件じゃなくって、中国でのデフォルトの農作法の結果なんだけど・・・・・。で、そんな国から、農作物と加工食品を輸入しないような対策を日本政府に考えさせなきゃならないと思うんだけど・・・・。

辛坊さん、福田首相を皮肉くるのはいいんだけど、いつもの調子で『そぉ~~~~じゃナ・イ・ダ・ロ』ってやって欲しかったけど、辛坊さんでも、やっぱりアレを事件にしちゃう方針には逆らえないのかなぁ。。。。

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東芝撤退、HD買った人は? 規格戦争で消費者置き去り

20080218_keep_on_dreamingマスコミは『消費者軽視?』との世論が沸き起こる事を画策しており(どこでもこの論調)、そして、マスコミは消費者から正義の味方と賞賛されたいのだ。

『お客様は神様です』・・・?

馬鹿じゃねぇの?こんなのは歌謡ショーを観に行く客だけに言えることだ。

そもそも、生産者と消費者は『どっちがエライ』とか言うものじゃないだろう!!それに日本人なら誰しもがお互いに需要と供給の両方の側に身を置いており、一方的な立場のみに身を置く人なんていないんだし、『消費者軽視?』という言葉自体がナンセンスだって思わないのかね?

食料に関してだって、消費者重視(生産者っていう立場の軽視)が自給率40%以下を招いたんじゃないの?マスコミは、安ければ何でも良いって人は安いものを買えばいいし、その対極は自分で作れば良い!ってスタンスでいれば、国民が自分達をステレオタイプに別けて感じる事(ほとんどの人が自分は消費者だって感じてるんじゃない?)もなかったんじゃないのかなぁ。(誰でも農業するには農地法の改正は必要だけど)

生産者が消費者の利益を損なわないようにする為に独占禁止法があり、それが適正に機能している事実があるにもかかわらず、マスコミがこのように、ごく一部の購入者の、それも、ちょっと不利益かどうかもわからない事象を“敢えて”取り上げ『消費者の側に立ってますよ』ってアピールに利用するって事が、そもそも、そういう腐った体質を証明している。(そう言えば、テレビ朝日の【報道ステーション】っていう名前のワイドショーで、古館伊知郎がマクドナルド捏造報道の釈明に『敢えて・・・』とか言って、顰蹙を買っているけど、とくに朝日系列はこんなのが酷いよね)

HDがあったればこそ、適正な競争と価格が維持でき、技術の進歩が推進された・・・って報道は出来ないのかねぇ?


昨日2/17の『報道2001』を見ていても、総合司会の黒岩祐治の橋下弁護士に対する物言いは、まさにこのようなマスコミの“醜い”部分をさらけ出した感じで、非常に不快に感じた。国民(この場合は大阪府民)の代弁者面して(橋下氏の)話の流れからの全体の主旨を無視した枝葉末葉の言葉尻を捕まえての言いがかり発言には、ほとほと辟易する。

為政者を生産者、府民を消費者に見立てているんだろうけど、そもそも、それを固定的なものだとの印象を植え付けること自体が恣意的だ。

生産者が悪ければ消費者は自らが生産者に成ればいいんだよ。立候補すればいい。マスコミの、府民の立場を固定化して消費者の側につくなんて態度の根底には、それこそ消費者を弱者=低能扱いして、自分達は選民であるという意識のある証拠だ。誰でも政治家になれるわけじゃないって言いたいなら、それこそ、マスコミが公職選挙法を改正して、誰でも政治家になれる道を切り開くべきなんじゃないの?一切金のかからない道を示すべきじゃないのか??一旦、政治家になった後も、スムーズに民間に戻ってこられるよう庶民の意識を変えさせる方向に持っていくべきなんじゃないのか?(政治家の問題ではなく、自分達の問題であるって意識を持たせる方向が必要だぞ)


異常なクレーマーやモンスター患者の出現の原因は、間違いなく、マスコミのこの姿勢にあると思う。

診療報酬改定に関しては、まだ、これをテーマにした番組が製作されてはいないみたいだけど(見たことはないから・・)、くれぐれもマスコミに頓珍漢(間違った消費者=患者重視論)な世論操作はして欲しくない!!

