個の医療で考える事と公衆衛生で考える事
殺人事件が起きた。容疑者と思しき 5 人は、みな少年だった。あなたは、善良な市民。被害者、容疑者とも面識は無い。
『風の噂で、容疑者 B の両親のプロフィールが舞い込んだよ。父親は炭鉱労働者で人を殺して服役中、母親は生活苦から万引きの常習だってさ』とあなたの親友から。。
さて、あなたは、誰が真犯人だと思うだろうか?
話は変わって「あなたインフルエンザです」と言われたとして、その根拠を聞いたことがあるだろうか?医師に向かって聞けない?ごもっとも。
インフルエンザの診断キットで陽性だった?
インフルエンザという病気の症状(高熱が出る)は、インフルエンザウイルスの感染が“必要”且つ“十分”条件だと思う?
インフルエンザウイルスに感染していても、発症しない、あるいは発症しても発熱が軽微な人がいると思う?
インフルエンザウイルスが他のウイルスと混合感染すると思う?
本当は他のウイルス(RSウイルス、アデノウイルスなど)が発熱を引き起こしているにもかかわらず、インフルエンザ診断キットで陽性が出たしまったら、インフルエンザウイルスによる発熱だと判断される事があると思う?それとも、臨床所見(喉の状態など)から違うと判断する場合があると思う?
インフルエンザ治療薬の治療効果を見る臨床試験で、本物のインフルエンザの患者かどうかは、何か特別な方法で試験して、完璧な診断していると思う?
予防接種して抗体(免疫グロブリン)が出来ると、全ての病気で発病を防げると思う?
インフルエンザの場合は、予防接種して抗体が出来ると発症を防げると思う?
新型インフルエンザワクチンの有効性は、発症が予防できたかどうかではなく、単に抗体産生の有無で判断していると言う事を知っている?
インフルエンザ診断キットの感度と特異度は何パーセントだか知っている?
そもそも、感度と特異度の意味を知っている?
例えば、エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出るとする。だが、この人がエイズに感染している確率は、統計学上、99.9%ではなく、約17%であることを知っている?
統計学上、健康診断で、20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%であり、20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる事になることを知っている?
以上に考えをめぐらせて・・・・、インフルエンザの診断が、真犯人が日本刀で被害者の首を切り落とすのを見るが如く、直接的に為されていると感じるだろうか?
もし、間接的だと感じるなら、容疑者 B を真犯人だと思わない理由は何故か?
犯罪者の子供が犯罪を犯す事は、優位な差を持って証明されている?
貧困層の生活者は、犯罪を犯しやすい事は、有意差がある?
IQの低い人は、犯罪を犯しやすい事は、有意差がある?
犯罪者の再犯率は、初犯率より高い?
今、目の前にある“高熱”という症状に100%確実な診断を下す方法が存在すると思うか?
予防接種をして、抗体が作られて、100%発症を抑制できるという例を、我々は、天然痘に見ることが出来る。それ以外の例を私は知らないが・・・・・。
今、健康な人を集めて、一つの部屋に入れ、インフルエンザウイルスを噴霧する。発病した人だけを集めて、自然についた免疫グロブリンがなくなる時間を空けて(1年?記憶B細胞、T細胞は無視)、再度、同じものを噴霧する。この中で発病した人を選択して、今度は、1ヵ月後に(免疫が自然に付く頃)に、もう一度、同じウイルスを噴霧する。
ここで、発病しなかった人を選んで、1年ほど経ってから、今度は、噴霧したウイルスに対応するワクチンを接種して、抗体が出来上がった頃(1ヵ月後)、本物のウイルスを噴霧して発病の有無を見る。
実験動物だと、免疫学的な個性が無い(クローン)からダメ。他の動物では、もともとインフルエンザウイルス感染で症状が出ない種があるからダメ。
と、本物の人間でやれるといいなぁ!!!いろんな事、わかりそうだなぁ!!
