日記・コラム・つぶやき

囚人のジレンマ

20091109_electricity擬人化すれば、ヒト以外の生物で“種内の相利共生あるいは操作に当たるもの”なら、互恵的利他行動とみなしても良さそうなものだが、、、専門家には、、、なんかあるのだろう、、、それは、おいといて、、、、

“囚人のジレンマ”という命題をご存知だろか?

『世界から核兵器を廃絶しよう』なんて訴えている人達は、当然、知っているだろうが、この崇高な理念が達成できない“理屈”が、これで語られることが多い。

いや、核問題だけじゃなく、外交や政治にもかかわってる。「人類はみな兄弟」とか言っているロマンチストには、馬の耳に念仏なんだろうけど、、、まさか、民主党の新人国会議員の中にも、知らない輩が混じってたりして?!

「遠くの血縁より、近所の他人」とは、一理有り。遠くにいたんじゃ、膝と膝を突き合わせて話も出来ない。電話やネット会議したって、基本的には、問題は他人事。

自分にとって、明確な利益が保障されなければ、、、、、、、

進化:ヒト以外の動物での互恵行動

Nature 462, 7269 (Nov 2009)

Robert Triversが1971年に互恵行動に関する創意に富み影響力の大きい論文を発表して以来、互恵行動モデルや「囚人のジレンマ」型資源分配ゲームのモデルにより、非血縁個体間の協力を説明する主要な理論的枠組みが整備されてきた。

しかし、自然条件下でヒト以外の動物が資源あるいはサービス(機能提供)を普通に交換する証拠は、ほとんど得られていない。

ReviewではT Clutton-Brockが、ヒト以外の動物の野生個体群にみられる互恵行動の事例を検証している。

互恵行動の証拠は乏しく、一見すると非血縁個体間の協力のようにみえる事例の多くはおそらく、種内の相利共生あるいは操作に当たるものだと結論している。

Review Article p.51


沖縄、米軍基地移設ですったもんだしているが、アメリカのオプションの最後は“撤退”なんだけどなぁ。。。。。撤退されたら、日本も独自の核開発は避けられないし、憲法第9条の議論している暇もなくなっちゃうよ。

誰かさん達の沽券に関わる問題だったのか、今までシラばっくれてたみたいだけどけど、日本が平和でいられるのはアメリカの庇護の下にある事を、インテリ庶民にも周知徹底しなきゃならないなぁ。

「期限を設けないで・・・」なんてのは、日本語にしか無い表現だぞっ!

また、使用済み核燃料の処理を外国(フランス、イギリス)に頼まなくてもいいように、プルサーマルは計画されている。茨城県東海村や青森県六ヶ所村に再処理施設があるけど、焼け石に水だから。

だけど、フランスまで運んだり、持って帰ってくる時の無防備さは、あまり、知られてない。プルトニウムは兵器利用にはもってこいだ。こんな荷物を積んでるのに、自衛隊が警護せず丸腰で海上を移動する(海上保安庁の警護は付くらしいけど)のは日本だけなのだが、そんな事には、お構いなしに、別な理由の反対運動は“発生”する。健康被害とか・・・。


原子力発電、簡単な話、庶民が電気を使わなければ、問題は解決する。反対する連中は原子力に代わる現実的な代替案を出さなきゃ。

暑い夏場は、冷房禁止。一石二鳥でインフルエンザも流行しない。

冬は、暖房禁止、さっさと布団に入って寝る。

立法化して、罰を儲ける。もしくは、冷暖房税をメチャクチャ高く設定する。

当然、経済は沈滞する。だけど、炭酸ガス排出抑制の目標は楽々クリアできる。

そうすりゃ、アメリカ第7艦隊が撤退しても日本の魅力は半減してるから、北朝鮮、ロシア、中国に狙われることも無い。もっとも、ロシアは日露戦争の屈辱を晴らす為、海路への拠点欲しさに、日本に進軍してくるかもしれないが、そしたら、日本は、クリミア戦争で煮え湯を飲まされた中東の人達と仲良くすりゃいい。あっちは、あのフセインでさえ“親日”だったんだから、近所の“反日”よりゃ、マシってもんだ。


日露戦争といえば『坂の上の雲』だが、一般大衆の間では、この小説により野木希典の評価は一変したと言う事だ。乃木大将の評価は現代の我々の生活には無関係なので、私にとってはどうでもいい事だが、大衆心理に与える影響を医療における印象操作と対比すると、面白いことが見えてくる。

「旅順攻囲戦」を戦闘における指揮官の能力を知るための壮大な実験としてみれば、エンドポイントは、戦闘の結果(勝ち負け)と戦死者の数、作戦に要した費用と日数で統計的に見ることが出来るだろう。(※1)

すなわち、少ない投資で最大の結果を得ることが“効率の良い勝利=優れた戦術=有能な指揮官”と言えるからだ。

それには、まず、「戦術」という介入がどれほど“効率”を引き上げたら、戦術効果ありと判断するのか、実験する前に示しておかねばならない。また、「戦争資金の額」「銃弾、爆薬の量」によるバイアスを考慮し、戦術と戦死との関連は、単なる関連性か、因果関係によるか、交絡因子を介するものかを示す必要がある。さらに、サブグループ解析により、「兵士の年齢」「兵士の体力」「兵士のモチベーション」の“効率”を階層別に明らかにする必要がある。


と、医療を統計学で“切る”ための思考ロジックのアナロジーとして示してみたが、、、、

野木希典を“無能”と断定する人達に、『この方法で証明してみてよ!』と言ったところで、返答は期待できない。。。。というか、無理なのは、よほどの馬鹿でもない限り、わかることだ。

戦死者数ひとつとっても、この時代の陸軍の食事内容から脚気による死亡が相当数合あったことは事実であるし、コレだけの人数が群集していれば感染症も否定できない。兵士の活動指数に影響を与えるが、的確に判断できる感染症の専門軍医がいなかった為、記録も残っていない。

ようするに『野木希典を“無能”』とする為(思想的?※2)、その仮説を補強する事実が寄せ集められ、表に出されたという可能性もあるわけだ。

一体、『野木希典は“無能”』の“p値”はどれほどになるのだろう?

多分、0.5 くらいだろなぁ!(爆笑)


さて、なんでこんな喩え話をしたのかと言うと、現代においても、ある権限を持つ関係者も同様の事をしているからだ。意図は、私には良くわからないが、、、

それは、(がんに限らず)検診にランダム化比較試験を行うことを“毛嫌い”しているところだ。結局、『野木希典を“無能”』と同様の“印象操作”を行うことで、検診には意義があるということをコンセンサスにしておきたいらしい。

さらには、一般大衆が統計学に疎い事をいいことに、ととんでもない“エビデンス”を根拠にして、大量に病人を製造し、大量に薬を消費させている。。。。そもそも統計学を医療に適用するのは、ヒトという種に対しては有効なのは間違いないが、患者個人に対しては、疑問符だらけにもかかわらず、、、、


これは、誰にとって、“利益”があるのだろう・・・・・か?

それとも、“囚人のジレンマ”のひとつなのだろうか?


※1:戦争に負けたら『良い戦術』とは言わないから、戦争に勝つ事が大前提となる。しかし、勝っても驕ることなく、反省点を探す・・・みたいな、ある意味、ペシミスティックな洞察は“賢く見える”こともあり、そんなところから乃木無能論なんて“妙”なものの見方が出現したのかも知れない。妙というのは、本来、二国間の問題は政治的に解決するのが“良い戦い方”であり、戦争に突入した場合、良いも悪いも無い。その指揮官の戦術に“有能・無能”などと評価をするのは、当事者である軍内部ですることであって、庶民にとっての意味は、軍神と崇められた偉人をこきおろす快感くらいなもんだろう。こんな事を考えるヤツは、戦争に“良い戦争と悪い戦争”があるって思っているからに違いない。(必要な戦争と不必要な戦争はあると思うけど)

現代の小泉叩きに通ずるところがあるなぁ・・・ムフフっ!


※2:小説家の場合は小説を面白くする目的がある。インテリ大衆の場合は、Wikipedia で乃木無能論の主な根拠を見ても科学的ではないから、神のように扱われていた事に対する反動とみるのがいいのかも。反戦論者や左翼の人達は、軍国主義、国粋主義とか関心がありそうだからなぁ。。。。

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押尾学事件、感情的に判断して何故悪い?

20091104_mdmaはじめに、アレルギー体質は転写因子「Mina」の遺伝子が原因だっという発見。

これは、抗原暴露があった時、その“現場”に、IL-4 が多く出ちゃう事を説明できるものだ。

初回に、抗原提示細胞から、抗原の提示を受けて・・・・・って所で、今までは、抗原提示細胞そのもの、つまりB細胞から提示を受けるのか、マクロファージから受けるのか、樹状細胞の性質なども考慮に入れて、、、、受ける側のT細胞もリンパ節で他の抗原を受けているT細胞がいたりしたら、そのサイトカインの影響を受けたり、、、、、と、かなり曖昧に説明されてきた箇所が、T細胞の「Mina」で、、、、全てではないにせよ、説明できるようになったって事だ。

これは、解釈の仕方によっては、アレルギーの“場の雰囲気”の影響を過小評価させる方向に進みそうだが、腸内細菌を介してのアレルギーコントロールなどもマウスでは見られるので、一方的には進まないだろう。

“場の雰囲気”ってのは、実験的には、花粉を暴露して IL-12 を同時に投与するような場合の、IL-12 存在量のこと。人為的にせよ、自然の流れにせよ、初期のサイトカインである IL-12 がその反応の場にあれば、細胞性免疫に向かうのだからね。

人間で、「Mina」が、どれ位の割合で免疫現象に影響しているのか、はたまた、さらに「Mina」の影響を制御する因子があるのかなどなど、、、、興味は尽きない。


が、臨床的には、100%の制御はかえって悪そう。ほどほどの適当な制御がいいんだろうなぁ。。。システムとして機能しているものが対象の場合にはね。

 理研免疫・アレルギー科学総合研究センター シグナル・ネットワーク研究チームの久保允人(まさと)チームリーダー、米国セント・ジュード小児研究病院のマーク・ビックス准教授らの研究グループが、アレルギー体質を決めるのは転写因子「Mina(ミーナ)」の遺伝子であり、そのSNPs(スニップス)がアレルギーの発症にかかわっていることを明らかにした。

 これまで、アレルギー体質には遺伝的要因が関係していると推測されていたが、その遺伝子やメカニズムは謎のままだった。今回、研究グループは、アレルギー発症の原因となる「インターロイキン-4(IL-4)」の産生に関連する遺伝子がゲノム上のどこに位置しているかを調べ、16番染色体上の領域に存在することを明らかにした。そして、この領域に存在する30個の遺伝子に注目し、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスを比較した。その結果、アレルギー体質でないマウスのT細胞(免疫応答に関与するリンパ球の一種)にはMinaが多く存在するのに対し、アレルギー体質のマウスでは少ないことを突き止めた。また、Mina遺伝子の塩基配列を、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスとで比較したところ、Mina遺伝子上に多数のSNPsが存在し、これがアレルギー体質を左右していることも明らかにした。

 さらに研究グループはMinaの働きを調べ、MinaがIL-4 の遺伝子に結合し、T細胞内でIL-4の産生を抑制することを解明した。人為的にMinaの発現を増加させたマウスでは、T細胞でIL-4の産生が低下したのに対し、Minaの発現を減少させたマウスのT細胞では、IL-4の産生が上昇した。これは、Minaがアレルギー体質を制御することを示している。

 今回のマウスの研究結果から、ヒトでもMina遺伝子のSNPsがアレルギーに「なりやすい」「なりにくい」といった体質の違いを生み出しているものと推察される。今後この研究が進むことにより、個人個人に合ったアレルギーの投薬治療などへつながると期待される。


だから、ほどほどが良いのは、何も、免疫系の制御だけじゃない。

血液サラサラ、、、ダイエット、、、抗酸化物質、、、納豆、、、コレステロール、、、おっと、脱線。。。


話は変わるが『チーム・バチスタの栄光』の海堂尊氏は、氏のブログで捜査関係者の思考法が明治維新直後に策定された刑法の考え方のまま、旧態依然であると痛烈に批判している。

科学的推測論法を無視した“直接の因果関係”を求める続ける姿勢に対してである。

氏によれば、押尾学事件で亡くなった女性の司法解剖結果、すなわち『原因不明』が、全く生かされていないと。

30代の女性と言えども、「脳出血や心筋梗塞」というような疾患であれば、突然死もあり得るわけだが、司法解剖は、その点をも“無し”としたわけである。

ならば、その前に“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、“普通”じゃないのか?シロウトでも、わかることだ!と、これを科学的推測論法だと言っている。

さらに氏が指摘するのは、捜査関係者の根底にある心理が“直接の因果関係”を厳密に証明することが、容疑者の人権を守る事に繋がるという認識だ。それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっていると。


海堂尊氏の指摘する『それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっている』という部分に、“激しく同意”してしまった私も、“やってた事が死亡と関係あり”に決まってんジャン・・・と感じてしまう。。。。


だが、これは、別なシーンを想定すると、疑問符を付けざるを得ない。。。

とある夫婦、夫の常備薬は妻の管理。いつものように『じゃ、コレ、今朝の分ね』と妻に手渡された薬を服用後、出勤の準備をしていた夫は、突然、倒れ・・・・・・・。解剖の結果、死因不明。従って急性心不全となった。

死因不明なんだから、妻が飲ませた薬が原因じゃないのか?

いや、いつも飲んでいる薬なんだから、それはありえない!

じゃ、3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン (3,4-methylenedioxymethamphetamine) 略称 MDMA、別名 エクスタシー(EcstasyまたはXTC)の場合は、いつも服用していて、死にゃしないのに、この時だけは因果関係ありなのか?

・・・・・・と。

このように、考えると、科学的には押尾学が飲ませた薬が原因と断定してよいものなのか、自信がなくなってくる。(上記のように、アレルギーの体質すら、科学的には曖昧模糊としてるんですぜ!)

MDMA が臨床試験を経ているとは考えられないが、心室性不整脈など致命的な副作用が高率で発生するなら、そもそも、(一部の)大衆に安易に広がっているはずが無い。

MDMA を服用し SEX に興じることが日常的になっており、その際に、死亡する事がほとんど無かったのなら、押尾学事件で、薬との因果関係ありとするのは、死因不明だからと言って、飛躍しすぎではないだろうか??(って考え方も、科学的推測論法になるよね)


しかし、そうは言っても、押尾学と彼の行為は、極めて“黒”いと感じる。

この黒いと感じる原因は、押尾学に対する“妬み”や日頃の鬱憤晴らしの可能性がある。男としては、あんな淫らな行為をしてみたい願望。それを抑制しなければならない自分、女にモテない自分、律儀に社会のモラルを守っている自分と、奔放な押尾学の行為とを比べてしまって・・・・・『あんなヤツ、地獄に落ちればいい』と。

でも、世間じゃ、法的な裁定を下す時には、感情的じゃイカンとなっている。

何故、感情的なのが悪いのか?

私は、悪くないどころか、それが集団で生活を共にする為の知恵だと思っている。

そして、このような判断は、概ね、正しい。進化論的に“憎悪”の感情が保存されてきたのは、それが生存環境に適応的だからだ。互恵的利他行動を取らない“ズルイ”ヤツを発見する能力も含めて。

ただし、他人に刷り込まれた印象による感情を、自分の感情だと勘違いしている人が多いので、別な問題もあるのだが。

日本人の場合、自分の意見を持たない民族だから・・・・。


ちょっと、脱線するが、「菊と刀」の著者で、アメリカの民俗学者 ルース・ベネディクト が1945年太平洋戦争終結の直前にペンタゴンから日本の占領政策について意見を求められ、「日本人は単独では思想を持ち得ない民族。天皇制存続を保証すれば、占領政策はうまくいく」と回答したそうだ。この分析が適切であった事は歴史が証明済みだ。見事に日本人の性質を言い当てている。

この我々日本民族のDNA上に刻み込まれている(この表現はメタファーです)性質は、感情が沸き起こらない自分を卑下してしまう事にも、起因するんだと思う。だから“雰囲気”に流されやすい。場の雰囲気に流されやすいのは、免疫現象に似ているから、生物の本質かも知れない。(『そう?俺は何も感じないけど??』って言えない。何も感じない=馬鹿だって思われたくないからかなぁ??そもそも、自分に自信が無い?だとしたら教育の問題?「空気読めない KY 」なんて言葉が流行るくらいだから、教育の可能性大?)


『押尾学めぇ、1人で、イイ思いしやがってよぉ~』と言われて、『うん、そりゃそうだ!!』と俺も頭にきたよぉ~~~~って。さらに、集団内で、価値観が対立すると、仲間はずれにされる、そっちの恐怖の方が重要だと判断するのか、感情を装う事すらありえる。装っているうちに、、、自分の中から沸き起こった感情だと勘違いする・・・・。

まぁ、法的判断に感情が入る事を嫌うのも、“ほどほどに”って事でまとめるけど、裏返せば、社会的な問題を解決するのに科学は万能じゃないって事。

良い例が、医療。。。。あっ、医療はサイエンスだとは思ってないけど、大衆はそう思っているって事。

ただ、それならば、外交だって、感情的でイイジャン。お前は以前『外交は、極力、感情を廃せ』って言ってたけど、逆の事言ってるジャン!と指摘したい人もいるかも知れない。

でも、この感情に従って、ルールを守らない奴に罰を下す、互恵的利他行動が出来ない固体を村八分にする行為は、価値観が、ほぼ、同じで、肌を接するくらい物理的に近くで生活している集団内で適応できるものだ。

価値観が違う、たとえば、宗教的な信仰や“聖戦”“殉職”を理解できないなら、感情的な解決法は無益しかないだろう。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つけど)

それに、進化的な時間で眺めれば、1000km、2000km、5000km と離れた人達とコミュニケーションを取るようになったのは、つい、最近のことだ。だから、外交と感情は、ホントは、なんとも言えないんだけど、浅い歴史(有史)を眺めてみても、戦争が絶えないからねぇ・・・。必然の部分が多いにしても・・・。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つのは、生物学的にも意味があるよなぁ。地球は人口過剰だもん。神話の頃から人口が多いって認識があったんだから、間違いないっ!だから、逆に、戦争を肯定するなら感情的でいいんだけどね。結局、それは顔見知りの間では利益であるし、見ず知らずの遠い所に住む人と仲良くする必要ないんだから)


閑話休題。海堂尊氏は、司法解剖で原因不明ならば、“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、科学的推測論法だと言っているのだが、これを科学的と言っちゃイケナイと思う。しかし、押尾学と彼の行為を『極めて黒い』とする事には、大賛成だ。

法的な判断に、市民感情を反映させることが、社会生活に安寧をもたらす事になるのだから。裁判員は“科学的”なんて言葉に惑わされないで、自分の感じたままに判断すればよい(と思っている)。


なんで、こんな事になるのかといえば、世の中、科学的と言う言葉を安易に使いすぎって事なんだよね。

科学の分野では「ディタッチメント」(detachment)という言葉がある。脳科学者の茂木健一郎氏は、、、、
『科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「ディタッチメント」(detachment)をもって対象を観察する、と表現します。「ディタッチメント」は、もともとイギリスの経験主義科学を特徴付ける言葉であり、日本語に直せば、「認知的距離」とでも訳せるでしょうか。』
、、、、と。

科学的という言葉の信頼性が揺るがないようにする、科学者の良心とでも言えば良いのだろう。

科学的と言葉を使うからには、人間も残酷にならなければイケナイ。裁判を科学的にしたいなら、その根拠となる医学に『倫理的』などという言葉を持ち込まず、『30代の女性の突然死するリスクが、MDMA 服用後の SEX により有意に上昇する』という仮説を証明する実験をしなくっちゃ!

それが出来ないんだから、感情で判断すべし・・・・だっ!押尾学を“黒”にするのに、科学的なんて言葉は必要なし!感情で十分だろ?薬と死亡の因果関係が無くたって、そもそも、持ってちゃいけない薬を使って、SEXで“イイ気持ち”になったツケだよ!!でイイんじゃない?

突然死が“偶然のとばっちり”だったとしても、自業自得だし、死んでしまった女性の身内も含めて、社会が溜飲を下げる結論だろ!

これが、庶民の為の法律なんじゃないのか?(でも、これって、魔女裁判と同じだっていう奴いるだろうなぁ・・・・)

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学校保健安全法

20091027_altruism娘の学年が先週の水曜日から閉鎖になっていた。インフルエンザにより。

お知らせには、学年閉鎖中の過ごし方がかいてある。「なるべく、そとにはいかないようにしよう」って。。。。

副詞によって頻度を表す場合には、「まれに(0.1%未満)」、「ときに(5%以下)」が常識の職業柄、このような“表現”を安易に使われると気になってしょうがない・・・が、まぁ、それはいいとして。


休み中の宿題も、たっぷりと出されていた・・・・・・。

それを、昨夜、娘と一緒にやるハメになった・・・・・・。


---ハァ、インフルエンザ、ウラメシヤ---


これが本日のエントリーのモチベーション。

というわけで、インフルエンザに罹患した場合、学級や学年、学校を閉鎖する根拠は如何に?と、調べていたら、凄い事を発見してしまった。

知っている人には、なんでもないことだけど、知らなかった私は、開いた口が塞がらなかった。。。。


“学校保健安全法”という法律がある。その中に児童・生徒が感染症に罹患した場合の対処の方法が書いてある。

【第四節 感染症の予防】

(出席停止)
第十九条  校長は、感染症にかかつており、かかつている疑いがあり、又はかかるおそれのある児童生徒等があるときは、政令で定めるところにより、出席を停止させることができる。

(臨時休業)
第二十条  学校の設置者は、感染症の予防上必要があるときは、臨時に、学校の全部又は一部の休業を行うことができる。


で、上の第19条の“感染症”の区分だが、、、、
【学校感染症】

学校は集団生活を行う場であるので、感染症を起こした児童は出席停止にし、他の児童に感染を起こさないように管理することが求められている。そこで、学校保健安全法施行規則では、学校において予防すべき対象となる感染症(学校感染症)が指定されている。

■第一種
感染症法の第1類、第2類の疾患(結核を除く)が相当する。治癒するまで出席停止である。

■第二種
飛沫感染をするため、学校において流行する可能性が高い感染症である。出席停止の基準が感染性が認められなくなるまでという基準であるため、疾患によって基準が異なってくる。これらの基準は疾患が治癒したとは同義ではない。

インフルエンザ:解熱後2日間経過するまで。
百日咳:特有の咳が消失するまで。
麻疹:解熱後3日間経過するまで。
流行性耳下腺炎:耳下腺の腫脹が消失するまで。
風疹:発疹の消失まで。
水痘:全ての発疹が痂皮化するまで。
咽頭結膜炎:主要症状消退後2日経過するまで。
結核:医師によって感染の恐れがないと認められるまで。

■第三種
飛沫感染はしないものの、集団生活においては流行を広げる可能性が高い感染症である。全ての疾患において医師が感染の恐れがないと認めるまで出席停止となる。腸管出血性大腸菌感染症、流行性角結膜炎、急性出血性結膜炎などが該当する。
なお、学校感染症第1種はあくまで感染症法1類、2類であるので、感染症法19条、20条、および26条によって、都道府県知事の入院勧告、措置の対象となる。入院をしなければならないので、当然学校も出席停止となる。


ふぅ~ん、色々とグレードがあるのねっ!

で、学校感染症での第一種ってのは、、、感染症法の第1類、第2類の疾患ってことだから、、、

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律

◆第6条 この法律において「感染症」とは、一類感染症、二類感染症、三類感染症、四類感染症、指定感染症及び新感染症をいう。

 2  この法律において「一類感染症」とは、エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、ペスト、マールブルグ病及びラッサ熱をいう。
 3  この法律において「二類感染症」とは、急性灰白髄炎、コレラ、細菌性赤痢、ジフテリア、腸チフス及びパラチフスをいう。

・・・・・・・・・・・・

えっ???さっき、新型インフルエンザは“第一種”に相当するって、ネットで見かけたぞぉ!!!

ってことは、、、、新型インフルエンザは、、、、

ななななな、なんと、、、、、

・エボラ出血熱
・クリミア・コンゴ出血熱
・ペスト
・マールブルグ病及びラッサ熱
・急性灰白髄炎
・コレラ
・細菌性赤痢
・ジフテリア
・腸チフス及びパラチフス

と、同じ扱いだったのかぁ!?!?


---あんぐり---


新型インフルエンザって、エボラ出血熱と同じ。。。。。。


これ、すでに、私の脳細胞のイオンチャネルに Na や K が行き来する次元を超えてしまっている。感情が沸かない、喜びも、悲しみも、怒りも、驚きも、、、全ての感情が喚起されない・・・・・・。


いや、エボラ出血熱なら『感染を拡大しない為』って趣旨は、よく、わかるんだよ!!インフルエンザにしたって、諸事情を斟酌した後、学級、学年、学校閉鎖になるって言うんなら、『感染を拡大しない為』って趣旨は、よく、わかるんだよ!!


ところで、鳩山首相が所信表明演説を行い「友愛政治実現」を訴えたそうだが、いたるところで、非難轟々なのは、ちょっとかわいそう。“友愛”は言ってみれば“互恵的利他行動”に他ならない。。。。が、、、

私が、今朝、“学校では新型インフルはエボラ出血熱と同じ扱い”ってのを知ったサイトの執筆者は、学校を休んで他人に感染を広げない行動を“友愛”とみなして、鳩山首相に、「国民のみなさん、友愛の気持ちをもって『新型インフルエンザ』の感染拡大を防止しようじゃありませんか!」と言って欲しいなんて書いていた。

でも、“友愛”が“互恵的利他行動”に見なせるとは言っても、感染を広げない行為に用いると、なんか、違和感を感じる。。。。日本以外の国では、インフルエンザごときで学校は閉鎖できないわけで、学校を閉鎖する事を“友愛”にしちっゃたんじゃ、諸外国の連中は、鬼のごとき奴等って事になっちゃうジャン!

言葉が“優しすぎる”っていうか、見返りを求めず他人に優しくみたいな、なんか“怪しい”響きがあるんだよねぇ。。。。(医療行為に慈愛とか慈善を求めると、きな臭くなるのと似ている。歴史上に突如として出現する偉人たちの行動を全ての医療人に求められても・・・ねぇ?)

イエスだって、磔刑に処される(利他行動)前日にも(ゲッセマネの園にて)、さらには直前にも、『俺に、何か良い事、利益はないのか?』と悩み叫んでいる。(こんな言い方はしてないけど)でも、イエスの場合は、見返りのない、究極の利他行動をとったから、神になれた。

普通の人間は、生物なんだから、最終的には、自分の為に行動するのが当たり前で、それを前面に出した方が、楽になれるし、現実的だと思うんだけどなぁ。ドメステッィクに“いい子ちゃん”でいられても、グローバルに見れば化けの皮が剥がれる・・・。


いや、でも、ほんと、鳩山首相を庇うわけじゃないけれど、首相が支離滅裂にならざるを得ないのは、連立が原因で、連立しなきゃならないのは、参議院で過半数に満たないからなんだから、世論は、『俺たちは、民主党は選んだけど、社民党や国民新党は選んでない』って、声を大にすべきだよね。

そこが、根っこなんだから。

・・・・・・・ということは、鳩山政権は根っこが腐ってるってことかぁ!

クールに表現すれば、「キャスティング・ボートを握っているのが、亀井、福島両氏」という事になるんだろうけど、私には、やっぱり、「根っこが腐ってる」の方が似合ってるみたい。

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日本人は地球上で最も進化した人種?

20091016_evolution加糖飲料への課税が、アメリカで検討されている。

厭世的にみるならば、日本じゃ、こんな制度の導入は、間違っても無理だと思う。

私の経験した範囲での具体例は角が立つので言えないが、日本人は民主主義を履き違えているという事だ。決まる前のみならず、決まった後でも、ごちゃごちゃ言えば道理が引っ込む。

民主党の若手議員は『政治の怠慢だ』と鼻息を荒くしていたが、彼らは、決して、嫌われ者、憎まれる者になる覚悟はないだろう。。。。背中を刺される覚悟で、職務を全うして欲しいものである。(前原大臣を見習え!)

政治家に“イイ人”なんていらないんだよ!


というわけで、NEJM Volume 361:1599-1605 October 15, 2009 Number 16 に掲載されている『The Public Health and Economic Benefits of Taxing Sugar-Sweetened Beverages』によると、、、、

課税は、、、
1.これらの飲料の摂取機会を減らす事
2.それによりヘルスケアの費用を下げること
の目的を達成する為の手段としては、その効果は余りにも小さいけれど、税収入が健康と関連しているプログラムのために、政府が健康 programs のために使用できる収入の手段としては有用である。

そして、連邦政府、いくつかの州および都市および一部の国(例えば、Mexico)は砂糖飲料の税を徴収することを検討している。

課税が、飲料の摂取機会を減らす事やヘルスケアの費用を下げることに寄与しないというのは、“謙遜?”なのか?

タバコへの課税を見れば、効果はある程度、見込めると思うんだけど。。。。(もしかしたら、論文には書いてあるのかもしれないが、私的な英語力の問題もあるため、じっくり読んでないので、頓珍漢だったら、ご容赦くだされ!!)


話はかわるが、、、、、

、、、、、恥ずかしながら、つい最近、知ったのだが、日本人の水疱瘡やおたふくかぜのワクチン接種率は30%なのだそうだ。

これは、第一三共がアクトヒブを発売するに当たって、この接種率を念頭に生産体制を整えたというところから知ったのだが、アクトヒブに関しては、見込みを大幅に上回る需要があり、大衆の意識に変化が現れ始めていると見ることも出来る。

大衆の意識と言う面からは、抗生物質への依存、、、というより、神話も翳りが見え始めているという。

大変、喜ばしい事だ。

上気道感染症で、『念のため』と処方されていた抗生物質にほとんど意味が無いことが、現場の小児科医にも浸透してきたのだと、よしだ小児科クリニックの吉田均医師が業界新聞のインタビュー記事で述べている。

髄膜炎菌に対する経口抗生物質は効果が無いのはわかっていても、その予後の悪さから訴訟リスクが高い為、かぜ患者に紛れ込む細菌性髄膜炎患者の見落としが無いようにと経口の抗生物質を多用してきた・・・・と。

外来小児科学会の調査チームによると、ここ5年間で抗生物質の処方は半減しているのだそうだ。


アクトヒブの接種率は100%が望ましいのだが、今後、どこまで伸びるのかは気になるところだ。


・・・・・が、それにしても、水疱瘡やおたふくかぜのワクチン接種率は30%は、低い・・・・。予防接種が嫌いな人がいるのは知っていたけれど、70~80%の人は、受けているものだと、なんの根拠も無く、思い込んでいたのだ。

医療に携わるようになって、20年以上も知らなかった・・・・・。

それに、海外ではとっくの昔に使用が開始されている髄膜炎菌ワクチンと肺炎球菌ワクチン、先進国の中では唯一、日本だけが導入されてない、、ヒブは2008年12月に導入されたが、それにしても、この違いは、何なのだろう・・・・・?????
 
 
 
前回のエントリーで、私は、『とろい車やミニバンは高速道路では引っ込んでろ』みたいな口調で、嫌みったらしく冒頭に書いた。

当然の事なのだが、不快に感じた人もいるだろう!

でも、そのように不快に感じる性質自体が、ワクチン接種率30%に繋がるんじゃないかと思っている。


要するに、ワクチン接種は一義的には自分の為なのだが、回り回っての因果による“自分の為”と見る事も出来る。

だから、ワクチンを接種するのは、利他行動ともみなせるわけだ。

そういえば、利他行動はチンパンジーも見られる・・・・ってニュースでやってたっけ。あれを自分にメリットのない行為って解釈もできるんだろうけど、チンパンジーは自分がジュースの近くにいた時には、ステッキを差し出してもらえるように・・・・と、未来への投資、、、互恵的な利他行動との解釈も出来るはず。まぁ、それはおいといて・・・・


アウトバーンで追い越し車線を遅い車が走っていたら、猛烈にパッシングと警笛を鳴らされるという。ノソノソしていたら、通り過ぎざまに、中指を立てられる事もあるのだとか。

でも、ヨーロッパの人達は、それに目くじらを立てているわけじゃない。日本のように追いかけて刃物で刺すなんて事件は、聞いたことが無いからね。

多分、彼らの気持ちは、こういうことだろう。

現在の自分は遅い車に乗っている。だけど、将来は速い車に乗るだろう。その時、遅い車に前方を塞がれたら、迷惑だ。自分の不利益だ。

相手の立場に立てば、道を譲ってもらったほうが良い。だから、現在の自分は道を譲ろう。(自分がして欲しい事を他の人にしよう・・・・とは、新約聖書に書いてあるイエスの言葉だ)

道を譲るという現在の自分を犠牲にする行為は、将来の自分の利益に繋がる・・・・。
 
 
 
日本人には、この“互恵的な利他行動”が、おもしろいように見られない。

“互恵的な利他行動”は、生物が進化する過程で獲得した能力だ。

カビにすらみられる。

進化:「高尚な」変異株が不正を打破する

Nature 461, 7266 (Oct 2009)

タマホコリカビ類(Dictyostelium)などの社会性アメーバは、繁殖に際して子実体を形成するために、個体どうしが協力する必要がある。

こういう過程では、ほかのどんな社会でもそうだが、代価を負担せずに恩恵を受ける不正な個体が極めて生じやすい。

しかし、不正を働く個体がいつもいい目を見るとはかぎらない。

不正行為は、血縁識別や不正個体の適応度の低さなど、さまざまな機序によって制限されている。

理論的に、不正個体への抵抗性をもつ変異体も発生することが示唆されており、今回キイロタマホコリカビ(D. discoideum)で、不正個体抵抗性系統が分離された。

抵抗性系統は必ずしもほかの系統から搾取するわけではなく、そのため協力が保たれることから、不正個体への抵抗性は「高尚な」戦略のようにみえる。

Letters to Nature p.980


だから洋の東西を問わず、ヒトに普遍的な行動として確認できてよさそうなものなのだけど。。。。


日本人の、利己主義、自分勝手、自己中心的な振る舞い、モラルのなさ、、、、これは、一体、どうした事なのだろう???

バクテリアにも見られ、カビにも見られ、チンパンジーにも見られ、、、、なのに、日本人は、『保険料払ってんだから、元をとらなきゃ』って病院に来る。。。のに、予防接種は、パス・・・。。。。日本人全部じゃないけど、、、、。

一体、何故???


本来なら、不正をする(自己中)な個体は、村八分にされる。日本でも、昔、そうだった(みたいだ)。でも、ある時、日本人は、自分たちの文化を恥じた。そして、不正を働く個体をも、寛容することが、文化的なんだと、民度が高いんだと思いこんだ。。。

のかもしれない。。。。

いずれにせよ、簡単には解明できる事じゃないだろう。。。。

もし、日本以外には、不正をする(自己中な)個体に、利益享受を阻止するシステム(村八分に限らず)が存在するなら・・・・・


日本人は、もっとも、進化した民族・・・・・?だって、地球上の生物の基本から外れつつある・・・・・。


日本の文化・・・・などと、文化って言葉を安易に使うと、恥をかくかもしれないから、ご注意あれ!!

広まる農民たち(Cultivating Farmers)

Science October 2 2009, Vol.326

現代ヨーロッパ人の祖先は、隣接する文化から農業のやり方を吸収してきた狩猟採集民だったのか、それとも新石器時代初期に近東から移動してきた農民だったのだろうか?

紀元前13,400年から2300年までの骨から得られた古代の狩猟採集民のDNAを分析することによって、Bramantiたちは、ヨーロッパの氷河期の狩猟採集民と、ヨーロッパ最初の農民、そして現代ヨーロッパ人の遺伝的関連を調査した(p. 137,9月3日号電子版)。

その結果は、狩猟採集民と初期の農民との間、また狩猟採集民と現代ヨーロッパ人の間の直接的な連続性を否定するものであった。

ヨーロッパ中央部および北部の主要な部分では、7500年前に入り込んできた農民によってコロニーが形成された。

彼らは、それまでそこに常在していた狩猟採集民の子孫ではなかった。

つまり、文化の拡散ではなく、人の移動こそが、ヨーロッパの農業社会を駆動するものだったのである。

Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers
p. 137-140.

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ペテロの鍵とテロメア

20091006_telomere「あなたに天の国の鍵を授けよう!」

ペテロがイエスから鍵を授かったエピソードは有名だ。芸術作品のモチーフにもなっている。バチカン市国の聖ペテロ像がぶら下げている鍵がそうだ。バチカンの国旗にも描かれている。

イエスは、「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」と。

・・・・(生きて)あなたが地上で許す事は、天(神)も許す・・・と。

神様は、人間のする事はなんでも後追いで認証するって事だ(ほんとか?)。だから、人間が遺伝子を弄る事も、神の想定内・・・・・って事になる。

それが証拠に、今年度のノーベル医学・生理学賞は“テロメア”と“テロメラーゼ”の発見が対象だ。

テロメアを弄る事も遺伝子操作に他ならない・・・・・。

なのに、なぜか、塩基配列を弄ることの方は“やってはいけないこと”で“神の領域を侵す”とか“倫理的ではない”などと、世間では言われている。

イエスはペテロに鍵を授けたのに、後世の現代人が、“倫理”って言葉で科学的に見れば同じ行為を区別するのがよくわからない。もっとも、遺伝子操作に関わる発見は、ノーベル賞の対象になってるし、原爆の基礎科学も同様なのだが。


要するに、大衆の気を引けるかどうか・・・・判断の基準はその一点なのだろう。


伝える側が“マスコミ”だからね。


さて、この神を冒涜する、、、とは言われていない“テロメア”・・・・。ヘイフリックの細胞分裂寿命しか頼るものがなく老化を語っていた当時、画期的な発見であった。(細胞周期、がん遺伝子、がん抑制遺伝子・・・・・Klotho、最近ではサーチュイン(sirtuin)ファミリーなどの単語を散りばめて説明してはいるが、まだ、“老化”の実態説明には程遠い・・・けど)


“テロメア”をネタにエントリーを追加すると、どうしても、聖書とか神とか出てきちゃう。結構、書いている気がして、、、、どれだったかなぁ・・・・・。

そうだ、検索しよう!!(重複するとカッコ悪い・・・から)


・・・・って、ココログに検索機能ないじゃん!!ガーン!


Office Oh!NO の『Webmaster の嗜好』と『WebMaster's impressions』は、Movable Type 3.37 で作ってるから“検索機能”は付いてるんだけど、最近じゃ、こっちは世間様には見向きもされず、当初バックアップ用にココログで作っておいた『マリンパの雑感』ばかりがアクセスされる。

自分でも『Webmaster の嗜好』と『WebMaster's impressions』のページはほとんど開かないんだから、完璧に機能が逆転している。バックアップが『Webmaster の嗜好』と『WebMaster's impressions』だ。

そもそも、Movable Type でブログをはじめたのも、それが目的じゃなくって、自宅サーバを構築して(ネットワークを勉強したので)、何かやりたくて、、、MySQL や、perl 、 PHP の勉強がてらに・・・・って事だった。

今じゃ、マリンパの雑感が目的になっている。ストレス発散の為のはけ口に??


というわけで、急遽、ココログに検索機能がないものか、調べてみたら、あったよ、ありました。

ココログに検索機能が無いとお嘆きの諸兄!

こんなところにあったのですよ!!それは、デザインタブ【表示項目を選択】--サイドバー項目--ココログのロゴです。お金を払って利用している人は、ココログのロゴを非表示にしていると思うけど、ここにあるんですよぉ!(ちょっと、こののやり方に不満はあるけど)


今、書棚に仕舞い込んであった、『ヒト細胞の廊下と不死化』(羊土社:井出利憲著)を引っ張り出して眺めている。

15年も前の内容だが、かなり何度も読み返したので、よく覚えている。この本の執筆に当たって、井出氏は羊土社の編集者から「でも、細胞の分裂寿命って、ヘイフリックのアレでしょう」ってつまらなそうに言われたエピソードを“はじめに”に記しているのだが、そんな事まで覚えているんだからねっ。そして、ちょうど、その頃から、細胞生物学会やら分子生物学会などで、テロメア人気が出始めてるんで、「まんざらでもないんですよ」ということで、出版が決まったんだそうだ。

“実験医学バイオサイエンス”シリーズの一つだから、決して一般向けの書籍じゃないはずなのだが、『編集者とこんなやりとりをするんだぁ!専門書(専門的な入門書?)も経済的な理論の上に書かれるんだなぁ』・・・などと、妙に関心してしまったのだった。


出版物といえば、これから気になるのは、ノーベル文学賞だ。村上 春樹氏はどうなるんだろう??オリンピック招致なんかより、よっぽど気になるぞっ!!

そして、さらに、それより気になるのは、大阪大学の審良(あきら)教授(自然免疫)だ?ノーベル賞の選考委員は、忘れたわけではあるまいに。。。。


、、、、神のみぞ知る。。。かっ!

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東京オリンピック開催から戦争へのシナリオ

20090929_punctilious以前にも、マニアックなネタで推理小説・・・なんてエントリーをしたが、今回もそんなネタ。。。(写真は時間に潔癖な日本人の通勤風景)

東京でオリンピックが開催される。。。その時、インフルエンザが流行したら、、、、過敏な日本のオリンピック運営側は、感染者の顕著な国の選手を出場停止、、、、、、

日本人には理解できないが、オリンピックに出場し成績をおさめることが命より大事って国もあるし、人もいる、、、、

グローバルな視点からは、日本人と中国人は特別こういう事に過敏なのだそうだ。。。遺伝的に近種なのかも??韓国人はどうなんだろ?