マスコミに踊らされた国民による、「今までOKだったのに何故ダメなんだ!」とか「薬だけで良いんだ。医者はまた儲けるつもりか?」なんて意見が噴出するのが、目に見えているからね。

そもそも医療業界ってのは、中医協っていうか“お上”のものの決め方自体が頓珍漢な部分が多いうえに、マスコミの無知ゆえの頓珍漢な解釈によって歪んだ印象を刷り込まれてきたわけだが、今回、更に、彼ら(お上)の非常識のツケを負わされようとしている。

笑っちゃうのが、『お薬だけは、点数取れないよ』っていう仕組みを作った事。もともと医師の診察無しに患者に薬を出せない事は療養担当規則で決まっている事だ。言葉を限定して“保険医療では”と言うべきかもしれんが。(薬局では自由に買えるから)

つまり、保険は湯水のように財源があるわけじゃないから“保険で医療を受ける”条件として、薬が必要かどうかは、毎回、医師が確認しなくっちゃならない決まりがある。(診察はそれだけの為じゃないけど)

しかし、実態は、医療機関の儲け主義もあるんだろうけど、消費者=患者の利便の為に診察無しに投薬が行われている現実がある。

お上は、このような現実に建前主義を通して“取り締まる(監査する)”時もあるくせに、何故か今回は現実主義に走って『インチキは黙認するけど金は払わないよ』の暴挙に出たのだ。

そもそも、医師に少なくとも5分間は診察させるとすれば、一人の医師が1時間に診られる限界は12人だってわかる筈だ。そんな単純な計算すらする事を自ら放棄して、『待たせるのは悪だ』という感情を植え付けたのは、間違いなく、マスコミだ。『3時間間って3分診療』って言葉は、保険診療なら『しょうがない』って方向も少しは示していれば、こんなにも、医療が崩壊(産科、小児科)する事もなかったんじゃないのか?(トリアージは考慮してません・・・)

待てないなら、全額、自費で払って自由診療している所で受ければよい。そういうと、『金で受ける医療に差が出るのか?』のような言葉が出るに違いない。はっきり言って、今の世の中、金で差が付いていないなんてのは“幻想”であり、現実を受け入れなければ、社会への不満を助長するだけだ。

例えば、現職の総理大臣が入院する施設が、健康保険で入院する施設と同じで良い筈がないではないか?
『総理大臣と差が付くのは、仕方がない』って思うのなら、では、誰と差が付くのは不満なのだ?総理大臣経験者はいいのか?県議会議員なら許せる?一部上場企業の経営者なら許せる?中小業の社長は許せる?会社の部長なら許せるのか?それとも、自分の上司なら許せるのか?それとも、同僚なら?

自分で高い金を払ってる人(現職の総理大臣は公費かもしれないけど)に対して、受ける医療に差が付くのはけしからんって、本気で思う人がいるのか?

具体的に、誰と比べて差がつく事が不満なのかをはっきり言える(定義出来る)人なんていないのに(注)、マスコミは単なる抽象的な概念として“金で差が付く事”に対してってのを、あたかも具体的な医療行為に当てはめられる事として“詭弁”をふるったわけだ。

そして、医療提供側と患者側の間に溝を作らせ、マスコミは患者側に付き正義の味方を演じる・・・っと。(本来、庶民に不満を感じる状況ではないところに不満を感じさせ、そして、正義の味方になる。ある意味、マッチポンプ)


そして、私の身近な所では、、、、

『なんで、処方箋に書いてある薬を集めるだけで、技術料なんて取るんだよ?』と。

(ブログを読んだら薄々わかると思いますが、私はマニュアル仕込みの薬剤師達とは違って、こういう患者さんに、長時間かけて説明するの大好きです。『飲み合わせがどうのこうの、安全に服薬してもらいたいからどうのこうの』とかいう、くだらない説明ではありません。
患者さんにしてみれば単純な答えを期待しているんだろうけど、もともと単純じゃないから説明は非常に長くなります。その長すぎる時間に根負けして、苦笑いしながら去っていく人も多いです・・苦笑。で、この手の疑問に対する私の意見は、、、、過去のエントリーを読んで下され。。)

注:ここで、マスコミが『抽象的な差というのは赤の他人と差』として具体的に言ってくれれば、事態は逆転します。こんな事を人前でいえる人はいませんし、言ったとしたら、その人は後ろ指を指されるでしょうし、口には出さなくてもそんな事を思った人の心に訴える事が出来ます。

まぁ、そもそも、『知り合いなら不満はないけど、見ず知らずの人と差が付くのは我慢できません』と言う人がいたら、その人は保険で医療を受ける資格がありません。

ってゆーか、こういう人が多いっていう事実が、日本で保険医療が崩壊する原因・・・・・。(はっ!ここまで突っ込むのは、、KY?)