さて、健康診断や、病気の診断に使う、その臨床検査の“正常値”だが、、、
■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。
■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。
■エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出た。だが、この人がエイズに感染している確率は、99.9%ではなく、約17%である。
って言われたら、、、
単純にビックリするか、あるいは、、、、、「ふ~ん」か、、、、、あるいは、むむむむ?本当なのか??今までの人生、俺が肌で感じてきた事と違う!違和感あるぞ!って。
何れにせよ、今、ここで、臨床検査値が無かった(正常値が決まっていなかった)時代を想像してもらいたい。
検査値の標準値(正常値)を作成する為に、体のどこにも不具合無く、すばらしく健康に生活している人達に集まってもらい、色々な検査、例えば血糖値、血清カリウム濃度、血中尿素窒素(BUN)、尿酸値などを測定したとする。
一つ一つの検査値は、ある値の周辺に多く分布し、その値から左右に遠ざかるほど、頻度が低くなる。つまり、数学の教科書で見かけた、左右対称で釣鐘型の分布となる。
この分布は1733年にフランスの数学者Abraham Demoivreによって発見され、正規分布に非常に近い。正規分布は数学的に表現され、計算の容易な平均値と標準偏差(SD)の 2 つによって規定されるので、取り扱いが簡単である。その為、医療の分野でも、さまざまな検査値について平均値とSDを算出し、通常「平均値±2SD」を正常範囲あるいは基準値としている。
なぜ、「平均値±2SD」なのかというと、、、、知りたければ、ご自分でどうぞ。。。というわけで、この範囲には健常者の95%の検査値が含まれるのだ。
これで、めでたく、正常値が出来上がった。
・・・で、現在、このようにして作った正常値を運用しているわけだが、、、
これは、逆の見方をすれば、健常者の 5 %は、必ず基準値外の検査値を呈することを意味し、健常者が 1 つの検査を受けて正常範囲の結果が出る確率は、その人が本当に健康であっても 95 %である事を意味する。必ず100%の確率で正常値が出るというわけではない。
これ、ほとんどの人が知っていても、感覚として、忘れている部分。
しかるに、計算上では、本当に健康な人でも 20 種類の検査をすれば、全ての検査が“正常値”に収まる確率は、0.95x0.95x・・・・と20回掛けると、0.36 、すなわち、36%という事になる。
『■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。』が正しいことが、ご理解いただけたと思う。
サイコロの目が、6回中6回、“1”が出る確率の計算方法と同じってこと。
さらに、1 人の健常者が“互いに独立した排他的な”20種類の検査を受けると、どれか 1 つの検査値は必ず正常範囲から外れることになる。(臨床的には、完全に独立した検査項目ってのは少ないから、1つ外れると、2~3は芋づる式に外れることがあるが、まぁ、それはおいといて・・・・)
これは確率の足し算の法則(加法定理)によって説明される。
1 つの検査値が正常範囲から外れる確率は 0.05 であるから、仮に 2 つの検査値のいずれかが正常範囲から外れる確率は、、、、
0.05+0.05=0.1
となる。つまり、Aの事象とBの事象の起こる確率がP(A)、P(B)である場合、AまたはB(A or B)のいずれかが起こる確率は 2 つの確率を加算した値、、、、
P(A or B)=P(A)+P(B)
となる。これは直感的に理解されるはずである。
いずれかが起こればよいのであるから、それぞれが起こる確率より高くなることがわかる。
したがって、20種類の検査を施行した場合に正常範囲から外れる確率は、0.05を20個加える、つまり、
0.05×20=1.0
となる。
確率が1.0ということは、ある事象が必ず起こるということであるから、健常者が20種類の検査を受けると、どれか 1 つの検査値は必ず正常範囲から外れることになるのである。
夜の高速道路を歩いていて、1分間なら車に轢かれないけど、20分間歩いていればやがて轢かれる・・・と喩えは悪いけど、これなら直感的に理解できる。
『■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。』は、ご理解いただけたと思う。
ここが、“キモ”“肝要”である。
医療での検査が、もともと、このような処理のされ方、つまり統計学的な処理をされているのである。
でもなんか、釈然としない筈だ。「なんか、騙されているんじゃないのか?」って。
そして、自分の経験から、検査値から外れていれば、病気である事が多い。同僚を見ても、ご近所さんを見渡しても。『健康なのに異常値が出る確率が、64%(100-36)』とは、なんたることか!!
一般常識では考えられない!!
と。
どうして、そんな事になるのか?