先日、リビアのカダフィ大佐が「安保理はテロ理事会」と国連総会で初演説した。昼のワイドショーで見ていたのだが、迫力あった。大佐は新型インフルエンザウイルスが生物兵器として開発されたウイルスだと力説していた。。。。

新種のウイルスが出現すると、必ずこの手の話は出てくる。。。。技術的には可能な事だから、真偽はやぶの中。。。。。

人為的に遺伝子を弄ったものは危険という一般的な認識がある。科学的にはナンセンスだが、間世の中の人は恐れている。

小説のなかではどうでもいいことだが、日本の衛生行政の特徴を利用して、オリンピック村に、インフルエンザウイルスをばら撒く、、、、標的は北朝鮮、、、その後は、、、、非に油を注ぐ役回りをカダフィ大佐あたりにお願いして、、、、、


戦争だ、戦争だぁ!!


って、ショートショートくらいのネタにはなりそうな気がするんだけどなぁ・・・。


話は変わって、亀井大臣。金融担当の大臣になって、なにをするのかと思いきや、思いっきり、小泉・竹中に対する、個人的なうらみを晴らしまくっている。

「中小企業・個人向け融資の返済を3年程度、猶予する」って、貸した金を返さない事を国が公に認めるってことだよね。バイオ関連の大学発ベンチャー企業のように3年後に返せる当てがありそうならともかく、今、返済に苦しんでいる中止企業は、そうじゃない。

結局、銀行は、中小企業に貸さない道を選ぶ。それなら、、、、、ゆうちょ銀行があるじゃん。亀井大臣のお膝元、つるの一声で、返す当てのない企業に金を貸し、不良債権になったら、税金を投入・・・・。増税・・・・。

「だって、あんたら国民は、今度は郵政民有化に NO を叩きつけた。小泉憎しの同じ穴の狢じゃん」とは言わないだろうが、「これが民意である」くらいは平気で言うだろう。
 
 
 
と、そんなこんなで、2016年、オリンピックは東京で開催される事になった。

政権は維持され、すなわち、国民の選んだ民主党と、国民から選ばれてない国民新党と社民党の連立だ。

金のばら撒き、甘口の言葉か長く続くはずが無い。大学発のバイオベンチャー企業も死活問題を抱え込んでいた。


「やっぱり、やるんですか?」
「うん、仕方ないだろう・・・・」
「発症者が出たら、政府は、出場停止措置を採りますよ。いや、怪しい国は予防的に・・・」
「うん、わかっている。それを当てにしてるんだ。戦争でなにもかも帳消し・・・・。ターゲットは北朝鮮だ。たのんだよ」
「せっ、先生、、、あなたはイカレてる・・・」
 
 
 
と、、、、、、
 
 
 
実は、この状況を想定していた首相直属の生物テロ対策ユニットでは、ターゲットを絞り込んでいた。連立を後悔していた首相からは、、、

「手段は選ばない。阻止しろ」

と。。。。。
 
 
 
・・・・・・・・・・・、まぁ、なんだかなぁ。

どこかの高校が秋の野球大会に出場停止になって、春の甲子園の道は絶たれたらしいけど、集団ヒステリーは、ふと、思ったんだけど日本人の潔癖な性質にもよるのかなぁ。処女とか新築が大好きだしね。屍にも唾する中国人も、、、、、やっぱり、似ているのかなぁ?

と、暇つぶしのエントリーでした。

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良かれと思ったのに・・・・

20090904_cover_nature私は、自己矛盾していると自分でも認識しているのだが、ほとんど何もわかっていない生命の仕組みに対する、現代医学の無力さを、こんなところ↓から感じているにも関わらず、、、、

細胞:がん形成を促進する抗酸化物質

Nature vol.461 (7260), (Sep 2009)

in vitroおよび動物での実験では、抗酸化物質ががんの発生を抑制することを示唆する結果が得られているが、その効果を臨床的に示す決定的な証拠はほとんどない。

ところが、ちょっと意外なことに、ある条件下では抗酸化物質が、がん細胞の生存と増殖促進を助ける場合があることが明らかになった。

正常な上皮細胞は、その構造を保持する細胞外マトリックスから離脱すると死んでしまうが、乳がんの場合は、腫瘍形成能をもつ離脱細胞にERBB2などの発がん遺伝子が生存シグナルを送ることができる。

Schaferたちは、細胞の離脱はやはり代謝障害を引き起こすが、ERBB2および抗酸化物質のどちらもが障害を救済できることを明らかにしている。

これらは、脂肪酸酸化を介して細胞のエネルギーレベルを上げるように作用しているらしい。

この知見は、マトリックス環境の変化の中で、がん細胞が自らの生存を促進するために利用していると思われる、これまで知られていなかった機序の存在を示している。


Letters to Nature p.109

News and Views p.44


この↓ような、自分の知っている分子的な機序が思わぬところで繋がったりすると、ドキドキしてしまう。なんか、生命の不思議に一歩近づけたんじゃないかって。。。。

生命に対する現代医学の姿勢に厭世的なスタンスを取っているにも関わらず、子供のように心が弾んでしまう。。。

Aktの制御(Regulating Akt)

Science August 28 2009, Vol.325

タンパク質リン酸化酵素Aktは、シグナル伝達二次メッセンジャー、ホスファチジルイノシトール3,4,5-三リン酸の、受容体によって活性化された産生への応答において活性化され、代謝や細胞生存から転写や腫瘍形成までのさまざまなプロセスの制御において役割を果たしている。

Yangたちは、従来認識されていなかったAktの制御モードについて報告している(p. 1134; またRestucciaとHemmingsによる展望記事参照のこと)。

それは、ユビキチン分子のリジン63へのリンクによるAktの共有結合的修飾である。

Aktのそうしたユビキチン結合は、細胞膜への局在化と、増殖因子で刺激された細胞における結果としての活性化とを促進する。

TRAF6(TNF receptor-associated factor 6: TNF受容体に付随した因子6)がAktのユビキチン結合を仲介するE3ユビキチンリガーゼとして関わっている。

Aktのユビキチン結合は、癌細胞におけるその役割にも影響を与えている可能性がある。

ヒト癌に付随するAktの変異体はユビキチン結合を増加させ、またTRAF6の枯渇がマウス癌モデルにおける前立腺癌細胞株の腫瘍形成能を減少させる、ということが明らかにされた。

The E3 Ligase TRAF6 Regulates Akt Ubiquitination and Activation
p. 1134-1138.


と、まっ、そんなこたぁ、どうでもいいし、このブログで“綺麗”にまとめたって、面白くもなんともないから、、、、、

一個目の Nature vol.461 の方は、まさに、『抗酸化物質』『抗酸化物質』って騒いでいた連中に吠え面かかせるのに、持ってコイだ。

それに、サプリメント信者にも、現代医学で人間の健康を制御しようとする事の限界(現代医学の無力)を知らせるのに持ってコイだろう。信者を騙している業者に天罰を食らわせる材料にもなりそうだ。。。。

“がん”に良かれと思ってたのに、逆に、がん細胞の生存と増殖促進を助長するとは・・・・・、ハッキリいって犯罪だよね。『抗酸化物質』を健康にいいっていってた奴らは。


二個目の Science August 28 2009 の方は、蛋白質分解系・・・・・とシグナル伝達系のクロストークだ。こっちは、必然なのか、偶然なのか、、、シグナルを増強することもあるだろうし、抑制するパターンも考えられるワケで、、、

生命活動にとって、このシグナル増強が、全ての面で利益があるのかどうか、それはわからないけど、影響の総和として“利益”があったから、選択さて、現在まで続いているのだろう。


さて、私は、医療行為すべてに厭世的なスタンスを取ろうとしているわけじゃないんだけど、どう考えても、医療側も嘘をついているってわかる場合もあるから、同業者によるそういう行為に自己嫌悪に似たモノを感じちゃって、私の場合、そのようなエントリーが多いわけだが、、、、

ただ、難しいのは、受益者=患者側もわかっていて、提供側=医療従事者と慰めあっている、、、、医療側は自分たちの無力を、患者側は自分の病気を、、、、それが間違っているからと言って、突きつけてしまっていいのかと言うことだ。(それゆえ、私は、日本の医療を宗教の一つの形として捉えているのだが・・・)

で、中国のやり方は、人道的かどうかはさて置き、この辺、非常にハッキリしている(ように見える)。だから、その点に関して中国のやり方は好きなのだ。


民主党が圧勝した翌日、私は、民主党のマニフェストをダウンロードして隅々まで目を通した。そしたら、ちょうどよい喩えに使えそうなところがあった。それは、、、

『15.全ての人に質の高い教育を提供する』だ。

この約束の実現の為に、教員の資質向上の為、教員免許制度を抜本的に見直す。教員の養成課程は 6 年制(修士)とし、養成と研修の充実を図る。

とある。結構な事だ。私的には、学校の先生は全て“博士”がベターだと思っているので、その第一歩として歓迎だ。今のように、大学全入学時代、学士だらけの世の中で、学校の先生の威厳も、地に落ちる・・・・教育現場の荒廃は、そんな理由もあるだろう。教育学専門大学院を作り、教員免許は博士学位と共に授与するのが、ベストだと思っている。

ただ、教育現場の荒廃は、それだけじゃ、ダメだ。解決できない。

小学1年生の頃から、先生を“ナメ”でいる現状は、大学院出の博士にも、どうにもならない。

それには、柔道部や相撲部出身の、体格で他を圧倒できるパーソナリティーが不可欠だ。怪我をさせずに、相手を押さえ込む、話してわからない子供には、体で立ち向かえる、そんなパーソナリティが不可欠なのだ・・・・

でも、民主党のマニフェストには、こんな事、どこにも書いてなかった。

多分、体で立ち向かう・・・そう言葉にした瞬間、『きみぃ、暴力はいかんよ、暴力はぁ!』という奴がいることを想定しての対処なのだろう。

悲しい。。。。


医療の世界は専門性が高いため、シロウトにはわかりずらい。言われるがままになされてしまい、それがベターだと思い込んでいる。

何の喩えに丁度良いかというと、医療を良くしようとしている人達は『教員の養成課程は 6 年制(修士)として』しかしようとしていないという実態だ。

柔道部や相撲部出身を教室に配して、先生の言う事を聞かない生徒を圧倒する・・・。これを誰も言い出しさない。

中国の臓器移植に囚人を・・・・と言うような事は、日本では誰も言い出さない。

『効果がある』の言葉の根拠は、医療統計学にあるわけだが、これが一般の感覚とはかけ離れている事を、指摘してくれる人は、、、いない。

教育現場での柔道部や相撲部出身者のように、医療の現場でも、本音の部分が必要なのは、誰でも思うはずなんだけどなぁ。


綺麗事の部分だけゴチャゴチャやってだけで、良くなるのか??


でも、基本的に、良くしちゃうと、おまんま食い上げの医療人もかなりの数に上る・・・・から、良くしたいって言いつつ、本心は、現状を維持したい・・・・のかもしれない。

民主党は、予算の無駄を省くって言ってるけど、ダムとか道路だけじゃないんだよねぇ、無駄なお金使っているのは・・・・。

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臓器提供、65%超が死刑囚 中国、一般ドナーはわずか

20090901_crueltyこのタイトルはショッキングだ。

日本では、臓器移植推進派の人達は検討しているのだろうか??こういう方法を。募金活動はよく見かけるけど。。。。。

もっとも日本では少年法に守られてるから、子供の臓器提供は出来ないだろうけど、この方法が使えれば、少しは自国で臓器が賄えるんじゃないかな?

マスコミも、臓器移植に協力したいなら、死刑囚から臓器を剥ぎ取るキャンペーンを張ったらどうだろう!

・・・・と、綺麗ごとばっかり言い、核心は見てみぬフリで、自分で手を汚さない日本人へ強烈な関節技をお見舞いしたところで、、、、(私は、中国のこういうところが好きだ。たとえば麻薬をやってれば死刑とかは日本でも導入すべきだよね。死刑になりたくなきゃ麻薬やんなきゃいいんだもん)

2009年8月31日 提供:共同通信社

 【北京共同】中国衛生省の黄潔夫(こう・けつふ)次官はこのほど、中国で行われている臓器移植の65%以上は死刑囚が提供していると明らかにした。中国の臓器提供者(ドナー)は多くが死刑囚といわれていたが、当局者が具体的な数字を明らかにしたのは初めて。

 別の移植専門家は、過去約6年間に一般人のドナーは全国で130人しかいなかったと証言。中国は年間約1万1千件の臓器移植が行われており、死刑囚提供の比率はさらに高い可能性がある。

 中国は「移植大国」で、日本から渡航してヤミ移植を受けるケースも後を絶たないが、臓器提供に関する法や制度の不備などが原因で、日本と同様ドナー不足も深刻となっている。

 黄次官は26日付の英字紙チャイナ・デーリーで「死刑囚は、移植にとり好ましい臓器提供者ではない」と述べ、一般人のドナー制度確立のため、中国赤十字社の主導で全国10地区で実験的な事業に着手したと説明した。

 中国の臓器移植学会の陳忠華(ちん・ちゅうか)副主任は23日、青海省西寧で開かれた臓器移植に関するシンポジウムで、臓器提供を待つ患者は150万人に上るが、2003年から今年5月までに国内で、死後臓器を献体した一般人はわずか130人だったと述べ、深刻なドナー不足の現状を訴えた。

 中国では死生観などから臓器提供に保守的な人が多い上、ドナーの生前の登録制度も普及していない。中国メディアによると、提供を望んで病院に相談しても、臓器売買を疑われることを恐れて断られることもあるという。


もうひとつ、現実をクローズアップしておこう。これは、皆が知っておかなければならない事だ。マスコミは、さらりと“やり過ごそう”としているけど、大変、重要な“事実”だ。


新型インフルの感染女性、急性心不全で死亡
 北海道は31日、新型インフルエンザに感染していた稚内保健所利尻支所の40歳代の女性保健師が30日に死亡したと発表した。

 女性は高血圧症の疾患があり、病理解剖の結果、死因は急性心不全と判明した。

 道健康安全室によると、女性は21日、利尻町内の中学校で発生した新型インフルエンザの集団感染で、教員らの患者と接触。29日に稚内市内の医療機関で受診したところ、38・7度の高熱があり、インフルエンザA型の陽性反応を示したため、治療薬タミフルの投与を受けていたという。

(2009年9月1日 読売新聞)


マスコミの恣意的な報道により、インフルエンザは“タミフル”を飲まないと治らない病気だと勘違いしている人が、かなりいる。

これも、かなり問題なのだが、最大の問題は、“タミフル”を飲めば死なない!タミフルの供給さえ十分なら、『インフルエンザに罹っても、心配ないじゃん』って思う人が増える事だ。

ハッキリ言うと、この報道にもあるように、タミフルを飲んでも死ぬ時は死ぬ。言葉を変えれば死ぬ人は死ぬ。誰が死ぬ体質なのかを事前に知る方法は、現時点では無いけれど。

ワクチンにしても同様だ。効果の出る人と、出ない人がいるのが現実。これも効果の上がらない人が誰なのか事前にわかるすべは無い。

春過ぎの騒動の時、何十年も前にインフルエンザ感染のあった人は、今回の新型に罹患しずらい・・・・・何度も聞いた言葉だ。

これも、嘘じゃないんだけど、、、、

人間の感染防御機能を考える時、免疫が有るか無いか、過去に感染の経験が有るか無いかで判断するのは、間違いじゃないけど、不十分だ。

たぶん、一般の人、医学的に素人の人でも、経験からなんとなく『俺って、インフルエンザにかかんない人なのかも?』って感じている人がいるはずだ。

その感覚は、正しい。

たぶん、私も、その一人だ。生まれてこの方、高熱が3~4日も続いた記憶が無い。インフルエンザに罹った事が無い・・と思う。一般の人よりも、かなり感染の確率が高い場所にいるにもかかわらず・・・だ。

人間は、生れ落ちた時点で、免疫学的には、皆、平等(均質)で、それからの罹患経験によって免疫が付いて丈夫になっていく・・・・・・というのは、進化論的に考えると無理がある。

それよりも、先天的(遺伝子の多様性)に感染防御に多様性があると考えるほうが、より自然だ。インフルエンザに罹りやすい人と罹りにくい人。これが、罹りやすい人は全面的に不利益なだけなら、その遺伝子は消滅しそうだが、そうでないのは、インフルエンザでの不利益が他の感染症(あるいは他の面)では利益になっている可能性があるって考えればよい。

その上で、免疫が上積みされていく・・・・。自然免疫系があり、その上が獲得免疫。当然、免疫は経験が無いと機能しないワケだが、これも100%の人に平等に十分じゃない。


これとは別に不思議なのは、インフルエンザウイルスの感染力、、、これって、構造上、暑くなると落ちるはずなんだけど、新型は、夏でも・・・・・??

これって、冷房のおかげだと、シロウトでも勘繰りたくなるけど、誰も言わない?!

だって、新型が流行った今年からなんだから、やっぱり、感染力が違うんだよ??

  うん??

今まで、夏は流行んないって思い込んでたから、調べてないだけなんじゃないの??

今までだって、冷房のおかげで、夏でもインフルエンザがあったんじゃないの??


じゃ、どうすりゃ良いんだよ?


・インフルエンザが流行っているって報道があったら、人の溜まるところへは出向かない。

・冷房を使わない。

これが一番。流行り始めたら仕事帰りに一杯なんてのは、もってのほか。涼しいところは、インフルエンザウイルスだって、居心地いいんだから。若者だったら、クラブは厳禁。。。。。まぁ、冷房の効いた飲み屋さんよりは、いいかっ!?

『俺は、インフルエンザにかかんないから』なんて言っている人も、行っちゃダメ。症状が出ないだけで、人に染すことも有るんだからね。検疫が無意味な理由のひとつ。

でも、まぁ、交通事故死を無くすのに、誰も車を乗らないようにしようって言わないのと同じで、インフルエンザに何人感染しようと、エアコンをやめようとは言わないよなぁ・・・・。

ちょっと脱線したけど、致死率0.1%の疾患だ(季節性と同程度なら)という事と罹患率を考え合わせれば(同じ空間にいても同じ会社の全員が発病するわけじゃないってこと)、どこら辺を落としどころにするのか?ってことだと思う。

マスコミや当局や専門家が言ってない事まで加味して考えると、とても、答えなんかでない。

強いて言えば、敢えて感染の確率が上がる閉塞された空間に、身を置く事は避けたほうがいいということだ。飲み屋やクラブは、遊びで行くんだろうから・・・。まぁ、そこに行く事が、仕事より大事って人もいるだろうから、問題は複雑なんだけど。(飲み屋に行ったとしても、死ぬ確率の差は、交通事故の都道府県別、、、、くらいかも知れないからなぁ。。。強毒性への対応なら、飲み屋へは戒厳令だけど)


ところで、どこかのサイトで読んだのだが、外科医は手術室の外は、汚染された空間だと感じるのだそうだ。そのように、バッチリとトレーニングで仕込まれる。感染に関しては、外科医の感覚は、すげぇシビアなのだ。当然だわな。

で、サージカル・マスク。読んで字の如くだが、サージカル、これ外科医の事。外科医のマスクがサージカルマスクだ。

この外科医は、今、内科を標榜し開業しているのだそうだ。そしてインフルエンザの診療に携わる時、サージカル・マスクはしないんだとさっ!夕方、診察が終わる頃には、患者の口から飛び散る唾液で、メガメも曇っているんだと・・・・。

何故、インフルエンザのハイリスクな環境で、マスクをしないのか・・・・・・。読んだけど、忘れた。

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ワクチンの卵?

20090829_vaccine英国での新型インフルエンザの発生に対する国民の反応は、、、、政府の推奨、すなわち感染回避行動を取った人は少ないということらしい。

BMJ に掲載された論文と同様の“冷静な”調査が日本で行われているのかどうか、私は知らないが、印象は、明からに英国人とは違う。。。過剰反応。。。ただ、マスコミの誇張である事も否めないのだが、、、、(マスコミの余計な行動が、現状把握を甚だ困難にしている事だけは確かだ)

で、その英国人の行動の理由を分析しているのだが、、、
(1)新型インフルエンザが重大である
(2)罹患リスクが高い
(3)アウトブレイクが長期間続く
(4)関係当局が信頼できる
(5)リスクコントロールが可能である
などが信じられる場合、政府の推奨する行動を受け入れ、一方、確信が持てず、誇張されているような印象を受けた場合は、そのような行動を受け入れない可能性が高いことがわかったとのこと。

この、『確信が持てず、誇張されているような印象を受けた場合』というのが、“スゴイ”って思うんだけど・・・・・・・。

だって、日本人の場合、有り得ないよね?こういうの!科学的常識が無いのは置いておくとしても、新聞やテレビの“イイナリ”で、疑うというか自分なりで評価するということがない。自分より偉い誰かが検証しているって思うんだろうね。人が良い?性善説??この差は何なのだろう???

英国での新型インフルエンザの発生

感染回避行動を取った人は少ない

[2009年8月27日(VOL.42 NO.35) p.01]

〔ロンドン〕ロンドン大学キングズカレッジ精神医学研究所の G. James Rubin氏と英国保健保護局の研究者らは、英国での新型インフルエンザ発生の初期段階で感染回避のために日常の行動を変えた人は少なかったとBMJ(2009; 339: b2651)に発表した。その一方で、今回の研究結果は、英国政府が新型インフルエンザの感染リスクを軽減するために具体的な行動を推奨した取り組みは妥当だったとしている。


62%は政府の推奨を全く行わず

 感染症の発生を封じ込めるために、衛生に関する具体的な行動を促すことの有用性は過去の感染症流行の際に証明されているが、実際にそのような行動を取るように動機付けすることは容易ではない。

 Rubin氏らは、新型インフルエンザの発生についての認識がイングランド、スコットランド、ウェールズの一般大衆の行動変化にどのように影響したかを検討した。

 2009年5月8~12日に997人の成人を対象に電話調査を行い、最近の行動に関して9つの質問をした。うち6つは、政府が推奨しなかった場所、活動、行動を回避したかどうかを問うもの。残りの3つは、推奨された行動に関するもので、具体的には、(1)ドアノブやコンピュータのキーボードなどの表面を洗浄・殺菌する(2)ふだんから頻繁にせっけんと水で手洗いをする(3)新型インフルエンザが発生した際の行動について友人や家族と話し合う―であった。

 その結果、大規模なメディアの報道と大がかりな政府の広報キャンペーンがあったにもかかわらず、一般の新型インフルエンザへの反応は冷静だったことが示された。発生について不安を抱く参加者は少なく、なんらかの不安を訴える参加者は24%で、強い不安を訴える参加者は2%にすぎなかった。

 参加者の大部分は、手洗いの頻度を変えなかった(72%)、ものを洗浄あるいは殺菌する程度や回数を増やさなかった(83%)、flu friend*と計画を立てなかった(85%)と報告した。 62%はいずれの行動も取らなかったと報告した。発生後、人ごみを避けたと申告したのは5%に満たなかった。

 今回の研究では、新型インフルエンザの発生に対する認識が人々の行動変化にどのように影響したかについても検討した。その結果、(1)新型インフルエンザが重大である(2)罹患リスクが高い(3)アウトブレイクが長期間続く(4)関係当局が信頼できる(5)リスクコントロールが可能である―などの認識がある場合は、政府の推奨する行動を受け入れる可能性が高いことがわかった。一方、人々がアウトブレイクに関して確信が持てず、誇張されているような印象を受けた場合は、そのような行動を受け入れない可能性が高いことがわかった。

 このような結果を受けて、同氏らは「日常行動を変えて推奨される行動を取った人は38%しかいなかったが、一方で、インフルエンザのリスクを回避させる行動を国民に推奨する政府の政策は妥当だったと言える。新型インフルエンザ発生に騒ぎすぎであるとする国民の認識に対して政府が対処することは困難かもしれないが、価値のあることだろう」と結論付けている。

*インフルエンザに罹患した際に、代わりに食料品や薬剤などを買いに行ってくれる近所の人、友人、親戚などを指す。外出しなくてすむので感染拡大を予防できる。


島国ってところだけは似てるけど、、、

英国人って、、、日本人って、、、、一体、、、、文化と言ってしまえばそれまでなんだけど、良い所は真似したい、、、、、よねぇ?

ギリシャ神話の影響? キリスト教? ローマ帝国? 対イスラム社会? 教会破門と英国国教会? ケルト人対ゲルマン人? フランスとの対立? イングランドとスコットランドの因縁? 大英帝国の衰亡?????

歴史以前の検証は不可能だから、、、、、遺伝子に刷り込まれている(メチル化、アセチル化??)と表現すれば、当たらずとも遠からず、なんだろうけど、、だけど、スッキリしない。

歴史に疎い私にも一つだけわかることは、日本人は、日本語を話す人間以外にコミュニケーションをとれ(とら)なかった。。。。言い換えれば、価値観が狭小になりがち、、、、、多様性が無い。それ故の、強いもの、公的なもの、自分より偉いもの、自分より金持ち、、、と自分の頭が上がらない人から言われた言葉を、疑いもなく鵜呑みにする。(それがほんとに正しかったのかもしれないけど。。真実が不明ならば、嘘にならないし、嘘もばれなきゃ真実だ)

確かに、自分で何も考えずに生きていくのは“楽”だ。逆に言えば、日本は歴史的に概ね平和だったって事だ。『おおかみが来たぞぉ』って言われれば、みんなが逃げ惑うから、自分も逃げまどう。それを疑うことは、日本人にない。

平和だ。偉い人達は、おおかみが来なければ来た事にしちゃえばイイ。。。実に平和だ。

平和じゃなかった英国人は、逃げ惑うにもエネルギーが必要だから、無駄な事はしたくない。だから、自分で評価する・・・のかも。

現象だけを見ると、日本人は、群れを成す鳥や魚が“シンクロ”して泳いだり飛んだりしているのに似ている。。。。ただし、あれは、危険回避という利益が向上するからなのだが、人間が行動をシンクロさせる事でも、同様のことが言えるのだろうか??(・・・カタクチイワシの脳を持つ男・・って言えるのかなっ・・)

英国人は、何事も、自分が納得できなければ行動しない。評価・比較する能力が、生きていく為に、日本人よりシビアに影響した・・・・だから、インフルエンザと他の感染症を比較できる?

日本人だって、こういう人は少なからずいる。。。というか、専門家なら、本音ではほとんどがそうだろう(マスコミや大衆に迎合していたとしても)。

厚労省の“ワクチン緊急輸入”に対しても『白紙承認してまで輸入しなければならないものか?』という意見もあるし、この騒ぎの中でも、“肺炎球菌ワクチン”や“小児の細菌性髄膜炎予防”に関心を寄せている医療人の方が多い。。。。インフルエンザより、もっと、注意しなきゃならない感染症があるんじゃないの?と。インフルエンザワクチンより、もっと、大事なワクチン接種の啓蒙をしなきゃならないんじゃないの?って。

財源は無尽蔵じゃないんだぞっと。


英国人の、この冷静なリスク評価は、一体、どこから???

英国人がみな、日本人の専門家のような知識があるとは思えない。。。。なのに??

自分の身は自分で守るのが基本だから??リスク評価は、人の言われるままにしない?

日本人は評価することが苦手??適当な比較する対象を選択する事も含めて??


そういえば、良く聞かれる、『この薬強いですか?』って。

聞かれたことないけど、多分(カタクチイワシの脳を持つ)日本人は『インフルエンザって怖いですか?』って聞くんだろなぁ。。。。


もしかしたら、科学にもっとも向かない曖昧な言葉、日本語の特徴のせいなのか??言葉に不備があるから、騙すのも簡単!!??
 
 
 
でも、もしかしたら、みんなでパニックを望んでる?? 無意識にカタルシス効果を求めてるの??

だとしたら、、、、、何に悩んで、失望して、絶望してるんだろう・・・・?

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毎日数千個もの菌類胞子を吸い込んでも免疫反応が起こらないわけ

20090828_various_meaningsロバストな性質・・・

聞いた事も無い人の方が多いのではないだろうか?

私も聞いた事がなくて、調べていたら、長岡造形大学の 洪 起 氏が『予期せぬ環境変化等の異常事態が生じても、システムは機能不全に浸らない「したたかさ」』と定義していた。一発で腑に落ちた。

建築が専門の方らしいが、これって、何にでも言えそうだ。たとえば、、、免疫現象、、、だけじゃなく、生命現象そのものにも・・・・

Nature vol.460 (7259), (Aug 2009)

我々は毎日、多種多様な菌類から生じる何千もの微小な胞子(分生子)を吸い込んでいる。

こうした胞子には抗原やアレルゲンが含まれているが、これらの吸入によって我々の自然免疫細胞が継続的に活性化されたり、炎症反応が起こったりすることはない。

免疫学的、生化学的、および遺伝学的な一連の実験により、その理由が明らかにされた。

分生子の表面を覆っている、小型の桿状(ロッドレット)タンパク質からなる疎水性の層によって、これら胞子の免疫認識が妨げられているのである。

この層が取り除かれると、胞子は免疫系を活性化する。

このような防御層を備えた病原性胞子は、発芽に適した条件になるまで宿主防御を回避して、休眠状態を維持するのかもしれない。

治療上、このロッドレットタンパク質のロバストな性質は、体内の特定の場所を標的とする分子を詰め込んだり、徐放性を最適化したナノ粒子の作製に利用できたりする可能性がある。

Letters to Nature p.1117


個としても、集団としても、人間(地球上の生き物)は、ロバスト性を実現する為に多様性を必要としている。。。というか、多様性があるからロバスト性がある。。。。進化論的にはコッチが正しい。

細かい部分を弄っても、ロバスト性にほとんど影響しない事もあるし、もの凄い影響を与える事もある。“細かい部分を弄る”を“医療行為”と置き換える事は、当然、可能だ。

素人のマスコミは、ネタになりそうな、細かい事をグチャグチャと言い放っている(マスコミに登場する医師や医学者も同様に)が、その無責任な発言は、結局、ロバスト性に救われているとも言える。

・・・・言える事は、過去の知見をどんなに積み重ねても、将来を予測する事は不可能だということだ。


話は変わって、多様性、、、、価値観にも言えることだが、、、、日本では大衆レベルに価値観を単一化しようする傾向、、、、『正しい事は一つ』であるみたいな勘違いを惹起する排他的な意識があるのだが、、、洪 起 氏は、東京大学、元総長の小宮山 宏氏の考えを紹介している。それは、、、

『多くの言語や文化、考え方が交じり合う多様性の中でこそ、次世代のリーダーが育つ。近未来、学部学生の1/3は外国人留学生になれば良い』と。

ヨーロッパでは既に1970年代後半から大々的に、域内各国で大学生を循環させていおり、かつて留学生の送り出し国だった中国が、今は日本を凌駕する“受け入れ大国”になりつつあるという。

日本では、当然のように、このような対応は遅れているわけだが、2008年に福田首相が2020年までに『留学生受け入れ30万人計画』を提唱したが、、、、、

民主党のマニフェストに、このような下りを見つけられなかった。。。。どこかに書いてあるのだろうか???教育費を援助するとか、無料にするとかは、よく目立つんだけど・・・!


ところで、、、政治家の皆さん、選挙期間中だけでなく、いつも忙しそうにしている。いつ寝るんだろう・・・・って、思っていたら、、、、、

睡眠時間が短くても済む遺伝的資質(Reducing Sleep Length)

Science August 14 2009, Vol.325

殆どの動物と同じように人間も満ち足りた睡眠を必要とする。

しかし睡眠の望ましい量と質は個々人によって異なる。

人によっては一晩あたり6時間未満の睡眠で十分な傾向を遺伝的に受け継いでおり、この傾向が生涯続く場合もある。

Heらは(p.866:HorとTaftiによる展望記事を参照)、一般よりも少ない睡眠時間しか必要としない人々に関係する、ヒト遺伝子の突然変異を発見した。

この突然変異は、DEC2なる転写リプレッサー(特定の遺伝子群の形質発現を抑制するたんぱく質)をコードしている遺伝子上に見られ、24時間周期の概日リズムの制御に関与していることが既に知られている。

関連変異をマウスやハエに起こさせたところ、同じようにより短い睡眠時間が誘発された。

The Transcriptional Repressor DEC2 Regulates Sleep Length in Mammals
p. 866-870.


政治家の遺伝子をサンプリングして調べたい。。。。。これも、政治家の資質??


p.s. 昨日、妻の買い物につき合わされ、、、、なんと3時間。。。。。疲れ果てて、期日前投票する気力も、失せてしまった私、、、、。それに、ニワトリの脳を持つ男のような輩をデパートや駐車場で見つけるにつけ、、、、どうでも良くなってくる。

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安心と安全

20090721_safety食道がんは、喫煙によるDNAメチル化が原因だった!

『死の四重奏』が『メタボリック・シンドローム』と言われるようになり始めた2002年頃、私は、この言葉がこんなに一般的になるとは思わなかった。メタボリズム(metabolism:代謝)がアナボリズム(anabolism:同化)やカタボリズム(catabolism:異化)などの生化学用語なだけに、一般の人に広く受け入れられるとは、思わなかったからだ。

でも、正確な意味なんてそっちのけで、韻の面白さとダイエットブームにシンクロして一気に広まり、“メタボ対策”などと生化学的には意味不明な言葉まで生まれたのは、マスコミのおかげだろう。良い悪いは別にして。今では「メタボ=太っている」という意味に使われている風である。


さて、今、この『メタボ』に匹敵するような“流行り言葉”になりそうなのが、“メチル化”ではないかと、私は、密かに思っている。5年~10年後には流行っている、、、、、と、外れたらカッコ悪いから、小さな声で言っておこう。


で、そのメチル化だが、、胃ではピロリ菌によるDNAメチル化が胃がんの原因になり、食道では喫煙によるDNAメチル化が食道がんの原因になる、と言えるまでに解明が進んできた。

これまでの研究で、DNAのメチル化は日常的な発現頻度が低い遺伝子で起こりやすく、発現が低い中でもさらにヒストンの修飾がないもののメチル化が起こりやすいことがわかってきている。

アグーチ・マウス』でも触れたけど、一般の方はもとより医療従事者の中にも、がんの原因はすべて遺伝子の塩基配列が変化する事によると思っている人は多い。

しかし、実際はメチル化が原因のがんの方がはるかに多い。

従来、DNAメチル化は個体発生の時期やがん形成の時期を除いては、一生のうちでほとんど変化しないと考えられてきたが、環境因子がDNAメチル化状態を変える例が、次々と報告されている。

特に、栄養学の分野では「太りやすい」などの体質に、栄養環境因子の関与が少なくないことがわかってきた。メチル供与体(メチオニン、葉酸、コリン、ビタミンB6 など)を多く含む飼料で授乳期の母マウスを飼育すると、その子マウスでは、離乳後に高脂肪食を多く与えても、体重増加が著しく抑えられたと言う。。。妊娠期の母マウスを同様の飼料により飼育すると、子マウスのDNAメチル化状態と表現型に変化が現れる事も。

人の場合でも、母親の妊娠期間中の食事内容、喫煙などは、多くが子供に影響しているんじゃないかな・・・。

さらに、内臓脂肪での PPAR-γ の発現は、DNAメチル化により抑制されていることもわかってきた。PPAR-γ と言えば、糖尿病治療薬のターゲットの一つだ。。。


これっ!マスコミと“健康オタクちゃん”が飛びつきそうな内容が盛りだくさんではないかっ!!


ほんとは、エピジェネティックな内容を、マスコミなんかに商売の道具にされたくないんだけど、これも、世の中の仕組みだから、しょうがない。

マスコミは『安心と安全』をごちゃ混ぜにしている庶民の弱点を利用して翻弄するのだ。


“安全”を科学的な常識に照らして判断できない人に「安心していいよ」と言っても、ほとんど無駄である。

逆に、根拠も無く「安心」してしまっている人に、「安全ではない」と言っても効果が上がらない。

インフルエンザやエイズが良い例である。


・・・・・・と、マスコミ批判は出来るんだけど、一体、DNAメチル化、すなわち、エピジェネティックな内容を、どのように“捻じ曲げて”伝えるのか、想像もつかない。

メタボリックシンドロームだって、『メタボなお腹』とか『メタボ対策』とか、メタボリズムから想像できる範囲を超えてるもん。

メチル化、、、古い人ならメチルアルコールに結びつけ、『毒になる』って感じるかも。語感っていうか、言葉の韻がイメージさせるって結構あるからね。

マスコミがどんな手段を使ってくるかが予測できれば、、、、、、でも、結局、無力なんだろうなぁ・・・・・。やっぱ、マスコミの力は巨大だからね。対抗するには“教育”しかないんだろうなぁ。まぁ、騙されて損をするのが、その個人に留まるなら、いいんだけど、とばっちりを受けたんじゃ、たまらん。。。。。。


とばっちりと言えば、今朝の通勤電車。

いや、本日は、とばっちりを免れた話だ。「君子、危うきに近寄らず」を実践したのだ。思い出しても、恐ろしいその状況は、、、

以前、朝の通勤電車の中、隣に座っていた輩にちょっと腕が触れただけで『俺の体にさわるんじゃねぇよ』とばかりに、体をよじって、手を振り回し、私に挑んできたヤツがいた。

そいつが、今日も目の前にいたのだ。。。。直ぐには気づかなかったのは、今日は真っ黒なサングラスを掛けてなかったからなのだが、本日も思いっきり“奇人・変人”ぶりを発揮していた。

なんと、満員電車の中で、靴を脱ぎ、靴下のまま足を投げ出し座っていたのである。

私は、そいつの目の前に立つと、『おまえ、混んでる電車で馬鹿なことやってんじゃねぇよ』と言わんばかりに、思い切り睨んだのだが、ふと、目を瞑っているそいつの顔を見た瞬間、コイツ、、、、、あの時のヤツじゃねぇのか?と、、、気づいたのだ。

以前、やつと遭遇した時、私は、どつかれた瞬間、ヤツの前に立ちはだかり『電車が混んでんだから、しょーがねぇーだろー。お前、なにやってんだぁ!あぁ?』とスゴンでやったから、ヤツは貝のように押し黙っていたのだが、今回は、事情が違った。

私は、瞬時に過去を思い出し、わずらわしいトラブルを回避すべく、やつの前から移動したのは言うまでもないが、その後、次の駅で乗り込んできた青年に、食いついたのだ。

やおら立ち上がり、『おまえ、わざと足踏んだだろ?』と。

その青年は、何が何だかわからないまま「すみません、わざとじゃないです。ごめんなさい」とあやまり続けた。。。

私は、ふと、思った。「こいつ、以前、俺にやり込められて、、、、学習したな。先制攻撃を」と。

どっちにしても、満員電車で、靴脱いで、靴下のまま、足を放り出してるなんて、踏まれて当然だ。

私は、ヤツがその青年にしつこく絡んだら、「おいっ、その水虫のくせぇ足、しまっとけよ」と言うつもりでいた。

でも、内心は、ドキドキしながら、成り行きを見守っていたのだ。

なので、ヤツが、あっさり、元の席に座った時には、なんか、拍子抜けと同時に、とばっちりを食わずによかったぁと、「ほっ」と安心したのだった。

身の安全を保つためには、見てみぬフリが一番である。他人のトラブルに首を突っ込んで、メリットは何も無い・・・・・・。しかも、不安になりながらなんて。

だけど、、、、、、、、。


普段、安全と安心をごちゃ混ぜにしている庶民を卑下している私だが、「君子、危うきに近寄らず」のはずが、近づきたい衝動に駆られる、、、、人間なんて、こんなものなんだよなぁ!!

教育も役に立たないのかも・・・・・。

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リミット~刑事の現場

20090713_limitいやー、私、ついに捕まってしまいまった。。。。。。

ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

何がって?道路交通法違反・・・・・・・。速度超過だ。


で、タイトルの『リミット~刑事の現場』と、どう繋がるのかって言うと・・・・・。

警察は、市民の安全や事故防止が仕事ではないというところだ。

このNHKドラマで武田鉄也扮する刑事が、部下の若い刑事に向かって発する言葉は、決して自虐的なギャグではなく、ごく当たり前に、当然の如く遂行している職務なのだ。


違反は取り締まる。


警察と言う仕事にどっぷりと漬かっていると、市民の安全や事故防止という本来の目的を忘れてしまう。それはなにも警察に限った事ではなく、病気を見て病人を見ることが出来なくなっている医療従事者と同じだ。

何故か?