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チェッカーゲームの場合は引き分け

20070928_chessScience 誌の September 14, 2007, Vol.317 に、面白い論文が掲載されている。コンピュータを使ったチェスとチェッカーの試合、人工頭脳の研究についてだ。

その中で、『チェスの場合は探索空間が膨大で、最速のコンピュータでも解くには地質学的な時間が必要であるが・・・・』と、“地質学的な時間”って言葉に、つい笑ってしまった。

チェッカーゲームの場合は引き分け(A No-Win Solution for Checkers)

Science September 14, 2007, Vol.317

コンピュータ科学者は人工頭脳の研究には、伝統的にチェスのようなゲームを利用してきた。

もっと易しい探索空間の小さなゲームの場合は、スタート位置からコンピュータでしらみつぶしに空間を調べることで完全な解が得られる。

チェスの場合は探索空間が膨大で、最速のコンピュータでも解くには地質学的な時間が必要であるが、他のゲームの場合は難しいけれど取り組み可能な挑戦課題となる。

Schaeffer たち(p. 1518, Choによる7月19日のニュース記事参照)は、チェッカーゲームの解について報告している。

もし、黒が先手であれば、対戦相手が間違いを犯さなかった場合、ゲームは引き分けになる。

この完全な解の解析は1989年に始まり、数十台のコンピュータが必要であった。(Ej,hE,nk)

Checkers Is Solved
p. 1518-1522.


現代のスーパーコンピュータをもってしてもチェスの場合は“地質学的な時間”がかかるが、もっと易しい探索空間の小さなゲーム、すなわちチェスの場合はスタート位置からコンピュータでしらみつぶしに空間を調べることで完全な解が得られるってのが、凄い!(多分、オセロゲームもそうなんだろう)

《もし、黒が先手であれば、対戦相手が間違いを犯さなかった場合、ゲームは引き分けになる。》ってのが、逆にゲームへの興味を失わせそうだけど。。。。


政治的な駆け引きを“チェッカーゲーム”のような印象をもたせることで完全なる“解”があるかのように勘違いさせ、誰にでも解るかのように“世論調査”のような形で大衆にも“政治に参加”させようとするマスコミの姿勢には、いつも違和感を感じている。

誰それが大臣になると『こうなる』とか、派閥が関わると『こうなる』とかは序の口で、日本は議員内閣制(天皇制)なのに、それがあたかも直接民主制(大統領制)かのように首相個人の“支持率”なんて数字を出しての番組作りは何をかいわんやである。(首相は議員が選ぶんだっちゅーの。政治のプロである議員が選ぶんだから、国民の支持は関係ない。議員はこのように難しい政治を解りやすく説明し、具体的に何をするかの意思表示をする事によって国民から選ばれるんだから、民意はその段階で活きてる)

政治は、ゲームに喩えりゃ“チェス”であり“将棋”だろう!

それぞれの“駒”の動きを正確にコンピュータにインプットしたとして、全体の方向を見極めるには、それこそ“地質学的な時間”がかかる。

現実の社会では、そんなに時間がかけられないから、その判断・決断は、行き当たりばったりで妥協の性格を帯び、“結果”で評価される事になるわけだ。(『議論を尽くしてない』なんていう野党の理由は、だからこそ、笑っちゃうんだよね。“地質学的な時間”の議論なんて出来るわけが無いんだから)

このように、政治は結果で評価されるべきものなのに、まだ始まったばかりの内閣であっても“こき下ろす”姿勢ってのは、サイエンスの面から見ても“おかしい”と言わざるを得ないし、単純だと思わせる事自体が政治(それこそゲーム)への興味を無くさせてるんじゃないのか。


話は変わるが、今朝の朝刊一面は、どこもミャンマーで殉職した記者の話だ。殉職は生命の危険がある職業では当たり前の事だと思うから、警察官や自衛官が殉職しても一面トップにしないんだと思ってたけど、身内の事となると違うらしい。