検査の方法が出来上がると、病気の定義が変わる。健康であっても、正常値から外れる“モノサシ”を使って測っているうちに、、、って事だろう。
病気だと判断された根拠が、検査値が無かったころには“健康”だとされていた“価値観”“感覚”“自己認識”“コンセンサス”が「平均値±2SD」から外れたから「病気の可能性がある?」と判断されて、今度は、それが個人の“認識”を経て世間の“コンセンサス”に変化していく・・・・。
さらに、検査値が正常範囲内であっても、ご近所の旦那さんは、心筋梗塞で倒れたと言う話を聞くと、正常範囲内から外れている私は、、、、、、、と、追い討ちを掛けられ・・・
「あなた検査値は、正常の範囲から外れています」と言われて、病気の定義までを考えるような人はほとんどいないから、「健康な人と自分は違う」、「健康な人の検査値と違う」と感じ、それは『異常なこと』と考えるようになる。。。。
かくして、病気が検査によって“増える”。
それでも尚、「そもそも、どうして95%の範囲を取るんだ?100%を取れば、健康な人には異常値なんか出ないじゃないか?」と。
ごもっとも。でも、それやっちゃうと、本物の病気を見逃す可能性が高くなる。だから、確率論的に、統計学的に、落とし所が「平均値±2SD」・・・と。
それに、病気の人を集めて、その人達の検査値データを取り、“病気値”なるものを求めたとしたら、その左右対称で釣鐘型の分布は、正常値とかなり重なり合うだろう。(検査値=病気となる検査項目は存在しないのだが、正常値から外れることが病気であるとの勘違いが庶民の間に浸透している)
絶対値としての“治療が必要と感じる基準”が存在しないのは、世界の人口60億人に対して、人口1億ちょっとの日本が、タミフルの全生産量の7割から8割を消費している事を考えれば、病気(治療が必要と感じる基準)ってのは、その国民の“コンセンサス”であることが、ご理解いただけると思う。
以上のように、、、、
■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。
■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。
は、間違いでも、まやかしでもないのである。
正常範囲をどのように設定するかということによって生じる、単なる現象なのだ。それ以上でも以下でもない。
さらに、臨床検査の性能を測る場合、“感度”や“特異度”といった概念がよく使われる。一般に使うイメージから類推すると、思わぬ誤解を生む言葉だ。
『■エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出た。だが、この人がエイズに感染している確率は、99.9%ではなく、約17%である。』が、予想に反する、、、どころじゃなく、「ウソだろ」って感じるのが普通だと思う。
ある検査をしたとする。その集団の一部の人は本物の病気だとして、彼らの検査結果は陽性だった場合、彼らは「真陽性」である。病気なのに検査結果が陰性だった人もいる。彼らは「偽陰性」である。
また、病気じゃない人で陰性だった人は「真陰性」、病気なのに検査結果が陽性だった場合、それは「偽陽性」である。
で、真陽性、偽陰性、真陰性、偽陽性の率を合計すると 100% となる。
臨床検査でいう“感度”とは、陽性と判定されるべき人数(個体数)のうち、実際に陽性と判定された人数の割合である。すなわち、(真陽性)/(真陽性 + 偽陰性) である。
つまり、「患者を陽性と判定する確率」である。感度が高ければ、患者を見逃すケースが減る。肥満の検査を BMI を用いれば、感度を上げるには、閾値を下げればよい。それにより、多くの人が“肥満”と判定される事になる。
臨床検査でいう特異度とは、陰性と判定されるべき人数(個体数)のうち、実際に陰性と判定された人数の割合である。すなわち、(真陰性)/(真陰性 + 偽陽性) である。
感度と同様、これは「患者でない者を陰性と判定する確率」である。特異度が高ければ、健康な人を患者としてしまうケースが減る。BMI の閾値を上げれば、本物のデブだけが、捕まえられる。
この“感度”と“特異度”に加えて、二項分類試験(病気か病気じゃないかを分けるような事)の性能の尺度として“陽性予測値”と“陰性予測値”がある。
“感度”と“特異度”は検査自体の性能の指標だが、こっちの方は、病気か病気じゃないかを判断する性能の尺度だから、直観的に分かりやすいだろう。