“病人を見る”ということをすると経営不安定になり、結果が患者にとって思わしくなかった場合裁判で負け、医師の場合なら学位や専門医の資格も取れなくなる。じゃ、取らなくてもいいかと言うと、患者は大学の権威や学位や専門医の資格に“医師としての腕”を見る。

患者は病人としての自分を見て欲しいのに、病人として見れなくなる価値観を医療従事者に押し付け、自分で自分の首を絞める結果に、、、、

という、誰にも是正できない構造がある。

そして、マスコミがそんな価値観を助長させる。“割りばし事件”で医療側当事者が『マスコミの報道に怒り覚える』と公にコメントしているが、もっともな事だ。あの事件を二度と繰り返さないようにするには、《ものをくわえさせたまま子供を連れ歩かない》ということに尽きる。このことに最大限の報道時間と紙面を割かずして、マスコミの善意は“偽り”だとの謗りを免れない。

そして、医療側当事者が言っている、、、、
《医療では確率を重視します。最も確率が高いと思われる疾患から鑑別していく。したがってすべての疾患の可能性について確認できるわけではありません。それを日常診療でもし実践していたら、医療は破綻します。この点が医学的に言う可能性と、医療の違いです。医学的にはすべての可能性を検討しますが、医学の知識をいかに限られた社会資源の中で行うかが医療です。われわれは考え得る疾患の可能性と、その疾患を発症する確率を常に考え合わせて医療をやっているわけです。不必要なCT検査を実施したら、保険請求上、削られますし、それをたびたび繰り返せば医療機関としての適格性を疑われて、審査されます。もちろん、削られても医師が必要であると判断した場合には、検査をします。本件の場合は、担当医が必要ないと判断したから、CT検査を実施していません。》

言っている事は、至極、当然、当たり前の事だ。

私は、これを“病気を見て病人を見ることが出来なくなっている医療従事者”と呼ぶ。


『リミット~刑事の現場』での「やさしさによる救済」は、医療に置き換えれば、この“割りばし事件”で子供を失った家族の気持ちを第一に考え、どうしたら彼らの溜飲が下がるのかを考える事に繋がる。

そして、それは、とりもなおさず、医療において“患者を見る”事に繋がる。

二兎を追うものは一兎をも得ず。。。。。患者を見ると(患者の満足度を満たすと)医療は破綻する。

そんな、むなしさが沸いてくる。
 
 
 
今回は、そんな医療の構造的な問題を指摘するのが目的じゃないので、解決不可能なこの問題は置き去りにして、今回、エントリーしたかったこと、すなわち、“愚痴”を炸裂させることにする。

私も、小市民として、警察の速度取締りには“頭にきて”いる。

道路交通法が作られた、、、っていうか、道路を車で走る時に、みんなの利益が最大限になるように自然に出来上がったルールが、道路交通法に繋がっているはずだ。


そして、みんなの利益とは、交通事故で怪我や死を免れる事と、円滑な流れだ。

ここんとこ、よく覚えておいて欲しい。


これが、法律と言う厳しい名前になると、とたんに、目的が違反者取締りに変わるのだっ!

私が速度超過した時の高速道路の状況は、平坦で距離として1キロメートルも続くかと思われる一直線、目の前には、一台の車もない、そんな状況だ。

ご存知の方も多いと思うが、千葉京葉道路館山線、市原のあたりに、こんな道路が突然現れる。

ゆるい左カーブを抜けるまで、何故か、団子状態で100km/hを守っていたグループの先頭の3台余りが走行車線に移動し、私の目の前は開けた。私は、スルスルとその団子を抜け出した。前方には目視で1キロほど先に、車の集団が見えるだけだ。

そのまま加速を続けながら、チラっとルームミラーを見ると白いクラウンが車線を変更し私を付けてきた。

「フン」と私。

この時、GT-R だったら、計測される暇を与えず、前方の集団に追いついていただろう(このキチガイのような怒涛の加速が違反かどうか、私はしらないのだが)。だが、この日は、妻のミニ・クーパーを運転していた。

10秒ほど加速して、再び、ルームミラーを見た時は、すでに、ラジエータグリルの中に二つの赤いライトが点灯していた。

私は、頭が真っ白になって、加速を緩め、走行車線に移動したが、そのまま、路肩に停車する事を指示された。。。。。

ステアリングを切る事も、前方に車もいない状態で、メーター読みで140km/h に達していたのだ。瞬間的に。


私にしてみれば、この状況での 140km/h に危険があるとは考えられない。ミニ・クーパーは、本国ドイツでアウトバーンを150km/h で巡航している。そして、その速度に達すると、矢の様に突き進むようになる。

ただ、この白いクラウンの覆面パトカーに乗っていた警官達も、いくら仕事とはいえ、私に同情してくれたのかもしれない?非常に低姿勢で丁寧な対応をしてくれ、24キロオーバーでキップを切ってくれたのだ。。。。。。。がっ、、

そんな対応だったばかりに、怒りをぶちまける事も出来ず、理想的な違反者を演じてしまったりした私、、、、

鬱憤を晴らせない私の不満は、収まらない。

状況も考慮せず、一律に超過した速度だけを問題にしているところにっ!

車種を問わず、速度超過が、即“危険”だとしているところがナンセンスだろうがぁ!!と。同じ道路状況にしても、図体がでかくて重い“ミニバン”などと一緒にしてもらっては、迷惑なのだ(この表現にミニバンオーナーはムカつくかも知れないが、事実だ)。トラックなんぞは言語道断(職業ドライバーは時間との戦いは知っている)だしっ。

十把一絡げで取り締まってんじゃねぇぞっと。

と声を大にして、警官に不満をぶちまけたかったのに・・・・・・


・・・・・・以上を、私自らが“愚痴”と言っているのは、そんな“危険度”に関わる多数の因子を鑑みての理想的な取締りが、実現できるはずがない事を判っているからだ。

これは、リアルな“医療”の現場で、非医療従事者の立場の方々が感じる不満と、ほぼ、同じなんだろう・・・とわかっているからだ。


市民の安全や事故防止の観点からは、私のような速度超過を取り締まる事に、意味は無い。私はゴールド免許を二回も更新している、特別、慎重な運転者だ。色んな意味で。絶対、安全だと思える状況でしか、速度を出さない。(単なる小心者なんだけど。ハハハ)

と、自分の行為をいかに正当化しようとしても、それは空しい。。。。。結局、個々のケースの危険度を厳密に考察なんぞしていては、警察は人も時間も足りない。検査値だけで、一律に、薬漬けにしている現代医療と、同じ構造だ。


警察に「頭にきたぞぉ」と言いつつ、その言葉が自分に帰ってくる。。。。虚しい。。。

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まだらのヘビとおちんちん

20090623_snake_and_penisある日、あなたは男同士の親友数人とキャンプに出かけた。

早朝、あなたは親友の一人の悲鳴で目が覚めた。
急いで外に出ると、トイレの最中だったのだろうか。ズボンを下げた親友が倒れていて、マダラ色のヘビが彼の大事な所に噛みついていたのである。
あなたは、ヘビを棒で叩き殺し親友を助け起こした。
「おい。しっかりしてくれ」彼は必死で親友に呼びかけた。しかし親友は、意識はあるようだが朦朧としており、「う・うん」と唸るばかりである。
あなたは、脱兎の如くテントに戻ると、携帯電話で病院に電話をかけた。
「もしもし。ボクの親友がヘビに噛まれてしまったんです。ボクの大切な親友が!どうしたらいいんでしょうか」
「いいから、おちついて話なさい」医師は言った。「そのヘビの大きさは・・・模様は・・・」
あなたの話を一通り聞き終えた医師は言った。
「それは、かなり危険な毒ヘビだ。噛まれたところからすぐに毒を吸い出すしかない。そうしないと、君の友人の命はないだろう」

医師の助言を得たあなたは、この後、どうしますか??

他の親友達は、昨夜の深酒がたたってか、まだ、深い眠りの中です。。。。
 
 
 
私が、コミック雑誌“週刊モーニング”を読んでいた頃、当寺、連載中の“栄光なき天才達”で、強烈に印象に残っているシーンがある。

北里柴三郎がドイツ留学中の破傷風菌純粋培養および血清療法の創始という輝かしい業績と世界的な名声を土産に気揚々と帰国した時の事だ。港に船が到着する。しかし、誰も迎えに来ていない・・・・。
 北里「おかしいなあ・・・帰国の連絡はちゃんとついているはずなんだが・・・」

その後、東京帝大に出向くのだが、、当時の医学部長、青山胤通が、、、
『師弟の道を解せざるもの、、わが帝大に用なしっ!』
と面会もせず、、、、

状況がが飲み込めない北里
 北里「師弟の道を解せざる者・・・どういう意味だ?(つぶやき)」

そこへ、森林太郎(鴎外)が来る。
 北里「おお、森君。君は何か知ってるのか?」
 森「“師弟の道”の師とは東大教授緒方正規先生のことです」
 北里「緒方君の?」
 森「北里さんはドイツに旅立たれる前、6ヶ月ほど細菌学の基礎を身につけるため緒方さんの助手につきましたね?」
 北里「ああ、確かについた。あの時のおかげで私はドイツに行ってからずい分助かったよ。緒方君には感謝している」
 森「その恩を、あなたはアダで返した」
 北里「え?・・・(ハッとなる)脚気菌のことか?」
  うなずく森。
 北里「バカな・・・あれは・・・」


今でこそ、脚気の原因はビタミンB1不足だと知らない人はいないが、明治18年(1885年)当時、東大教授緒方正規は、脚気の病原菌を発見したと発表。脚気は当時の日本において、深刻な病気であったので、もし事実であれば画期的な発見であるとされていたのである。

留学した当初、北里はドイツ人学者から、脚気菌の真偽について問いを受ける。北里は追試をやってみたが、答えは、否定的。ペーケルハーリングが発見した菌も、師 ― 緒方のものも、いずれも雑菌の一種であって、脚気の病原菌とは認められない、と結論し発表したのだった。

明治14年、最年少(19歳)で東大医学部を卒業した森鴎外は、この時30歳にして陸軍二等軍医正(少佐に相当)。のちには45歳で軍医としての最高位、陸軍軍医総監の座にのぼりつめ、第八代陸軍省医務局長の椅子につく。この超エリートも終始東大医学部側を支持し、以後、北里と対立していくことになるのだが、、、、

重要なのは、このおかげで、当時の陸軍には脚気に倒れる軍人が後を絶たなかったことだ。日清・日露戦争では、戦死者の半数以上は脚気が原因と言われている。ところで、司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、この辺の事情には全く触れていない。全てを野木希典の愚策のせいにしている。もっとも、脚気で死んだ・・・・じゃ、小説は面白くない・・・。おっと、脱線、ご容赦。

海軍は、後に慈恵医大を創立する高木兼寛(海軍軍医総監まで上りつめる)が脚気栄養欠陥説を提唱し、イギリス流の麦食により、脚気の発症を防いでいた。戦地での米食一辺倒の陸軍との違いである。
 
 
 
近年、その機能の見直しと認識改革を迫られた臓器がある。脂肪組織だ。脂肪を臓器と言うのには抵抗があるかもしれないが、単なる“貯蔵庫”だと思われているものが、ホルモンを産生し、恒常性を維持していたとは、、、、、青天の霹靂、、、、、、。

今現在、心臓の機能を“循環のポンプ”の他に“ホルモン産生”としている人は少ないだろう。ポンプ機能だって、形態としてどこからどこまでと厳密に定義できるわけでもないのに、、、、、一般の人に至っては、「ありえなぁ~いっ」って言うだろう。結局、実態ではなく、イメージとして知っているだけなんだよね。

自律神経系の上位中枢は脊髄および脳幹であり、これはさらに上位の視床下部や大脳辺縁系などによる調節を受ける。これはさらに上位の・・・・・・と。心臓も神経支配をうける臓器であるのに、、、、、

そして、移植心臓に神経を接続する事は出来ないのに、、、、、(しかも脳からの無視だけじゃなく胸腺からの拒絶も大きな事実・・・・・なのに、みんなで無視してる?)

イメージとして知っているだけで、侃侃諤諤、喧々囂々やっちゃう、、、、、
 
 
 
時を経て、過去を振り返るとき、「なぁ~だ、そんなこともわかったなかったんだぁ」というのは簡単だ。明治期の陸軍の米食を否定するのは簡単である。ただ、当時、一方(海軍)では出来ていた事を出来なかった事情は知る由も無い。あの文豪と呼ばれた天才、森鴎外にしてそうなのだから。
 
 
 
もし、自ら、親友の局所から蛇毒を吸い出すことの出来る人が、「人道的に、子供には臓器移植を・・・・」と訴えれば、私は聞く耳を持つだろう。(毒蛇に噛まれずとも吸いたい人は除く)

この行動は、根拠の無い信念より生ずると思われるが、ある意味、まねの出来ない立派な行為である。(映画“アルマゲドン”で泣ける私の価値観は、こんなものです)

しかし、蛇毒を吸い出すことが出来ない人が、いくら「人道的に・・・・・」と叫んでも、ハッキリ言ってシラけるだけである。私にとっては。現在の最先端の医学をもってしてもね。そういう意味で時期尚早・・・・・。(文科省が本年度iPS細胞研究に100億円がどうたらこうたらって記事を目にしたが、一桁、足りないんじゃないの??不毛な議論を避ける為にもね)

これを言うと喧嘩になりそうだけど、家族も含めて延命治療に賛成する側の自己満足、自慰的な満足感だけは得られる、、、、、現在の移植医療はそんなレベルだと感じている。そして医療行為者はまるで『ハリ・アドラ』だ。

ブラック・ジャックだって言っている。。「X線像で出来損ないということはわかっていたんだ。だから殺した方が母親のためだったんだ。それとそんな赤ん坊を生かすのが神の思し召しなのか」「……」「そのカエルみたいな脳みそのない子がどんな一生を送るというんだ。殺すんだ。そのほうが慈悲なんだ」

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自己弁護

20090617_self_justification小太りで豆タンクのような女が、大股でカツカツと私の前を横切り、駅の改札へ向かう。私はおもわず道を譲ってしまい、すこしあとに、チラっとその女に視線をくれる。

やっぱり、、、、怒った顔してる。

なんか最初から怒っている人が増えているような気がする。結局、自分が損をするのに・・・・。

こういう態度をとっている人に、優しくしようとは思わない。それどころか、その人に利益をもたらす情報をあえて与えない“意地悪?”な心が芽生え、積極的にサボタージュする事になる。

私は、日々、こんな小さな事を繰り返し、心の平和を維持している。

「意地悪?」と「?」を付けたのは、私は、これがヒトの脳の仕様であり、自然な事だと理解しているからだ。ヒトの脳には互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能があり、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存しているということを知っているからだ。

だが、世間一般には、このような行為は“意地悪”と呼ばれるのだろう。

でも、何で“意地悪”って評価されるのだろう??

親切でないから意地悪なのか?

私は、後味の悪い自己嫌悪を催す行為は、“意地悪”だったなと感じるのだが、積極的なサボタージュには、後味の悪さは感じない。ただ、こういう行為が“意地悪”と世間一般で理解されている為、自分がそのような評価を受けるかもしれないという事に対して、後味の悪さを感じることはあるにせよ。。。。だ。


ヒトは脳から沸き起こる感情を言葉に置き換える作業をする。言葉で考える。

日本人なら、日本語で怒り、喜ぶ。

これも“脳の機能”とである。

同じ“脳の機能”でも、互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能は『意地悪だ』とされてしまうのは、なんか、道徳的な教育、、、もしくは宗教的な、、、。

でも、側頭葉てんかんの患者のなかには、この宗教的な体験?をする人が多いらしく、神の啓示もまた、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存している脳の機能だとしたら、、、、、。地域、言語(これは脳が考えコミュニケーションする為の手段だっ!)を問わず、宗教が存在しているんだから、ヒトの脳が持つ普遍的な機能、、、、、と考えてもおかしくない??

だとしたら、脳は、自分を否定する機能をも持ち合わせている・・・・?

この“機能”は、抑制性の神経系という“実態=形態”が実現しているのだろうか??


なんだか、ごちゃごちゃしてきたけど、脳の事を脳が考えている、、、、これって、なんか面白い。


まぁ、そんな事はいいとして、最初から“怒っている”ような雰囲気を醸していれば、こっちもやり易い。だけど、したたかに、謙虚に出られると、それが“最善”とは思わないことでも、受け入れざるを得なくなることがある。

いわゆる“巨悪”というのは、そういうふうに存在していけるのだろう。巨悪が必要度と二律背反の関係にあれば、存在するのも止む無しかもしれないのだが、、、、既得権益ばかりは、、、、

既得権益を守る人達が、最初から、喧嘩腰に“俺達の権利だぜ!”ってやらないところがミソなんだろう。
 
 
 
やけに、前フリが長くなってしまったが、、、、、

私の、最近のわからないことの一つに、薬学部学生の臨床実習に、是が非でも調整機構を使うことにしたというのがある。

この話題は過去にも何度かしているので、経緯はご存知の事として話を進めるが、某薬科大学では、調整機構に不安を感じ、OBが運営する薬局での実習を検討していた。ところが、途中で学長が代わると、遮二無二、調整機構を介しての実習に拘り、大学独自の実習カリキュラムを放棄させてしまったのである。

ここで、以下の引用を読んで頂きたい。理化学研究所の発行するオンライン版の小冊子に掲載されていたもので、2009年度より理研脳科学総合研究センターのセンター長に就任した利根川進と理事長野依良治のノーベル賞対談での利根川氏の話・・・

RIKEN NEWS 5月号 No.335 May 2009

日米では学部の入試制度も違いますね。MITには日本のような入学試験はありません。MITでは志望理由を書かせる小論文と面接を重視します。何千人もの入学希望者をどうやって面接するかというと、MITを卒業して各界で活躍している人たちに面接を依頼するのです。面接官はそれぞれの主観で学生を評価します。そして大学側では、その面接官が高く評価した学生が、入学してから本当にMITの欲しい学生だったかどうかを検証して、一致していなければ、その面接官を次回から外します。この方法は、試験で点を付けるほど客観的なものにはなりません。MITだけでなくハーバードなどほかの大学も同じような方法です。

 これは日本と大きく違いますね。日本の社会は戦後、あまりにも平等主義、客観主義を重視して、人の主観というものに信用をおいていません。特に研究のように創造的な仕事をする場合には、これはかなり問題だと思います。


私は、これを読んで、膝を打った。

大学独自で臨床実習先を確保する事自体、“仏作って魂入れず”の実態を放置した当局の怠慢に対する、強烈なカウンターパンチになるし、非常に合理的だと感じていたんだけど、この対談を読んで、大学独自の方式が、より優れていると確信した。

OBが後輩を鍛える・・・・すなわち、大学間の薬剤師養育の競争をもたらすわけだ。

世に出た薬剤師が使い物にならなくて、『どこの大学、出てんだよぉ。ったくぅ』とならない為にも、そして、出身大学の誇りを守るためにも、この方式のほうが利点が多いって思う。


何故、これが出来ないのか??

新たな学長の履歴書をみるにつけ、目は下(学生)ではなく上(国、保身)に向いているなぁって感じる。細かい事情は知らないけれど。

そして、現場では、暇で休日にも何もする事がない輩が、せっせと講習会に通い“認定”を取得し、この“認定者”以外を臨床実習指導できないように締め出している。

そして、その講習会の内容たるや・・・・・・。愚痴はやめよう。

大学間の薬剤師養育の競争に“質の担保”を求め、調整機構はOBの居ない、もしくは少ない大学の受け皿とする方が、よほど、学生志向で薬剤師資質向上に貢献すると思うのだが。。。。。


どの世界でもそうだが、魑魅魍魎を排除して実利を取るということは、日本語で考える日本人の脳を持っている人達が実行権を持っている限り、無理な事なのだろう。


というわけで、私は、小さな抵抗として、講習会に出席せず、認定も受けず、調整機構に組み込まれることを拒否し、学生実習に参加しないことにする。調整機構が破綻して、大学独自カリキュラムが復活し、低レベルの“認定”を必要としなくなる日まで。

(・・・・やっぱ、サボタージュ・・・だよなっ、どう屁理屈かましても・・・・ハハハ)

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女の平和

20090613_peace_of_womenある軍司令官が戦闘を開始しようとしているとする。深夜に作戦本部室で翌日の作戦を立てているところだ。偵察兵がたえずやってきて、地形や明るさの程度などの情報を報告する。彼らの報告では敵の戦車は500台。司令官のほうは600台で、これが戦闘開始の決断を促した。司令官は全ての隊を戦略的な配置につけ、午前6時の夜明けと共に攻撃を仕掛ける事にした。

ところが、午前5時55分に一人の偵察兵が作戦本部室に駆け込んできて、「閣下!悪い知らせです」と言う。攻撃開始まであと何分もない。「何か?」と聞く司令官に偵察兵は答えた。「たったいま、双眼鏡でみました。敵の戦車は500台ではなく700台あります!」

司令官(※1)はどうすれば良いのか。時間が迫り、全ての作戦計画を修正する暇はない。そこで彼は偵察兵に、見たことを誰にも言うなと命じる。否認だ!それどころか、ひょっとすると偵察兵を撃ち殺してその報告を「トップシークレット」の引き出し(※2)に隠すかもしれない。そうしながら彼は、多数の意見--偵察兵たちが先に報告した情報--が正しく、この情報源から入ったただひとつの新しい情報がおそらく間違いである事をあてにする。

こうして司令官は最初の立場に固執する。それだけでなく、混乱を恐れ、偵察兵に命じて他の将官に嘘をつかせ、戦車を500台しか見なかったと言わせる(※3)。すべては行動に安定性を持たせ、動揺を防止するためだ。優柔不断は何の役にも立たないからだ。おそらく正しいという見込みがあるなら、決断したほうが何も決断しないよりもいい。見解がコロコロ変わる司令官では、戦いに勝てるはずもない。


このたとえ話を読んで、あなたはどのあたりに“注目”しただろうか?

人によって、違うはずなのだが、当の本人は、ほとんどの人が自分と同じところに“注目”して感情が沸く、すなわち共感すると思っている。

まぁ、何処にせよ、何故、そこに“注目”したのかを考えてみるのもいいかもしれない。

たとえ話を、もう少し進めてみる。

一人の偵察兵が駆け込んできて、敵の戦車のほうが多いという代わりに「閣下!たったいま望遠鏡で、敵が核兵器を保有しているのが見えました」と報告したとする。

今度はあなたが考える番だ。司令官は、どうすると思うか?


さて、このたとえ話は、(※1)は左脳の働きを、(※2)は抑圧を、(※3)は作話というヒトの脳機能や行動のアナロジーだ。【脳の中の幽霊】にある一部を抜粋させてもらった。


『司令官は、どうすると思うか?』は考えてもらっただろうか?

それは、もしかしたら、あなたの希望になっていないだろうか??最初に沸き起こった感情を貫く為に?

さらに考えてみてほしい。戦車が700台の場合、戦闘の結果はどうなるのか?最初から負けると決めてかかっていなかっただろうか?あなたの“脳”は。さらに犠牲者の数や戦況まで、自分の感情を肯定する為に都合の良いように想定しなかったか。


《私たちが自分の信念の合理的な根拠とみなしているものは、自分の本能を正当化しようとする極度に不合理な試みであることが多い》“ダーウィンのブルドッグ”の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護したトマス・ヘンリー・ハクスリーの言葉である。

抽象的な言葉もまた、人それぞれの“心”にグサっとくるものがある。


さて、私は、この戦闘を行わざるを得ない状況の説明をすることにしよう。言ってなかったからね。

時は近未来。地球上の人類は絶滅寸前。近々に食料が尽きる。種子はあるから来年の収穫まで持ち越せれば、その後はなんとかなりそうだ。司令官の側は10万人。敵も10万人。来年までの食料は、10万人分しかない・・・・・・・。

後出しジャンケンのようで、申し訳ないが、冒頭のたとえ話を読んだ直後に沸き起こった感情が、このシチュエーションを知った後でも、同様だろうか?


私は、司令官の側の強者5万人と敵側の強者5万人が生き残る事になれば、それでいいと思っている。というか、何をやっても、どうあがいても、そうなるんじゃないの?

そして、また、歴史は繰り返す。

何年にもわたる戦争。男どもが戦いに明け暮れている結果、司令官の側は女性と老人や子供しかいなくなった。可愛そうなのは夫に残された妻たちで、2度と夫の顔を見ることがなかったり、なんとか帰ってきてもとうに自分の女としての盛りは過ぎてしまっている。

そこで一人の美しい妻が立ちあがり、仲間をあおり、敵側にも同士を募りクーデターを起こす。

男たちを戦争にやらないため、平和を築く必要があると。

ただ、なんと、その手段は、男たちに対し、女たちみんなで性的ボイコットをするっていう話だったのだ。セクシーなカッコで男を誘惑するも、肝心のところで逃げ、男を生殺し状態にする。『体が欲しければ戦争をやめなさい』って。


お気づきの方もいらっしゃるだろう・・・・・・。コレ、ギリシャ古典喜劇の「女の平和」だ。

でも、喜劇じゃなくって、現実になりそうだよねっ!!


こんなことばかり考えている私は、昨日、民主党に政権を渡しちゃいけない決定打が公になったと思っている。

それは、社民党との連立構想だ。

ここに及んで、小沢一郎氏の“西松献金”事件を“国策捜査”で何が悪い?って感じた。

ってゆーか、検察は、社民党との連立を事前に知ってたのだろうか??

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輿論(よろん)と世論(せろん)

輿論(よろん)と世論(せろん)匂いの刺激は脳に到り、危険だと判断されれば逃避行動をとらせるんだけれど、その匂いを捉える受容体が細胞レベルでの免疫応答を準備する為に使われていたとは、解明されてみれば、ほとほと、よく出来たシステムだと感心する事しきりである。生物の体って。

したがって、動物は、他の個体が尿中に排泄するFPRリガンドの匂いを嗅ぎ分け、健康の状態を判断している事は、容易に想像できるわけだ。

例えば、メスは子孫を残すにあたり身体的に優れた(病気がちではない)オスを選択する為に使うわけだし、或いは、群れで生活している動物の場合、ある個体が、群れにとって足手まといにならないどうかを判断する為に使っているのだろう。

生理:新しい化学受容器ファミリー

Nature vol.459 (7246), (May 2009)

哺乳類の嗅覚受容体としては、匂い受容体、微量アミン関連受容体、1型および2型鋤鼻受容体スーパーファミリーの4種類が現在までに知られている。

今回Riviereたちは、マウスの鋤鼻感覚神経に発現する、もう1つの新規嗅覚受容体ファミリーを同定したことを報告している。

このファミリーは、ホルミルペプチド受容体関連遺伝子ファミリー(FPR)の5つのメンバーにコードされている。

FPRのメンバーは、これ以外では感染に対する免疫細胞応答を仲介することで知られており、FPRを発現する細胞は病気や炎症に関連するリガンドに反応する。

こうしたリガンドは尿中に排泄されるので、FPRは個人の健康状態を感知している可能性が考えられる。


Letters to Nature p.574

News and Views p.521


テレビでは、病気を匂いで見分ける犬が“特別な能力を持った”と「ほら、驚きなさいよ」とやっているが、タネを明かせば、当たり前の事だ。

人間だって、臨床医は病気の判定に匂いを嗅いでいる。

糖尿病性のケトン症患者に独特のマニキュア液のような甘い息。焼きたてのパンのようなチフス患者のにおい。気のぬけたビールのような嫌なにおいのする腺病。むしったばかりのニワトリの羽のようなにおいの風疹。肺膿瘍の腐敗臭。ガラス洗浄剤のようなアンモニア臭のある肝臓病患者。シュードモナス感染のグレープジュースのようなにおい。などなど(肺がんや間質性肺炎のばち指ってのもあるけど、これは匂いじゃなくって視覚だけど)。

知らない人を騙すのがマスコミなのだが、最近、騙される方もどうしようもねぇなぁ・・・騙されて損すりゃいいんだよ・・と、インフルエンザ騒動の頃から感じるようになってきた。残念な事だけど。。。今までは騙すマスコミに対する怒りと騙される庶民に対して不甲斐なさによる憤りを感じていたんだけど、現在は、感情が沸き起こらなくなっている。無知な人が騙されて不利益を被っていても、当人がそれを認識しないのなら、『まっ、いっか。よけいなお節介かもね』・・・なんて白けている。

また、『今までは、この歳にして、まだまだ“青臭”かったのかも』なんて白けている自分にも、憤ったり、もやもやしたものを感じている・・・・、ほんとになんだかすっきりしないのだ。

まったく、嫌な気分にさせられるぜっ、マスコミには・・・・。

このマスコミのズルさ・狡猾さを、端的に言い表せないもどかしさも、嫌な気分を助長させ・・・・・・。

なぁ~んて、感じていた時に、すんげぇ、発見をしてしまった。というのは、マスコミは『輿論と世論の違い』を知らない人がほとんどだという事を逆手にとって、好き放題やっていると。

佐藤 卓己著「輿論と世論―日本的民意の系譜学」(新潮選書) は、まさに青天の霹靂ってヤツだ。(まだ、読んでなくって、MMJ 5月号で慶応大学名誉教授の石井裕正氏の巻頭のコラムで紹介している要点を知っただけなのだが)

『世論調査によると』、『世論が形成されつつ・・・』とか、なんか胡散臭かったんだけど、、、この単語を出されちゃうと、“間違いは無い”みたいな雰囲気を醸されて・・・・・。

だけど、輿論と世論は違うのだった。

著者によれば、輿論(Public Opinion)とは、公衆の社会的意識が組織化されたもの、公的意見であり、デジタルな多数意見として理性的討議による合意に基づくが、世論(Popular Sentiments)とは、まだ認識の対象になっていない心理状態(気分や雰囲気の表出)であり、アナログ的な全体の気分として、情緒的参加による共感に基づくものとしている。

輿論は伝統的な中国語だが、世論は明治になってからの新語であり、初めて使ったのは福沢諭吉(「文明論之概略」)で、世上の雰囲気(世論)と責任ある公論(輿論)をはっきり区別していた。

しかし、戦後になり「輿」の字が当用漢字表に採用されず、「輿論」が「世論」と表記されるようになってから両者の混用が生じ始めたとのこと。


マスコミは、「世論」の調査、すなわち、大衆の「・・・・って感じぃ~?」を吸い上げて、それを大衆の無知・誤解をいいことに、あたかも『輿論』として公開していたのだ。
言い方を変えれば、マスコミによる「・・・・って感じぃ~?」ロンダリング!?
大衆は、自分達のいい加減な「・・・・って感じぃ~?」が、マスコミを通して「世論」にされると、金科玉条のこどく感じてしまう。。。

そのインチキ「輿論」に、大衆はコロっと騙されていたんだね。また、大衆が知らない事は、それが常識で正しい事にされ、「犬が匂いで病気を診断・・・」なんて子供だましに騙される・・・・。まぁ、これなら可愛いけど、「・・・・って感じぃ~?」で、時の政治が左右される・・・・。


それで、思い出したんだけど、小学生だったか、中学生だったか、何かの授業で「世論」という漢字を読まなければならなくなって、私は「せろん」と読んだのだが、当時、クラスで一番成績の良かった子に、「それは“よろん”って読むんだよ」と言われ、みんなに笑われ恥ずかしいやらで、私にとっては強烈に印象に残っている単語なのだ。

その為、大人になって、日曜日のサンデープロジェクトを見るようになって(今は見てないんだけど)、司会の田原総一郎が「せろん」と言っているのを違和感を持って聞いていたりした。

だが、田原総一郎は知ってたのだ。だから「せろん」って使ってたんだね。間違っても大衆の意識調査に「よろん」って言葉は使えないって。


う~~~~ん、知らないってのは、恐ろしい・・・・。いまだに、私は、知らない事ばっかりだ・・・・。


p.s. ところで、GMが、米国政府お預かりになって、処分される予定だったブランド「ハマー」だけど、私は、絶対、インドか中国の企業が買収するって思ってた。案の定、今朝のニュースで中国の企業が買収すると発表された。ネットで検索すると、「騰中重工」(Tengzhong)って会社らしい。

最近の中国は年単位で凄くなってるっす!!いや、ほんと。子供には英語のほかに中国語も習わせたほうがいいかも!!(コレ、子を持つ父親の~~~って感じぃ~?)

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コミュニストはSEXがお上手?

20090601_communist1これは、旧東ドイツでの調査の結果を基にしてつくられた映画のタイトルだ。

このドキュメンタリーは、ドイツで放映されたのち山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され話題を呼んだもの。私は、つい最近、知ったのだが、、、、、


この映画によると、、、、、

敗戦により「女以外何もかも不足」していた東ドイツでは、労働者としての女性の社会進出が進んだ。一方帰還兵が多かった西ドイツでは、女性は社会労働を男たちに譲り、家庭に入ることを選んだ。

結果、東の女たちは経済的に自立し、ベッドでも主導権を握る。男にはテクニックの向上を堂々と求め、快楽としてのセックスを楽しむようになり、行きずりのSEXにも抵抗はない。そんな積極的な女性たちを満足させようとの向上心が功を奏したか、東ドイツの男たちのほうが、持ちモノが6mm長くなったという。

低容量ピルを服用する習慣が生まれる前の時代のこと。コトの結果として当然のこと、子供がたくさん生まれることになる。むろん、国力を上げねばならぬ敗戦後のこの時期、それは国家としても大歓迎だったろう。彼らは国営工場に保育園を併設、子育て世帯には住居を提供するなど手厚い政策的保護を与えた。フェミニストが泣いて喜ぶ理想郷だ。

とのこと。


20090601_communist2うーーむ、なるほどねぇ、、、、と思わず膝を打ってしまう!!(写真は集団Gスポット探し)

するってーと、北朝鮮の女性もSEXは上手で、北朝鮮の男性も韓国の男性のモノより大きい・・・・・。まして、草食系一色の日本人男性など、足元にも及ばないくらい。。。。。なのか???


漫画【加治隆介の議】の中で、加治隆介が浪人中(青臭い事ばっかり言ってるから落選した)韓国に遊びに行くエピソードがある。視察という名目で、秘書と二人で出かけるのだが、そこで、秘書が北朝鮮の女工作員に色仕掛けで騙され、加治隆介の命が危機に・・・って。

この女工作員は、バツグンの性技と描かれているのだが、工作員だから巧いのか、コミュニストだから巧いのか、、、、漫画を読んだ時には、訓練させられる女工作員を想像して、、、、、つい、、、、、だったが、もしかして、もともと、北朝鮮の女性はSEXか巧かったりして。。。。


なんて冗談は、ここまでにして、、、、だって、共産主義だからSEXが巧くなったわけじゃなく、戦後の東ドイツの「働き手が足りない」っていうお国の事情も考えなくっちゃならないし、娯楽が無く、やることが無いから、、、、、アレ、北朝鮮もやる事はないよなぁ・・・・・、誰かさんは、核兵器を作るんで忙しそうだけど、、、、、もしかしたら、ほんとに共産主義の女性はSEXが巧かったりして・・・・・。


さて、日本では“少子化”が問題になっており、その為に、税金を投入して“何か”やってるみたいだけど、どう考えても、まず、やることやんなきゃ生まれるものも生まれない。

建前論に終始するんじゃなくって、もっと、真正面から向き合って、本音でトークしなきゃダメなんじゃないの??

少なくとも、草食系男子を持て囃すようなテレビ番組や雑誌記事は、検閲により放送禁止、及び発売禁止。力強く、性欲絶倫こそが、男として魅力的なんだと奨励する番組や記事には報奨金を与えるようにして。。。。。。

インフルエンザでは、あれだけ強烈な検疫をやったんだから、この位は簡単な筈。


とにかく、現場をしらない人間が現場の事に首を突っ込みすぎるのが、そもそもの間違いじゃない!?

この「威嚇せず発砲は「違法」、県に賠償命令 横浜地裁」ってニュースも、アホな現場知らずの裁判官のアホな判決としか言いようもない。

ってゆーか、現場で『原告らは信号無視を繰り返し、パトカーに4回ほど衝突して逃走を試みた。
 パトカーから降りた巡査部長が拳銃を構えて「撃つぞ」と警告したものの、原告が車を停止させなかったため、拳銃を発射。弾は原告の右脇腹から左側の背中に貫通した。このけがが原因で原告は車いす生活となった。』

って、これ以上、警官に何をさせたいのだろう??待ってたら、ひき殺されてますぜ!

ここまで、自分の命も顧みず、職務を全うに果たした警官に、、、、、この判決は呆れてものが言えない。

でも、法律(建前)がそうなっているから、そう判断せざるを得なかったのかな??


漫画【加治隆介の議で、海賊に乗っ取られた再処理核燃料の輸送船に海上保安庁の保安官が単身乗り込み、海賊を討伐するというエピソードがあるのだが、後日、国会に証人として召喚される。そこで、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の議員に“揚げ足”を取られるのだが、この保安官が、論旨にキレて、テレビ中継されている中『国会議員がこれほど馬鹿だとは思わなかった。国民の命を救うために、自ら命を掛けて職務を全うしている人間を犯罪者扱いするなんて。現場では、食うか食われるかだ。のんびり、行為が適法かどうかなんて考えている余裕があると思ってるのか?私の行為は、誉められてこそ、貶されるものではないと思って、今日、国会まで来た。それが、どうだ・・・・』と叫ぶのだ。

加治隆介は、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の考え方は大嫌いだから、この議員が保安官にやり込められるのを、内心、溜飲を下げ、ほくそ笑んでいるのだが、私も、激しく同感した。

ところで、再処理核燃料の輸送船の護衛が、どうして海上保安庁なんだ?と疑問を感じた人!あなたの常識的感覚は正しい!!にもかかわらず、核燃料輸送船の護衛に海上自衛隊の軍艦じゃなくって、海上保安庁の船を護衛につけるのも、彼らが口うるさく自衛隊の行動を牽制するからなのだが・・・・・。

核燃料を積んだ船を軍隊が護衛しないのは、日本だけである。

多分、ドラマ「24」の製作スタッフも、まさか、こんな事だとは知らないだろうなぁ。これじゃ、ドラマにならない・・・・。


今の日本に、「何があっても武力行使はいけない」と主張する政党の考え方を肯定する人間がいること自体が、信じられないのだが、まぁ、これは置いといて、、、、

こんな頭でっかちの理想郷を追い求めている連中の“理想”が実現できれば、驚くべき事に少子化は改善するのかもしれない・・・・・。

ここん所は、まともな議員さんたちも、先入観を捨てよく話し合って欲しいもんだ。


的をはずした意味の無い議論を100回繰り返しても、実のある制度は作れない。的をはずした制度を実行しても、何も良くならない。

もっとも、こうすると、仕事は作り出せる。当事者達の雇用の心配はなくなるわけだが。。。。

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独思録・春秋・天声人語・編集手帳・余禄

盧武鉉 哀悼天然痘やバイオテロを想定したかのような仰々しい検疫やら、感染症対策にふりまわされた、ここ数週間、皆様、いかがお過ごしでしょうか??

役人の科学的な常識の欠乏を非難する声が一部にはありますが、実態は、もし、万が一、科学的常識の想定外の事態に陥った時、庶民の科学的知識の欠落が「どうして、万全を期さなかったんだ!」と怒りに変わる事を恐れての過剰な対応だと思うのですか、いかがでしょうか?

庶民に科学的常識があれば、「それは、仕方がないよ。誰にも想定できなかったよ」となる所だとは思うのですが・・・。

さらに、無責任なマスコミが視聴率アップ作戦で、大衆の危機感を煽る。時代は、変わっても、マスコミの体質は、変わらないですね。

ただ、大変、残念なのは、薬剤師会が「感染防止のため、マスクを着けよ」と職場宛に FAX してきた事です。彼らもまた、科学的な常識は欠落しているようです。まぁ、以前から気づいてはいましたが。


さて、本日の朝刊一面は、なんと言っても、北朝鮮の核実験です。あの、共産党や社民党ですら、厳しい態度で臨めといっているくらいですから、本物です。

テレビでは、解説者が「一部には、『日本も核武装して、強硬手段に・・』などとの声があるようですが、ここは冷静な判断を期待したいところです」なんて言ってますが、熟考しても、強硬手段には至らないことは、周知の事実です。

熟考しても強硬手段を採る選択肢は日本には存在しないのに、冷静ぶった態度は、出来レースをより一層白けさせるだけです。


【alfresa Pharmacy NEWS】での連載、『続きが楽しみである』と書いた村田病院 薬局長 久岡清子氏のコラムですが、No.100 号の第2回目では、『・・・で?』という感想です。服薬コンプライアンスや患者さんの薬の保管方法、患者さんとのコミュニケーションを取り上げているのですが、薬局の薬剤師には当たり前のことで新鮮味に掛けます。病院の薬剤師向けのコラムだったのでしょうか?