そして、その殉職を“政治的利用”しかねない勢いだ。


軍事政権を非難する声は、それこそ2000年前のローマの時代からあった。

Cedant arma togae,concedat laurea laudi.
武器はトーガ(平服)に道を譲り、(将軍の)月桂冠は(市民の)賞賛に勝らず。

これは、キケロの残した言葉だが、当時は“嘲笑”の対象だったらしい。

人間、生きる本能があるから、だれだって死にたくない。でも、闘わなければやがて死が訪れるなら、闘う。こんな事を言って失笑を買ったのは、キケロは周辺蛮族を平定する為に、前線で戦ったことは一度も無かったのが理由だろう。

ポンペイウスが言ったのなら、説得力もあったかもしれないけど。


しかし、まぁ、本日は別の引用からマスコミの頓珍漢も“効用がある”って事に言及し、日頃のマスコミへの誹謗中傷?を許してもらうとするか?!(爆笑)


それはマスコミの行動を“生物の多様性”というフィルターを通してみた場合に得られる結果だ。

テイラーメイドのToll様受容体(Tailor-Made Toll- Like Receptor)

Science September 14, 2007, Vol.317

実験室レベルに基づいた免疫学では、昆虫から哺乳類にいたる生得性の免疫受容体に関する多くの役割が明らかになった。

しかしながら、このような受容体が、どの程度感染からヒトを守っているのだろうか?

Zhangたち(p.1522)は、ヒトの一次免疫不全症に関して報告している。

その報告は、他の病原体に関して何等の明白な影響を与えることなく、単一の特異的なウイルス感染からの防御におけるToll様受容体(TLR)に関する特異的な役割を示している。

単純ヘルペスウイルス(HSV)はTLR3の変異誘発遺伝子を持つ子供に脳炎を引き起こすが、TLR3は通常中枢神経系や免疫系の樹状細胞におけるウイルス核酸への抗ウイルス性のインターフェロン応答を調節している。

生得的なヒトの免疫貯蔵庫におけるTLR3の維持はウイルス感染によってもたらされているのかもしれない。

これらの結果は、他の似たような狭い宿主-病原体の相互作用も、また共進化した可能性を示唆している。

TLR3 Deficiency in Patients with Herpes Simplex Encephalitis
p. 1522-1527.


イキナリ話が飛ぶが、例えば上のような研究成果が、医療系ドラマを面白くなくすのかもしれない。

子供がインフルエンザに罹患する。
行動異常を起こす。(脳・神経炎の可能性)
病院に連れて行く。
手遅れになる。
『もっと早く来ていたら・・・・』と言われる。

でも、科学の進歩は、こんなドラマを一蹴する。

ウイルス感染で脳炎を起こすのは、遺伝子の個性(ウイルス耐性の個性から見れば“異常”となるが、この多型が現存しているからには、他のメリットも考えられる。例えば自閉症は天才に繋がる・・・とか)だから、病院に早く来ようと遅くなろうと、運命は、ほぼ決まっている。ひどい言い方だが、なまじ呼吸だけを続ける状態で“生かして”しまったら・・・。この領域では、医療は存在しない。あるのは個人的な“生命観”だ。

だから、この手のドラマは“医療系”ではなく“人文系”“宗教系”“哲学系”となっていくのだろう。

そして、遺伝的な多様性がヒトでも存在しているってことは、次の論文にとどめをさす。

種内および種間での多様性の必要性(Diversity Needed Within and Among Species)

Science September 14, 2007, Vol.317

生物多様性の鍵となる2つの要素は、種内部の遺伝的多様性と生態学的コミュニティーおよび生態系における種の多様性である。

これら2つの要素は、通常は2つの多様性の水準間での可能な相互作用にはほとんど注意を払われることなく別々に研究されていた。

LankauとStraussは、双方の水準での多様性の維持を可能にするフィードバックループの存在の経験的証拠を提示している(p. 1561)。

Brassica nigra(アブラナ属nigra)のアレロケミカル(allelochemica(他感物質):異なる種の生物にとって有害な物質)な形質における遺伝的変異は、この種と他の競合種の共存にとって必要である。

同時に、B. nigraにおける遺伝的変異は、複数の競合種がそのコミュニティー内に存在していた時にのみ維持されていた。

幾つかのB. nigra遺伝子型は他の種に対しては強い競争者であったが、種内の競争者に対しては弱かった。

こうした結果の示す重要なメッセージは、自然な生息地における種多様性の保存のためには、種内の遺伝的多様性を維持する機構の保存も必要とするかもしれないということである。

Mutual Feedbacks Maintain Both Genetic and Species Diversity in a Plant Community
p. 1561-1563.