陽性予測値は「ある人の検査結果が陽性だったとき、実際に罹患している確率」である。計算式は(真陽性)/(真陽性 + 偽陽性)となる。つまり、陽性となった結果のうち、真陽性が占める割合である。陰性予測値も同様に計算できる。
このように、同じ計算式で求められる。が、感度自体を求める場合と、感度を使って臨床的な判断を下す場合には、これらの重大な違いを認識しておかねばならない。
感度と特異度は、検査結果の陽性と陰性の割合には依存しないという意味で個体群から独立している。実際、検査の感度を求めるのに必要なのは実際には陽性と判定されるべきケースだけである。しかし、予測値の方は個体群に依存している。
例として、99% の感度と 99% の特異度の臨床検査があるとする。健康な1000人と罹患している1000人の合計2000人に対してこの検査を行う。検査結果は真陽性と真陰性がそれぞれ990人で、偽陽性と偽陰性がそれぞれ10人となるはずである。この場合の陽性予測値と陰性予測値は 99% となり、非常にわかりやすい。
しかし、2000人のうち罹患しているのが100人だった場合はどうなるだろうか。この場合、真陽性が99人、偽陰性が1人、真陰性が1881人、偽陽性が19人となる。つまり、陽性と判定されるのは 99+19人で、このうち真陽性なのは 99人だけである。
従って、陽性と言われた人が本当に罹患している確率は 84% でしかない。
一方、陰性と言われた人は安心してよい。陰性といわれて実際には罹患している確率は(この場合)0.05% しかない。
日本でのエイズ感染者の割合(罹病率)は5000人当たり1人とすれば(正確な数がわからない)、、、、、、もう、お分かりですね?
100% の感度と 100% の特異度検査法があれば、話は簡単なのだが。。。。(99.9%の感度・特異度でも、最後には「じゃ、誰がどうやって本物の病気だって断定したんだよ・・・って、ニワトリとタマゴのような問題に突入しちゃう・・・・)
さて、健康診断でよく見かける風景。
「あれは、あくまで“標準”だから、個人差を考えれば、外れていても病気とはいえない」などと、強がってみたり、不安になったり、、、と、1人で心が揺れたり、あるいは、強がるだけの病気に無頓着な人がいたり、一つでも正常値から外れると自分は病気であるとクヨクヨする人がいる。
日経メディカルオンラインでブログ「アメリカ視点、日本マインド」を公開されている津久井宏行氏が、自身の経験として、非常に面白い話をされていた。「都会の老人と田舎の老人の病識にはかなりの差がある」というものだ。私は、氏のユニークで鋭い視点に関心してしまい、一読でファンになってしまった経緯があるが、それはおいといて。。。
田舎の老人は「どうして、こんなになるまで放っておいて・・・」「だって、この程度じゃ、恥ずかしくって病院なんぞに行けまい」というやり取りが多く、都会の老人は、この逆だというものだ。
氏は、この状態が良いとか悪いとか言うのではなく、病識に対してこれだけの格差のある状態を十把一絡げで「医療に差はあってはいけない」というスローガンのもと、ブルドーザーで大地を均すが如くの医療政策は、如何なものか?と疑問をていされていた。
私が、もやもやして、表現出来ずにいた事を、実に、スマートに喩えてくださった。
検査による帰結が100%にならず、尚且つ、検査自体が正しく分析出来ず(感度、特異度)、尚且つ、治療効果が100%でない現状においては、病気かどうかは、本来、本人が納得すれば、それで良いのではないかと思っている。
自分の人生なんだから。
それを、自覚症状も無いうちから、治療を開始したり、、、、
老化現象を病気にすり替えたり、、、、
病気だと思ってない人に、「あんた病気だから、病院にいかなきゃいけないよ」などと脅しをかけるコマーシャルなんぞは、どうかと思うぞ!!
個の医療とは、そういうものではないだろうか?
政府が考える、平等な医療は、現実には、なじまないんだけどねぇ。そのツケが、インフルエンザごときでの国民的パニック・・・・・。なんだかなぁ。








ところで、昨日、私の Wi-Fi ショップに“赤いアフロ”が入荷した。それも、一度に3つも!!!全部、買ったのは言うまでもない。(もしかしたら、レアじゃないの??普通に店頭に並ぶの???)














































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