プシュケを引き合いに出して、患者の教育だ!との勢いは、次回以降の持ち越しなのでしょう。期待しています。


昨日、仕事が終わって帰り支度をしている時、休憩室のテレビから『今、銀座のクラブが危ない』とレポート番組が流れていました。1晩で400万円も売り上げていた美人ママのいる高級クラブですが、最近では1晩に70万円そこそこなのだそうです。

レポートでは、美人ママがホステスの再教育に大忙しです。ママの考えでは、接客態度こそがお客さんを取り戻す全てであるとの事。そのママが接客態度に「?疑問符」を付けているホステスさんがいました。

そのホステスさんは、場を盛り上げるために冗談を言ったりして、笑いを誘う事は得意なのですが、恋人どうしの様な雰囲気をつくったり、まじめな話が苦手なのです。

クラブに通い金を出す男性にとって、一番大切なのは、擬似恋愛やドキドキ感、非日常感だと、この美人ママは考えているのです。

---全く、その通り---

私は、唸ってしまいました。

その時、ふと思い出したのが、眼窩皮質症候群です。

ママの疑問符を付けたホステスさんは、軽薄な冗談好き。

陽気で「ふざけ症」との別名を持つこの疾患は、駄洒落を連発するのだそうです。前頭葉が司る、節度、思慮深さ、抑制が破壊されているために、患者は、周囲にも自分自身にも文字通り全てのもの、人間、感覚、言葉、考え、感情、ニュアンスや雰囲気に、間髪をいれず軽薄な反応をします。

れっきとした病気なのですが、最近、このタイプの人間を良く見かけるような気がします。私の嫌悪するタイプの人間ですが・・・。


独身時代、バブル絶頂の華やかな頃、私も製薬メーカー勤務の友人と、彼らの接待交際費を使って、六本木のクラブに通っていた事があります。自分のお金もかなり使いましたが。

その頃は、まだキャバクラなる業態が無い時代で、ホステスさんとの擬似恋愛にドキドキしながら通っていたものでした。そうこうするうちに、クラブが時間単位のキャバクラに取って代わられ、席に着くなり「時間、無いんだから楽しもうよぉ」の掛け声で、ビールの一気飲みさせられたり、くだらない冗談でワハワハ笑う事しかなくなったため、私の足は遠のきました。

ふと、軽薄な冗談と空気のような意味の無い単語を連発する姿と眼窩皮質症候群が、私の脳の中で結びつきました。

私は、実際には眼窩皮質症候群を見た事はありません。それどころか、この疾患を知ったのは、オリバー・サックス著『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』の中でです。

だから、安易に、この軽薄なホステスさんと眼窩皮質症候群とが結びついてしまったのですが、軽薄な人が、病気だというのではありませんから、誤解なきようお願いします。


私より2歳年下の美人ママさんの高級クラブに、私なんぞが行けるはずもありませんが、その鋭い男心の分析にどのような経験を経て至ったのか、じっくりと語らいたいなぁなんて、禁断の思いを馳せてしまいました。
 
 
 
さて、本日は、いつもとは違う、丁寧な言葉を使って書いてみました。が、前半の批判的な文章は、厳しい言葉より、かえって迫力があるなぁなんて感じてしまいました。

しかし、この書き方は、、、、疲れます。次回以降は、またぞんざいで横柄な文体に戻すつもりです。

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天使と悪魔

20090522_angels_and_demons昨日、妻と娘と、天使と悪魔を観て来た。

娘は学校、妻は仕事が終わってから出かけたので、6:05pm からの上映を観る事になってしまったのだが、、、妻は子供の教育上、夜更かしは厳禁だと信じて疑わない人なので、映画から帰ってきたらすぐさま寝かしつけるために、私は映画に行く前に娘をお風呂に入れて(小学1年生)から出かけるハメになったのだった。


夜更かしは、良くない!  人間、やっぱり早寝早起きが一番!!って思っている人は多い。

それに、朝型の人の方が夜型の人より“優れている”と思っている。

しかし、最新の研究では、睡眠を制限するという負荷をかけた時、夜型の人の方が耐性、すなわち、注意に関連する脳領域の活性が落ちないことが判明した。

多分、『学校のテストや入学試験は午前中にあるから、朝型に切り替えろ』という学力試験対応戦略が、朝方が優秀という誤認識に至ったのだろう。一事が万事ってことんなだろうな。

早起きと夜更かしの比較(Early Birds and Night Owls)

Science April 24 2009, Vol.323

一日を通してみると、認識能力は日周プロセスと恒常的な睡眠欲求の混ざった影響下にある。

朝が最高潮の人から夕方が最高潮の人まで様々なタイプの中から朝型と夜型の両極端の被験者を使い、Schmidt たち(p. 516) は、10時間以上覚醒状態に置いた場合、朝型の人は夜型の人に比べ注意に関連する脳領域の活性が落ちることを見出した。

更に、朝型の人は、より眠気をもよおし、注意を要する課題の効率が遅くなる傾向がある。

適当な時間にバランスよく眠ることが毎日の行動パターンを制御する上で重要であると思われる。

Homeostatic Sleep Pressure and Responses to Sustained Attention in the Suprachiasmatic Area
p. 516-519.


思い込みっていうのは、恐ろしい。

思い込みが恐ろしいといえば、何か事が起きた時、人は、それに対応するべく“脳を使う”わけだが、ここでも、人によって使う脳領域が違うことが明らかになった。

使う脳領域が違うんだから、その結果である“行動”に差が出るのは仕方がない。

いろいろゲームをする(Playing More Games)

Science April 24 2009, Vol.323

戦略的意思決定や社会的選好の根底にある神経メカニズムは、実験的な「ゲーム」によって解き明かすことができる。

2者によるゲームのうちの支配可解(dominance solvable;一歩一歩慎重なる推論により解いていく)ゲームでは、採用するのが最適な1つのやり方であるユニークな戦略が出現する。

というのも、そのやり方は相手方が何をするかによって打ち負かされることがないのである。

別のクラスのゲーム(coordination game;直感により解いていく)では、唯一の解というものはなく、最適な戦略はプレイヤー同士が互いに協調することを必要とする。

それは、明示的情報交換がないという条件下で、「心を合わせること」が生じるということである。

Kuoたちは、これら2つの種類のゲームを行っている被験者たちの神経画像化処理を主導し、従来慎重かつ努力の必要な推論に付随しているとされてきた脳領域が、支配可解ゲームの際に活性化し、一方、協調ゲームの際には、社会的プロセシングに結び付く別の脳領域が中心となって作用しているということを発見した(p. 519)。

Intuition and Deliberation: Two Systems for Strategizing in the Brain
p. 519-522.


例えば、今、大騒ぎしているインフルエンザ対応も、人によってかなりの差がある。

この論文に当てはめてみると、インフルエンザに対する知識がある人は、支配可解ゲームで使う脳の領域で考え、知識が無い人は coordination game で使用する脳の領域で考える、すなわち、自分にとって危険かどうかを直感で判断する・・・っゆー感じだと思うんだけど。

直感で判断する人達にとって、その時に流行っているインフルエンザウイルスが危険なものかどうかを判断するより、周りの人はどう対応しているのかの比重が高いんだろう。

っていうか、マスコミによって、インフルエンザウイルスのビルレンス(病原性)の強弱以外に、ナンセンスな余計な情報がもたらされ過ぎて正常な判断力が削がれ、「こんなに報道されるんだから、なんか、ヤバイんじゃないの」って思い込まされた結果として見るべきなのかもしれないが。※注

しかし、『明示的情報交換がないという条件下で、「心を合わせること」・・・』っていうのが、皆でマスクするっていう現象と似ていて、、、、、、怖い。


このように、ある出来事に、脳のどの辺を使うのか?って事は、天使と悪魔で語られる科学と宗教、宗教をどのように捉えるのか?って事にも繋がっているんじゃ?ってふと、思ってしまったのだ。


余談になるが、映画からの帰り道、車のラジオからは東京での発症例をネタにしたトーク番組が流れていた。コメンテーターは、とある医師(女性)の方。番組ナビゲーターの質問も突飛なら、それに答える医師の回答も免疫学を知っているのか?と言えるほど、お粗末なものだった。。。。だが、免疫学を知らなければ、十分、納得させられるほど、話の進め方はロジカルではあったのだが、、、


結局、問題なのは、医学の未熟さで、映画・天使と悪魔の中で語られる『・・・宗教も過ちを犯す。だが、それは人間の未熟さゆえ・・・』というものと同レベル・・・・・って感じてしまった。

そもそも、インフルエンザの病原性を問題にする時、医学は人間の個体差を加味しなければならないから、個人的な予見、確定的な事は、何一ついえなくなる。“決定打”として語る為には、100人居たら、100通りの説明が必要になるわけだ。。。。

しかし、現実には、そんな医学的な研究は不可能。

あらましの人にとって“弱毒”であっても、その機序はどうであれ、不幸の転機を辿った人、その家族にとっては、“弱毒”ではないわけだ。そういう人は、なににすがるかと言えば、、、、、


寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」によれば、関東大震災でのデマから日本人が在日朝鮮人を虐殺してしまったことに対して、寺田寅彦は、科学的な考察をすれば、井戸に毒を入れて放火するなんて事が、簡単に出来ないことなどすぐにわかりそうなものなのに・・・と痛烈に、当時の庶民の科学的な常識の欠乏を嘆いている。

著者は、「そうはいっても、非常時に常識的な考え方をせよっていうのも酷なんじゃ?」と書いている。まぁ、それはそれで言えてる。が、それはいいとして、

物理の真理は、万人にとって、一つだ。E=MC^2 は人によってまちまち・・・なんてことはない。間違っちゃいない。だが、、、、

医学は、極論は、個人の数だけ真理がある。

問題を、医学的に切るのは、、、、いつまでたっても、無理なんだろうなぁ。そもそも、医学は科学にはなりえない・・・・。

私は、リチャード・ドーキンスの事を崇拝している・・・・・・が、ドーキンスが宗教を忌み嫌っているのだけは、同調できない。ジェイ・クールドにこそ同調出来る。

やっぱ、宗教は必要だと思うよ!  神の存在を信じるとか信じないとかいう話じゃなくって。


マスクをすることで、本人の気持ちが“不安”から免れるなら、科学的な根拠は“ゼロ”でも、それにすがる、、、宗教と同じ扱いでいいのかもしれない。。。。

というより、現代の医学は、見方によれば、患者の気持ちを癒す宗教の一つとも見なせるのだからね。

でも、ひとつだけ、やめて欲しいのは、「お前も、マスクしろっ!!」とても言いたげに、人を睨みつけるような行為や発言、自分の信念を他人に強要する事だ。

思い込みは、いいんだけど、こうなると、恐ろしい。


※注:季節性インフルエンザの感染力だって毎年変わる。なのに基準を提示せず、新型は感染力が強い・・・・とか、非科学的な事、言ってるよね。。。ジャイアント馬場は強いって言うのと似てるよ・・・苦笑。それに、感染力と病原性を混同しているふしも見られる!?

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インフルエンザ狂騒

20090517_gene人伝に聞いたところによると、もし、東京でも新型インフルエンザの発症例が見つかったら、学校関連の体育大会は全て中止にするという通達が文科省から出ているとか!


・・・・・もしかしたら、夏の甲子園大会は中止になるかも・・・という訳だ。


弱毒性だってアナウンスがあったにもかかわらず、大騒ぎしているマスコミは、ネタにして盛り上げるだけ盛り上げて、高校球児の夢を奪って後は、そ知らぬ顔・・・・なんだろうなぁ。

厚労省にしても、弱毒性とアナウンスするまで、モタモタ、、、、、情報収集といいながら、、、、って、役人の情報収集は、何もしないこと・・・・だからしょうがないかっ!

で、一般大衆は、、、、マスコミの“ネタ”に簡単に騙されて、パニック・・・・になっちゃう。

マスクがインフルエンザの感染予防になるエビデンスは世界中を探しても何処にもないのに、マスクを欲しがる人が後を絶たず・・だもんなぁ。

マスクは感染者がウイルスを撒き散らすのを、少しは防げる程度、、、、という事を正しく理解して着用している人はどれ位いるのか??

正しく理解して着用している人の形だけを真似る人が多くなれば、それをマスコミがカメラに収め、、、、恣意的に利用する。つまり、マスコミは、映像に映っているマスク着用者の着用理由の統計を出さず、マスクの効用を正しく伝えず、ただ、意味ありげに映像だけを流すわけだ。

映像の前では、コメンテーターやら“先生”と呼ばれる人物、はたまた“医学博士”が登場し、番組の方針通りに“解説”させられる。大衆は勝手に“感染予防になるんだ”と解釈。我先に薬局やコンビニに買いに走る。。。って流れなんだろうなぁ。


今回の騒動ではっきりしたのは、マスコミの影響力と役人の“責任逃れ”って事なんだろう。

マスコミの影響力はほんと凄い!天下を取っているよ!誰もかなわない!!!!!そして、役人の仕事に於けるプライオリティはやっぱり“責任逃れ”としか思えない。

かなり早い段階で、新型インフルエンザは“弱毒性”だと言われていた。何故、日本の政府・厚労省は、今の今まで発表出来なかったのか???

まぁ、なんにしても、これから気温が上がる。インフルエンザウイルスの感染力は落ちる


マスクを大量に買い込んだ人には気の毒だが、使い切る前に、流行は収まる。これと連動してマスコミも“ネタ”にしなくなる。結局、踊らされた大衆が馬鹿をみる。。。


でも、、日本人って、どうしてこんなに単純なんだろう??騙されやすいんだろう???馬鹿なんだろう?????行動を同期させたがるんだろう?????※1


まぁ、なんにしても、大衆が騒がなければ、役人は萎縮せず過剰反応せず仕事をするだろうし、マスコミはネタにしなくなるんだろうから、高校球児に野球をやらせてあげたかったら、また、自分達も高校野球をみたければ、弱毒性のインフルエンザごときで、大騒ぎしないほうがいいんじゃないかな。

結局、日本の大衆には、正しい知識より、『インフルエンザで騒ぐと高校野球・甲子園大会が無くなるぞ』って、やる方が効果的なんだろうなぁ・・・・・。


※1:関東大震災の時に、デマにより数多くの朝鮮人が日本人になぶり殺しにされたが、こういう一面を垣間見た気がした。。。kmoto さんによれば、関西では、マスクをしていないと白い目で見られるんだとか。。。。日本人の“他人と同じでないと不安”“自分と同じ価値観じゃないと不満”という気質は集団になると恐ろしい・・・馬鹿の一言では片付けられない。。。。

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喫煙者に朗報!

20090515_smokingサブタイトルは「遺伝子多型をわかりやすくっ!」。。。


遺伝子多型って、その意味するところは、わかる人にはわかるんだけど、わからない人にはちっともわからないって言葉の代表なんじゃないかと思っている。

で、これを“体質”とか“個人差”という日本語に置き換えると、とたんに“眉唾”っぽくなり、なんだか“適当にごまかして”いる印象を与えかねないので、説明するのにも歯がゆい思いをしていた。

誰でも理解できる表現形が、遺伝子の生命現象に及ぼす影響とリンクしていれば、話は簡単なんだけどなぁ・・・・と。

と、思っていたところ、東京大学の中村祐輔教授と松田浩一助教がやってくれました!!

お酒の“強い・弱い”って、誰でも知ってるし、経験もしていると思う。

こんな単純な“判定方法”で、タバコが「自分にとって危険かそうじゃないか」がわかるようになったんだから、これは、とっても、素晴らしい。

ただ、チトクロームP450によるミクロソーム-エタノール酸化系による代謝(MEOS)が誘導されていて、ある程度“飲める”ようになってしまった人(酒に強くなった人)が、勘違いする“危険”はあるにせよっ!!!!!だっ。

お酒弱いのに飲酒・喫煙、食道がんのリスクは190倍


2009年5月14日 提供:読売新聞


 顔がすぐに赤くなるお酒に弱い体質の人が飲酒と喫煙をすると、食道がんになるリスクが、飲酒も喫煙もしない人に比べ、最大190倍も高くなることが、東京大学の中村祐輔教授と松田浩一助教の研究でわかった。

 同じ体質の人でも、飲酒・喫煙をしないと、リスクは7倍程度に下がった。体質を理解して生活習慣に気を配ることで、予防したり、早期発見したりできると期待される。

 研究チームは、食道がんの患者1070人と健常者2832人で、約55万か所の遺伝情報の違いを比較。発がん性が指摘されているアセトアルデヒドをアルコールから作る酵素と、アセトアルデヒドを分解する酵素の二つが、食道がんのリスクに関連していることを突き止めた。

 アセトアルデヒドはお酒で気分が悪くなる原因物質で、たばこの煙にも含まれる。顔が赤くなるのは、アセトアルデヒドの分解能力が弱いためで、日本人の4割がこのタイプ。アセトアルデヒドを作る働きが弱いと、気分が悪くなる前に、ついつい余分に飲んでアセトアルデヒドが増える。

 飲酒・喫煙の影響についても調べたところ、お酒に弱く二つの酵素の働きが弱い人が、1日缶ビール1本以上の飲酒と喫煙をすると、相乗効果が働き、お酒に強く飲酒・喫煙をしない人に比べ、食道がんのリスクが190倍も高くなっていた。


近年、喫煙者は肩身が狭い。

まるで、喫煙自体が“悪”であるかのごとくの扱いだ。喫煙者を見る目が『タバコの害も知らない無知・無教養めっ』て雰囲気もある。

しかし、100歳を越えた老人が美味そうにタバコを“呑んで”いる映像をみれば一目瞭然なように、100人中100人にとって“害”があるわけじゃない。

タバコが毒になる体質の人だけに、『健康を害する』という事が言えるのだ。

だが、今まで、『じゃ、どんな人が“タバコで被害を受ける”んだよ?』の問いに答えてはこれなかった。それが、昨日からは、『あんた、お酒は強いのかい?』と聞けばよい。


---めでたし、めでたし---


って、バカっ!!

こんな事を言いたいんじゃない!!この記事をエントリーのネタにした意図は、こんな所にあるのではない。

タバコを吸っている人を、十把一絡げで、非難している風潮が問題なのだ。

喫煙者が肩身の狭い思いをしている原因は、一部の喫煙マナーの悪い人間が原因の筈だ。

だが、どういうわけか、日本人の習性として(マスコミでは顕著だが)、マナーの悪いヤツが少数の人間だと、(尚且つ国民や庶民といったレベルの人間だとてき面に、)その人に対して“強く”言えなくなっちゃう。個人攻撃は野蛮だ、(弱者の)言われる身にもなってみろ・・・・みたいな感じでさっ。
これが総理大臣や有名人なら、どんな些細なことでも、大問題にして個人攻撃をするくせに・・・ねっ。

1億数千万人、みんな“いい子ちゃん”になりたい症候群かよっ!?って感じだよなっ!!

キモイったらありゃしない。

でも、ホントは、個人攻撃される側の気持ちなんて考えている訳なくって、マナーの悪いやつを吊るし上げるべきところをやらないのは、勇気がないだけなんたよネ。逆ギレされたら怖いし・・・って。いきおい、マナー良くタバコを吸っている数多くの人を含めて対象にして、安全に“息巻く”事になっちゃう。

自分の身を安全なところに置いといて、それで“吼える”なんざぁ、かっこ悪いったらありゃしないよな。


私なんぞ、歩きながら吸っているタバコを目の前でポイってやるやつを見ると、後ろからバットで頭を殴りたくなる。(タバコのポイ捨ては軽犯罪だよなぁ?私のような一般人が現行犯逮捕してもいいのかねぇ?)

マジ、むかつくもんね!こういうヤツ。

でも、手を出したら、自分の手が後ろで“お縄”になっちゃう。

こんなIQ低い(歩きタバコでポイするヤツはIQは低いんじゃないの)ヤツに関わって、自分の人生、棒に振りたくはねぇから、やらないけどさぁ!


オイっ!タバコポイ捨てしているヤツらっ!

お前ら、後ろから睨まれて、殴りたいって思われていることを肝に銘じておけ!

そして、ポイ捨てしながら安全に暮らせてんのは(後ろから殴られないですんでるのは)、バカにかかわってババ引きたくないって思うからなんだぞ!!そこんとこ、良く、覚えて置けよっ!!
 
 
 
って、思いっきり、脱線してしまったが、実は、ここに腹黒い“思惑”を感じるからエントリーしたのだ。

十把一絡げで、喫煙を悪者にするのは、禁煙産業(医療機関も含めて)にとって、“売り上げ貢献”のなにものでもないから・・・・って言うことを感じるからなのだ。

タバコによって健康を害するから、喫煙者の皆さん、病院に行って禁煙しましょう!!

って言えば、喫煙者が全員、お客さんになる。

ところが、喫煙が健康を害することは、これこれこういう遺伝子を持った人、こういう体質の人・・・・って事になっちゃうと、大義名分(健康でいること)が効かなくなっちゃう。

で、やがて訪れるであろう、こういう時代をにらんで、十把一絡げで“悪印象”を植え付けとけって意図を感じてしまうのだ。

十把一絡げで、メタボを病院送りにしようとしているのと同じだ。

やがて訪れる、『こういう体質の人は、太っていたらイカンよっ』って時代に、売り上げを減らさない為に。

繰り返し、繰り返し声に出していると、間違ったことでも正しくなっちゃうからね。これを狙っているんだよな、ヤツらは。
 
 
 
さて、マスコミや禁煙産業関係者が、タバコの害と遺伝子多型をどの程度、重要視して取り上げるか・・・・・、楽しみである。

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alfresa Pharmacy NEWS

アルフレッサさんが持ってきてくれる小冊子は、何故か、いつも目を通してしまう。他の、、は、、、、、ゴメン。

コレ、仕事の片手間に読むのにちょうどいいボリュームなのかもしれない。

今回、No.99 2009.5-1 号の村田病院 薬局長 久岡清子氏のコラムに、『・・・・・私はギリシャ神話のお姫様のように種分けしながら持参薬の報告書を作成しました。・・・・・』とあるのを、見逃さなかった。

この時、ギリシャ神話通(自称)である私の“脳”はフル回転したのだ。

3秒後、「ああっ、プシュケの事だな!ふふふ」と。

というわけで、何のことか、わからない人に解説をしておきましょう。

【エロスとプシュケ】のエピソードは、2世紀中頃にローマの詩人によって付け加えられた物語だといわれている。。。。。

ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシュケは、美しさは美の女神アフロディテへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。人間の女に負けることなど思いもよらなかったアフロディテは、息子エロスにその愛の弓矢を使ってプシュケに恐ろしい恋、すなわち「驢馬のような醜い男をプシケが愛するようにしむけろ」と命じる。悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従うが、誤って自分をも傷つけプシュケへの愛の虜となってしまう。(ちなみに、エロスってのは、英語名キューピッドのことだ)

「んじゃこの金の矢を醜男にっと、あ痛てっ!いけねぇ弓刺さっ・・・なんと美しい女性!」

と、ちょっと間抜けなエロスなのであった。

フランソワ=エドゥアール・ピコ (1786-1868)《アモルとプシュケ》(1817)ルーブル美術館蔵この後、エロスはプシュケを自分の神殿に連れ込んで・・・・・となるのだが、神と人間の間には犯してはいけないしきたりがある為、エロスは自分が神であることを悟られないように夜這い同然の行動をとる。(絵は、夜這いの情事の後、逃げるようにプシュケの元を去るエロス。フランソワ=エドゥアール・ピコ)

この後、先に嫁いでいた二人の姉は、自分達より美しい妹が、一体どんな男と一緒になったのか知りたくて、その神殿まで、足を運ぶのだが・・・・・その男が絶世の美男子である事に嫉妬心がメラメラと沸き起こり、妹に入れ知恵をするのだ。

実は、美しすぎて貰い手がなかったプシュケの将来について、父親である王がアポロンの信託を仰いだところ、「彼女は人でないモノと結婚する運命にあるから」と言われ、泣く泣く神託にあった場所に花嫁衣装のプシュケを連れて行ったのだ。

そこは目も眩むような崖で、プシュケは信託を悲観して飛び降りたのだが、神々の一人である西風のゼピュロスがプシュケをエロスの神殿に運んでくれたのだ。そこに、夜になると暗闇に隠れ、姿を隠したエロスが通ってきて、、、、と、思いもよらぬ展開にプシュケも怖いながらに何となく幸せを感じることになった。

で、この辺りで自分のことを心配してくれていると思っていた(実はやっかみと興味しんしんだった)姉達を神殿に呼んだら、、、、、って。

姉達の入れ知恵は、「姿を見せないのには、何か悪い秘密がある」「お前は、騙されている」「姿を見なきゃいけないよ」と。

プシュケは姉達の口車に乗ってしまい、情事の後、寝入っているエロスの姿を蝋燭の炎に照らして見てしまうのだ。そのエロスのあまりの美しさに思わず手が震え、溶けた蝋がエロスにポタリ・・・・・。

目覚めたエロスは悲しい顔をし、プシュケの元を去る。

ちなみに、この憎たらしい姉達は、プシュケと別れたエロスの妻になろうと、同じ崖から飛び降りるのだが、今度は西風のゼピュロスはその体を受け止めてはくれず、転落死・・・。

さて、途方にくれるプシュケは、世界中をさまよいエロスを探し続けたが、見つけることが出来ず、ついにはアフロディテをたずねた。しかしアフロディテにとっては、プシュケの美貌とその虜になってしまった自分の息子のことで、とても協力する気にはなれなかったのだが意地悪心がもたげてきて・・・・・。

そこでアフロディテは試練と称してプシュケをいびり始めたのだ。完遂したら逢わせてあげる・・・と。

試練は、、、
1.入り混じった穀物の山を1日で種類別に分ける
2.凶暴な羊から金色の毛皮を刈り取る
3.生命の泉から水を汲む
であった。

実は、この時、陰なから(アフロディテに見つかるとやばい)プシュケを助けるものがあったのだが、それが、蟻、葦、鷲だ。

 アリ=穀物を分けた
 アシ=強暴な羊の毛を絡ませることで集めた
 ワシ=竜の居る川から水をすくった

そして最後は、冥界の王妃ペルセポネから“美の箱”をもらってくるというものだった。
生きたまま冥界へ赴くというのも、生きた人間には助けなしには出来ないわけだが、ここでもプシュケを慕うものに助けられ、どうにかその試練を達成する。

その帰り道、プシュケは湖に映った自分のやつれた顔に驚き、その“美の箱”とやらを、『みちゃダメだよ』って言われてんだからやめときゃいいのに好奇心も手伝って開けてしまい、とたんに眠ってしまう。それは実は“眠りの箱”だったのだ。

フランソワ・ジェラール【アモールとプシュケ】そこへ偶然通りかかったエロスは、健気で純粋な彼女のことを見て愛おしく思い、彼女をオリュンポスへ連れて行き、ゼウスにアフロディテとの仲裁を求めた。さすがのアフロディテもプシュケの一途さを認め、2人は正式に結婚することを許された。プシュケは神の酒ネクタルを飲んで不死身になり、エロスと一生幸せに暮らしたという。(プシュケとエロスといえばこの絵 フランソワ・ジェラール)

薬局長 久岡清子氏の『私はギリシャ神話のお姫様のように種分けしながら』というのは、アフロディテのプシュケに対する1番目の試練の事なのだ。

氏は、患者さんが持参した“入り混じった穀物の山”のような薬をより分けていたのだ。。。。(助けてくれた“アリ”さんはいたの?)

なんとも、他人事ではないシチュエーションにシンパシーを感じてしまい・・・と。

で、ギリシャ神話のプシュケは、アフロディテにさんざん虐められたが、最後にはエロスの愛を勝ち取って、正妻として迎えられ幸せになった・・・・・・わけだが、久岡清子氏は、さんざんアフロディテ(薬を正確に飲めない患者)に虐められ、この後、どうなるのだろうか??

正確に飲めるように、さんざん知恵を絞り、手を尽くしたのに、飲めてない・・・・ならば、入院中に飲めるように教育しちゃえ・・・と、氏は「エリート患者養成講座」なるコラムで、自身の奮闘記を執筆しているのだが、続きが楽しみである。。。。

エロスの愛を勝ち取って、幸せになれるのだろうか??


※【エロスとプシュケ】のエピソードは、うろ覚えなのと思い込みで、自分でストーリーを作ってしまったところもあるのかもしれない。後で、ネットで調べてみたら、なんか微妙に違う・・・・・ココなどのほうが、詳しくて正確だと思う。

リンクが切れるかもしれないので、引用しておきます。

エロスとプシュケ

 ある王様には、三人の娘がありました。上のふたりの娘もきれいでしたが、末娘のプシュケの美しさは、なんといいあらわしてよいかわからないほど。たいへんな評判でしたから、となり国の人々までが、その姿を見ようと、大勢おしかけてくるほどです。ちょうど美の神アプロディーテでも拝むように、この娘を崇拝しました。
 しかし、人間の娘が、まるで神様のように崇められているのを見て、美の神アプロディーテは、たいそう腹をたてました。
「わたくしが人間のむすめに負けてよいものか。それでは、あのゼウスの羊飼い(パリスの事)が、わたしを一番美しいときめたことが、なんにもならなくなる。しかし、あんな娘に、わたしの名誉をうばわせはしない。今に、あの娘に後悔させてやる。」
 そこでアプロディテは、息子のエロスをよびました。そして、色々な不平をいって聞かせたのです。
「いい子だから、あの思いあがった女を罰しておやり。おかあさんの面目を、まるつぶれにしたのだから。」
 エロスは、母親の言いつけ通り、急いでプシュケの部屋へ出かけてゆきました。プシュケはちょうど眠っているところ。その姿を見ると、エロスも、ちょっと可愛そうになりましたが、とにかく、不運になる水を二、三滴プシュケの上にたらしました。そのとき、プシュケは目をさまし、エロスのほうを見ました。(けれど、エロスの姿は見えないようになっていました)エロスは、はっとして、あわてたはずみに、自分の矢で傷をしてしまいます。すると急に、自分のしたことを取り消したくてたまらなくなってしまい、今度はプシュケに、喜びをもたらす水をそそぎかけたのでした。

 それからというもの、プシュケはアプロディーテの機嫌を損じてしまったので、いくら美しくても、ちっとも幸せになれませんでした。人々はプシュケの姿に見とれ、その美しさをほめましたが、それにもかかわらず、だれひとりプシュケに結婚を申し込む人はいません。ふたりの姉たちは、とっくに、りっぱな王子と結婚していましたが、プシュケだけは、ひとり淋しく自分の部屋にすわって、みんなが自分の美しさを、ほめてはくれるものの、だれも自分を愛してはくれないことを、悲しく思っていました。
 プシュケの両親は、これは神々のお怒りにふれたのかも知れないと思い、信託をうかがいました。
「あの娘は、人間の花嫁にはならぬ運命をもっている。山の頂へつれてゆき、捧げるのだ。」
 おそろしい信託を聞いて、人々はみんなびっくしてしました。とくに両親は悲しみました。けれどプシュケは言いました。「おとうさまも、おかあさまも、お悲しみにならないで。わたしは運命にしたがいましょう。不幸な運命が待っているという、その山の上に連れていってくださいませ。」
そこで、花嫁の支度をととのえ、プシュケをだしてやることになったのです。プシュケは、泣き悲しむ人々に見送られて、両親たちといっしょに、山へ登りました。人々は、その山のてっぺんに、プシュケをただひとり残して悲しい思いで家に帰ってゆきました。

 プシュケは恐ろしさに胸をドキドキさせながら、山の上に立っていました。すると、ゼピュロス(西風の神)がプシュケをそっと抱きあげ、ふわりふわりと運んでいって、花の咲いている谷間へおろしてくれました。そばには、りっぱな宮殿がありました。プシュケは御殿の美しさに心をひかれて、思いきってはいって見ました。目にふれるものは、何もかも、おどろくばかりのみごとなものです。壁には、狩りの獲物だの、田舎の景色などの絵が飾られていて、見る人の目を楽しませてくれました。
 そんなものに見とれていると、人の姿は見えないのに、どこからともなく声が聞こえて、こう言いました。
「女王さま、ここにある物は、すべてあなた様の物でございます。いま声をお聞きのわたくしどもは、あなた様の召使いでございます。なんなりと仰せください。ご用をいたしますので。」
 プシュケは、ここで暮らしはじめたのでした。
 ですが、プシュケは、自分の夫の姿を、まだ一度も見たことがありませんでした。その人は、夜だけいて、夜の明けないうちにいってしまうのです。けれど、優しい言葉で、いたわってくれるので、プシュケも慕わしく思っていました。プシュケはときどき、どうか帰らないで、お姿を見せくださいと頼んでみました。けれど、いつも夫は言うのです。
「なぜ、わたしを見たいのだ。わたしの愛情に、疑いでもあるのか。それとも、なにか満足しないことでもあるのか。おまえがわたしを見たら、たぶんわたしを恐れたり、崇拝したりするだろうが、わたしはおまえに愛してもらいたいのだ。わたしは神としてあがめられるより、人間として愛してもらいたいのだ。」
 こういって聞かせらましたので、しばらくはプシュケも心がしずまりました。そして、楽しく過ごしていました。けれど、自分がこうしていることを、おとうさん、おかあさんはご存じないのだ、などど考え始めました。そう思うと、気が重くなってしまいます。
 そこである晩、プシュケは夫に、姉たちを宮殿によぶことをお願いしたのでした。

 プシュケは西風の神に、姉たちを、プシュケのいる谷に連れてきてもらいました。姉たちとプシュケは、たがいに抱きあって喜びました。
「さあ、ごいっしょに家へまいりましょう。いろいろ、ごちそういたしますよ。」
そう言って、プシュケは姉さんたちを、自分の御殿へつれてゆきました。そこで、沢山の声の召使いに案内され、ふたりの姉さんたちは、おふろに入ったり、ごちそうを食べたり、宝物を見せてもらったりしました。この天国ような暮らしを見て、姉さんたちは、妹が自分たちより贅沢な、りっぱな暮らしをしていることを、ねたましく思ったのです。
 ふたりは、いろんなことをたずねました。夫がどんな人か、ということもたずねました。プシュケは、夫は美しい、若い人で、たいてい昼間は山へ狩りにいっている、と答えましたが、お姉さんたちは、それだけの答えでは納得しないで、プシュケから、まだ夫の姿を見たことがないことを白状させたのです。お姉さんたちは、それを知ると
「あなたの夫は、大ヘビに違いない。おなたをしばらく美味しいもので養っておいてから、いずれ食べてしまうつもりよ。だから、こうなさい。明かりとナイフを用意して隠しておくの。そして、その人が眠ってしまったら、明かりを取りだし、よく見るといいわ。もし大ヘビだったら、すぐに頭を切り落してしまいなさい。そうすれば、あなたは助かるんだから。」
 プシュケは、なかなか聞きいれませんでしたが、やはり、お姉さんたちの言ったことが気になりました。それに、自分の好奇心も手つだって、もう我慢ができなくなってきました。そこで、あかりとナイフを用意して隠しておきました。そして夫が寝ついてしまうと、プシュケはそっと起きあがって、あかりを取りだしたのです。そこに照らしだされたのは、おそろしい化け物どころか、神神でも一ばん美しく、愛らしい、愛の神のエロスでした。プシュケは、嬉しくなって、その寝顔をもっとよく見ようと、明かりを近づけました。そのとき、あつい油が一滴、エロスの肩の上に落ちました。エロスは、それに驚いて、一言もいわずに、白いつばさをひろげると、窓から飛びだしていきました。プシュケもついていこうとしましたが、窓から地面に落ちてしまいました。プシュケが土ほこりの中に倒れているのを見ると、飛び去ろうとしていたエロスは、ちょっと飛ぶのをやめて
「おろかなプシュケよ。おまえは、わたしの愛に、こんな事をしてくれたのか。わたしは母の命令にそむいてまで、おまえを妻にしたのに、そのわたしを化け物だと思って、首を切る気かい。もう姉さんたちの所に帰るがいい。おまえには、あの人たちの言葉の方が、わたしの言葉より大事なのだから。わたしはおまえを罰しはしないが、永久にお別れだ。疑いのやどる心に、愛は住むことができない。」
こういうと、エロスは飛んでいってしまいました。とり残されたプシュケは、地面にたおれたまま、なげき悲しみました。

 すこし落ちついて、あたりを見まわすと、御殿は消えてしまって、自分は、姉さんたちの住んでいる町の近くの野原に座っていました。姉さんたちは、それをきいて気のどくそうな顔をしましたが、心のなかでは喜んでいました。
 それからプシュケは夜も昼もさまよい歩いて、食べず、眠らずに、夫をさがしつづけたのです。ふと目をあげると、高い山の頂に、りっぱな神殿が立っています。プシュケは
「もしかしたら、わたしの夫は、あそこにいるかも知れない。」
といって、そこへ行ってみました。
 神殿にはいると、山のように沢山の小麦がちらかっていました。穂をもいだもの、たばねたもの、大麦もまじっています。そして、カマや、熊手など、刈り入れの道具も、投げちらしてありました。
 信心ぶかいプシュケは、このだらしのない神殿の中を、すっかり片づけました。小麦や大麦をよりわけ、それぞれの場所におきました。そこは、農業の神デメテールの神殿でした。デメテールはプシュケの信心ぶかい態度を見て、プシュケに言いました。
「プシュケよ。おまえは、可愛そうな者だ。わたしは、アプロディーテのご機嫌を損じているおまえを、助けてあげることはできないが、お怒りをとく、よい方法を教えてあげよう。アプロディーテの所へいって、ゆるしを乞うがよい。そして、おとなしく、女神のいうことを聞いて、許してもらうようにしてごらん。そうすれば、たぶんアプロディテもお心がとけて、おまえの失った夫を返してくださるだろう。」
 プシュケはデメテールの仰せにしたがって、アプロディーテの神殿を探しました。自分の気持ちを励ましながら、どうやって女神のお怒りをといたらいいだろう、といろいろ考えましたが、とてもうまくゆくそうには思えません。

 アプロディーテは、怒った顔つきで、プシュケを迎えました。
「おまえは、ほんとに、けしからぬ女だ。」
とアプロディテはいいました。
「しかし、おまえもようやく、わたしを敬い、わたしに仕えなければならないことが、分かったのかね。それとも、おまえは夫に会いにきたのかい。あれは、かわいい妻のおかげで、ケガをさせられて、まだ寝ています。おまえは、いやらしい人間だから、うんと骨折仕事をしたうえでなければ、元通りに夫といっしょにさせることなどはできない。まず、おまえに家事むきの腕前を試すとしよう。」
 女神は、プシュケに神殿の倉へゆくようにいいました。その倉の中には、女神のハトの餌にする、大麦や、小麦、キビや、エンドウ、インゲンマメや、レンズマメなど、山のように蓄えてられていました。
「この穀類をよりわけて、同じ種類のものを、ひとつの袋にまとめなさい。それを、日暮れまでに、しておおき。」
そういって、アプロディーテは出ていってしまいました。
 プシュケはこの途方もない大仕事に、手もつけられず、ぼんやり、座っていました。
 プシュケが途方にくれて、座っていると、エロスが、畑に住んでいるアリを、手伝いによこしてくれました。アリたちは穀物のつんであるところへゆき、せっせと、穀物を一粒一粒つかんでは、それぞれの袋によりわけてくれました。そして、仕事がすむと、あっというまに姿を消したのです。
 夕方になって、アプロディーテは神々の宴会から帰ってきました。
 見ると、仕事がちゃんと仕上がっています。
「うそつき娘め、これはおまえがした仕事じゃない。おまえに誘惑された、あれのしたことだろう。」
そういいながら、アプロディーテは、晩ごはんだけ与えて、行ってしまいました。

 あくる朝、アプロディテはプシュケをよんで来させて、言いました。
「ごらん。あの川の向こう岸に、森が見えるだろう。あそこに、沢山の羊が放し飼いになっている。その羊に、黄金の毛がはえている。行って、金の毛を集めてきておくれ。」
 プシュケは、力のおよぶかぎり、命じられたことをやってみる覚悟で、おとなしく川岸へゆきました。すると、川の神が、ささやきました。
「お気のどくな娘さん。向こう岸のおそろしい牡羊の所へ行ったりしてはいけません。朝日がさしている間は、羊がすごく気が立っていて、鋭い角や歯で人間を殺そうとしますからね。お昼ごろになって、羊が日陰にはいると、川の精が子守歌をうたって、羊を寝かしつけてしまいます。そうすればもう大丈夫ですから、川を渡っていってごらんなさい。やぶや、木の幹に金の羊毛がくっついているでしょう。」
 プシュケは、川の神の教えてくれた通りにしました。そしてまもなく、腕一杯の金の羊毛を抱えて、アプロディーテのところへ帰ってゆきました。けれども、執念ぶかい女神は、まだ「よろしい」とはいいません。
「これもおまえのした仕事ではないだろう。わたしには、ちゃんと分かっている。だから、おまえが役に立つ人間かどうか、これだけでは、まだわからない。もう一つやってごらん。さあ、この箱を持って、よみの国へ行って来ておくれ。そして、ペルセポネーに、この箱をわたして、こう言いなさい。『わたくしのご主人のアプロディーテは、お子さんの看病で少しおやつれになりましたから、あなたさまの美しさを少々、分けていただきたいそうでございます。』とね。途中ぐずぐずしないで、行ってきておくれ。わたしは今夜、神々や女神たちの宴会へ行く前に、その美しさでお化粧しなければならないんだから。」
 プシュケは、よみの国へ行かなければならなくなったので、いよいよ命はないものと覚悟しました。それで、どうせ死ぬなら、ひと思いに死んでしまおうと思って、高い塔にのぼり、そこから身を投げることにしました。こうするのが、よみの国へいく、一番の近道だと思ったのです。すると、塔の中から声がして、プシュケに言いました。
「不幸せな娘よ。なぜ、死のうとするのです。いつも、ふしぎな力の助けをこうむったおまえが、最後の試みにくじけてしまうとは、卑怯ではないか。」
それからその声が、ほら穴を通ってよみの国へいく道を教えてくれました。また、どうすれば、途中の危険をさけることができるが、どうすれば地獄の門の番をしている、三つ頭のケルベロスのそばを通れるか、どうすれば三途の川を渡してもらえるかなど、こまごまと教えてくれたのです。そして最後に
「ペルセポネーが、美をいれた箱をくれたら、けっしてそれをあけて見てはいけない。いくら見たくとも、女神たちの美の秘密をのぞいてはならないのです。これが、なにより一番大切なことです。」と、くれぐれもと戒めました。
 プシュケはこの言葉に励まされて、教えられた通りに旅をしてゆき、無事よみの国につきました。そして、ペルセポネーの宮殿につくと、さっそくアプロディーテからのことづてを伝えました。すると、貴い宝を入れた箱が、プシュケにわたされました。プシュケはそれを持って、もと来た道を帰りましたが、明るい日の光のさす所へ出たときには、ほっとしました。
 けれど、この危ない仕事も、上手くいったと思うと、急に、箱の中のものが見たくてたまらなくなってきました。
「この神聖な美を運ぶお使いをするわたしが、ちょっとぐらいなら、それをもらったって、悪くはないだろう。わたしはそれを塗って、すこしでも夫に美しく思われるようにしよう。」
そう思ったプシュケは、そっと箱をあけました。そこに入っていたのは、美ではなくて、よみの国の深い眠りでした。とじこめられていた眠りは、箱があいたので、飛びだしてきて、プシュケに取りつきました。プシュケは道に倒れて、死んだようになって眠ったのです。
 エロスは傷がよくなったので、愛するプシュケと離れていられなくなってきました。ちょうど自分の部屋の窓が開いていたので、そのから飛びたち、プシュケの倒れている所へきました。そして、プシュケの体に取りついている眠りを集めて、元通りに箱に閉じこめると、プシュケを起こしました。
「おまえはまた例の好奇心で、もう少しで死んでしまうところだったね。さあ、とにかくおかあさんにいいつけられた仕事を、ちゃんとしておしまい。あとは、わたしがいいようにしてあげるから。」

 それからエロスは、ゼウスの前に進み出て、プシュケと一緒になれるよう許しをこいました。ゼウスも、ふたりの為に熱心にアプロディーテを説得してくれたので、アプロディーテも、とうとう承知しました。そこで、ゼウスはヘルメスをつかわして、プシュケを、神々の集まっている天の広間へよびました。プシュケが来ると、ゼウスはアンブロシアという、神々の飲む酒をついだ杯を渡しました。
「プシュケよ、これを飲んで、不老不死の身となるがよい。ふたりともいつまでも仲よく暮らすがよい。」
 こうして、プシュケは、ついにエロスの妻となったのです。

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まつげエクステはイタイですか?