要するに、一つの遺伝子型に着目した場合、それが単一の種内ではデメリットととして働いていたとしても、多種が共存する環境ではメリットとして働く事かあるというものである。

例えば“早熟”のうなぎは食餌獲得の面では仲間内の生存競争に勝てるが、捕食されるって面からみると真っ先に見つかって食べられてしまう。この事を考えても、成長速度すら“多様性”があるほうが種の保存に有利だとわかるし、これを餌としている生物にとっても、一度に供給される量は少なくても、後から後から継続的に供給される方が種が生き長らえるとも考えられるわけだ。

病気と病気への耐性に目を転じれば、価値観が単一だと、それは“不幸”になるけど、価値観が多用なら、ウイルス感染で脳炎を起こす遺伝子も、まんざら“不幸”とは言えなくなる(おいおい、当事者の気持ちを考えろよ!って声も聞こえそうだけど、、、、)。
 
 
 
今、私はマスコミのなんにでも反対しこき下ろす姿に“効用”は見出せ無いと断じているのだが、政治そのものがシミュレーションしようとしても“地質学的な時間”がかかってしまう為に、行き当たりばったりで対応している現実に対しては、当然、間違った判断・選択も含まれるわけだ。結果として、『ほーら、言わんこっちゃない』と(結果的に反対した事が正しかった)。

こういう事があるから、時の判断・選択する人たちにとって、無謀な選択をさせない抑止力になっているとも考えられる。だから、マスコミ(と野党)の“なんでも反対”にも存在意義があるとも言える。なんでも反対を“考え方の多様性”と捉えてもいいし。

というわけで、ある意味、マスコミの行動は正しいところもあり、理性的にはマスコミ批判を控えなければならない・・・・・。


でも、やっぱり、感情的にはキケロみたいに“口だけ”のヤツは嫌いだな。

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マスコミに抹殺された首相

20070914_un限りなく誘導に近い“質問”による“世論調査”に意味があるのかどうかは別として、これを伝統芸能の如くかたくなに守っている朝日新聞に、是非、聞きたい事がある。(ズームイン・スーパーで辛坊さんが呆れながら“誘導質問”って言っていたのが、笑った)

『何故、テロ特措法延長に反対するのか?』

素朴な疑問である。

まぁ、朝日新聞や朝日テレビなど、このグループの報道姿勢には素朴な疑問だらけなのは誰もが認めるところだと思うけど、この体質は何処からきたのか?


国連が認めていない・・・・、これって何の根拠になるんだろうか?(安全保障は“口”だけじゃ無理だし、奇麗事じゃないのはわかっている筈なのに・・・)

キリスト教(資本主義社会)とイスラム教の対立って“軸”をはっきり出してくれれば、アメリカのとってのロジックが絶対的な“正義”でないって事は、私にも理解できる。イスラムにとってのロジックでは、テロ(と資本主義社会が定義している)行為は“止むに止まれぬ”事であって、“座して死を待つ”を潔しとしないからの“結果”であろうと、考えられるからである。だからこそ、中立な国連って理屈なのだろうが、国連は第二次大戦の戦勝国の組織であり、中国やロシアも入っているから(宗教の無いこの国は、アングラで武器を製造しイスラム世界がお客さんだ)、この問題に関しては“だからこそ”は“国連”には繋がらないと思うのだが・・・。

そして当然、降りかかる火の粉を払いのけなきゃ、、、自分の身を守る為に“闘う”事は誰にでも認められている“基本的な権利”である。だから“闘う”。これを否定できる人もいないだろう。

ただ、ややこしいのが1500年以上も前からの怨恨を引きずっている、この一点に尽きる。6年遡って相手の行為を非難すれば、その3年前の出来事を持ち出され、それに対しては10年前の出来事で、、、、際限が無い。(だから、ドーキンスは宗教が悪い『神は妄想である』と言ってるのだが・・・)


事実を“事実を炙り出す為の証拠”に利用するという事も、このような問題の解決方法としては馴染まない。これは、その問題がどこの宗教間であっても、国家間であっても、民族間であっても同様だろう。(学者が学問的にやるならまだしも、政治家や報道がやるべきではない)