20090425_latisseMSNは、私の IE8.0 のホームになっている。いわゆるデフォのポータルサイトってヤツだ。特に理由があるわけじゃなく、IE をインストールすると、デフォで MSN だからなのだが。

でも、これって、つけっ放しのテレビみたいに、ほとんどテレビを見ない私にとって、貴重な情報源でもある。何の情報って?そりゃ、芸能やその他、若い子と話を合わせるため・・・・。

で、本日は、朝から焦ったわけで・・・・・、何が焦ったのかと言うと、老眼が始まってることを自分の中で“消化”しなきゃならなくなった時と同じで、日本語なのに意味がよくわからない・・・・・・。


『三十路で目ヂカラ低下ギミ
  まつげエクステはイタイですか?』


こんな見出しが、トップに躍っていたのです。

ここ(マリンパの雑感)を訪れてくださる方々で、私と同年齢の方々にお聞きしたいのだが、これ、何のことなのか、パッと見てわかりますか?(逆さまつげのことかな?って思ったアナタ・・・フフフ!ナイスです)

私は、わからなかったので、思わずクリックしちゃったわけです。そしたら、、、、、


・・・・エクステンションのことを、若い子達は“エクステ”と言うらしいです。まぁ、省略言葉が解らなくても良いんだけど、、、、、と強がってみたものの、癪に障るので、、、

おじさんはもっと凄いもの知ってるもんねぇ、、と自慢しないではいられないわけです。

それが『LATISSE』。(上の写真参照)

コレ、なんたって、まつげ生え薬なんだから。どうだっ!まいったかぁ!!

元は緑内障治療の PG (プロスタグランディン) 製剤。副作用でまつげが伸びちゃったんで・・・・・。だから、まつげ生え薬として、、、いやいや、本物の薬で、FDA で認可されてるし。。。。

まっ、おじさんは薬の専門家だからねぇ!

と、これで、若い女の子から羨望のまなざしを向けられること、間違いなし!
若い女性 MR の方々からも・・・・・・。

ワハハハハ・・・・・ハァ。


だけど、世の中の女性にとっては、まつげの長さってのは大事なんだろうなぁ!気にしてるのは、日本だけじゃないんだから。


2009042509gtrところで、私なんぞ、今、コレが気になってショウガナイ。それは、R35 GT-R '09モデルキットだ。

とあるブログでは、「'07、'08モデル乗りは、'09モデルには乗っちゃいけない」とまで書いてある。それほど、'07、'08モデルと'09モデルでは足が違うらしい。

で、その09モデルに使用しているスプリングやショックアブソーバー、フロントトランスバースリンクブッシュが販売される事になったのだ。

'07年モデル 定価666,000円
'08年モデル 定価631,200円

だから、私の場合は631,200円で手に入る・・・・・・

・・・・・・・欲しい・・・・・・・。


でも、女性から見れば、私がこんなものを欲しがっているのは、気が知れないんだろうなぁって思ったら、なんか、一人で笑ってしまった。

しかも、とても、空しい。。。。

ネットの情報がなければ、、、あんな情報も、こんな事も、、、、

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進化論から見たカレー毒物混入事件の判決

20090422_arsenic_curry「4枚のカード問題」というのをご存知だろうか?

進化心理学のパイオニアである Leda Cosmides による“新しい解釈”を知った時、私は、私自身の【ルールを無視する奴に対して沸き起こる嫌悪感】を説明するのに、『これ以上のものは無いっ!!』って感じで、膝を打ったものだ。

ポイントは互恵的利他行動。
・これは抜け駆け個体が多いと進化しない。
・抜け駆け個体に対しては利他行動をしないように、そいつを見抜く能力が進化。
・脳に専用のモジュールがある(かも)。

ルールを守るということは、自分にとれば行動が制限されたり我慢しなきゃならないわけで、それは他人の為の行動、すなわち利他行動と考えられる。それを“お互い様”にすることで自分の生活圏から得られる利益が向上する。すなわち「情けは人のためならず」でルールを守る行動は互恵的利他行動とみなせる。

ルールを守らない“奴”に対して“嫌悪感”を抱く為だけに、脳にモジュールが存在しているのだから、人は、電車の中で携帯電話で通話する奴に“嫌悪感”を抱くのだ。

脳に専用のモジュールがあるかどうかについては議論の余地があるようだが、私は研究者じゃないので、細かいことはどうでもよい。そして、“本能”という言葉の定義に違和感がある人もいるかもしれないけれど、この“嫌悪感”は本能と言っても差し支えないのでは、、、と思っている。


巷では、携帯電話使用を注意する人を、「心が狭い」とかなんとか言って、逆に中傷する人がいるが、自分の無知無教養をさらけ出しているようなもんだ。「心が広い」「心が狭い」の問題じゃないし、しちゃいけないんだよね。それこそ、問題のすり替えだ。

ルールを守らない人に抱く嫌悪感は本能なのだからね。


というわけで、カレー毒物混入事件の判決。

本日の朝刊はどこでも一面の扱いだろう。判決理由は蓋を開けてみれば“当たり前”の事なんだけど、昨日の判決が出る前の時点では、ワイドショーなどは“動機”がわからないから、判決は微妙・・・・みたいな論調で出演者に語らせてたりした。

私は、この“動機”を重要視する(させる?)マスコミのスタンスには“嫌悪感”を感じていた。

・・・が、今朝の朝刊で、「動機が解明されていないことは、被告人が同事件の犯人であるとの認定を左右するものではない」という論拠が示され、溜飲を下げたのだ。


法律(ルール)は、そもそも、ヒトが互恵的利他行動をするにあたって、恩恵だけを受け取り利他行動しない“ズルい奴”を探し出し、自身の利益を損なわないようにする・・・という、生き物の本能から発したものだと考えられる。

だとしたら、利他行動をしない“理由(動機)”はどうあれ、そいつに対して“嫌悪感”を感じるのは生物として“当然”で、そいつを仲間はずれ(村八分)にするのも生物として“当然”だ。

最終的に、そこで、“ズルい奴”の生命は絶たれる。うまくいけば生きながらえて遺伝子(子孫)を残せるかもしれないけれど。。。。

文明後の人間の間では、“ズルい奴”に罰を与えることで、後で仲間に引き戻す、すなわち、更正の機会を与えるのだが、別に“ズルい奴”の動機は問う必要は本来はない。とにかく、“ズル”をすれば(ルールを守らねば)報いがあるってだけで、目的は達せられるのだから。(最近は、法学・法律が一人歩きしている感がある。刑法第39条を含めて・・・)


カレー毒物混入事件の被告人は、生物としての単純なルールに裁かれたと理解した。

マスコミが「動機、動機」と騒ぎたて、「裁判員になったら、あなたはどう判断する?」なんて方向は、別な意図を感じてしまう。

「感情に流されてはいけない。理性的に考えなければならない」などという人がいるが、人間の理性的な判断というもの実態を知らない無知な人の言葉だと言わざるを得ない。

そんな人には、『生存する脳―心と脳と身体の神秘』(アントニオ・R. ダマシオ著)を読むことを薦めよう。理性的な判断をするために、どれだけ感情が重要なのかがわかるだろう。


私は、裁判員になった時には、本能が“嫌悪感”を発したら「死刑」を選択する事には躊躇しないだろう。そして、その判断には不安は無い。。。。。と思う。

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知らないという事

20090327_ignorance経験的には、受容体のコンフォメーションが違うんだろうなって、誰でも思っていたに違いない。だから、私的には驚くには値しなかったんだけど、でも、分子レベルでの“形の違い”がわからなきゃ、対策も立てられない・・・・?

わからなくっても、チャンピックスっていう内服薬は作れたわけだし・・・・?

でも、まぁ、『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』から、もう少し“科学的”に“創薬”出来る・・・・・・・。

これって、凄いことなのだろうか??

あっ!!これが『トリプトファン残基の近傍にある単一の点変異と関連している』って事が解明出来たって事が凄いことなのだろうか??それとも、“立体構造を解析できた”という事が凄いことなのだろうか??

Nature に掲載されるんだから、凄いことには違いないんだろうけど、これは、私にとって『“知らない”という事が、価値の判断すら不可能にする』という戒めにはなったことは間違いない・・・・。よくある事だけど。

生化学:ニコチンの二重生活

Nature vol.458 (7237), (Mar 2009)

ニコチンは、嗜癖、つまりニコチン中毒を引き起こす力が極めて高いが、それは脳のアセチルコリン(ACh)受容体に高い親和性で結合することができるからだ。

筋肉のACh受容体は脳の受容体とほとんど同じものだが、もし筋肉の受容体がニコチンにより同じような効率で活性化されれば、喫煙は激しい筋収縮を引き起こすだろう。

このような事態が起こらないことは、薬理学における長年の謎だったが、今回、この2種類のニコチン受容体とニコチンとの相互作用の化学的性質が詳細に調べられ、謎が解かれた。

ニコチン中毒の原因となるα4とβ2という受容体サブユニットへの結合には、水素結合の形成に加えて、ニコチンの正電荷と進化的に保存された特定のトリプトファン残基の間の強い陽イオン-π電子相互作用の両方がかかわっている。

筋肉型の受容体もこのトリプトファンをもっているが、陽イオン-π相互作用が存在せず、水素結合もより弱い。

これは、結合ポケットの全体的な形の差異によると思われ、差異は重要なトリプトファン残基の近傍にある単一の点変異と関連している。

これらの結果は、分子レベルの謎を解いただけでなく、神経学的症状や禁煙に関して治療に使えると思われる新しいニコチン類似体開発のための指針ともなる。


Letters to Nature p.534


今朝の読売新聞に『麻生さんと小沢さんのどちらが首相にふさわしいか』って世論調査の結果が“逆転”して、麻生さんが盛り返した・・・って事が書いてあった。

小沢さんが逆転されたのは、例の“政治献金”によるイメージダウンが響いていると解説している。

国民は、『政治献金は悪いことだ』って思っているのだろう。

政治家は、お金を貰っちゃイケナイものだと思っているとしか思えない、短絡的な調査結果だ。

マスコミが『政治には金がかかる』ということを言ってる記憶は無いので、ほとんどの国民は、献金されたお金は、政治家のポケットに入るものだと思っているのかもしれない。

マイコミのイメージ操作は、天下一品、お手の物だから・・・・って事で済ませることも出来るんだけど、国民が“知らない”為に自ら判断出来ずに、誘導された価値判断を下す事になる、、、って現実がある事の方が、恐ろしいんだけどなぁ。


次に引用する論文からも、同様の事が言える。

論文の結果自体、人間も地球上で進化してきた生き物の一種であるという理由で、私は、当然だと思うんだけど、見方を変えれば、医学を科学にしたい人達が作り上げたイメージが、崩壊しつつある“エビデンス”と言っても良いのかも知れない。

現代の医学の最先端においても、素人が経験から来る『まぁ、普通に考えれば当然の結果では?』と思うことに対して、『いやいや、それは素人の浅はかさだよ』と言いたいが為に発展して来た“常識”が生き残っているって事なのだろう。

中途半端に“医学知識”を身につけた素人は、これに簡単に騙されてきた。

そして、現代の第一線の医療人は、騙された“常識”による『病院に担ぎ込まれたのに、何故、死んだのだ?』という疑問から始まる“モンスター患者”出現という形で“ツケ”を払わされているのだ。

重症患者における強化血糖コントロールと標準血糖コントロールの比較

Intensive versus Conventional Glucose Control in Critically Ill Patients

The NICE-SUGAR Study Investigators

背 景

重症患者における目標血糖値の最適な範囲は明らかにされていない。


方 法

集中治療室(ICU)での治療が 3 日間以上必要と予想される成人患者を、ICU に入室後 24 時間以内に、目標血糖値を 81~108 mg/dL(4.5~6.0 mmol/L)とする強化血糖コントロール群と、目標血糖値を 180 mg/dL(10.0 mmol/L)以下とする標準血糖コントロール群のいずれかに無作為に割り付けた。主要エンドポイントは、無作為化後 90 日以内のあらゆる原因による死亡とした。


結 果

無作為化された 6,104 例のうち、3,054 例を強化血糖コントロール群に、3,050 例を標準血糖コントロール群に割り付けた。90 日目の主要転帰に関するデータは、強化コントロール群 3,010 例、標準コントロール群 3,012 例から入手できた。両群のベースライン特性は同等であった。強化コントロール群の 829 例(27.5%)、標準コントロール群の 751 例(24.9%)が死亡した(強化コントロール群のオッズ比 1.14、95%信頼区間 1.02~1.28、P=0.02)。手術を受けた例(外科患者)と手術を受けなかった例(内科患者)とで、治療効果に有意差はみられなかった(強化コントロール群における死亡のオッズ比は外科患者 1.31、内科患者 1.07;P=0.10)。重度の低血糖(血糖値40 mg/dL [2.2 mmol/L] 以下)は、強化コントロール群の 3,016 例中 206 例(6.8%)と、標準コントロール群の 3,014 例中 15 例(0.5%)で報告された(P<0.001)。両群で、ICU 在室日数の中央値(P=0.84)、入院日数の中央値(P=0.86)、人工呼吸器装着日数(P=0.56)、腎代替療法日数(P=0.39)に有意差はみられなかった。


結 論

この大規模多国間無作為化試験において、成人の ICU 患者に強化血糖コントロールを行うと、死亡率が上昇することが明らかになった。すなわち目標血糖値を 180 mg/dL 以下にしたほうが、81~108 mg/dL にした場合より死亡率が低かった。(ClinicalTrials.gov 番号 NCT00220987)

本論文(10.1056/NEJMoa0810625)は、2009 年 3 月 24 日に NEJM.org で発表された。
N Engl J Med 2009; 360 : 1283 - 97 : Original Article
(C)2009 Massachusetts Medical Society.


医療分野では専門家が理論武装するために作り上げた“虚構(これは言い過ぎかもしれないけれど)”のツケが、そろそろ出始めている現代、政治家、それも、一国の首相の選択をも左右しかねない“選挙制度”の下での、この“恐るべき現象(世論調査)”の“ツケ”は、一体、どのような形で現れるのだろうか???

世の中が、しっちゃかめっちゃかになって、誰でも平等に投票権があるっていう“選挙制度”自体が変わるキッカケになれば、それはそれで“良い事”なんだろうけど。(選挙権は個人献金の額や納税額に応じて与えられる、もしくは、選挙権は売買できるのが良いと思ってるもんでねっ・・・金を払ったヤツは、その使い道に厳しい目を光らせるんだからね)
 
 
 
次に引用する論文は、『なんだか、よく、わからない』を助長するだけの代表のようなものだと思う。よくわからない状態にかこつけて、包茎手術の“宣伝”に使われる事がない事を、祈るばかりである。

HSV-2 感染、HPV 感染、梅毒の予防を目的とした包皮環状切除

Male Circumcision for the Prevention of HSV-2 and HPV Infections and Syphilis

A.A.R. Tobian and others

背 景

3 件の臨床試験で、包皮環状切除により男性のヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染率が有意に低下することが示された。HIV 陰性の青年男性と成人男性を対象に、単純ヘルペスウイルス 2 型(HSV-2)とヒトパピローマウイルス(HPV)への感染、および梅毒の予防を目的とした男性の包皮環状切除の有効性を検討した。


方 法

HIV およびその他の性感染症の予防を目的とした男性の包皮環状切除に関する 2 件の試験に、HIV 陰性で包皮環状切除歴のない 15~49 歳の男性 5,534 人を登録した。このうち、3,393 人(61.3%)は登録時点で HSV-2 血清陰性であった。その 3,393 人のうち、1,684 人をただちに包皮環状切除を行う群(介入群)に、1,709 人を 24 ヵ月後に包皮環状切除を行う群(対照群)に無作為に割り付けた。ベースライン、6 ヵ月後、12 ヵ月後、24 ヵ月後に、HSV-2 感染、HIV 感染、梅毒の検査とともに、身体診察と面接を実施した。また、ベースラインと 24 ヵ月後に、HPV 感染患者のサブグループについて評価を行った。


結 果

24 ヵ月後の HSV-2 セロコンバージョンの累積確率は、介入群で 7.8%、対照群で 10.3%であった(介入群の補正ハザード比 0.72、95%信頼区間 [CI] 0.56~0.92、P=0.008)。高リスク HPV 遺伝子型の保有率は、介入群で 18.0%、対照群で 27.9%であった(補正リスク比 0.65、95% CI 0.46~0.90、P=0.009)。しかし、梅毒の発症率には両群間で有意差は認められなかった(補正ハザード比 1.10、95% CI 0.75~1.65、P=0.44)。


結 論

包皮環状切除により、男性の HIV 感染率が低下したことに加え、HSV-2 感染率と HPV 感染率も有意に低下した。この結果は、包皮環状切除が公衆衛生上の有益性をもちうることを強調するものである。(ClinicalTrials.gov 番号:NCT00425984、NCT00124878)


N Engl J Med 2009; 360 : 1298 - 309 : Original Article
(C)2009 Massachusetts Medical Society.


私が知る範囲では、“ズルむけチンポ”の方が粘膜の角質化が起こる為に、HIV が“感染しづらい”という理由が一番わかりやすいと思う。誰しも、拳法や空手で拳を鍛えれると、ちょっとやそっとでは“痛まなく”なるというのを知っているはずだ。ぶっちゃけ、その延長線上だろう。

さらに、専門っぽい理由が必要な人には、『亀頭を包んでいる、余分な皮に HIV のターゲットとなる細胞が高密度で存在する為、それを切っちゃえば良い』って事で良いんじゃないのか?

アフリカ大陸では、割礼の習慣がある地域で AIDS 発症者が少ないという事実がある。“割礼”という習慣を“野蛮”であると決め付けた西洋文明(宗教的な側面もあるが)は、高度だと自認していた事を恥じて、謙虚に受け止めるべきだろう。


そして、マスコミは、国民に『自分は、よく知らないから、判断できない』という事を知ってもらえるように行動すべきである。『無知は至福である』『知らぬが仏』なんだから、『(わからないことを)判断なんかしなくていいんだよ』と。日本人に合ってるし。

逆に、判断させたいのなら、“知らせる”べきである。

その“知る”内容なんて、“政治には金がかかる”や“ズルむけチンポ”のようなわかりやすい理由でいいんだからね。


※“ズルむけチンポ”って、放送禁止用語なのかなぁ?!でも、わかりやすいからご容赦!!って事でお願いします。

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木の上でウンコをするな!!

20090316_indian_buddhist_priest仏教の発祥の地、インド仏教の仏典には『木の上でウンコをするな』と書いてあるらしい。。。。。

。。。。。。どうしてこんな取り決めをしなくっちゃならなかったのか????


まぁ、その答えは、宗教とか文化の研究者にお任せするとして、ちょっと日本人には想像できないと思う。。。

価値観の相違と言ってしまえばそれまでなんだけど、日本人どうしの間でも、『えっ!?ちょっと』という事が結構ある。

先週の土曜日、従兄弟と飯を食っていて、そこでの話し。(私には想像できなかったし、従兄弟も同様だったみたい)

彼の勤務先の上司(教授)が、95歳で亡くなった患者さんのご家族にお悔やみとともに『大往生でした』と言ったところ、家族から猛烈な抗議にあったとのこと。

・・・・・

私は、インド仏教の仏典に『木の上でウンコをするな』という事が書いてあるのを知ったときと同様なショックを受けた。


私も、いつも来ていた患者さんのご家族から『先日、亡くなりました。いつも、お薬でお世話になり、ありがとうございました』と言われることが、たまにだが、ある。そんな時は、お悔やみの後『大往生ですよ』と言葉を添えていた。。。。っていうか、高齢の場合そのように言うもんだと思っていた。

しかし、、、、である。

世の中、医学部の教授ですら、価値観に合わなければ一刀両断されるご時勢、私なんぞ、一介の薬剤師は、対応に誤まれば、竜巻に巻き込まれるようにもみくちゃにされ、ボロ雑巾のように力尽きる・・・・・・。対応に誤まれば・・・・・・。


言葉は難しい。同じ言葉でもタイミングにより印象は変わるのだ・・・・・・。


でも、【言葉は難しい。同じ言葉でもタイミングにより印象は変わる】は、お互いが平等の関係にある時に、用いる“理屈”であるべきなんじゃないのかなぁ。

『お前の言い方は気に入らない。人の感情は千差万別だ。私は患者の遺族だ。無性に悲しいんだ。勝手に“大往生”なんて言われたくない。もっと、生きられた筈だ・・・・・』

なんて一方的に言われて『申し訳ございませんでした』と詫びるのは日本人くらいだろう。


ところで、日本の客商売における“接客術”は世界一なんだとか。常に“平身低頭”な所が他国では絶対見られないので、そういう評価があるらしい。

そのくせ、日本人が客になった時には、世界一、嫌な客なんだとか。諸外国で横柄な態度で「俺は客だぞ」とやっても、ぶっ飛ばされるだけだしねぇ。
 
 
 
木の上でウンコをするヤツがいなきゃ、インドでも仏典に禁止事項として記されなかったんだと思う。インド人(仏教徒)は、木の上でウンコをするヤツに対して嫌悪を感じるのだろう。だから、禁止行為とした。

だが、日本人が、木上からウンコをするヤツをみても、“嫌悪”というよりは奇異なモノに対する“興味”の方が強いのではないか?
 
 
 
日本でも“モンスター患者”が話題になっているが、それを『諸外国並みに増えた』というのは、間違っているんじゃないのかなと、ふと、思った。

外国での“患者からのクレーム”と、日本での“患者からのクレーム”は質が違うんじゃないのかなぁ???

そう、外国人から見ると、日本の“モンスター患者”は“木の上でウンコをするヤツ”に見えるんじゃないの?!


そういう目で見てあげれば、日本のモンスター患者もカワイイもんだ・・・・。

     ┐(´∀`)┌ヤレヤレ(ってワケにはいかねぇ~かっ!)

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卒園

20090313_parent_and_child娘が明日卒園式を迎える。

あっという間の3年間だった。入園式がつい先月のことのように感じられる。

入園式で私達夫婦から離れて、一人でちいさな椅子に腰掛けていたあの娘が、、、後ろを振り返りながら泣き出して妻のところに駆けつけてしまったあの娘が、明日、卒園する。

私は、仕事が休めず式には出られないのだが、出席すると、なんか泣きそうで、仕事していた方がいいみたい。

そんな親の気も知らず、娘は、あっけらかんと『幼稚園、きらいだから、もう行かないの嬉しい』だとさ。


---まったくぅ---


そういえば、私も卒業というものに、感極まったことなど一度も無かった。

幼稚園、小学校、中学校の卒業式は、全く記憶に無い。しかも、親が来たのかどうかさえ、定かではない。

高校の卒業式は、卒業証書をもらった記憶がかすかにあるだけ。大学は、卒業式の後の謝恩会しか覚えていない。

全ての式で、悲しかったり、感極まったりして、泣いた記憶は無いのだ。
 
 
 
来年は父親の13回忌だ。

早いものである。

生前、父親と折り合いが悪く、ほとんど口を聞いた事もなかった私だが、子供を持って、子供の成長に連れ湧き起こる感情を経験することになったわけだが、、、、かつて、父が私に対しても同様だったのかも・・・って思うと、なんか、胸に詰まるものがある。
 
 
 
これが、子を持ってはじめてわかる親の気持ちってヤツなんだろうなぁ。

言葉にすれば、わかった気になるし、人から言われたり、親から言われたりしてもわかるんだけど、“感じられなかった”んだよねぇ。

『わかる』と『感じる』は脳では別の場所で行われているもんなぁ・・・。


私は、将来、若い人に『子を持つと、感じるよ』と言うことにしよう。

たぶん、『えっ?』って顔されるだろうけど。

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謎が解けた・・・のか?

20090307_incompetent『「部下のできが悪くて…」の言い訳は、管理職失格?』なんて価値観は専門職には要らない!!そもそも、そんな価値観をが持つことが、専門職のレベルを下げる。

m3.com に【医療維新】というコーナーがある。3月4日付けのコラム『医師のプロ意識の崩壊が“医療崩壊”招く』を読んで、自分にとっての、ある謎が解けた。

まず、著者の主張は、全くもって同感(激同)なのだが、残念ながら日本では著者の言うような事は、まず、実現不可能だろうなぁと感じた。

例えば、米国の病院では、必ずといって良いほど、Mortality & Morbidity Conference(以下、M&M)を定期的に行なっている。これは、不幸な結果に終わった症例を、研修医や指導医全員で再考し、再発を防ぐにはどうしたら良いかを検討するカンファレンスである。医師にしかできないことに焦点を移すべきである。

プロはプロ以外からの批判を好まない。しかし、それならばプロ同士の相互批判はもう少し活発になされるべきである。学会や医学雑誌だけでなく、普段からも院内にそうした場を設けることが必要である。例えば、米国の多くの病院では、Clinical Pathological Conference (以下、CPC)を定期的に行っている。これは、難解な症例を、指導医が全員の前で検討し、診断をつけるという、「指導医のお手並み拝見ショー」である。指導医同士の質疑応答に研修医や医学生は魅了される。また、米国では医療事故についても、ピア・レビューは徹底している。


こういうことって、考えれば、当たり前の事だとおもうし、プロがプロたる所以でもあるのだが、、、、


一方、日経メディカルオンラインでは、『「部下のできが悪くて…」の言い訳は、管理職失格?』なんてタイトルでブログを更新せざるを得ないのも現実。

これは、大衆迎合のうちなのかもしれない。能力のない人間=弱者=守ってあげる対象=弱者保護を唱える人ははいい人・・・・・みたいな、感覚がそうさせるのかも。

そんな日本の風土?がそうさせるって理由もあるのだろうが、もう一つは、管理職の専門知識・技術が“寒い”状況で、くだらない雑用である“部下の人的管理”しか出来なくなっているという事も考えられる。

能力の低い“プロ”にとってみれば、それは逆に“居心地”の良い環境なのかもしれない。まぁ、それは今回は置いといて・・・。


今回、このエントリーでは、プロの代表である“医師”を例に挙げたが、これは医師の世界に限ったことではない。

私の住む“薬剤師”の世界でも、同様だ。いや、同様どころではなく、それ以上であり、かなり悲惨な状況であることを感じざるを得ない。
 
 
 
こんな事を考えるに至って、昔から疑問だった事の謎が解けた。

薬剤師の世界でも、職場を探すにあたって病院志向というものが存在する。病院の薬剤師の方が薬局の薬剤師より“レベルが上”っていう漠然とした価値観だ。いままで私は、医師とは違って薬剤師の世界に、病院も薬局も違いは無いんじゃないの??って思ってた。やることは、ほとんど変わらないし。(宇宙服みたいな服を着て無菌室作業するからスゴイ!なんて可愛いこと言わないでね!)

なるほど、管理職の質を問えば、職員の数が多いところでは、プロはプロにしか出来ないことをやれるようになる。薬学博士の学位をもつ管理職が、職員の仕事中の携帯電話使用なんぞに目を光らせたり、レジのつり銭をチェックするなんて、やらなくてもよい。

逆に言えば、薬局(職員の数の少ない職場)では低能な職員に手取り足取りの養育係りまで管理者がしなくちゃならない。。。。モチベーションが“お金”だけになっていくのは、、、、痛いほどよくわかる・・・。その後は、立ち去り型サボタージュ。。。(この辺を経営者は理解してない可能性がある。理系のプロは転職が易いということを。残るのは馬鹿ばっかりだという事を。朱に染まれば赤くなっちゃうんだから、日本の専門職をプロたらしめるためにも、専門職が必要な職場では、“朱”はばっさり切られても当然という社会的なコンセンサスが形成されるといいなぁと思っている)


私は今まで、薬学生の実習において、学生達が、どうして病院に行きたがるのかわからなかったので、そんな漠然としたイメージだけで病院にいってしまうのを悲しく感じてたから、薬局での薬剤師の“面白さ”を伝える事に腐心していた。

その結果、『薬局というイメージが変わりました』といううれしい言葉を、何度も聞いた。

だが、それは若いうちだけの事だったのかもしれない。巣立っていった彼らにやがて訪れる薬局での責任あるポジションは、アカデミックとは対極に位置するものだからだ。


私は、将来の日本の薬局は、経済的な面から 7~8 割が大規模なチェーン薬局になり、それ以外の隙間を小さな薬局が埋めるような構図になると思っている。

それは、はなはだ、不愉快なことではあるのだが、プロがプロとしての力を思い切り発揮できる環境が小さな薬局に無いとしたら、薬剤師のモチベーションが上がることが質の向上に繋がるとすれば、組織が大きくなることに利があると思えて来たのだ。

薬剤師の質をテーマにすれば、私にすれば勉強しない薬剤師なんぞは問題外なのだが、存在するのも事実で、それらの薬剤師のモチベーションが上がるとすれば、それは結構なことだし。


と、本日は身近な話題で感じたままに。。。。

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いい人であることの御利益

20090106_gay_testこの論文は、裏を返せば、(社会的)弱者が自分達に良い評判(正当性や権利を主張すること)を得ようとすればするほど、逆に、庇護してもらえなくなる事を示している。


今朝の読売新聞には、また、マスコミの悪い癖のような一言が。【派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官】の記事の中で、最後に「反発は必至」みたいな事を書いている。お約束で民主党は「坂本氏への辞任要求も視野に、発言の責任を追及する」ってことで。

案の定、【坂本総務政務官が“派遣村発言”を撤回・謝罪】だとさ。

だけど、マスコミや弱者の味方=民主党が頑張れば頑張るほど、具体的には、失業者が失業した理由を自分に省みず、他人や会社や国の施策ばかりに転嫁することを叫び、それに“同情”という演出を加えて放映する姿勢、政治家の場合は彼らの救うことが人道的にも道義的にも人の道だと言わんばかりの発言を繰り返すことをすると、国民は“利他的な行動・思考”をしなくなるのだ。

苦境に対し、我慢して、じっと堪えて、『自業自得でございました』と健気に振舞う行動にこそ、“利他的な行動・思考”を引導するっていうのにである。

「反発は必至」の主語は“国民”ではないんだよね。

行動進化学:いい人であることの御利益

Nature vol.457 (7225), (Jan 2009)

人間社会では、非協力者が悪い評判を得る場合に、利他行動が進化する。

しかし、非協力者に懲罰を与え続けることは、どこまで賢明といえるのだろうか。

それは、懲罰が与える側にも、与えられる側にもコストのかかるものだからである。

大槻久(東京工業大学およびPRESTO)たちは、全員が他者間の相互作用を観察し、さまざまな社会規範に従って他者の評判を定めるというゲーム理論モデルを用いて、懲罰が有利に働く状況を探った。

コストを伴う懲罰は協力の進化を促進する場合があるものの、それは狭いパラメーター領域下でのみ起こることがわかった。

間接互恵性は効率がより高くなるように進化するので、コストを伴う懲罰は非効率なものと考えられる。


Letters to Nature p.79

News and Views p.39


マスコミがこれを知ってて、弱者を弱者のままでいさせたいのなら、この方針は変えることはないだろう。っていうか、マスコミや政治家にとって、正義の味方であり続けるには、弱者が必要なんだからね。ただ、弱者と呼ばれている当人たちが、国民全ても含めて、自分達に同情してくれていると思っているところが、大きな勘違いなんだよね!

それが証拠に、巷のおばちゃんたちの声。
「なぁに、あの失業者たち。ハケンなんかでチャラチャラしちゃって、ざまあみろだわよね」
「めぐんでもらうのに、なに、いばってんのよ」
「正直に生きてきたひとたちが、すくわれるわね」


電車の中や、レストラン、街の休憩施設などで耳にした声だ。当たり前である。いい人面するのに、コストがかかるわけだし、その出所は、働いている人の税金だ。


政治家達は、国民の感情を逆撫でるほどの援助はしない。でも、するポーズは見せ続けるのだ。

何故、ポーズだけなのかと言うと、弱者を維持するためと、手厚い援助をしまくれば、テレビの街頭取材でマイクを向けられれば“玉虫色の言葉”を発するおばちゃんたちも、本音が噴出しかねないからだ。(そういうのは、放送しないんだろうけど、選挙では負ける)


ちょっと前の日本では、夏の間、遊んでいたキリギリスは冬になると死んでしまうことになっていた。

今は、アリが温かく迎え入れるというような話に変化している。


こういうのって、『周りが無情なら、俺が・・・』っていう感情を育むものなんじゃないのかなぁ。いわゆる“男気”“父性本能”みたいな。

それが、正義の味方の振りしてる奴等が先回りして、『彼らを救うことが、正義であり、人道的な行為だ』ってやっちゃうから、まわりはしらけちゃうわけだ。


---別に、俺がやんなくてもいいよな---


話は飛躍しちゃうけど、現代の日本って、男の脳が女性化しているって感じる。

ファッション・モデルと BMI』で考察したような女性の行動に、今の男の行動がダブルのだ。

当然、男が男じゃなくなるから“子供が生まれない”訳だし。これが良いのか悪いのかの判断は、私にはわからないけど、変化している事だけは確かだ。

それが、マスコミや政治家の姿勢が原因なのか、はたまた、環境中の化学物質暴露が原因なのか、メタゲノムの影響、すなわち、マイクロビオームの変化によるものなのか・・・・・。
 
 
 
本日は、エントリー2本立て!今年もこのノリで、やわな偽善者どもの関節を『ヒーヒー』言わせてあげるつもりですので、よろしく~っ。(誰もヒーヒー言ってないかっ?)

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ひどい上司を持つと心臓に悪い

20081205_becoming_a_donor心臓病のリスクが上昇するくらい“ぐうたらな上司”に対して不満が鬱積するなんて、スウェーデンの労働者はみんな上昇志向が強いのだろうか??

スウェーデンという国の文化や国民性がわからないので、なんともいえない調査結果だけど、一つだけ感じるのは『科学雑誌も大衆迎合しなきゃならない時代なのだなぁ』と。

この調査結果を評価した研究者達によれば、上司たるもの、最初からやる気の無い社員をも“やる気を出させる”くらいでなければいけないらしい。そして、やる気の無い社員(日本では“シュガー社員”とか言うらしいが)達に対しては、そのモチベーションとの因果関係を考察することすらしていない。猛烈上司の下での“シュガー社員”もストレスで心臓病のリスクが増大しそうなものだけど・・・・。


ところで“シュガー社員”、名付け親は社会保険労務士の田北百樹子氏で、『シュガー社員が会社を溶かす』(ブックマン社)という本で初めて使った言葉だとか。私は読んでいないのだが、内容はなんとなくわかるような気がする。

提供:WebMD

無能な上司の下で働くと心臓病のリスクが上昇することが分かった。

Bill Hendrick
WebMD Medical News

【11月24日】自分の上司は不公平だ、気まぐれだ、思いやりがない、全体的に管理能力に欠けると考えている人は、心臓発作などの心臓病になるリスクが高いことをスウェーデンの新たな研究が明らかにした。

また、ひどい管理者のせいで一般社員がストレスを感じている場合、心臓病の長期リスクがさらに上昇する、と研究者らは11月24日発行の『Occupational and Environmental Medicine』に報告している。

この研究でスウェーデンの科学者らは、1992年から1995年の間に男性一般社員3000人以上の心臓の健康状態を追跡した。次に、2003年までに虚血性心疾患により入院、死亡した患者に関する全国患者登録データとこの職業的健康記録を照らし合わせてみた。

およそ10年間にわたる調査期間で、心臓発作、不安定狭心症、心停止などの致死的および非致死的心臓疾患イベントが74例認められた。部下が管理者を有能と評価すればするほど、重篤な心臓病のリスクは低くなった。

管理者のリーダーシップに対する認識と部下の重篤な心臓病リスクの関連性は、部下の勤続年数が長いほど高かった。つまり、ひどい上司によるストレスは時間とともに増大することが示された。

社員の重篤な心臓病を予防するため、会社は部下の評価に基づいて管理者の不足能力を改善する手だてをとるべきだ、と研究者らは言う。

「存在感があり意欲的な管理者とは、体制をつくり、情報を提供し、社員を支えてくれる管理者であって、部署が悪い方向にいかないよう対策を講じる。それによって、ストレスによる部下の生理的変化を悪化させるのではなく、むしろその再生を促すのではないか」とカロリンスカ研究所およびストックホルム大学ストレス研究所のAnna Nyberg氏は書く。

上司を評価する

参加者らは、ある評価体系を使って、コミュニケーションやフィードバック能力の高さ、変化対応時の成果、目標設定能力、部下に任せた仕事の量などに関し、上級管理者を評価した。

その結果、リーダーシップスコアが高ければ高いほど心臓病のリスクが低下した。この関連性のロバスト性は「教育、社会的階級、収入、監督的立場、仕事時に感じる身体的負荷、喫煙、運動、[BMI]、脂質、フィブリノゲン、糖尿病を補正の上で」確認された。

つまり、ひどい上司はその下で働く人の健康や寿命にまでも悪影響を及ぼす可能性があることが分かったのである。

最近行われた別の研究で、身体的・精神的に有害だと思う職場環境にさらされている社員の心血管疾患リスクは50%も高かったという。この研究結果について研究者らは、「特に職場の心理社会的ストレッサーは比較的多いので、臨床的意味は大きい」と書く。

また、管理者の行動の質に対する認識が部下の健康に影響するとのエビデンスは増えていると研究者らは言う。部下が意識的にみている点は、上司の「思いやりある行動」、どれだけ上手く部下に知的刺激を与えられるか、部下とのコミュニケーション能力であった。

上司の評価に使われた質問には、「私が何か失敗すると上司にかなりきついことを言われる」といったものや、管理者がいかに上手く期待していることを伝えられるかについて聞くものもあった。

ここではっきりしたのは、情報伝達に難がある(単に否定的意味でなく)と思われている上司の部下は心臓病を発症するリスクが高い、ということである。まず手始めに管理者の仕事能力を高める訓練をしてみてはどうか、と研究者らは勧めている。


having-a-bad-boss-is-bad-for-the-heart

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不況による社員解雇の“ニュース”としての取り上げ方は、至極マスコミらしいので、いまさら何も言うことは無いのだが、科学(医学)雑誌に投稿される“論文”にまで十把一絡げで『弱者は皆、正しい』とのニュアンスで文章を書かざるを得ないとしたら、『ちょっと、マズイんじゃない?』と感じたもんで、エントリーを追加した次第だ。(『Occupational and Environmental Medicine』って雑誌にそんな意図はないとおもうんだけど・・・)

簡単なことだけど、自動車産業やコンピュータ産業などは、銀行のように“大赤字”を出しても、税金を投入して救ってもらえない。(アメリカじゃ交渉してるみたいだけど。)日本の企業すべてが赤字を出したら国が救済してくれるのなら、どの企業も社員解雇なんてするわけは無い。解雇しなきゃ会社が潰れるから解雇する。少ない犠牲で多数を救う。自然の摂理だ。

解雇される人間と残る人間の線引きに不公平あるって論調でマスコミは伝えているが、この場合、何か“妙案”があるのなら、マスコミは示すべきだ。


それはさておき、私は、“機会”の平等は守られねばならないと思うけど、“結果”の平等は守れるものじゃないと思っている。“結果の平等”は絵に描いた餅で、絶対、食べられない。(上のイメージ写真も、『チャンスは誰にでもある』って言っているよ。後は貴方次第っだって!)