例えば、Aさんが歩いてきた道に屍体が転がっていた。その日、その道はAさんしか通らなかった。だから、Aさんがその人を殺したんだ・・・という“証明”にその屍体を用いるって事を指す。これは単純な例だが、このような密室殺人事件にはトリックが隠されて、そして一つの事象に二つ以上のシナリオが隠されているのが“常”だというように、屍体があるからといってAさんが犯人とは限らないということだ。新鮮な事件ならまだしも、これが、過去の事になると、想定可能なすべての可能性の検証すら不可能になるから、ますます、話をややこしくする訳だ。

誰でも知っている“南京大虐殺”事件を例にとれば、事実は“屍体”が沢山あったということ(だけ)だ(この屍体すらなかったとする人達は話にならないけど)。日本軍が通った後だから、日本軍が殺したものとされている。この段階で、すでに全ての“屍体”が日本軍によるものかどうかはわからないと言う事である。

屍体の数は、報道により桁違いの報告があり、もし、(朝日新聞の)多い方を取るにせよ、中国共産党による粛清の“結果”の処理に“利用”されたかもしれず、また、“虐殺”という表現を使うのであれば、全く武装しない無抵抗の“市民”が殺された場合に使うべきで、抵抗したり、或いは市民を装った軍事抵抗(たとえ竹やりであっても、丸腰の日本兵を殺す事は出来る)があれば、それは“戦時下における不幸な犠牲”と表現すべきところだろう。

本物の無抵抗な市民と装った中国武装兵士は“モザイク状”に存在していたはずで、どちらの側もこれを証明する事は不可能になる。従って“事実を事実の解釈の証拠”にする事には無理が生じるわけだ。

それは置いといて、日本軍は“侵略”したのだから、どっちにせよ“正義”はないというロジックも、『背に腹は代えられない』であり、切羽詰った状況で座して死を待てない状況下では“弱肉強食”を否定できる人はいないのではないか?


20070914_if_jesus_returnsというわけで、原始的な一神教の世界(ユダヤ教)の世界からキリスト教が生まれ、イスラム教が生まれ、その頃から引きずっている問題に十字軍遠征という決定打が加わり、(いや個人的な問題と言うなら、各地での小競り合いの方が影響力が大きいだろう)誰にも解決できない問題に発展してしまったのが、日本でのイラク特措法、テロ特措法に関わっている事を考慮しないでの世論調査は笑止千番ではないのか?争いのネタにしても、その歴史の当事者たちには、いつでも大義名分が存在したのだから、どちらが“正義”でどちらが“悪”なんてのは、誰にも判断のつくことじゃない訳だし。


小アジアでは、ちょっと前までイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が穏やかに仲良く暮らしていたらしい。イスラム教徒の夫にキリスト教徒の妻などは珍しくはなかったのだそうだ。それが、今、この夫婦には、危機が訪れている。
夫の親戚筋から、『従兄弟を殺した憎きキリスト教徒の女と、何故、離婚しないんだ?』と。イスラエルとパレスチナ(ユダヤ教とイスラム教)でも同様らしい。彼らには日本人には理解不能な宗教という帰属意識があるのだ。

神からユダヤ人に与えられた筈のカナンの地の証拠は、共通の聖書である旧約聖書に書いてある。しかし、それ以前にその地に住んでいた人は居たとも書いてある。しばらく(ヨセフの時からモーセまで)カナンを留守にして(エジプトに行ってた)、その間にも、カナンの地には他の人たちが住んでおり、それを奪ったとも書いてある。

『それが事実である』と言い切れる遡れる限界は?誰が断定できるのだろうか?(イエスの存在すら、まともに証明できないのに!)

タブーなんだろうけど、タブーに触れないでテロ特措法は語れないんじゃないのか?

タブーに触れないのは、それこそ、朝青龍の問題に似ている。“疲労骨折”の詐病問題を突っ込みすぎると診断した医師のところまで行ってしまう。これは、マスコミにとってはタブーなんだろう。

繰り返すけど、国連と日本国憲法というキーワードだけで“テロ特措法”に対して世論調査を実施するのは、余りにも浅慮で軽率な気がしてならないのだが・・・。まして、誘導的な質問を用いて世論調査する朝日新聞の意図は??


・・・小一時間、問い詰めたい!

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