世の中、マスコミのおかげで『結果の平等もありなんじゃないのか』と勘違いしている人が非常に増えたみたいだけど、現実は、それほど“シュガー”ではない。

っていうか、マスコミが作り上げた虚像の(シュガーな)世界は、マスコミが守るべき“弱者”を作り出すための作戦だったのだろう。それが証拠に、“弱者”が淘汰されていく現実を映像化して視聴率を稼ごうとしている。そして、それだけじゃなく、『セレブな生活は幸せだ』『セレブのような生活が出来ないのは不幸だ』『不幸と感じられないのは間違っている』のような価値観を植えつける低俗な番組を垂れ流しつつ、そのセレブな生活を送っている人達の血のにじむような努力は見せようとはしない。

これじゃ、勘違いして不幸になる人が後を絶たないよなっ。

マスコミが本気でこのような“勘違いして生きてきた結果、不幸になる庶民”の数を減らしたいのなら、世の中は甘くないという現実を認識させるような“論調”こそが、平時(不況のこと。戦時という意味じゃない)から必要ではないのか?


努力する・しないは個人の自由だ。

だから、努力しなかった人は、それなりの生活をすればよい。本来、努力した人と比較するから“不幸”になるわけで、最初ら比較しなければ『こんなもんでしょ』と自らの環境を不遇と感じることも無い。解雇されない人間はそれなりの理由があるわけで、それと自分を比較して不幸だと感じる事もないわけだ。


テレビは、『解雇されたら、路上生活者になってしまう・・・・』なんて訴えている人を映している。マスコミの言いたい事はミエミエだが、、、、、

新聞に折り込まれてくる求人広告やハローワークでの求人が全く無いのなら、『解雇されたら、路上生活者になってしまう・・・・』って訴えも、切実に聞こえるけれど、現実は、かなりの求人がある。

そういうと、『自分の希望職じゃない・・・・・』

こんな映像を流す前に、すべての日本人が自分の理想としている職を得られているのか?とマスコミには聞きたい。

そもそも、希望する職種が、当人に合っているかどうかも問題だ。注意力散漫でケアレスミスの多い人が希望しても、パイロットにはしたくないと誰でも思うし、医療職にはしたくないって思うが如くだ。


そんな“シュガー”な労働者に『ダメな上司』って言われても、、、

『不公平だ』、、、、だって、出来の良い社員と出来の悪い社員を平等の評価をしたら、出来の良い社員から『不平等だ』っていわれちゃう。。。。

『気まぐれだ』、、、、上司の言うことをボケェ~ってしたりイヤホンしたりで聞いてなかったり、意図を理解できなかったりして『気まぐれだ』って言われても。。。。

『思いやりがない』、、、、社員の不始末を不問にふすことが『思いやり』ではないことを祈るしかない・・・・かっ。。。。


まぁ、なんにせよ、引用中に【参加者らは、ある評価体系を使って、コミュニケーションやフィードバック能力の高さ、変化対応時の成果、目標設定能力、部下に任せた仕事の量などに関し、上級管理者を評価した。】ってあるけど、日本で求められる“理想の上司像”は、野球の星野仙一氏のような“友達感覚”の上司であり、決して、この評価体系を使って優秀なスコアを獲得する上司ではないような気がするのだが・・・・・・・。


というわけで、日本の企業では、スウェーデンと違って、出来の悪い部下が御しやすい友達感覚の(ぐうたら)上司が職場ストレスをなくすのには、一番・・・・・・って事なんだろうか??

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有権者の投票行動

20081107_voting読売新聞 11月6日 朝刊に興味深いグラフが掲載されていた。ソースは全米テレビの出口調査、CNNからの頂いたデータだと記してあった。

わざわざ、これを自分でスキャナーで取り込むまでして、エントリーしたかったのは、まさに Science 誌 September 19 2008, Vol.321 に掲載された論文の主旨を裏付けるようなデータだったからだ。
(っていうか、【政治的立場(Political Baggage)】で、『つまり、これは、、、、周りの状況(環境)に対して、生存本能が刺激されるかどうか?危機意識が刺激されるか?って言葉に置き換えられるのかな??』って思い付いた事を裏付けてくれるデータだったから?だ)

■あなたは・・・
   軍隊経験ありの人は共和党支持が多く、なしの人は民主党支持が多い

■家に銃がある・・・
   ある人は共和党支持が多く、なしの人は民主党支持が多い

■前回の大統領選挙で投票しなかった人の多くが・・・
   民主党支持(現在の米国の最重要問題を“経済”と認識している)

■米国でのテロを心配していない約3割の人の中では・・・
   民主党支持が多い

■オバマが勝利したら増税はある?にないと答えた約3割の人の中では・・・
   民主党支持が多い

■イラク戦争について反対している人の中では・・・
   民主党支持が多い

アメリカの共和党と民主党の考え方の差がどれほどなのか、私には肌で感じることが出来ない。移民の国で、人種差別の国で、自分たちの利益を最大限優先する正直な(動物的な)行動をし、自由を武力で勝ち取った人たちの末裔で、同朋意識を高める事ですごい力を発揮し、、、、、たとえば白人でなく差別されていた人が、ベトナム帰りというだけでコミュニティに受け入れられ、、、、って。

だが、理解できる範囲で解釈してみると、民主党支持者は、危機意識が希薄だと言えそうだ。多分“眼球の上をクモが動き回る絵”を見ても動じないんだろう。まぁ、もともと自分の身の安全は自分で守るを当たり前の事としていた人達だから、“日本人の危機意識がない”なんてのと比べたら失礼かもしれないが・・・。


余談だが、昨日は、買ったまま、まだ見ていなかった 500円 DVD 「荒野の決闘」を見ていた。ワイアット・アープ、ドク・ホリデーが悪党どもとOK牧場で決闘し、「オーマイ ダーリン クレメンタイン♪」ってヤツだ。皆さんも、良くご存知だと思う。

この時代がアメリカ人気質を良く表し、保守的と呼ばれる人たちの心意気なのだろう。アープが弟二人を殺されて、町の人から『何か出来ることは?』に『これは自分の問題だから』と断るところなんぞ、アメリカ人には普通に感じるんだろうけど、日本人の私にはなにやら意味深げで・・・・。

クリント・イーストウッド監督の『父親達の星条旗』を見ても、アメリカ人気質ってのが見えてくるような気がする。不思議なのは『硫黄島からの手紙』が日本人の私にも感情移入できることだ。私にとって、ハリー・キャラハンや夕陽のガンマンのイメージが強いクリント・イーストウッドの違う一面を見せられたような気もする。


閑話休題。アメリカ人の動物的な、飾らない、脳で理論武装しない、本能むき出しの気質(、、、ヨーロッパの国々から馬鹿にされる)を、私は、結構、好きだ。ヨーロッパだって、ほんの少し前まで同じ事やってたんだからね。

ただ、ヨーロッパの人たちは、アメリカ人より、ちょっとだけ早く、このような行為・行動を“野蛮”だと感じるようになったのだろう。

リベラルな考えを持つ人が、押しなべてインテリ(風)な事からも、野蛮というだけでこういう行為を恥じて、嫌っただけかもしれない。

もともと、危機意識は高い人達なんだから、危機意識がない=民主党、野蛮=共和党と、単純ではなさそうだ。どうでもいいけど、戦後、欧米のこんな風潮を浅慮に取り入れ、気取っているのが日本のリベラル派なのだろうね・・・戦前の日本を侵略国家だって言って、野蛮な自分達を恥じてるだけ?・・・・プ。医療の世界で医師のサボタージュが始まったように、軍人さんたちが『けっ、やってられっかよ』ってなっちゃったら、どうするんだろうね??


だが、自分の思い付きが証明された?興奮も薄らいで、冷静にみてみると、結局、出口調査なんだから、投票に行った人がサンプルなわけで、全アメリカ人が対象じゃないわけだ。

政治には全く関心がない、その他大勢の人でどうなるかはわからない。
 
 
 
今年の9月10日から、スイスとフランスの国境をまたいで始まった、大規模な物理学の実験が、日本のマスコミや一般庶民の関心を呼ばなかったことが、またまた、興味深い。

周囲27キロの巨大なトンネルが地下100メートルに設置され、このトンネルの中を陽子のビームが一周したのだが、このファーストビームをウェブキャストで見た人の数たるや、、、なんと1億件ものアクセスがあり、気楽に構えていた人達は、サーバがダウンしちゃって、おちおち見ていられなかったのだそうだ。

アカデミックからのアクセスは、多くて1割、いやもっと少ないだろう。世界中の素粒子物理学者が100万人もいるとは考えられないからね。多くは、政府機関、防衛・国防の関係者、はたまた、軍事産業のシンクタンク、周辺で経済的な利益が得られそうな産業の人たち、、、、知的好奇心からではなく、軍事的、経済的な興味が大多数なんだろうと思う。


結局、綺麗ごとを言って、過去を総括すれば、戦争を防げると思っているインテリでリベラルな考えの人たち、危機意識から戦争の正当化すら声高に叫ぶ極保守な人たち、、、みんな、政治的に強い信念を持つ人達は、科学の最先端で起きていることを何も知らず自己満足で主義・思想を語り、踊っている・・・・・。


一晩眠って目が覚めたら、自らスキャンしたグラフも、なんか、味気ないものに見えて・・・・・。でも、悔しいから、無理やりエントリーしちゃったりして・・・。


私は、大東亜戦争を『侵略戦争だ、いや違う』なんて議論のネタにすること自体、非常に意味の無い行為だと思っている。関わったひとりひとりにとって、その遭遇した出来事、印象が違うのが真実だ。真実は多数あるということだ。一言で表現できる事が真実だと思っているのなら、愚かなことだ。

数学の定理じゃないんだからね。

それが証拠に、日本、中国、韓国のそれぞれの場所で、それぞれの立場で、違った印象を持つ人が存在する。どれも正しい。その人にとっては間違っていない。

だけど、政治的に総括するためには、どちらかに落とし所をみつけなきゃならないし、敗戦国だから、侵略の汚名を着せられるのは、しょうがない。


そんな中で、現場で働く自衛官が『あれは侵略行為じゃない』と論文を書いたら処分を食らった。政府が言うのは当然だが、新聞・マスコミも『政府見解と違うことが問題だ!』なんて色めき立っている。完璧なシビリアンコントロールを受けている状況下で“思想”を云々しても、意味はないのに。こういう連中は、思想をコントロールすれば戦争を抑制できるとでも思ってるんだろうか?

はっきり言って、戦争は思想でやるんじゃなくって、兵器でやるんだぜ!竹やりの時代ならいざしらず、思想は“エクスキューズ”だ。こいつら、もしかして、平和を願ってるんじゃなくって、理屈で『あれは侵略行為じゃない』をやり込めて悦に浸りたいだけなんじゃねぇ~の??

マスコミは、こんなどうでもいいような事を、ことさら大問題として取り上げているけど、世の中には、素粒子を操れるかどうかに経済的な興味しかない人たちの多い事を、問題にしたほうがいいんじゃないのかなぁ??


『It’s the economy, stupid』

文字通りなら怖くない言葉も、深く考えれば、結構、恐ろしい言葉なんだぜ!

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曖昧な言葉はお好き?

20081105_offset自動車の安全性の指標のひとつに、衝突実験がある。オフセット衝突といかいう映像をご覧になった方も多いのではないだろうか?

でも、あの衝突の映像を見せられて、どんな場合が安全でどんな場合が安全でないのか、理解できる人はほとんどいないのではないだろうか?

私も理解できない一人だった。

『だった』と過去形なのは、非常に危険な場合の映像を見たからだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=L9fvHwVUNdQ&feature=related

上の動画の1分30秒過ぎの(中国製)車の壊れ方・・・・・、半端じゃない。冒頭に登場するレクサスの潰れ方と比べたら、車に詳しくない人が見ても『ああっ、これじゃ車の中で死ぬな』って思うだろう。

Aピラーとサイドシルがマッチ棒のように折れ曲がる・・・・・搭乗者エリアがグシャってつぶれる・・・・・日本車では見られない現象だ。

衝突安全性のビデオを見ても、いまいち、何がどう安全なのかわからなかった原因が、今、ようやくわかった。

今まで、中国製、韓国製の車の衝突安全性のビデオを見たことがなかったからだ。

危険な状態を知れば、安全な状態が“認知”出来る・・・・・・、安全が空気のようになっていると・・・・、良くあることだ。

ところで、上のビデオ、エロイやつを探していて偶然みつけた・・・・・わけじゃなく、google で『R35 GT-R YouTube』と検索した結果なので、、、誤解なきよう・・・(これじゃ、逆効果かなぁ・・・とほほ)
 
 
 
話は変わって、関東の薬学部、薬科大学では来年度から始まる6年制カリキュラムの必修単位である病院・薬局での実務実習先の確保が大きな問題となっている。

LDLコレステロール=悪玉の終焉?】でもちらっと触れたのだが、その後、色々と内情を知るにつけ、多くを書けなくなってしまった。。。。私、、、

というわけで、なぜ、薬学部に6年制を導入する必要があったのかを、もう一度、振り返ってみると・・・

薬剤師会や薬学の関係者は口を揃えて『薬剤師の資質向上のため』と言っている。確かに、すばらしい理由だ。これを反対する人はいないだろう。


ところで、この“資質向上”という言葉だが、MMJ のコラム(金城 紀与史 氏)に、『米国では医療の質を高めるため、出来高払いの弱点を是正するために、病院の医療成績の公表と、金銭的インセンティブと成績を連動させた Pay for performance がいろいろな形で導入されいる。』とあった。

具体的には、病院や医師の成績を公表する。患者は成績の良いところに集まり、成績の悪いところは努力するようになり、ついていけないところは市場原理で淘汰される。1989年以降、ニューヨーク州では病院と外科医ごとの冠動脈バイパス術の手術成績を、患者リスクを調整して公表したところ、89年から92年までの間で、州全体のリスク調整術後死亡率が41%低下したとの事。


はたして、このような“わかりやすい”医療の質を薬学、薬剤師の資質に当てはめることが出来るのだろうか??私は、長いこと(20年以上)薬剤師をやっているが、未だに“薬剤師の資質”を具体的に言葉にすることが出来ない。

同様に“専門薬剤師”“認定薬剤師”というのも、若い薬剤師たちの勉強することへのモチベーションにこそなれ、薬剤師による医療の質を向上させる具体的な貢献が目に見えてこない。

日本薬剤師会は、薬学部6年制が“悲願”だったそうだが、一体、薬剤師の将来にどのようなビジョンを描いていたのだろうか?

『薬剤師の資質向上のため』なんて言葉は聞きたくない。誰か具体的な事を語ってほしいのだが・・・・・。
 
 
 
薬剤師の資質ってのは、世の中の“安全”と同じで、あって当たり前、ミスはなくて当たり前って範疇なのかもしれない。決して、積極的に“治癒率の向上”“合併症の減少”“対医療費効果の向上”など、わかりやすいものではないのかもしれない。

(その昔、薬剤師会は医薬分業すれば無駄な薬を使わせなくなるので、医療費は抑制できると言っていた。今、薬剤師会は厚労省のお役人あたりからも、この点に関し『嘘つき』呼ばわりされている。今の医療制度や薬剤師会のていたらくでは、医療に対して積極的な貢献はできっこないのは、火を見るより明らかだが・・・)

もし、そうなら、中国製、韓国製の非常に危険な車のような例を出して、日本の薬剤師は安全ですとやるしかないのか???

(手帳の活用や薬の説明みたいな情報サービスは、医療の質には含まれない。あれは患者満足度を向上させるだけのものだ。マニュアル作って徹底させれば誰にでも出来る服薬指導で、服薬コンプライアンスが向上したなんてのも薬剤師の資質とは関係ないよ)
 
 
 
だとしたら、なんか、やだなぁ・・・・・・。

っていうか、私の知らないところ(そういう薬剤師がいっぱいいることは知っている)にいる中国製、韓国製の非常に危険な車のような薬剤師の資質を向上させる為に、6年制が必要だった・・・・と言われれば、このビデオを見てから“車の衝突安全性”が理解できたように、『薬剤師の資質向上のため』という言葉が理解できる。

また、中国製、韓国製の車とレクサス製の車を区別するために“専門薬剤師”“認定薬剤師”が必要だというなら、その存在意義も良くわかるというものだ。


でも、それって・・・・・・・・・


注意:中国製、韓国製と名前を出したのは、ずばり事実を引用しただけであり、別な意図や隠喩ではない。また、中国人、韓国人を中傷するものでもないし、中国、韓国を非難するものでもない。
私のブログを長く読んでいらっしゃる方はお分かりだが、私は中国や韓国の反日的な態度に対して、それを『自国の利益のためだから当然』ということはあっても、非難したことは一度もないし、考えたこともない。
私が、非難するのは、中国、韓国に媚を売る自虐的歴史観の日本人に対してだ。こういう奴らの人道的ぶった態度は偽善で独善だからだ。こういう態度は、非常にうそ臭い。自分の利益を省みない行動は、もはや“生物”とは言えないから、本心だとしたら本物のマゾヒストだ。しかし、もし、なにかあったら、中国、韓国に亡命するというのなら、媚を売るのもやぶさかではないけれど。

マゾヒズム
(英masochismのドイツ語読み)
1 相手から肉体的な苦痛や精神的苦痛を与えられて性的満足をうる異常性欲。このような人物を主人公とする小説を書いたオーストリアの作家、ザッヘル‐マゾッホに由来する語。被虐愛。⇔サディズム。
2 (転じて)一般に、自虐的な傾向・性質。

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首相「カップめん400円ぐらい?」

20081029_cupnoodle昨日は、『禿同!』のエントリーだったけど、同じ部類の内容で。

民主党の牧山弘恵(氏なんてつけない、呼び捨てに値する)は、28日の参院外交防衛委員会で首相にカップラーメン一個の値段を聞いて『庶民感覚がない』とやらかしたそうだ。
参議院インターネット中継はこちら

この国会議員をバカと呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう?ニュースキャスター根性が抜けてないのだろうが、ここは、外交防衛委員会だ。こんなバカな質問をする事自体が本来の仕事に対するサボタージュだ。

大衆迎合な質問をしている議員を“正義の味方”扱いしてないで、“税金(給料)泥棒”と認識した方が良いと思うがいかが?

本来、庶民の生活と密着してる分野を仕事の領域とするのは区議会議員や市議会議員だ。カップラーメン一個の値段を彼らが知らなかったら、糾弾することも吝かではないが、首相がカップラーメン一個の値段を知らないことで、外交、防衛、教育、その他社会保障などの大枠に影響がでるとでも言うのだろうか?

人の価値観は十人十色。だから、“首相がカップラーメン一個の値段を知っている事が大事である”と考えるなんて理由で“賛同”する庶民もいるのかもしれないが、、、、、

庶民感情を適応させる範囲外だよ!首相の仕事は。

もしかしたら、庶民の暮らしを視察するなんてポーズだけで、それが証拠にカップラーメンの値段も知らないジャンなんて考えるアホな大衆の人気を得たい故の“質疑”なら、即刻、クビでもいいよな!こんな議員。

首相が現場(スーパーマーケット)を訪れるのは、具体的な価格を知ることが目的ではなく、庶民がどのように感じているかを肌で感じる事と本当にポーズだ!首相が来た事で「ああ、庶民の生活を考えてくれてるんだ」と思わせることに有る。プラセボ効果をバカにしちゃいけない。それを台無しにするような発言は、慎むべきだ。医療人なら常識の範囲だ。

もっとも、有名人が来た!ってキャーキャーやってるおばちゃん達の姿を見て「生活に困っている」と感じる人もいないだろうけど・・・・。


話は変わるが、私の妻は薬学部出身だ。化学が好きで成績が良かったから薬学部に行ったらしい。私は、薬学部出身だが入りたいところに落ちてしまったので薬学部に進学した。生物学が大好きでこの科目だけなら、学年で1、2番を争っていたくらいなので(※1)、理学部を目指していたのだ。でも、浪人中、不思議と本番(入学試験の模試)では化学の方が確実に得点できる事がわかった。あまり好きではないが、大学でも有機化学はフルマークだった。
(※1 生物学の教師が部活の顧問で、高校1年の一学期の生物の授業中に居眠りしてたら、この顧問の先生に「おまえ、いい度胸してるな」と脅され、テストでいい点取らなきゃヤバイとビビって、生物だけ猛勉強したって理由もあるのだが・・・・)

好きと上手が異なることを、人生で最初に体験したのが、こんな事だった。どうでもいい事だが。

その妻の本棚を見ると、私の興味以外のものがわんさかある。世間的には、薬剤師の夫婦で似たような価値観だろうと思われがちだが、私自身はまるっきり違うと感じている。

そんな事を痛烈に感じさせる本を、今朝から読み始めている。

進化論の教科書的な本を読むのに、ちょっと疲れたので、リフレッシュする為に妻の本棚から拝借した「 男こそ顔だ! 」(大石静 著)ってエッセイだ。


目から鱗が落ちる事しきり。


世間的には似てると思われる夫婦でも、読む本がまるっきり違うように、かなり違った価値観をもっている位だから、これが、まるっきり畑違いの世界に住んでいる人たちの価値観と比べたら・・・・(※2)。

(※2 夫婦の価値観が違うって書いたけど、でも、似てるから夫婦でいられるのかも知れない。例えば、妊婦のたらい回しの報道に対して、(医学的な理由で)しょうがないよなぁ・・・なんて反応に、「そうだよねぇ」と相槌を打つんだからねぇ。もし、文学部出身だったりしたら、私は非情な男として離婚届を突きつけられてるだろう・・・)
 
 
 
というわけで、私の価値観の外に、一国の首相がカップラーメン一個の値段を知っていなければならない理由も、あるのだろうか・・・・・???

私の目は、鱗に覆われているのか??
 
 
 
なぁ~んて、謙虚な事、思うわけねぇ~ジャン!!

(本日は、大石静氏のエッセイ風のオチを頂戴したエッセイにしてみました)

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政治報道の「劣化」

20081028_recognition_skill「それを庶民感覚と結び付けて報じるのはどういう神経か」

激しく同意。

ネットの世界では『禿同』とか言うらしいが、まさに、『禿同』。でも、マスコミの腐り具合が同業からの“公の”指摘レベルになったのは、なんともやりきれない。

「筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ」・・・こんなことが出来なくなった世の中の風潮はマスコミ自身が作り出したものかもしれないから自業自得なのだが、マスコミのくだらない報道を真に受けるバカな庶民がいるのだから、事は自業自得では済まされない。


※時間が経つと記事がなくなる事もあるので、全文転載

【政論探求】ホテルのバーがなぜ悪い

産経新聞
2008年10月28日(火)08:05

 麻生太郎首相の「高級ホテルのバー通い」がなにやら政治問題化している。これのどこが悪いというのか。

 どうやら特定の記者がしつこく追及し、これをほかのメディアも伝えているというのが実情らしい。こんなことが政治報道の軸になってはたまらない。


 筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ。国民に知らせるべき肝心の政治取材が阻害されるからだ。


 まして、いま、政治の最大の焦点は100年に一度といわれる世界的経済危機と国内政局との関係にある。こういうつまらない質問で首相を煩わせていいのか。首相にただすべきことはほかにいくらもある。


 このコラムでも以前、首相就任前の麻生氏が夜の会合を終えてからなじみの酒場に毎晩のように顔を出すことを紹介したが、これは、気力、体力の充実ぶりを示すものとしての話だ。失礼ながら、あのトシで酒場に精勤するというのは、なまなかのことではない。


 麻生首相の場合、一日の最後に好きな葉巻と酒でリフレッシュすることと、重要人物との密談が目的という。首相のライフスタイルと情報収集の邪魔をしてはいけない。


 かつて政治家の夜の密談場所としては料亭が通り相場だったが、料亭そのものがめっきり減った。ホテルのバーなら料亭よりも格安だし、ロビーがあるから記者たちが待機する場所にも困らない。


 それを庶民感覚と結び付けて報じるのはどういう神経か。首相が一杯飲み屋に通っていたら、この方が問題だ。警備も大変だし、一般客に迷惑をかける。


 筆者の現役時代は料亭の前で待った。出口のまん前に車を止めてさっと乗られてしまうから、つかまえるのが厄介だ。表向きの会合だけならいいが、ときに「カゴ脱け」をやられる。別の部屋に本来の密談相手に待っていてもらい、会合を中座して会うというものだ。だから、会合の一群が帰ったあと、電柱の影でしばらく待つということもやった。空振りも多かったが、要人たちの密談取材は体力勝負でもあった。


 首相がホテルのバーを利用していることがニュースになるというのでは、政治報道の「劣化」を意味するのではないかと気になる。(客員編集委員 花岡信昭)


ところで、“庶民感覚と結び付けて報じる”って、朝日新聞とか、、、だろな。共産党とか旧社会党とか日教組とか、こんな連中の思考と肌の合う奴にぴったり・・・。まぁ、いいけど。
 
 
 
大阪府知事と教育委員会の激しいやり取りが、おもしろおかしく映像になってお茶の間に届けられる。

気になったのは、知事の『言ってわからなきゃ、体でわからせなきゃならない』に対して、『暴力反対!法律違反だぞ』って教育委員会のヤジ。

“暴力反対”を叫ぶ教育者ってのは、自分が殴る事で生徒と係わり合いになることを避ける“無責任な”ヤツだ。自分の無責任を棚に上げるために“暴力反対”をエクスキューズにする知恵は持っていても、“喝上”するような生徒を指導する“心意気”は持ち合わせていない。


“暴力反対”は何も教育委員会の専売特許じゃなくって、マスコミも大好きだ。昔々“よってたかって成敗(殴る蹴るじゃなくても)”出来た環境が、今は、パワハラだとかセクハラだとか、まるで“イケナイ行為”であるかのようにすりかえられてしまった。

まぁ、昔はバカでも歳を取れば“上司”に成れたから、上司の言うことが全て正しいとは限らなかったかもしれない。でも、そういう例外を除いて考えてみれば、ヒラ社員と上司の判断の正しい確率は圧倒的に上司だ。平社員はそれが面白くなければ、今は『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』と・・・・。こんな事を言える環境を作ってしまったのは、兎にも角にもマスコミ以外にはない。救われる人もいるんだろうから、それが絶対悪だとは言わないけど、バランスを欠いている事は間違いない。

それに、『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』というヤツに限って、低能である。有能であれば、自分の考え、判断を否定される事も無い訳だからね。

従って“理想の上司”なんてもんを考える事自体が“自分の低能さ”を証明することにもなる。

そんな環境が『一国の首相にも庶民と同じ目線で・・・』なんて、世界でも類を見ない“文化”にまで発展してしまった・・・かなしい日本。


日本といえば、WBC(野球)の監督を誰にするかでひと揉めしている。

そもそも、理想の上司なんてものに選ばれるのは“緩い”証拠で、出来の悪い奴らに好かれる星野を選んだ段階で、オリンピックの負けは決まっていたようなもんだった。勝ちたいんだったら、そんなものを監督選出の判断材料に使っちゃいけない。公にはそんな事を判断材料にしてなくても“チームの和”などという実体のないものを得られるかも?なんて期待があった事は否定できないだろう。“お友達”“仲良く”“理想の先輩”“理想の上司”なんてものはサークル活動だけでいい。

だから、イチローの考えには『禿同』だが、世の中にはそれを嫌う人もいる。


世の中、いろんな判断に食い違いが生じるのは、私は、それぞれの他者認識スキルの違いによると思っている。人間ってのは、自分の中のスケールで物事を判断する。他者を認識する場合に於いてもそうだ。だから他者認識スキルの低い人ってのは、自分のレベルも低い。

他者認識スキルの高い人は、(仕事を)任せられる人と任せられない人を峻別し、使いこなす事が出来る。他者認識スキルの低い人は、自分の判断や気配りが他者においての可否を考える事すらしないので、なんでも自分でやってしまおうとする。そして、自爆する。(ダッグアウトで椅子を蹴飛ばすのは、わかりやすい例)

そのレベルの人間を理想の上司とする人間も、また、然り。


最近の風潮の恐ろしいところは、一国の総理だけじゃなくって、映画スター、スポーツ選手、その他においても、ザコとセレブリティの区別をつけず(つけられない程、愚かなのかも)、友達感覚で接する事を善しとしている所ある。

それは、学校の先生に対してであったり、お医者さんに対してであったり、最悪なのは親子関係にまで及ぶ例があることである。他者認識スキルの低い人間が増えたというより、そんな概念すら考えてない人間が増えたからなのだろう。。。。裏を返せば平和である。。。危機感が無いとも言うけど。

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It's the Sequence, Stupid!

20081024_the_sequenceIt's the Sequence, Stupid!

やっぱり、基本はコレなんだぁ!影響を与える因子が多すぎるから“遺伝子制御機構”ってのは“混沌”のように見えるんだけど、、、、

まぁ、そんなことより、シャレているのは、Science 誌のライターだよね。
この研究の紹介しがてら、遺伝子分野の展望に『It's the Sequence, Stupid!』だもんね。

ビル・クリントンが1992年、大統領選で発した名言をもじるなんてね!

遺伝子制御を調節する(Regulating Gene Regulation)
Science October 17 2008, Vol.322

組織特異的な遺伝子発現は、ほ乳類全体に共通な高度に保存された一連の転写制御因子によって確立されている。

しかしながら、転写制御因子の結合部位自体は進化の過程で劇的に変化した。

このような変化は、エピジェネティクス、クロマチン、基本的な配列変化、環境および食事を含めた多様な因子の結果であろう。

遺伝子発現を制御している環境因子と遺伝因子を分けるために、Wilsonたち(p.434,9月11日のオンライン出版;Coller and Kruglyakによる展望記事参照)は、ヒト(の)21番染色体のコピーを保有するマウスの肝臓における発現を研究した。

これにより、同一の核内で同時にヒトとマウス配列の完全な相同染色体に関する転写制御の研究が可能となった。

in vivoでのタンパク質-DNA結合、ヒストンのメチル化および転写に関して、DNA配列が環境よりもより重要な決定因子であった。

Species-Specific Transcription in Mice Carrying Human Chromosome 21
p. 434-438.
GENETICS: It's the Sequence, Stupid!
p. 380-381.


だけど、言葉って難しい。

同じ事を言い方を変えると、印象が違ってしまう。私は、会話や文章で敢えて相手の記憶に残るような言葉を選択する事があるけれど、上のような“小粋な”言葉は、なかなか考えつかない。

例えば、下のような論文を紹介しようとすれば、、、、


『デブは脳の反応が鈍い』


とか、やっちゃう。

遺伝子と太り過ぎ(Genes and Weight Gain)

Science October 17 2008, Vol.322

将来の個人の体重増加のリスクを増大させる因子には何があるのか?肥満体の人はドパミン報酬系が緩慢である場合、これを促進させる努力の中で、過食に陥るような低活性報酬回路を持っているのではないかという仮説がある。

脳イメージング法を利用して、Stice たち(p. 449; および、表紙を参照)は、中性の液体飲料に対して美味なカロリーの多い飲料を摂取した場合、肥満体の人とそうでない人を区別する線条体活性化の関連を見つけた。

この活性化の相違が、各個人のドパミンD2受容体遺伝子のA1対立遺伝子を保持しているかどうかで強調され、これに付随して線条体中のドパミンの伝達が減少する。

この関連が、個人の1年後の体重増加を予測している。

Relation Between Obesity and Blunted Striatal Response to Food Is Moderated by TaqIA A1 Allele
p. 449-452.


強く記憶に残せれば、(・∀・)イイ ジャン・・・って思ってるし、“小粋な人”と思われたい欲望はほとんど無いので、シャレた言葉が浮かんでこないのだろう。(単に文学といわれる書物を読んでいないだけ・・という理由もあるが・・・)


血液型ゲノムって占いサイトがある。

『血液型ゲノム』。。。。。チョー胡散臭い、イイカゲンで非科学的な名称だ。

言葉の意味からいって、血液型の後に“ゲノム”という言葉は付かない。ゲノムという意味を解っていない証拠だ。こういうサイトや言葉遣いをする人の事って、私は、カラバカにしていて、普段なら目もくれないんだけど、ヒマだったから、覗いてみたら、、、、

真面目なA型

真面目で責任感があり誠実、良い人です。

真面目度: ★★★☆☆
マイペース度: ★★★☆☆
お調子者度: ★★☆☆☆
不思議度: ★★☆☆☆

◆性 格
現実的であり利己的であります。好き嫌いがはっきりとわかれるでしょう。他人を自分にとっての損得だけでしか考えていません。無駄使いをせずに必要な物だけを手に入れます。淡白ですね。自分のことは自分でやるという信念を持ちます。抜群の集中力をもち、積極的にチャンスに挑みます。悩み多き人であり、ちょっと遠回りに物事に向かう時があります。なかなか他人に理解され難い人で、あなたのことを好意的に理解してくれる相手は貴重な存在でしょう。他人に何か頼まれるとイヤとはいえない性分です。向上心をもって常に伸びようとします。また自分の考えや行動に自信を持っており、自己中心的なところがあります。

◆仕 事
時期によってやる気の上下があるでしょう。手抜きもします。とにかく利益や結果を優先していきます。相手の気持ちをまるで心を読むかのように察することができ、積極的にチャンスに挑みます。仕事をしていても頭の中は別の世界なので、やるべきことに集中できないときがあります。他者とは一線をおいて付き合い、プライベートを大事にします。尊敬できる上司や社長を求めます。プラスのあるほうに行動します。責任感が強く自分の信念があり、また論理的な結論を常に求めます。

◆恋 愛
たまーにテンションあがってイケイケになります。またしっかりとした経済力を重視します。また、温和で無難な付き合いを望んでいます。頭の回転が非常に早く、相手の女性はそこに惹かれるでしょう。寂しいときは相手のことが気になり、そればかり考えてしまうときがあります。毎日一緒にい過ぎるとマンネリ化します。相手の女性を尊重します。お互い成長し合える関係を望みます。相手の女性に誠意をもって接しますが、空気の読み合いのようになることがあります。


コレ、、、、

(・∀・)イイ

なんか、笑っちゃう!日本語としておかしな文章になっている所もあるんだけど(回答に対してユニークにリレーションされているセンテンスがあって、切り貼りしているだけだから、仕方ないんだろうけど)、、、、

多少の『?』はあるにせよ、自分の個性を人に伝えるには、もってこいだ。

『デブは脳の反応が鈍い』とかやっちゃうのも、これで説明が付きそうだしね。。。
 
 
 
さてさて、今現在、【マリンパの雑感】で閲覧される頻度の高いエントリーに『苦味感受性の進化』がある。ずいぶんと以前のエントリーなのに、突如として浮上してきた。

検索フレーズランキングに該当する単語すら入っていない、この『苦味感受性の進化』のどこに読まれる要因があるのだろう??

自分では気づかない『It's the Sequence, Stupid!』のような“小粋な”表現があるのだろうか???

まぁ、自分で“会心の出来だ!”なんて思ってるエントリーが、全く関心を呼ばないなんてのは日常茶飯事だから、私の個性では“解析不能”なのだろうが。

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LDLコレステロール=悪玉の終焉?

■LDLコレステロールを下げすぎると“がん”になりやすい。。。
■そればかりか、もとから低い人も“がん”になりやすい。。。

ついに、LDLコレステロール値と“がん”が結びついたっ!!

さてさて、みのもんたをはじめ、マスコミ、健康産業はこれにどう対応するんだろう??(多分、無視を決め込んで、今まで通り、『LDLコレステロール=悪玉』を連呼しつづけるんだろう。そして、大衆は、そこまで言うんだから、嘘はないだろう・・・・って)


20080909_hell阿刀田高氏の『やさしいダンテ〈神曲〉』(私にとってのアンチョコ)によれば、地獄は9層に分かれていて、ミノス王によりどの層送りになるのか決定されるという。

どんな罪を犯したかによって送られる層は変わってくるのだが、現代人の感覚からは『?』と感じるものから、『うんうん、その通り』と納得してしまうものまで、色々あって面白い。

ところで、日本の閻魔大王のような役どころのミノス王は、ギリシャ神話に登場するクレタ島のミノス王のことだ。ダンテの神曲にはギリシャ神話のエピソードがふんだんに盛り込まれており、この知識がないとかなり『???』となる。世に言われるところでは、これがルネッサンスに繋がるんだとか。(幸い、私は『あの事か・・』とニンマリしているが)

そして、この地獄の描写は半端じゃない。私が想像するに、こんな“スゲー”のは神曲以前にはなかった。ダ・ヴィンチやミケランジェロに『神曲が無かったら、自分は無かった』と言わしめたのは、この想像力にイマジネーションを刺激されての事かと・・・。

閑話休題。その層は下に行くほど罪深いわけだが、わが意を得たり!と感じたのが、“偽善”が“暴力”より下の層に置かれている事だ。さしずめ、みのもんたや健康産業の連中は、6層送りになるのだろう・・・・、ざまあみろ!だね。

今回の引用は、ちと長いのでこのエントリー最後にぶら下げることにする。


今朝、母校の先生から電話をもらった。ただならぬ様子なのは、声のトーンがいつもと違う事で察せられた。

薬学部教育が6年制になったのは、もう、ほとんどの人が知っていると思う。そして、国家試験受験資格=薬学部卒業認定に必要な単位として、臨床的な実習が義務付けられた事も(これは一般の人は知らないかも)。

この実務実習は、医学部と違い、実習の場を大学で持たない薬学部は他の施設を利用させてもらう事になる。医学部の付属病院から街の薬局まで。そして、その学生の研修の場の割り振りは、薬学教育協議会という団体が学生の割り振りを担っている。業界では“調整機構”などと呼んでいる。

で、電話の内容はこうだ。

東京薬科大学、明治薬科大学、星薬科大学が“調整機構”から離脱して、自前で学生実習を遂行するらしい。何か知ってる?


薬剤師養成の為の実務実習が必要かどうかという事に於いては、私の考えは『否』だし、そもそも6年制自体も反対なのだが、この際、そんな事はどうでも良い。

薬剤師会の構成メンバーに東京薬科大学、明治薬科大学出身者は多い。そして、その当事者達が薬学部6年制を熱望し、実務実習の必要性を説いて実現したものだ。

その挙句に、薬学部受験学生の資質の低下、薬学部乱立もあって定員割れ、尚且つ、卒業生の倍増に伴う、実習先の不足が表面化したわけだ。

入学したけれど、実習できない、卒業できない、国家試験受験できない、、、、となれば、大学は倒産だ。じゃどうするよ・・・・・・。“調整機構”からの離脱はその答えなのだろう。仲間内(OB、OG)の薬局と内密に契約を結んで、自分のところの学生だけは、十分、実習できるように計らった。


全国の薬学部の学生から実習の機会の均等を奪う行為だと感じるのは、私だけではあるまい。“調整機構”には国立の大学も加わっている。私学なら、薬局経営者の子弟が多いから、なんとかなるのかもしれないが、苦学して国立薬学部に入った学生はどうなるの?(薬剤師になりたいかどうかは別にして)

結果の平等なんて無くてもいいしクソ食らえだが、機会の平等が無いのは、如何なものか。


私がミノス王なら、この3大学は、第6層送りにするだろう。(なんで第9層送りじゃないのか?それは・・・・まだ、9層がどんなものなのか読んでない・・・から。自爆)

でも、まぁ、しかし、ものは考えようで、6年制は仕方ないにしても、実務実習自体は必修ではなく選択科目になる・・・その過程での“切っ掛けとなる事件”と捉えれば、結果は良い事だと私は思う。そうなれば抜け駆けした“間抜け”の吠え面も拝めるし・・・うししっ!

LDLコレステロール値が低いと、スタチン類を使用していなくとも、癌リスクが増大する


提供:Medscape

スタチン治療を受けている患者を対象にした研究で、年齢などの変数で補正しても低比重リポ蛋白コレステロール値の低さと癌との間に有意な負の連関があることが示された。

Michael O'Riordan


【8月22日】スタチン治療を受けている患者は、治療中の低比重リポ蛋白(LDL)コレステロール値と癌との間に有意な負の連関がありこの連関は年齢などの変数で補正しても消えないことが最新研究で示された。[1]しかし、スタチン治療を受けていない対照群でもLDLコレステロール値と癌発生との間に同様の関係があったことを著者らは報告しており、スタチン治療はLDLコレステロール値を有意に下げていても、癌リスクの増加とは連関していなかった。

「LDLコレステロール値が低いほど癌リスクが大きくなるという連関が確かにあることが判った」と上級研究者のDr Richard Karas(タフツ大学医学部、マサチューセッツ州ボストン)がheartwireに語った。「スタチン類はLDLを降下させる能力があるが、スタチン類では癌リスクは増加しないことが今回のデータではっきりと再確認された。」

『American College of Cardiology(JACC)』のオンライン版に速報版として本日発表されたこの分析は、Dr Alawi Alsheikh-Ali(タフツ大学医学部)が2007年にJACCに発表した研究を受けたもので、Karas博士もその論文の上級著者を務めた。この研究は、当時のheartwireの報道にあるように、当初のデザインはスタチン類がLDLコレステロール値を下げる程度と肝毒性・筋毒性との間に相関があるかどうかを調べるものであったが、LDLコレステロール値が低いと癌リスクが高くなるという関係があることが、さまざまなスタチン試験で警告されるようになった。

「こうした介入には、LDLコレステロール値を下げることによる心疾患リスクの低下は、癌リスクの増大で相殺されるのではという明らかな疑問と懸念が生じた」とKaras博士は言う。「これはある種の難問だ。というのも、これまでの研究ではスタチン類を使用すると癌リスクが増大するかどうかを調べるものであり、その答えは『ノー』だったからだ。我々はやや窮地に立たされた。LDLを下げると癌リスクが増大するが、LDLコレステロール値を下げるスタチン類は癌の原因にはなっていないようだと、どの程度言っていいのだろうか?」


新研究の背景

こうした疑問を念頭に置いてAlsheikh-Ali博士とKaras博士がそれぞれ指導研究者と上級研究者として、スタチンによるLDLコレステロール値の低下が癌リスクと連関しているかどうかを1000人年以上追跡したスタチン類ランダム化対照試験15本のデータを総覧した。博士らが総覧したデータは全体で、スタチン治療を受けた患者51,797例とプラセボ治療を受けた患者45,043例であり、患者の追跡年数は平均4.5年であった。その追跡において新規の癌症例が5752例報告された。

スタチン群で治療中のLDLコレステロール値と癌発生とを調べると、治療中のLDL値と癌リスクとの間に有意な負の相関が見られ。LDLコレステロール値が10 mg/dL下がるごとに1000人年あたり癌が2.2例発生した。この関係は、年齢、性別、喫煙状況、糖尿病、高血圧、肥満指数といったさまざまな背景変数で補正しても有意なままであった。プラセボ治療を受けた群でも同様に、治療中のLDLコレステロール値と癌リスクとの間に負の相関が見られ、LDLコレステロール値が10 mg/dL下がるごとに1000人年あたり癌が1.2例発生した。

スタチン類の使用と癌リスクとの連関がプラセボと同程度かを解析すると、Karas博士によれば同程度ではなかった。プラセボ群の患者は、追跡1000人年あたりの新規の癌症例は平均12.6例だった。LDLコレステロール値が10 mg/dL下がるごとに癌症例が2.2例あり、スタチン介入でLDLコレステロール値が平均して40 mg/dL低下していた。このことから、スタチン群では追跡期間中に1000人年あたり癌症例がおよそ8例多くなるはずである。しかしスタチン治療を受けた群での癌発生率はそうなっておらず、追跡1000人年あたり12.7例であり、プラセボ群とほぼ同じであった。

スタチン類は癌リスクを増大させないことが改めて確認されたとKaras博士は言うが、心臓疾患研究者が癌発生を追跡・監視して、こうした介入の全体的なリスクと便益とをさらに詳しく理解することが必要である点をこの研究は呼び起こしているとも博士は言う。また、LDLコレステロール値の低下と癌リスクとの連関の生物学的背景を解明するための基礎科学研究もさらに必要である。

「我々は正しい理由を知らない。したがってできるのはその理由を想像することだけだ」とKaras博士はheartwireに語った。考えられるメカニズムのひとつとして、炎症系とアテローム性動脈硬化の拮抗効果に関連するものがある。博士によれば、アテローム性動脈硬化を発現している者は、免疫系の活動が過剰になっており、アテローム性動脈硬化を持たない者は免疫系の活動が低い。「LDL値が低い者はアテローム性動脈硬化のリスクも低いが、炎症反応のレベルも低いかどうかはわかっていない。このことは、免疫系は身体から癌を取り除く監視系の一部であるために重要である。我々の免疫系は、癌細胞に変異しようとしている細胞を見つけ出し、それを身体から取り除こうとしている。」


この問題について考察する2つの解説記事

Alsheikh-Ali博士らが発表したこの分析には解説記事が2つついた。1つはDr Daniel Steinbergによるもので[2]、もう1つはDr Ori Ben-YehudaとDr Anthony DeMariaによるものであり[3]、著者らは全員がカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の所属である。

今回の知見に関して、心血管疾患を予防するためにはLDLコレステロール値を50 mg/dLにまで低く下げることを支持する立場のSteinberg博士は、スタチン療法が安全であるという点で今回の著者らに賛成しており、スタチン類はLDLコレステロール値の低下に伴って見られる癌リスクに対しては「何もしていない」と述べている。未治療被験者も、スタチン治療患者と同様の「低LDL/高癌リスク」関係を有しており、疫学的相関を因果関係として解釈すべきではないと指摘している。

低いLDLコレステロール値が癌リスクに連関することの説明として、Steinberg博士はこれを、無症候疾患によってコレステロール値が低下することによる「思いもよらない疾患現象」だと考えている。博士によれば、癌はそれが臨床的に顕になる10年近く前からコレステロール値を有意に下げている可能性がある。「大規模スタチン臨床試験でランダムに募集したコホートには、試験登録の時点ですでに癌になっており、そのためにLDL値が低い被験者が一部に含まれていることは疑いない」とSteinberg博士は記している。「LDLが低いのは癌の結果であって原因ではない。」

Karas博士はこうした解釈には納得しておらず、癌が潜伏していた被験者でも癌が明白になると考えられる追跡期間の最初の5年間を除外しても、LDLコレステロール値の低い者に癌が多く見られることは変わらないと述べている。そのうえ、ほとんどのランダム化対照臨床試験は健康な被験者だけを対象にしており、癌患者を登録する可能性はほとんどない。

数週間前に発表された総説論文[4]の中でSteinberg博士は、Dr Christopher GlassとDr Joseph Witztum(両者ともUCSD)とともに、医師の実践は「少なすぎで遅すぎ」だと述べ、脂質降下薬治療のもっと積極的な利用と、アテローム性動脈硬化の発現に対するもっと早い段階での介入を提唱している。博士は解説記事の中で、LDLコレステロール値を下げること自体が、癌の危険性やその他の深刻な結果を招くことはないという自身の主張を繰り返している。

JACCの編集委員であるBen-Yehuda氏とDeMaria氏は、初めて癌リスクを明らかにしたAlsheikh-Ali博士の2007年の論文が、熱心な再検討と議論を呼んだと書いている。むしろ両氏は、この問題が解決したとはまったく考えていない。先月報道発表され、9月にドイツのミュンヘンで開かれる2008年欧州心臓学会に発表を予定している「大動脈狭窄患者の臨床転帰へのシンバスタチンとエゼチミブの効果(SEAS)」試験でも、活性薬群はプラセボ群に比べて癌発生率が有意に高かった。

「ビトリン効果国際試験(IMPROVE-IT)」と「心臓・腎臓保護試験(SHARP)」という他の2つの試験の解析では癌の増大は示されなかったが、Ben-Yehuda、DeMaria両氏は低いLDLコレステロール値と癌との関連は、たとえスタチン類が癌リスクを増大させないといても、まだ解決していないと記している。Karas博士同様に両氏は多くの試験の癌発生率の報告が不完全であることを指摘しており、さらに詳しい研究が必要であるとしている。両氏はタフツ大学の今回の分析を評価しているが、SEASの新データはさらなる研究の必要性を浮き彫りにしているとも述べている。

Karas博士はMerck社とAbbot社から謝礼を、Pfizer社から研究支援を受けている。Alsheikh-Ali博士はPfizer社/タフツ大学医療センターの奨学金を受けている。Ben-Yehuda博士はSchering-Plough Pharmaceuticals社の諮問委員を務め、Merck社から研究助成金を受けている。


出典

Alsheikh-Ali AA, Trikalinos TA, Kent DM, Karas RH. Statins, low-density lipoprotein cholesterol, and risk of cancer. J Am Coll Cardiol. 2008; DOI: 10.1016/j.jacc.2008.06.037. Available at: http://content.onlinejacc.org. Steinberg D. Statin treatment does not cause cancer. J Am Coll Cardiol. 2008; DOI: 10.1016/j.jacc.2008.06.036. Available at: http://content.onlinejacc.org.
Ben-Yehuda O, DeMaria AN. Low LDL-C levels and cancer: Reassuring but still not definitive. J Am Coll Cardiol. 2008; DOI: 10.1016/j.jacc.2008.08.001. Available at: http://content.onlinejacc.org. Steinberg D, Glass CK, Witztum JL. Evidence mandating earlier and more aggressive treatment of hypercholesterolemia. Circulation. 2008;118:672-67.

Medscape Medical News 2008. (C) 2008 Medscape

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ポスドク と ROME[ローマ]

20080908_postdoctoral_fellow<あなたはポスドク。教授から『新型の生物兵器防護服を開発する国の秘密研究にさんかしないか?』と誘われた。『何人かの研究員から快諾を得ている』という。さてどうする?>

上は、読売新聞日曜版“立体考差”ってコラムの抜粋だ。編集委員の柴田文隆という方が書かれている。

この柴田氏が研究倫理を教えている理系修士課程の学生77人に、こんな設定でリポートを書いてもらったそうだ。結果はこう。

「参加する」25人(32%)「断る」36人(47%)「場合による」16人(21%)

生物兵器の生産、使用などは国際協定で禁止されているし、講義では毒ガスや原爆の開発に協力した科学者達の罪を指摘し、科学者責任の重要性を強調した後のリポートだったので、「断る」が7割は下らないだろうって思っていたら、、、、なので驚きの結果だったとして書いている。


私なんぞは、、、、、


---さもありなん---


えぇ~!どうしてそう思うの?って問いにはうまく答えられないけど、そんなもんじゃない!?

っていうか、人間の感情とか思考とか行動原理って、人間自身はわかっているような気でいるけど、実は、ほとんどわかっていない。それが証拠に、歴史は繰り返している。わかっているのは、人間も地球上に生息する一生物種だということ。だから、生存本能に従って思いを馳せ、行動する。

(日本で)歴史を語る人が例外なくするのは“悪者を作り出す”事だ。私自身は特に文科系の素養しか持ち合わせていないロマンチストに多いという印象をもっているのだが、それは置いといて。。。。悪者を作り出せば、確かに事後を納めるにはもってこいだ。だが、それは方便であり詭弁にしかなりえない。さらに、未来の為の問題解決には全く役に立たない。

戦争を政治家や暴走した軍部だけで出来ると思っているところからして、すでにロマンチストとしか言いようが無いわけだが、戦闘機を作る科学者・技術者、戦艦を作る科学者・技術者、原爆を作る科学者・技術者、、、、、それこそ、文章として表舞台に出てこない人達の考え一つで、戦争自体が不可能になる事だってあるんだから、最低でも、これらの人を織り込んで、ストーリーを作ってもらいたいものである。

陸軍の要請を受けた理化学研究所の仁科芳雄博士らが、、、、海軍の要請を受けた京都大学が、、、、理化学研究所第三代所長・大河内正敏子爵、物理学者で東京帝大教授、貴族院議員で、理研を財閥にまで育て上げた人達の考えや行動が、単なる“暴走”で表現されちゃうのはなんだかなぁ・・・・・。(大河内所長は、戦後、戦犯にされて公職追放になってるけど)

ところで、ヨーロッパでは『空気から火薬を作る男』として有名になったドイツの化学者フリッツ・ハーバー教授は、戦後、荒廃した大地に必要なのは肥料であり、その為の空中窒素固定法は人類の叡智であるとしてノーベル化学賞を受賞するのだが、敗戦国ドイツに関わる研究者に賞を授けるなんぞは、日本人には理解出来ないメンタリティなんだろうなぁ。日本人は自虐的な言葉を世界に向けて発信してりゃ、誉められるって思ってんだから、世話ないよね。

ごく一部の(マッドな)人間が方向を決定してるんじゃなく、いろんな方向のベクトルの総和で戦争に突入したり、それを回避したり、、、って事が現実なんだろう。それが証拠に、今現在の政治の舵取りすら、いろんな見方(解説、解釈、百花繚乱だ)が出来るわけだ。過去の出来事の解釈だって、おんなじ・・・・・おしくらまんじゅうみたいに、そう、歴史なんてそんな風に流れてる。。。


このコラムを読んで、ふと、そんな事を思ったんだけど、でも、それって、歴史を学ぶ事を考えたら、ぜんぜん面白くないんだよねぇ!

物語には、ヒーローがいて、悪役がいて、それぞれがわかりやすいのが面白い。志を持った一人、もしくは少数の人間が、世の中を動かす・・・これぞロマンである。学校で歴史を勉強する時も、その方が絶対食いつきが良いに決まってる。。。


昨晩から、WOWOW 海外ドラマ『ROME[ローマ]』(米国《HBO》と英国《BBC》が総製作費200億円以上を投じて描く古代ローマ)を見始めた。妻が気を利かせて録画しておいてくれたのだ。ありがたやありがたや。我が妻、見直したぞ!!(WOWOW でそんなドラマをやってたなんてコレっぽっちも知らなかったのだ。妻のヒデオデッキの録画リストを何気なく見て、『なに?ROMEって』って・・・)

で、第一話は、カエサルがガリアからルビコンを越える決心をするところだ。一番の見せ場を冒頭に持ってきてしまう・・・・視聴者はグイグイ引きこまれる・・・・。


---う~~ん面白いっ---

面白いのは、カエサルを有能で狡猾で、とにかく突出したもの凄い人物として描いているからだ。その他、キケロ、カトー、ポンペイウス、、若き日のブルータス、若き日のアウグストゥス、などなど、綺羅な人物が登場するだけで、ゾクゾクしちゃう。こんなところで、『人間の本能の赴くまま・・・、歴史はおしくらまんじゅうのように動くべくして動く・・・』なんてやったら、面白くもなんともない。


歴史教育に小説の類を持ち込むことの弊害は知っている。ロマンチストが作り上げた虚構が鵜呑みにされちゃうとタイヘンだからね。でも、小説が問題なんじゃなく、煽動されやすいことが問題なんだよね、ほんとは。【誰それの歴史観】って言葉で『これは単なる主観ですよ』って定義してあっても、一度、ヒトの脳細胞に刻まれ理解されちゃうと、それが真実だと勘違いしちゃう、、、でも、そんな国民を小ばかにするようなことは誰にも言えない。そして、政治家もまた、そんな国民に動かされちゃう・・・・。

文学や歴史を学ぶってのは、人生を豊かにする為に必要だと思う。学校の授業がつまらないからっていって、機会を損失するのはデメリットだ。それこそ、殺伐とした人間になっちゃう。歴史の授業で小説を使っても『それは作者の主観であって、客観ではない』って、事あるごとに言い含めれば問題ないし、逆に洗脳されにくい教育の反例として利用すりゃいいんじゃないの?(植物性~~って言葉にアプリオリに安全を感じる脳を教育するのと同じ次元かも)


この冒頭のリポートは、その結果を踏まえ最近の理系学生には倫理観の欠落している輩が増えているって、嘆く人もいるかもしれないけど、いくら倫理観や正義感を植え付けられても、結果としては、人類の最終的な不幸としての戦争は回避できないんじゃないのか?って、うすうす気づいてるのかもしれない。

それに現代では、何人にとっても話がでか過ぎる。学生の『養うべき家族がおり、お金に困っている状態だったら魅力的な誘いだ』って理由で参加する人を責められる人がいるだろうか?幕末から明治初期にかけて輩出された偉人たちは、本当に偉人だったとしたら、それは凄いことだけど、理系の目から見れば、必然じゃなくって偶然なんだよね。だから、その再来を期待しちゃいけないし、そんな救世主を求めるみたいな考えは、宗教だよ。

戦争を防ぎたいんだったら、倫理観に訴えるなんてのはナンセンスで、生理的な嫌悪感を植え付けるのが一番なんじゃないかな。人が死んで、腐って、悪臭を放つ・・・・・子供の時から脳みそに焼き付けるような教育をしてれば、結果がそうなる行動に生理的に嫌悪感を持つようになるんじゃないの?

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エロスとプシュケ

ギリシャ神話の創世記では、カオス(混沌)とタルタロス(地獄)が生まれた時を同じくしてエロスが生まれている。現代風に言えば“チョーイケメン”な男神なのだが、神々の、そして人々の繁栄の為に“愛(性欲)”を生じさせる事は絶対必要なので、こんな生まれ方をしている。

しかし、洋の東西南北を問わず“神話”にありがちな話で、出自は時とともに変化しアフロディーテの子供と言う事でコンセンサスが得られているようだ。

エロスは神々の中の王であるゼウスですら女がらみでは恐れおののき、アポロンでさえ痛い目にあわせられる(オリンピックの時期だから思い出すけど、ダフネとのエピソードはエロスをからかった報いだもんね)ほど、その力は絶大なのだがアフロディーテだけには頭が上がらないらしい。どんな事でも頼まれたら嫌とは言えないのだ。


20080820_psycheエロスの妻になる前のプシュケは、人間だったのだが神々を超えると言われるほどの美しさを有していた。人々はその姿に神々しいものを感じ、自然とひれ伏すほどだった。

そんな事を見せ付けられてアフロディーテが面白いわけがない。愛と美の女神の面目躍如。やがて意地の悪い仕打ちを考えつくのだが、それは、この世で一番醜い男に一生恋焦がれさせるというものだった。(ちなみにギリシャの神様たちには善悪の判断はない)

その仕事はエロスにまかされた。エロスの持つ銀の矢にいられた者は、恋の狂気に捉えられるのだが、エロス自身がついプシュケの美しさにみとれ、自分の矢で自身を傷つけたからさぁ大変・・・・と、それからのエピソードはネットに詳しいのでそちらで探していただくとして、このエロス、英語名“キューピッド”にしてしまうと、どうもイメージに合わない。ギリシャ名とローマ名でこれほどギャップのある神様も珍しい。


さて、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、出雲大社。平成の大遷宮ということで60年に一度のチャンスに際し、私が向かったのが8月2日土曜日の夜。午前中の仕事を終わらせて、午後5時過ぎの羽田発-出雲空港行きの JAL に乗り込んだのだった。

下調べもそこそこだった事が禍して、結局、本殿には入れずじまいの大失態を演じてしまったわけだが(妻はかなり消沈していた)、私は、なにやら神様の雰囲気に触れられて、意外に嬉しかったりしていた。

そして、神様と人間の関係(葬式仏教の仏様との関係じゃない)って、何だろう?って考えていたんだけど、そんなタイミングで吉田敦彦氏の『ギリシャ・ローマの神話』を再読していたら、前回は記憶に残らなかった所が、今回は、非常に気になって、それがエロスとプシュケのエピソードだったのだ。

プシュケは『ψυχη(Psyche)』と書き、古代ギリシャ語で『魂』を表し、英語のサイコ psycho- , psychology の語源だ。

吉田氏によると『・・・オルペウス教や、その影響を受けたプラトンなどの教えによれば、人間の魂は、もとは神様たちといっしょに、天上で暮らしていたものなのです。しかし自分のした失敗のために、魂は神々の世界から地上に落ち、肉体の牢獄に閉じ込められることになったのです。だから、地上にいるあいだも、むかし神様といっしょに天上にいて味わった幸福を決して忘れずに、失敗を償う努力を怠らず続ければ、魂は、死後には牢獄から開放されて、また、神々のもとへ帰ることが出来るのです・・・』

プシュケはエロスの言い付けを守らなかったばっかりに、(アフロディーテに)酷い目にあわされるのだが、健気にも(エロスの力を恐れた他の神々が影に力になりながら)努力し、また、失敗し、努力し、好奇心に負けてまた失敗し、、と(かなり父性本能をくすぐられ、しかも絶世の美女ときているから、チョー気になる存在なのだけど)、最後にはエロスの正妻に迎えられ、、、と、非常にわかりやすい。

神話の世界の神様と人間の関係ってのは、小難しい“宗教”などの概念を持ち出さなくても解るものだし、これが、基本的な神様と人間の関係なんじゃないのかなぁ!?って思った次第だ。

比較的現代に近い時点でギリシャ神話に加えられた、いわゆる“ギリシャ悲劇”では、かなり人間の精神構造の理解がすすんだと見られ、単純な“神様と人間の関係”というよりは、かなり高度な心理的作用をも期待するようなものになってきている。

ギリシャ神話がより高度な精神面へのアプローチである“ギリシャ悲劇”を飲み込もうとしているすぐお隣では一神教が目覚めようとしているのだが、人間、考えすぎると“一神教”になるのかもしれない。


私は、生まれて初めて島根県を訪れたのだが、自分の中で宗教という言葉の持つイメージと神様が分離し始めたのに気づいた。

そして、日本人には多神教が似合っていて、苦しい時に神頼みし、困った時にすがりつき、病気になって求める救いは、エロスとプシュケのような簡単なものがいいんじゃないのかなぁと・・・・。

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汝自身を知れ(Know Thyself)

20080825_know_thyselfバクテリアのような単細胞生物でも、集団となればそれなりに“知恵”が働くようになる。こんな事が出来る生命を作り出せるなんて、やっぱり神の存在を肯定するしかない。こういう現象が、神の存在を感じさせるのかもしれない。いわゆるインテリジェントデザインという意味において。。。。

神といえば、日本では“天皇”を連想する人もいるだろう。8月になればいやでも戦争を意識させられ、『天皇=神がイカン』だとかほざく連中が湧いてくる。

そういえば、天皇の男系に固執する人たちが、Y染色体なんぞを持ち出したりしているが、こっちでも、これを根拠にした瞬間に科学がエセ科学に転落してしまう。

私は“伝統”に科学的根拠は必要ないと思っているから(だから、天皇は男系を支持する)、こんな幼稚な“理屈”をふりまわされると、かえって萎えてしまう。

Science July 11, 2008, Vol.321

病原性細菌プロテウス・ミラビリスの細胞は、凝集して塊となり、コロニーを形成するが、このコロニーは他のコロニーと出遭うと、自己と他者とを区別できるのである。

プロテウス属は、同じ種に属する侵入者を、proticines と呼ばれるポリペプチドを武器にして、検出、阻止できるのだ。

Gibbsたちは、プロテウスのこの自己-非自己認識システムの遺伝的基礎を調べて、一般的および特異的な認識の決定要因を構成するとおぼしき6つの遺伝子の座位だけでなく、アクセサリ遺伝子の座位も発見した(p. 256)。

感染した宿主において、プロテウス・ミラビリス感染は通常クローン的なものであるので、この認識システムは、確立されたクローンが他のクローンによって重感染されるのを防ぎ、競合を回避するための方法となっているのである。

Genetic Determinants of Self Identity and Social Recognition in Bacteria
p. 256-259.


こういう現象を『知恵がある』って見るから神が存在しちゃうんだよね。これは、現象であって知恵じゃない。ただ、存在していて、偶然獲得した機能が運良く働いただけ。

私の尊敬する免疫学者の多田 富雄 氏の著書で、マリンパの雑感“私的・面白かった度”でも紹介している【生命の意味論】に、こんなフレーズがある。


女は存在だけど、男は現象である。


私は、この言葉が忘れられない。非常にユニークな視点であり、本物の学者の思考回路を垣間見た気にさせてくれた“名文”だ。

まさに、男(オス)は現象なのだ!!(興味が沸いた人は、プチっとクリックして購入してね!)

さらに、オスの三毛猫の存在が、Y染色体の価値を下げてくれる(?)。Y染色体は神々しくもないし、生命に重要なものを与えてくれるわけでもない。

何故、三毛猫にオスはいないのか?』や【エピジェネティクス入門 三毛猫の模様はどう決まるのか】を読んでもらっても良いのだが、簡単に言うと、三毛猫のオスは、人間で言う“クラインフェルター症候群”であり、性染色体がXXYとなっているだけなのだ。

さらに、人間で言う“ターナー症候群”は、性染色体がXであり、Yは無い。もともと、人間はY染色体が無くても生きていけるのだ。(生殖能力は無いけれど)


こんなY染色体を登場させて、さも曰くありげに天皇の男子男系を崇め奉るのは、知っているだけに萎えちゃうのだ。そんなもの登場させずに、“伝統”の一言で決め付ければいい。伝統とはそういうものだ。それ以上の説明はいらない。

強いて言えば、価値観の範疇だ。

それを敬っている人、重んじている人、深く考えている人が納得して信じていれば、それに対して不敬な人、軽んじている人、何も考えて無い人がとやかく言う筋合いではない。
 
 
 
まぁ、それはさて置き、私はこのブログに色々と書いているように、価値観の多様性は推奨こそすれど、全く否定するものではない。が、さすがに、一昨日の出来事には閉口した。

こんな“クソ野郎”どもは、私が北斗神拳をマスターしていたら、間髪入れず秘孔を突いてやっただろう。45年間、生きてきて、これほどはらわたの煮え繰り返った事をされたのは初めてだ。

状況はこうだ。

帰宅路は商店街と住宅街を抜けている。昔からある道路なので、幅は狭い。車が行き交うには微速前進で慎重にしなければならない。当然、センターラインも歩道も無い。朝はスクールゾーンに指定され、許可車以外の通行は制限される。

そんな道路での帰り道。私と対向する車があり、後ろからも車が迫っていた。

車どおしはすれ違う為に徐行しなければならないが、後ろから来る車にとっては、私が邪魔になり、最徐行を余儀なくされていた。

私は避ける場所も無いので、当然、そのまま歩きつづけたわけなのだが、なんと、その車の運転者は、アクセルをあおりエンジンを唸らせて、私を威嚇したのだ。

こんな事をされたのは、生まれてはじめてである。

というか、車を運転する人は、このような道路では、歩行者保護を最優先しなければならない筈である。自動車優先道路(高速道路)では躊躇なく跳ね飛ばして良いが。

私は、すれ違いざまに、その行為に抗議の意味をこめて睨みつけてやったら、こともあろうに、その“クソ野郎”運転手は、私を睨み返してきたのである。

頭にきた私は、ツバを吐きかけやった。運転手が車を止めて下りようとしたら、間髪いれずに先制攻撃(とび蹴り)するつもりで。

車は、そのまま走り去ったのだが、少しの間、私は怒りで震えが止まらなかった。

無知・無教養なアホ面、太り気味、浅黒く日焼けした肉体労働者風で窓からだらりと下げた手には吸いかけのタバコ。そのまま、それをポイするような“下衆野郎”に唸りを上げるエンジンで威嚇されたかと思うと、悔しくて情けなくて、、、、

だけど、そんな“クソ野郎”をギャフンと言わせる為に、それこそ知恵を絞っているうちに、怒りより脱力感に襲われてきたのだ。

携帯電話で証拠写真をとり、歩行者を威嚇する行為(道路交通法違反)を警察に通報し、とっちめてやる事自体が、虚しく感じてしまったのだ。(たいした知恵じゃないけど)

こんな“クソ野郎”と一分一秒でも関わりを持つ事自体が、汚らわしいというか、全く無益で生産性も無く、嫌悪すべき事に感じられてきたのだ。(殺人事件の被害者家族が、復讐よりも関わりあいたくないという気持ちもあるというのが、なんとなくわかった)

人を風体で決め付ける事に不快感を感じる人もいるだろうけど、こんなことされたら、誰だって私と同様に感じるだろう。(もし、私がヒトラーになれたら、粛清したい筆頭だ。。。世の中で使い道はあるからやらないけど・・・)


これが現実だ。


私が45年間生きてきて、初めて出合った程のヤツとは言っても、それほど希少なわけじゃない。私の人生ですれ違っただけの人を含めても、人の数は、延べ人数にしたら、たかが数万、多くて数十万人だろう。100万人はいないはずだ。日本の人口を考えれば、こんなアホも存在率からいって、、、、かなりのもの。。。。

無知・無教養なアホも、秋葉原の通り魔のように正規分布にしたがい確実に存在し(だから、粛々と社会から排除するしかないのだが・・・)、自分勝手な“理屈”を他人に押し付けてくる。この“クソ野郎”にとっては、円滑な交通の流れを盾にとり、私を邪魔物扱いしたのだろう。

円滑な交通の流れを盾にとり、交通規則を破る事を正当化するような、頭の悪い奴らが、この手の風体のヤツには多いことは間違いない。

ここを読んでくださる方々にとっては笑ってしまうような話だと思うが、円滑な交通の流れの為にスピード違反は正当化されると本気で主張するヤツが、世の中にはいるのだ。流れに乗ってスピード違反する事は仕方なくする(私も当然違反する)ことで、どんな理由も違反を正当化する事にはならないという事が理解できないような脳みその萎縮した連中が。(私も面白がって某掲示板を見ていたクチだけど、今は読んでるとムカつくから、お気に入りから削除した)


本来なら当事者の私が、こんな“クソ野郎”どもを更生させるために行動するべきなのだろうが、心底、マジ、やりたくない。

そのうち、重大な事故をやらかして、誰かにとっちめられるまでは、放っておく事にする。裁く側に回ったら(裁判員)、間髪をいれずに、もっとも重い量刑を科してあげるつもりだ。


ところで、こんな価値観の“クソ野郎”も裁判員になる・・・・・・って考えたら、やっぱり、これは恐ろしい制度だ。そして、こんな“クソ野郎”に『汝自身を知れ』と言う事の無力を思い知る事になるのだろう。

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市民権

20080716_citizens「日本の1人当たり医療費は先進国中最低であり、一方で国民負担率は既に世界一だ。格差社会が問題となっている今、これ以上の国民負担増は如何なものか。負担増の前に、既存の予算の見直しが先決だ」

よく、こんな言葉を耳にする。しかし、、、

1人当たり医療費は先進国中最低なのは、当然のことだ。だって、鼻水たらしただけで病院に行くし、水虫だって病院に行かなきゃならないし、最近はデブとハゲも病気だ。

一旦治療を始めたら、心臓が動く限り(無理やり動かしながら)治療を止めることはない。治る見込みには関係なく。

国民全員が“保険料”を納めるわけだが、使う人(病院に行く人)が少なければ、個人負担は少なく、一人あたりの医療費は多く出来る事は、小学生だってわかることだ。


何故、そこ(必要がないのに病院に行く、治療を続ける意味がないのに治療を続ける)に“メス”を入れないんだろう?医師不足や医療費問題の根本的な原因だろ?


道路の建設には目くじらを立てる人も、必要のないのに病院に行く人には目くじらを立てない。


国を挙げて、禁煙をさせたがっている。喫煙は悪だ!と。

そんなにタバコを吸わせたくないなら、小学生の頃から最低でも1週間に1回、喫煙者で肺がんで亡くなった“肺臓”の標本を、絞るとタールがにじみ出る組織を見せたらいい。

『タバコを吸うのは自由だから止めないけど、こうなるのは自己責任だから、なってからは誰にも文句は言えないよ』とすれば良い。9割9部9厘、喫煙は抑制できるだろう。


何故、そんな簡単な事も出来ないんだろう?平日に休暇の取れる医師や薬剤師で子供がいる人はたくさんいるはずだ。私だったら、請われれば無報酬でも学校に行くのに。
 
 
 
古代ギリシャのアテネやスパルタ、ローマの時代にも、“市民”、“市民権”なる言葉があった。

それを“日本の”辞書で引いてみると、、、、、

しみん【市民】
1 市の住民。市に住む人。都市に住んでいる人。都会人。
2 (英citizenの訳語)西洋で、国政に参与する地位にある国民。公民。
3 (フランスbourgeoisの訳語)西洋近代史で、前代の貴族や僧侶にかわって政治的権力を得た人々。市民階級。

しみんけん【市民権】
市民としての行動・思想・財産の自由が保障され、国政に参加することのできる権利。国民の権利。民権。公権。


他の辞書で引いてみても、大方、この説明で違いはないだろう。

とっても、日本的だ!

権利ばっかり主張して義務や責任・制限を受け入れない日本人の特徴が、よく顕れていると思う。辞書ですらこれなんだからね。(辞書を作る側も現代の市民の反発が怖くて義務や責任に触れられないんだろう)

アテネやスパルタ、ローマの時代の市民、市民権という言葉には、権利と供も義務も併記されていた。当時は市民権を持つものの義務は兵役だ。兵役を金で免除するなどの行為は認められなかったし、そのような行為は“恥”とされた。金で免除できたり、兵役を負わないのは市民じゃない。

それらの文化を受け継ぐ西欧の人たちは、権利の裏には義務・責任があることを、肌で知っている、っていうか、遺伝子に刷り込まれている。(エピジェネティックな遺伝かもしれない)


私の知る限り、日本人に“義務・責任”の感覚は無い。

私は、日本の近代史、日本文化に詳しくない。昔から日本人は“義務・責任”の感覚が無かったのか、あるいは、それは最近の事なのか?

これはこれで、興味深いのだが、冒頭の言葉を正当化し、こんな事を正義漢ぶって叫んでいる奴らが、日本人に権利意識だけを助長させせていることは間違いない。

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多様性が生む協力行動

20080711_variety多様性が失われると、公共の利益を無視する輩が増えるって事は、みんなウスウス感じていると思う。

学校での個性を無視した集団教育、“協調性”などと詭弁を弄した価値観の押し付けが、金太郎飴みたいな人間を量産する事になる。

しかも、その価値観の共有は、くだらないものに対してほど顕著なのは、どこがおもしろいんだか解らない“お笑い”が流行っている事からも証明される。


そして、その教育の現場の教師が、私利私欲の果てに免許されていた・・・・・・。


もう、日本はダメかもしれない。

Nature vol.454 (7201), (10 Jul 2008)

人間は互いに協力し合うことも多いが、公共の利益を無視しようという誘惑は共同的な協力行動に打ち勝つ傾向があり、これがいわゆる「共有地の悲劇」を招く。

既存の多くのモデルは個人間には差がないとして扱っており、多様性や集団構造を無視している。

Santosたちは、不均質グラフによって導入した社会的多様性が、公共財ゲームにおいて協力行動の出現を促進させることを理論的に示している。

Letters to Nature p.213


あるサイトで、『弱者をモンスターと呼ぶのは、我々の業界(マスコミ)の常識では、以前なら考えられない事だった』という趣旨のコラムを読んだ。

マスコミには、弱者がどんなに悪くても、強者の味方はしないという不文律があるのだそうだ。(マスコミの人間がいうのを始めて聞いた)

今、そのマスコミでさえ、弱者の中にいるモンスターを指摘しなければならなくなっている。


医療崩壊や学校崩壊は言うに及ばず、教師の採用試験まで、モンスターのおかげで遣り甲斐が失われているとしたら、、、、、


今回は、短くしてみた。文章は長くすると“ボヤケ”、短くすると“鋭くなる”のだそうだ。このエントリーはそういう狙いである。

多様性があるということは、秋葉原の無差別殺人犯を産む事にも繋がるのだが、公共の利益を最大にする(互恵的利他行動)という進化の賜物も享受できるのだ。

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ティーンエージャーの喫煙防止と連れション

20080621_urinateイングランドとウェールズの中学校で行った『ティーンエージャーの喫煙防止に有効な方法は?』の実験結果が Lancet誌 に示された。

要旨は、『ティーンエージャーの喫煙防止を目的として、訓練を受けた生徒が、教室外で同級生に喫煙防止を働き掛ける方法の効果を2年間にわたって調べた結果、喫煙者の増加を有意に抑制できることが示された。』と。この論文の原題は「An informal school-based peer-led intervention for smoking prevention in adolescence (ASSIST): a cluster randomised trial」。興味があればリンクを辿ってくだされ。

欧米では、学校での取り組みの一つに、同年代または少し年長の生徒が、他の生徒に介入する「ピアプログラム」ってものがあるらしい。(随分前にイギリスの学校での“イジメ”を取材した番組を見たことがある。その時は別の事も感じたんだけど)

たとえば、同級生や先輩が喫煙の害などについて教えるわけだ。

これを読んでいたら、がっかりしたっていうか脱力したっていうか、日本の子供達、子供だけじゃなくって大人も含めて、やっぱり全然違うんだよなぁって感じた。

日本で、「ピアプログラム」を実践しようものなら、確実に“いじめ”が増えるだろう。

『なに、まじめくさってんだよ』
『うぜぇなぁ~』
『かっこつけてんじゃねぇ~よ』

反応が目に見えるし、仲間ハズレにされないために、こんな役回りを引き受ける生徒は、おそらく皆無だろう。

前回は、無差別殺傷事件現場の“記念撮影”をネタにして、日本人の“気質”に触れてみたんだけど、子供達の喫煙防止プログラムひとつとってみても、同じホモサピエンスとは思えないくらい、脳機能の違いに、今回あらためて打ちのめされた。

日本人は子供でも大人でも、他人に介入する事を極端に嫌っている。

子供達が学校で出来ないように、大人達は職場で“Peer Review”出来ない。

最近、強く感じる事なんだけど、日本人って“蚊帳の外”が好きなんだよなぁ。読んで字の如くの状態なんだけど、出来事そのものは知ることが出来る距離に居る(居たい)んだけど、その中心には居たくないっていう感覚。

核心に触れる事は怖くて出来ない。だから他人に意見するにしても、例えば生命に直結しない、あるいは因果関係のはっきりしない分野が大好き。(不躾なのやイタズラも含めて脂質代謝系のエントリーに付くコメントは多い)


また、価値観の多様性を論じる場合でも、『洋式便器で男が小便をする時、立ったままか座るか』みたいな事で、侃侃諤諤、喧喧囂囂しちゃう。。。。(ってゆーか、マジだと議論な出来ない)

話は変わるが、この洋式便器での小便の仕方について、おもしろい意見があった。子供の教育にまで言及しているのだが、男の子が立小便が出来ないと、イジメの対象になる。まして、小便し終わった後、紙で拭くなんざぁ、もってのほか。ブルンブルンして小便をきらないといけない・・・・と。

連れションのルーツはここにあったのだ。連れションは日本の文化だったのだ。

一人だけ『公道での立小便はいけないんだぞぉ』なんて言おうもんなら、小便をひっかけられて『あっちへいけ』って言われちゃう。

人と違う事をしたり言ったりしてはいけない・・・・、こんな小便の仕方一つとっても、日本人は、みんな一緒に(結果も平等に)・・・って刷り込まれていくのだ。(だから日本で「ピアプログラム」なんてのは夢のまた夢)
 
 
 
こんな事を書いている私も、実は、当事者になったらどうするだろう?って考えたら、答えが出せなかった。私の子供は女の子だから、洋式便器では座るか立つかについて悩む事はないんだけど、男の子だったらどうするだろうか?・・・と。

立ってすればトイレを汚すから掃除が大変。だけど、それが元でイジメられたり仲間ハズレにされたりしたらどうしよう・・・・と。

自分だったら、そんなぐたらん事で仲間ハズレにされるのなら、そんな奴らは仲間じゃないって言い切れるんだけど、子供の事になると、、、自信がなくなる。
 
 
 
ところで、『座って小便するなんざぁ、男が女っぽくなった現象の一つで、人間の本能が文明にダメにされ、すなわちこれ“少子化”に繋がっている』なんてロジックには、飛躍だよって一笑にふせないものも感じてしまうのだが、他の方のご意見は如何?

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中国で絶賛

20080426_evoいきなりだが、私は、現代の人間が生活する環境がいかに生物学的に“異常事態”なのかを知るためには、進化論から考察するのが適当だと思っているのだが、じゃあ問題解決の手段になるのかよ?と言われれば、それは不適当だと言わざるをえない。

進化は結果であって、それは非常に多数の因子が絡み合った影響の総合で決まるものだ。したがって、今現在、我々が知りえており尚且つ解明できている因子だけを元に再現しようとしても、未知の因子の影響を加味せず答えを求める事は出来ないからだ。

例えば“がん”といわれる病気の原因がその“病名”ごとに異なり、さらに“同じ病名”でも人によって差があるのと似ている。これが同じなら、がんと名の付く病気は一つの薬で一人残らず治療で来ちゃう事になるのだが、現実はそうならない。

“歴史”も同様である。過去を知っても未来の為の問題解決の手段にはならない。そして、現況を“歴史の中の一部の事象”で解釈しようとする行為は、がんを一つの薬で治療しようとするのと同じくらいにナンセンスだ。


ちょっと前に来日していた中国国家主席は、ことさら日中間の歴史問題を重要視しているみたいだが、その事を言えば言うほど、単なる外交カードの一つに成り下がる。というか、日本人自ら(自虐史観のある朝日新聞の一記者による)が言い出した“南京大虐殺”が日本の弱みだと知る以前は、中国側からは何も言ってこなかったことからも、単なる外交カードの一つというのは明白だ。

しかし、だからと言って私は中国の態度に問題があるとは思っていない。

外交で相手の弱みをつくのは、自国の利益を最大限にするための“当然の行為”だからだ。

問題があるとすれば、自虐史観の日本人の行為の方にこそだ。相手に弱みを見せるということは、当然こうなるワケだが、単なる正義感だけで“やっちゃた”としたら、非常に子供じみている。それこそ、自虐史観の日本人は、生物の基本を失している脳の持ち主だといえよう。あるいは、単に未成熟だ。

その未成熟な行為の結果が、中国共産党首脳部に対し、中国国民に反日思想を刷り込むことを助長し、中国国民が日本人を嫌いになるように仕向けさせる事になった。それにたいする反感も十分にあるのだろう、日本人も中国人が嫌いになった。

共存しなきゃならない相手とは、互恵的利他主義の行動が、よりベターであり、進化ではそのように時間が経過してきたはずだ。

どちらかが、一方的にへりくだっていたんじゃ、ただ、食われるだけ。
 
 
 
しかし、、、本日の『日本救助隊の犠牲者への黙とう、中国で絶賛』との新聞の見出しには、ビックリ・・・っていうか、感動した。中国の国民の素直な感情表現にだ。

洗脳されているから、日本を悪くは言うけど、感動した時は素直に感動したといえる国民なのだ。日本人は自虐的な態度は好きだけど、嫌いな中国人に助けてもらっても「ありがとう、中国」「感動した」「かっこいいぞ」なんて言葉は出ないんじゃない?

≪強硬派らしい人物は「日本と戦わなくてはならない時は全力で戦う」と記した後、「だが、日本人が助けを必要としている時には必ず行く」と続けた。≫

これこそが、健全で対等なパートナーの間柄ではないのだろうか?左手で殴り合っていても、右手で握手していられる間柄だよね。

自虐的で、へつらってばかりじゃ、中国の対等なパートナーにはなり得ないんじゃないのかな?

自虐史観の人たちは、『(脳の)未熟はエクスキューズにはならない』という事を、よくよく、認識した方が良い。過去の歴史ではなく、今現在の環境が進化を紡ぐんだという事を。

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足の裏の米粒

20080423_zatouichiさぁ~て、いままで“足の裏に付いた米粒”のように気になっていたんだけど、昨日は、その米粒が取れたような気分になれた判決が出た。だが、ご遺族の方の心情をおもいやると、なんとも複雑だ。(あっ、光市母子殺害事件のことねっ!)

結局、元少年が死刑になっても、ご遺族の妻と子供は帰ってこない。刑法は、人の心の癒しにはなりえない。社会生活に折り合いをつけるのが精一杯だ。

私は死刑反対論者ではないけれど、今回の死刑判決にあたり、ご遺族が精神的に折り合いをつけられるようにするには、何も死刑が適切ではない・・・・と思うようになった。

非常に子供じみている・・・と我ながら思うのだが、先日、HDD レコーダに録画してあった北野武主演の『座頭市』を見た。最後のシーンで悪党の親分に座頭市が語るのだ。(見てない人に配慮して詳細は書かないが)この言葉があったればこそ、両親を殺された姉弟の気持ちも癒されると。


死刑が極刑なら、元少年はそれが至極妥当なのだけれど、もし座頭市が与えた罰が現代日本に作れるなら、死刑をなくす事にはモロ手を上げて賛成しても良い。(多分、“人道的”という言葉で瞬時に葬り去られるだろうけど)

ところで、昨日、朝日新聞の記者がご遺族に向かって『死刑のハードルが低くなったが、どう思うか?』と質問していたらしい。圧力がかかったのか、この映像はネットのどこでも見られなくなっている。そして、巷では『アサヒる』という言葉が流行っているのだそうだ。まぁ、中国萌え~、北朝鮮萌え~、死刑反対萌え~、自虐史観萌え~、原発反対萌え~・・・・じゃ、ショウガナイかぁ。

こんなにも朝日新聞が嫌われると、なんとなくカワイソウになったりするんだけど、折角、元少年の本名と素顔が見られる貴重なサイト“クソガキどもを糾弾するhp”が行方不明になってしまった事にも関わっているとしたら、それは許せないなぁ。(もっとも、サーバが台湾にあったそうだから、朝日新聞と仲が良いのかどうかわかんないんだけど・・)
 
 
 
今朝から、【進化論の歴史】(八杉竜一著)という本を読んでいる。岩波新書(青版)で1979年6月20日 第13刷発行と奥附にある本だ。高校の時に手に入れたものらしい。何でわかるのかといと、○○高校図書館と印が押してあるからだ。借りたまま本棚に入れて失念したらしい。(ゴメンなさい)

その内容なのだが、まえがきに著者が書いている。「本書は厳密な意味での進化学史ではなく進化思想史であり、進化思想史というよりはむしろ生命観の側面史である」と。そしてアリストテレス以前からの生命観からキリスト教との関わりを進化論前史として第一章にまとめてある。

ところで、私はアリストテレスには親しみを感じている。何故なら、大好きなアレキサンダー大王の家庭教師をしていた人だからだ。単にそれだけなのだが、好きな人の思想というのは、頭に入りやすい。

閑話休題。進化論とキリスト教との関係では、グールドの考えにしっくりくるものを感じた訳だが、実は、実存主義に目から鱗が落ちた西欧人の感覚がわからなかったのと同様の感覚に捕われたのだった。

なんで、そこまで、進化論を嫌うのか?どうして、進化論を嫌う人を(ドーキンスは)そこまで嫌うのか?

グールドの本を読んで、『ふむふむ、なるほどねぇ、自分もグールドの考えだなぁ』と思ったのは良いのだけれど、【進化論の歴史】の第一章を読むと、生物が境目無く下等なものから高等なものへ続いている事へ反発する教会指導者はいなかったことがわかった。そればかりではなく、神が6日間で地上の生物を全て作ったとするのを文字通り捉えるのは、聖書の皮相な読解であるとトマス・アクイナスは述べているとも書いてあった。


なぁ~んだ。最初は、みんなグールドみたいに考えてたんジャン!!


私が実存主義を『なんで、そんなに当たり前の事に驚いているんだろう?』『もしかして、驚けない俺って、バカなのか?』なんて思ったのと同様、進化論とキリスト教の関係で、グールドとドーキンスの対立が良くわかんない俺はバカなのか?って思ったんだけど、結局、キリスト教に根付いた文化を知らなかっただけなのだ。
 
 
 
文化に根ざす感覚や価値観は、勉強してわかるもんじゃない。

今、世界の道徳的なグローバルスタンダードは、間違いなく一神教を信仰している人たちの価値観だ。(道徳だけじゃなく、経済もだけど。最近はヒンズー教の台頭も著しいが・・・)

光市母子殺害事件の死刑判決が実現した昨日、死刑以外にも選択肢があっても良いと感じたわけだが、それは、それを上回る苦痛を犯罪者に与える事が出来るという大前提があっての話だ。

死刑廃止論の論拠に、安直に世界の道徳的なグローバルスタンダード持ち込まないならば、聞く耳はもてるのだが、現在、日本に存在する死刑廃止論はどれをとっても、グローバルスタンダードの皮相な部分の臭いがぷんぷんする。(一神教の紆余曲折も知らない)

日本人に“一神教”の価値観、道徳観を押し付けても、実存主義の考えや進化論とキリスト教の折り合いについて日本人がピンと来ないのと同様なのだ。

「法律に感情を持ち込むな」なんて事を言うような、人間の脳の仕組みを理解していない人には、堂堂巡りになってしまう恐れもあるが、そもそも、多様な価値観の人が一緒に暮らしていくのに折り合いをつける方便が、法律だったはずだ。

価値観とは、出来事に直面した時の湧き上がる感情の事だ。

法律に感情を持ち込むなってことは、価値観をなくせと同義ではないのか?だから『どうして、人を殺しちゃいけないんですか?』とか『憲法にも刑法にも人を殺しちゃいけないと書いてない』とか言い出すヤツが出で来る。

安田とか言う弁護士は死刑廃止論者だから、元少年の量刑は極刑に値するけど死刑は反対だってスタンスはとれない。だから、あの犯行を傷害致死として争わざるを得なかった。これはこれでわからなくもないのだが、わからないのは、こういう弁護士の行動だけを見て『死刑は重すぎる』と言うヤツがいることだ。

でも、日本人独自の道徳観なんてものは、もう、無いのかしれない。モラルすら成文化しなくっちゃ行動の規範とならないヤツが増えてるからなぁ。


でも、これだけは言える。北野武主演の『座頭市』を見て、スカッとする感情が沸いてきたなら、私と同じ価値観の人だ。

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自分以外の人のためにお金を使うと一層幸せになる

20080409_money1950年に人民解放軍がチベット侵攻したのだが、チベットには魅力的な何かがあったのだろうか?って思って調べていたら、、、、

(この時、チベット人を少なくとも100万人以上殺したのは有名な話だが、胡錦涛はチベット弾圧の功績を鄧小平に認められて国家主席になった人物だったとは知らなかった。鄧小平ってのは、天安門事件の時、国民の千万や二千万死んだところで何も問題はないって言うくらいだからなぁ・・・)

『1947年に国民党を台湾に追い出して、中国共産党を建国した後、人民解放軍はやることがなくなってしまった。放っておくとろくなことが無いので、ガス抜きにチベットへ侵攻させた。』
とか、
『当時はインドとの緩衝地帯として、欲しかった』
とか、いろいろ出て来た。

朝鮮日報は、、、
『険しく荒涼とした大地が大部分を占めるチベットだが、中国にとっては大きな財産だ。面積は韓半島(朝鮮半島)の約6倍に当たる123万平方キロ。天然資源もダイヤモンド、マグネシウム、鉄、石炭、クロムなど70種類以上の埋蔵が確認されており、経済的価値が極めて高いとされる。
2006年7月に青蔵鉄路(青海省西寧-チベット自治区ラサ)が開通して以降、沿線ではスズ、鉛、亜鉛の大規模な鉱脈が新たに16カ所発見された。このうち5カ所では合計でスズ2000万トン、鉛・亜鉛1000万トンの埋蔵が確認された。』と。


チベット、価値はあるんだぁ!(って事は、チベットは中国の庇護の元でしか成立しないんだと思ってたけど、まんざらでもないのかも)


朝日新聞は中国と仲が良いんだから、もっと、このへんの事を詳しく教えて欲しいもんだ。(って、大好きな中国の都合が悪い事は教えるワキぁないわなぁ。自虐史観の人たちにもチベット問題のコメントを求めたいが、推して知るべしだからつまんないしねぇ)

私は、“人道的”って言葉に特別な感情は抱かないので、中国がチベットに何をしようと知ったこっちゃないけど、情報を操作をするマスコミには、いつもはらわたが煮え繰り返る。


さて、タイトルだけど、この新興宗教団体が泣いて喜び、金科玉条にしちゃいたそうな論文が、なんと、あの『Science誌』に掲載されているのだ。

提供:WebMD

より幸福になるには、自分のためにお金を使うよりも他者のためにお金を使う方が良いことが、研究で明らかになった

Miranda Hitti

WebMD Medical News

【3月20日】もっと幸せだと感じたい?それなら自分のために散財するよりも他者または慈善のためにお金を使うと、より良い気持ちになれる可能性がある。

このニュースは『Science』3月21日号で報告された。

研究者らは最初に632名の米国人に、自分が全般的にどのくらい幸福かを評価し、収入と支出(請求書、他者への贈り物、自分自身への贈り物、および慈善のための寄付を含む)を報告するよう要請した。

最も幸福であった人々は最も多くを与えた人であり、収入の額には関係なかったと、研究を行ったブリティッシュコロンビア大学(カナダ)心理学部門のElizabeth Dunn, PhDらは述べている。

「各人がどれだけ多くの収入を得たかには関係なく、他者のためにお金を使った人々は、より大きな幸福を報告したのに対して、自分自身のためにより多くのお金を使った人々はそうではなかった」と、Dunn博士はニュースリリースで述べている。

次に、Dunn博士のグループは、ボストンにある会社の16名の従業員に対して、会社から賞与を受け取る1カ月前に自分がどのくらい幸福かを評価するよう依頼し、賞与を受け取った6-8カ月後にもう一度同じことを依頼した。

従業員らは賞与の使い道についても報告した。賞与を受け取った後に、より幸福であったのは、賞与の中からより多くのお金を他者または慈善のために使った人々であった。

賞与の額が多いか少ないかは重要ではなかった。小切手の額は問題ではなく、その使い道が問題であった。


与える行為

調査はあくまで1つの調査である。しかし人々が現金を手にし、それを日没までに使うよう命じられた時、どんなことが起きるのだろうか。

Dunn博士らは、ブリティッシュコロンビア大学バンクーバー校の46名の人々に5ドルまたは20ドルを渡した。現金と共に、それを午後5時までに使うようにとの指示を与えた。

一部の参加者には、家賃、請求書、または自分自身への贈り物のためにお金を使うよう指示した。他の参加者には、誰か他の人への贈り物を買うか、または慈善団体に寄付するように指示した。

現金を受け取る前とそれを使った後に行った調査によると、今回も、その日の終わりに最も幸福であったのは、他者に与えた人々であった。

そして会社からの賞与の場合と同じく、金額は問題ではなかった。人々はより良い気分になるために20ドルを人にあげる必要はなかった。5ドルでも効果があった。

「我々の知見は、支出の割り当ての5ドル程度のごくわずかな変化でも、ある一日をかなり幸福なものにするのに十分である可能性があることを示唆する」とDunn博士らのグループは報告している。


予想した結果とは異なった

最後に、Dunn博士のグループは、Dunn博士が行った他の試験には参加しなかったブリティッシュコロンビア大学の学生109名に、5ドルまたは20ドルを自分自身または他者のために使うと、より幸福になるだろうと思うか質問した。

ほとんどの学生の回答は的を外れていた。

「参加者はお金が幸福に及ぼす影響について、二重に間違っていた」と、Dunn博士らは述べている。「大多数の人々は、自分個人のための消費によって自分はより幸福になり、5ドルよりも20ドル使った方がより幸せになるだろうと考えていた」。


Dunn, E. Science, March 21, 2008; vol 319: pp 1687-1688.
News release, University of British Columbia.

(C)2008 WebMD Inc. All rights reserved.


これを読んで感じたのは、多分、チベットでは『自分以外の人のためにお金を使うと一層幸せになる』は言えるんだろうけど、中国では絶対ありえないんだろうなぁってこと。

その理由は宗教の有る無しなんだけど、ご存知のとおり、チベットは仏教国だ。無宗教の中国とは、価値観すらまったく違うって訳だ。(一つの国として一緒にいるのは不幸だよな・・・)

ところで、日本を仏教国だと思っている人がいたら、認識を改めたほうがいい。日本の仏教は“葬式仏教”といって、本物の宗教ではないのだから。江戸時代に始まった寺請制度がその原因で神道や儒教からは馬鹿にされている・・・って、それは置いといて・・・。

宗教観の無い日本人は、他人とはいっても知人もしくは親しい人にお金を使うのならまだしも、赤の他人に対しては、『お金を使って幸せ・・・』なんてなれない(と思う)。
でも、キリスト教圏では『汝の隣人を愛せよ』だから、他人にグレードは無いのだろう。この辺が、宗教感の有る無しで価値観の違うところなんだと、私が考える所以。

自分の経験でも、お金を使って幸せな気分になれるのは、相手によって違う。別に惚れた女性にお金をつぎ込んだって事だけじゃなく、男性に使って(例えばおごってあげる)も同様の気持ちになる事もある。

宗教感のなさが、打算的な行為に結びつきやすいのは、共産的な思想を押し付けられた反動でもあるのかもしれない。共産思想は生命(生物)の本質には逆行するからね。(互恵的な利他的行動は、最終的には自分の利益の為だから・・・・)


ところで、この論文、穿った見方をすれば、自分が他人からどう思われてるのかが特に気になる人は、他人から関心を持ってもらえる行為、すなわち他人へお金を使う事とは、自分への投資って意味合いもあるのかもしれない。逆に他人の評価が気にならない人は、他人の為に使っても、喜びは小さい、もしくは自分のための方が嬉しい。まぁ、周りに関心のない人は、感情の起伏も小さいのだろう。故に、他人に使った人のほうが“幸福度”が上だと。
どちらにしても、“幸福感”なんてものには、絶対値も絶対スケールもないんだから、こんな論文が、人を救うためのアドバイスのエビデンスになる筈はないんだけど、その事がよくわかる例が、チベットと中国って事で・・・・・。

ちょっと、ワル乗りでした・・・・・。

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ショコタンが詫びをいれたっ!!

20080227_sonnakotoiwaretemo今更・・・っていうか、いまの今まで、全く知らなかった言葉がある。言葉を知らないくらいだから、その“思想”も知らなかったわけだが・・・・・。

例えば、何故、ユダヤ教徒とキリスト教徒は仲が悪いのか?何故、アメリカ人は人間を作ったのは神であるって事を本当に信じているのか、、、、、、って事を知らなかったのなら、それは、ままある事だと思うけど、私の知らなかった言葉は日本語であり、日本人の“思想”なのだ。


イージス艦と漁船の衝突事故の報道に何か異様なものを感じている。

あれが、たとえば、高校中退して農業を手伝っている息子と父親二人が乗った軽トラックと大型トレーラーが衝突して、軽トラックが真っ二つに割れ親子が死んだとしても、このイージス艦と漁船の事故のように大きく扱われなかっただろう。
『平等!平等!平等!』って五月蝿いマスコミなら、軽トラの親子と漁船の親子の命に差はないはずなのに。

運行ルールについても、侃侃諤諤やっているけど、道路交通法にだって信号機のない交差点では“左方車優先”のルールがある。でも、厳密に守られているかと言えば、そうではない。というか、知らないドライバーさえ存在する。だから事故が起きる。

イージス艦に回避義務があったとしても、道路交通法が守られていないのと同様に、その場その場での慣習というか、臨機応変に対応することは当たり前の事だと思う。小さい漁船が避けている慣習があって、その事が原因だとしたら、マスコミは、事故が起きる前にルールを徹底すべきであると警鐘を鳴らすべきであって、事故後にイージス艦ばかりを責めるのは、下衆の後知恵(エピメテウス)であって、建設的ではない。(自衛隊と防衛省での事後の対応のまずさこそは思い切り責めるべきだと思うが)。イージス艦だからこそ、車の運転とは桁違いに注意すべきで・・・というなら、マスコミは平時であっても民間人とは比べ物にならないくらいの注意を払っていると言う点で自衛官に対して尊敬の念を抱かせるべきであって、決して平時に於いてさえストイックな行動を“無視”してはならない筈だ。(今日の新聞では、艦長は更迭されるとか・・・・・。マスコミのおもちゃにされ、さぞ悔しい事でしょう。)


というような背景があったので、私は、ショコタンが詫びを入れたって記事タイトルと記事のサマリーを読んだ時、『避けられるはずの事故・・・・』云々の表現がまずかったのかと思ったくらいだ。

しかし、記事詳細を読んでみたら、まだ死亡の確認が取れていない行方不明者に対して『・・・・死ぬはずじゃなかった』って表現を使った事に対して、批判があるのだと知って、開いた口が塞がらなくなったのだ。(なんてくだらない。こんなところにも、マスコミが遮二無二、政治問題化させたがっているって感じられるんだよねぇ)

そりゃ、雪山で遭難した人なんかがひょっこり生還するのは、呼吸さえ出来ていれば辛うじて生きている場合もあるわけなのだが、この発言にいちゃもんをつける人は、海中でも同様に何日も生きている場合があると思っているのだろうか?(遺族に対して・・・おっと、まだ、遺族じゃないんだよね!家族に対して、、、なんて気持ちなら、報道そのものを自主規制すべきなんじゃないの?庶民の野次馬根性を逆手にとって利用するなよ。)


報道の異様さの根底にはマスコミの防衛省・自衛隊嫌いがあるんだろうなっ!っていうか、報道の姿勢からはそれしか感じられない・・・・。(私がショコタンを知っているなんて、意外に思われる方もいらっしゃるでしょうが、娘とポケモンサンデーを見ているので知っているのです)
 
 
 
20080227_purpose学校の行事で日の丸と君が代を拒否する教師がいることが理解できなかった。もちろん、思想宗教は持つのはかまわないけど、その前に、雇われている人なんだから、組織の規律に従うのが筋なんじゃないのかと。(公務員教師は、あんなに身勝手な事やって気に入らないと裁判を起こせるんだぁ・・・・イイナァって思ってた。尤も判決は極常識的なものだったけど)

日本史の授業を必修にする事に反対している人がいる事が理解できなかった。本当に、心の底から『どうして??』と。


これら全ての事が、『自虐史観』と言う言葉で氷解した。知らなかった言葉ってのは、この事なのだ。


日本史の授業を必修にする事に反対している人は、『学校の先生達、特に歴史の先生達による“自虐史観”の洗脳を心配しているのだ』という理由に拠るらしい。

私は、『自虐史観』という言葉自体を知らなかったので、この理由を見て焦った。

早速、ググってみたら、『自虐史観 - Wikipedia』がトップに hit した。
そして、読んでみて日教組という単語、そして関連項目に“朝日新聞”“国旗及び国歌に関する法律”なんてキーワードがあることで、全ての胸のつかえが下りたのだ。


そして、直後に、授業の必修化反対の理由としては、尤もだと思った。

対極に隠蔽があるのなら“自虐的歴史観”を教える事自体に不具合はないと思うんだけど、教えている教師が歴史の事実だけを教えるに留まらず『我々は“悪”だった。だから、これからの我々は、~~~べきである』と悲観的な思想を植え付ける事が避けられない現実を考えれば、しょうがない。(歴史ってのは、往々にして政治に繋がりやすい。歴史の先生は政治の専門家じゃないのに、こっち方面に主義思想を持ち込むのも問題だ。)

日本人の多くは、日本の歴史を歴史小説から学んでいる。歴史小説家なる人たちも、“思想”とは別にしても、そういう自虐史観を正当化するのに一役買ってしまっているのもよく理解できた。
巨悪があって、主人公がある事件をきっかけに、それに気づき、、、悩みながら・・・・成長する・・・・、、、なんてのは、全く、面白いストーリーになるしね。(時の体制に反対するのは理由もなくカッコイイし)

マスコミも巨悪が自分達の存在理由に必要不可欠・・・・。事実がなかったり、インパクトにかけるくらい小さかったら、捏造するっていう伝統は南京大虐殺からマクドナルドやらせ映像まで、脈々と受け継がれている。

学校の先生も巨悪は必要。『我々はちっぽけな存在だけど・・・・』なんて言葉を発すれば、生徒から『先生!エライ』なんてね。

結局、どれにしても根底には『私だけは悟っている!だから私は善良なる人だ』と言って精神的な優越感(悟れない人を睥睨したい)に浸りたいだけだろう?って感じられるのは、自虐的歴史観に合理的な理由を見つけられないからである。(歴史的事実の隠蔽を憂慮するなんて理由なら、自虐的な解釈を大きくする事でも“偏り”っていう同様の弊害があることを認識していないじゃん!!って突っ込めるし)

そして、『戦争は・・・仕方なかった』と発言すると『戦争を肯定するのか?』と、まるで議論がかみ合っていない(『仕方なかった』って発言したって、今、戦争なんてしたいヤツはいない)。自虐史観のひと達との対立軸なんて、そもそも存在しないのに、彼らからすれば、自慰史観(というのだそうだ、自虐史観の人たちからすると)に“戦争肯定”の立場を取ってもらわねばならない時点で、×。

問題解決に武力を用いる事と人が死ぬ事を“悪”とするなら、『フランス革命の“悪”を理論的に証明してからにしてよ』って、藤原正彦教授(『国家の品格』著者)に言われちゃうよ!

自虐史観のひと達には、『あれは、間違いだった』なんて簡単に歴史的事実を総括出来るなら、西欧史の中で宗教組織が育んできたすさまじい歴史的パラドックスにも、白黒(善悪)つけてもらいたいものだ。(パラドックスってのは、口にするのも恐ろしいほど残虐さを育むかと思えば、人の命が危険にさらされた時には、胸を詰まらせるような善行に走らせるって事です)


と、なんだか、『自虐史観』って言葉で、よぉ~くわかっちゃったのだ。
 
 
 
自虐史観の人たちと自慰史観の人たちの対立は、スティーヴン・ジェイ・グールド著『神と科学は共存できるか?』に出てくる科学者と宗教家に似ているなぁって思った。

自虐史観の人たちは宗教家で自慰史観の人たちは科学者に見える。何故なら、自虐史観の人たちは自慰史観の人たちが戦争を起こしたくってしょうがない人たちだとしておかなければ、自分達の主義・思想の存在意義がなくなるから。

科学の負の面(遺伝子操作、地球温暖化や核兵器)を取り上げ、科学信仰に対する警鐘を鳴らしているつもりなのだろうけど、科学者は、悪意を持って(結果を予想して)やっているわけじゃないのに、それを悪意を持っているかのようにしておかないと、相手を批判できない(自分達の存在意義がなくなる)って点でそう感じられるのだ。


人間の行動を善か悪かの二元論で論じるのは、わかりやすいんだけど、それを利用する自虐史観の人たちってのは、ロマンチストなんだよね。きっと、『世界の中心で愛を叫ぶ』なんて小説が好きなんじゃないかな?(自分の周りの事象を自分に都合良く解釈して、自分に酔えるって意味でね。私は読んだ事ないけど)『そんなの嫌いだよ』って人がいたら、ごめんなさい。

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バランスを保つ(Getting the Balance)

20080208_under130とっても理解不能なコレ!なんでこんなものが淘汰されないのか?もしかして、個体が増えすぎないような爆弾を抱え込むのも環境適応の一形態なの?

『レミングの集団自殺はウソ』であり、都市伝説であるのは周知の事実だが、これは泣く子も黙る? Science に掲載された論文なのだ。

Science February 1, 2008, Vol.319

個体集団の中に複数の対立遺伝子を保持するような適切なバランスを保った選択は、種の中に遺伝的多様性を保持するための手段である。

Seidel たち(p. 589,1月10日、オンライン出版参照)は、天然の線虫(Caenorhabditis elegans)個体で胚致死をもたらす遺伝的不適合性が世界的に分布することを見つけた。

適応度が陰性であるにも関わらず、この不適合性は持続するが、これは、自然の選択原理から言えば、交配集団から遺伝的不適合性を除去するはずであるという予測に矛盾する。

Widespread Genetic Incompatibility in C. Elegans Maintained by Balancing Selection
p. 589-594.


でも、考えてみれば、自然淘汰って方向を指向しているんじゃなくって、全くの偶然の産物の結果だから、ヒトの場合は生殖年齢に達してしまって、DNA を受け渡した後には、、、後の祭りで、、、遺伝子が淘汰される事は無い。それが証拠に、ヒトが集団で生活をするようになって以来、その社会の中で犯罪が無くなることはなかった。誰しもが犯罪を憎み、犯罪を犯す人間を自分達の集団から排除してきとしても、そういう行動をする“脳”を作り上げる遺伝子を排除できていないのが、そういう理由だからだ、、、、で、いいのだろうか?

単に、生殖行為を行ってしまった後、すなわち、子供を作ってしまった後に犯罪を犯したからだとしても、それ以降、その犯罪者が SEX 出来なければ、その遺伝子はだんだんと薄まって、しまいには無くなりそうなんだけどなぁ・・・・・・。


↑うえは、線虫での胚致死ってのを個体数の調節って意味で考えてみたワケだが、、、、


もしかしたら、犯罪の定義の問題で、有史以前は、ヒトを殺す事に罪の意識はなかったのかも。約2000年前、ユダヤの民にイエスの代わりに釈放された罪人は“人殺し”だった。だから、この頃には人を殺す事が“イケナイ”事だという認識はあったのだろう。

旧約聖書、ロトが暮らすソドムでは“男色”が流行していて、それは神にも忌み嫌われる行為で、最後には焼き払われる・・・・・。

だけど、ギリシャ神話の中には、人を殺したり同性愛だから罰せられるなんてエピソードは一つも無い(私が知る限り)。

人殺しや獣にも悖る行為を罰するに値するって価値観は、ホモサピエンスの歴史からすれば、極々、あたらしいことなのかも。そしたら遺伝子が淘汰される時間には十分ではなかった、、、、現在進行形で犯罪を犯す“脳機能”を作り出す遺伝子は淘汰されている??

もしかしたら、男系での遺伝は表現形として顕れやすい(殺人犯は多い)ので、淘汰されやすいけど、女系での遺伝は表現形として現れづらい(女性の殺人犯は少ない)から、犯罪遺伝子は女系で遺伝している??


どちらにしても、種を繁栄させる手段の一つに、個体数をコントロールするってのがある。環境に栄養が十分でないなら、20分に1回分裂可能な大腸菌でさえ、そのスピードを緩め、ある時は、止める。

有史以前、人の個体数を決めていたのは、やっぱり、食料だ。今でも地球上では同様の地域はある。日本は違うみたいだけど・・・。

食料の不足している地域では、人殺しのような犯罪はあるのだろうか?

何万年も前から幾世代も受け継いできている遺伝子は、食料で個体数のコントロールが出来なくなったら、仲間同士で殺し合わせる・・・・って事が選択されてきたとしたら・・・・。

犯罪者の遺伝子ってがあれば(たとえあったとしても)、犯罪を撲滅できるのか?っていうと、どうもそうではないんじゃないかなぁって気がする。


要するに、『そんな事するのは“損”だ』『割に合わない』って気にさせれば、犯罪は少なくなるって事ではないかと・・・。


時津風親方と現役力士が逮捕される事になった相撲部屋リンチ事件だけど、なんか、“見せしめ”っぽい印象なのは、私だけだろうか?言葉は適当じゃないけど、国策捜査っていうか、世の中の風潮を司法に還元する一つの手段っぽく見てしまうのは、行き過ぎた“藪睨み”だろうか?

これで、めでたく、時津風親方達はスケープゴートになったわけだ。第2、第3のリンチ事件は未然に防げるだろう。

でも、これって、もともと人間の中に眠っている“破壊的、破滅的な行動をとる本能”を“イイコチャン”でいる事を求め続けた結果のような気がするんだけどな。。。(幼稚園、小学校、、、、と喧嘩も出来ないような環境のガス抜き?)

こういう行動は、なんか、バランスを保つ(Getting the Balance)為に、必要なんじゃないのかと。あまり押さえつけると、最後には“戦争”・・・??


線虫の胚致死をかなり拡大解釈して話を膨らませてしまったが、それがヒトでも胚致死を誘導する遺伝的不適合性だったとなると、、、、やっぱり、皆目、見当もつかないなぁ。

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知らぬが仏

20080204_epigenetic真相が誰かの故意による犯罪だったら、今回の事件は『食の安全問題』からは切り離され、庶民にとって見れば対岸の火事になり、いくら中国農産物に残留農薬が多いとはいえ、庶民感情としては喉もと過ぎれば熱さを忘れる。


---結局、犯罪で一件落着が落としどころなのか?---


20080204_syokunogomibako問題の根本は『食料自給率40%』にあるにもかかわらず、日本政府はこれを改善できる策が無いからねぇ!

そればかりか、そもそも日本の食品安全基準自体が“食のゴミ箱”なのに、そんなのがばれちやったら、ますます食えるものが少なくなり、暴徒と化した庶民の食品不信に挙げた拳の振り下ろし先が中国になっちゃったら政治問題、、、シャレにならないよな。

だから“食のゴミ箱、ニッポン”に気づいていない“善良なる市民”には、今まで通り、国産品で賄えない分を輸入品として買ってもらわないと、とにかく困るって訳なんだろう。

それに、中国農産物に残留農薬が多くたって、それは中国の内政問題だ。安全基準は各国が独自に決める。日本や日本人がとやかく言う問題ではないし、中国の食品加工工場の劣悪な環境を1箇所1箇所しらみつぶしに改善させるなど、現実的には不可能だ。(本来、中国に文句を言う筋合いじゃない。だから、『日本人は虚弱体質』なんて逆切れされる。もし、中国人が食べる食材には農薬基準を守り、日本向けには高濃度・・・なんて事があるのなら、国際問題にすべきだけど。)

政府は食の安全対策に何もしない(現実には中国に対しては無理なのに)ではカッコつかないから、もし、事件で済ませられれば、少しは庶民の溜飲も下がるし御の字だろう。中国政府だってオリンピックを控えている現在、内政干渉とは言え国際世論とし盛り上がるよりは一箇所の火事で収まってくれればありがたいわけで、日本国内からこっち方面の話が出るなら渡りに船なんじゃないかな。もしかしたら中国がスケープゴートを作ってくれるかもしれないし。

また、一部には『日本で毒が混入された』なんて話も出ているらしい。こういう噂も順風に作用している。


『食の安全は守られている?よくわかんないけど、毒入り餃子事件は犯罪だったし、、、みんなも食べてるから、大丈夫じゃない?』


だけど、、、、本当に犯罪だったとしたら、、、、犯人の意図はなんなのだろう?

劣悪な労働環境の中国食品工場の従業員による怨恨?
中国、日本を問わず愉快犯?
それとも、新興宗教のハルマゲドン?

まぁ、どっちにしても、この騒ぎで、ほとんどの日本人が食料自給率40%なのを知ったと言う点では良かったんだと思う。

でも、中国産の食料、その加工品に留まらず、医薬品(医療用じゃない)健康食品での健康被害が積み重なり、中国産のすべてに対して闇雲な嫌悪感の上に、今回の中毒騒ぎ・・・・、誰の意図かは知らないけれど、事件にして煙に巻こうって考えた人がいたとしても不思議じゃないよな。

利害が複雑に絡み合ってるからね。


ところで、この事件でほくそえんでいるのは、牛肉食品関係者だろうなっ。

ちょっと、怖いけどね。

今は死んじゃったけど、我が家の愛犬“リキ”のエサは、人間様の残飯だった。リキだけじゃなくって、歴代の“ちび”も“ジョン”も同様だった。汚い話だが、私が泥酔して帰宅するも、トイレまで間に合わず庭に嘔吐すると、翌日には、リキが綺麗に掃除してくれていた。

アメリカが日本の事を犬だと思っているんだろうなぁて感じるのは、自国で消費しきれないプリオン入り牛肉を日本人に食べさせようとしているところにもある。

私は犬じゃなくって“ヒト”だから、“牛肉エキス”でさえ(もしかしたらこっちの方が危険?)“プリオンエキス”って読み替えて対応してるんだけど、牛肉エキス入りのレトルト食品などはよく売れているんだろうなぁ。

我が家じゃ“ビーフカレー”の素だって買ってないんだけどね。


p.s.しかし、、、他業種の事情を邪推していると、いつか足元を掬われそうでこわいよね。同業者と業界の内部事情をばらしていた方が、まだ、安心だ。そして、他業種の人が医療業界を邪推しているとしたら、それは・・・・。30年後、プリオン病の治療薬が開発されていれば、お客に事欠きません・・・って
(。_゜)☆\(ーー;)バキッ

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コリント人への第1の手紙 第13章

20080121_wedding先日、いとこの結婚式に出席した。久しぶりの親族の慶事であり『やっぱり、結婚式っていいなぁ、身内が増えるのっていいなぁ』って喜んだのだった。それに、話には聞いていた“シェ松尾(青山)”のフレンチも堪能できたし。

式はキリスト教式でとり行われたのだが、キリスト教の“キ”の字も知らない私の母が隣の席で神父さん(牧師さんかもしれないけど)の一言一言にうなづいている。そして、私は、、、、私はキリスト教を文化・芸術や集団心理、政治や歴史と重ね合わせて理解しようとしてきた為、新約聖書の内容についての知識が、全くないことに気づかされたのだった。


キリスト教式でとり行われる結婚式では、大体どこでも同じ賛美歌とコリント人への第1の手紙 第13章からの引用が記された印刷物を手渡されるのだが、神話や宗教に興味を覚えて以降この印刷物を見るのは初めてだったので、感動もしたのだが、色々と余計な事まで考えてしまった。

・・・・きっと、お袋はこの言葉がイエスさまのありがたい言葉だと思ってんだろうなぁ・・・・
・・・・お袋だけじゃないかもなぁ、、、でも、俺もつい最近まで知らなかったんだよなぁ、、、、パウロなんてヤツそのものも・・・・

あらためてじっくりと読んでみた。

Love is patient. Love is kind.

It does not envy.

It does not boast, it is not proud

It is not rude, it is not self-seeking, it is not easily angered

It keeps no record of wrongs

Love does not delight in evil but rejoices with the truth

It always protects, always trusts, always hopes, always perseveres.

Love never ends.

from 1 Corinthians 13


愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない。

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。
コリント人への第1の手紙 第13章から


・・・・そうそう、Love is patient なんだよなぁ、あいつ知ってるのかなぁ、まさか“なんで患者なんだぁ?”とか思ってんじゃねぇだろうなぁ・・・・
(いとこは神経内科医)

・・・・そういゃ、俺も耐え忍ぶから“患者”なんだって、なるほどねぇなんて思ったことあったもんなぁ・・・・

・・・・最近の患者は耐え忍ぶ、、、、なんてしてねぇよなぁ、、、、そもそも日本語じゃ“患う者”ってそのまんまだしなぁ・・・・

・・・・そもそも、聖書ってヤツは、、、イエスさまはろくな言葉を残してなかったから弟子達苦労したんだよなぁ・・・・

・・・・なんだかんだ言っても、いい文章だよなぁ、、、結婚式にはぴったりで・・・・
・・・・でも、パウロはどういう心境でコリントの教会の共同体宛に、こんな内容の手紙を出したんだろう・・・・

・・・・状況を知ったら、ガッカリ、、、なんて事は、、、あるのかなぁ・・・・


というわけで、いわゆる≪愛の賛歌≫ってヤツについて調べてみると、、、

第三回伝道旅行のエフェソ滞在中に書かれた。54~55年。かって伝道したコリントの教会でパウロに対する反対の意見が強くなったことに対し、介入しようとして書いた手紙。
律法からの自由を謳歌する異邦人キリスト者に対して、パウロは、自由の自己抑制を説きます。しかし、パウロはこの節制を掟として決して強制することなく、実践はあくまで個人の自由意志として尊重すると、再三にわたって述べて、キリスト者の自由と自律を説きます。
当時のギリシャでのローマ的大商業都市の、異邦人キリスト教会内の紛争に苦慮するパウロの姿を通して、パウロの人格像と当時の新興宗教(カルト)的な多様な教会内部事情が判明する貴重な文書。

ふ~~~む、わかったようなわかんないようなっ。

で、誰かの解釈みたいなものはないのかなぁって探してたら、、、高輪教会のホームページ≪3分説教≫にありました。

いつまでも存続するもの」コリント人への第1の手紙13章
                        2006年4月23日

 先週の日曜日、私たちの教会は全世界の教会と共に、主イエス・キリストの復活の出来事覚え、祝うイースターの礼拝を行いました。主イエスの復活は私たちの罪のあがないの確かなことのしるしであり、神の存在の確証の出来事であり、主イエスの復活を信じたときその人は新しい命に生きるものに変えられるということを学びました。

さて、そのような復活祭の礼拝の後に与えられた聖書のテキストは、今年の2月から学んできました「愛の賛歌」として知られているコリント人への第1の手紙13章の7節以下です。執筆者パウロはこれまで、どのように優れた言葉も、信仰も、行いも愛がなければ一切は空しいということを記し、愛とはどのようなものであるかを記してきました。私は「ここで言う愛とは、主イエスを十字架につけたもうた神である」ということをくどいように述べてきました。そのパウロは8節で「愛は絶えることはない」と記した後、「完全なものが現れたとき」、それまで良いと思われていたものは滅んでしまい、役立たなくなってしまう、というのです。そしてパウロは最後の13節で記します。「しかし、今や、信仰と希望と愛は残る」と。私は、ここを次のように要約したいと思います。「今役立っているさまざまなものは部分的なもの、おぼろげなものでしかない。しかし、信ずること、希望すること、愛することは残る」と。

 私たちの愛は、試練や吟味にあうときに、その愛が本物ではなかったことが暴露される愛でしかありません。しかし、神の愛は(愛である神の愛は)絶えることなく残り続けるのです。私たちへの、神の信頼や希望も残り続けるのです。私たちの預言も、異言も、知識も完全なものが現れる「その時」、神の裁きが行われる「その時」潰えるでしょう。しかし、私たちへの神の信・望・愛は残るのです。そのことに希望をおき、そのことに信頼を置いて生きようではありませんか。その時、あなたは「愛を生きる」人に変えられるに違いありません。あなたの人格は4節から7節までパウロが記してきた「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」人への歩みを歩みだすでしょう。そして、道徳や処世術としてではなく「ねたまず、誇らず、いらだたない」人格へと成長するに違いありません。あなたは愛することが重荷ではなく生きる人になることでしょう。

「神の愛を信じなければむなしい」
コリント人への第一の手紙13章7節2006/03/26

 今から1952年前に記されたコリント人への第1の手紙13章の「愛の賛歌」は今でも結婚式のたびに世界中で読まれています。その為に「愛は寛容であり、情け深い」で始まる、4節以下の愛についての命題は「このように愛する人にならなければならない」と詠まれてしまいがちです。しかし、数週間前からお話ししているようにこの聖書を倫理的に読むならば、あなたは自分には優しくなれず、それ故に他人に優しくなれない人か、さらに悪いことには自分が人を愛せないにもかかわらず、他人に愛を要求するような醜い人になってしまうでしょう。

 4節以下の「愛」を「私」に置き換えて読んでみてください。「私は寛容であり、情け深い。ねたむことをしない。私は高ぶらない、誇らない」と読めばいかにあなたが、そして私が愛に程遠い生き方をしているのかがわかります。しかし「私」の代わりに「神」に置き換えて読めば「然り、アーメン」と言えるでしょう。その上で7節の「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」を読むなら、執筆者パウロが言う「愛」とは、主イエス・キリストを十字架につけてまでも「私やあなた」を愛してくださった主イエス・キリストの父なる神であることが解ります。

 パウロは7節の一つ一つにくどいように「すべて」を4回繰り返しています。7節を私なりに訳してみると、こうです。「神はあなたのすべてを沈黙で覆い隠し、あなたを全面的に信じ、あなたの将来のすべてに期待しておられ、あなたのすべてを大切にしてくださる」と。神はあなたのすべてを秘密にして耐えておられ、あなたの将来を信じ希望して忍耐しておられるのです。そのような神の愛を受け入れ、愛のゆだねたとき、あなたは愛する能力、愛する自由を持つ人へと変えられるでしょう。そのように神の愛によって変えられたとき、あなたは『私は寛容であり、情け深い。ねたむことをしない。私は高ぶらない、誇らない、そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える』人へと生きようとする者に変えられるでしょう。


なるほどねぇ!!

でも、想像していた通り、調べれば調べるほど、1コリ(コリント人への手紙1はこのように略されるのだとか・・・)第13章は文字通りの意味ではなく、遠まわしだったりして深いことがわかった。

で、これは“若い二人へ送る