映画・テレビ

モンスター

20091028_charlize_theronシャーリーズ・セロンが主演した映画を思い出した。

シャーリーズ・セロンはこの映画で、実在した全米初の女性連続殺人犯アイリーンを演じた。

映画『モンスター』は1986年に連続殺人事件を起こし、2002年にフロリダ州で死刑となった娼婦アイリーンの実話に基づく物語。2003年のアカデミー賞にて、シャーリーズ・セロンが主演女優賞を獲得した話題作だ。


さて、何を見て思い出したのかは、ご想像の通り。

そう、このとてつもなく、スゲェ~女、、日本の木島佳苗だ。

誰だって、1億円以上も貢がれる女って、どんなイイ女なんだろう?って思うはず。俺の興味も、ただ、その一点に尽きる。

殺されてしまった男性群には申し訳ないが、特別な感情移入には至らなかった。(正直でゴメン!)


で、この女だけど、ネットでは、サングラスをかけているが顔写真も見かける。。。シャーリーズ・セロンのように、絶世の美女とはいかないが、コケティッシュな印象だ。

コケティッシュ・・・・・久しぶりに思い出した単語だ。

男好きのする顔なんて言い方もするよなぁ・・・・、昔の小説なんかじゃ、飛び交っていたけど、最近、コケティッシュなんて通り越して、エロだもんねぇ・・・・。乳房の下半分なんて、平気で見せるし、すぐ、股広げちゃうし・・・。

こういう、特別、美人じゃないけど、ちょっと、性にだらしなさそう(なさそうってところがミソ)な女性って、一緒にいると、ドキドキする。なんか、肉体の交わりが期待できそうで・・・・って所なんだろうなぁ。

美人過ぎると、『俺とは、そいうい関係になる女じゃないなぁ』なんて、チャレンジする前から“引いちゃう”んだよね。

コケティッシュは、もてるのだ。

この女は、素でコケティッシュなのか、それとも演技なのかはわからないが、写真からはモテそうな印象は受けたよ!俺は、別に関わったわけじゃないし、被害も受けてないから、特別な悪感情も抱かなかったけど。


さて、人の嗜好を云々する前に、お前はどうなんだ?と言われそうだから、最初に書いちゃおう。プロフィールにも、好きな女性のタイプって書いてなかったからね。

このエントリーを見てもわかるように、好きなタイプはシャーリーズ・セロンだ。他には、ジーナ・ロロブリジダ、ケリー・ブルックあたりが好きだな。日本人じゃ、ファンじゃないけど香里奈、ポカリスエットのコマーシャルに出ていた頃の米倉涼子、高校生の頃の杉本有美、あと、戸田れいはコケティッシュで好き!

大体、俺のタイプがわかったところで、話の続き。


最近じゃ去勢された男が多くて、、、とか、、、、その証拠に車に金を掛けずに、、、スピードに酔う事も無しに、、、などと、考察している輩を見かける。

これに関し、AUTOCAR JAPAN のコラムニストで自動車評論家の慎ちゃんこと沢村慎太郎氏が「慎ちゃんのクルマ寄席」で、持論を展開している。

今月号では、沢村慎太郎氏が1962年生まれの俺と同学年(俺は1963年の早生まれ)だと判明したのだが、氏の鋭いユニークな着眼点は、一目置いていおり、「慎ちゃんのクルマ寄席」は毎回、楽しみにしている。

この中で、車離れは、男が虚勢されたわけじゃなくって、ガンダム世代だから、、、って所には妙に感心したのだった(これだけじゃワからんだろうから、興味のある人は雑誌、買ってネ)。それ以外にも、別な車関連雑誌に、最近の若者の車離れが著しい理由に、“草食系”じゃない理由を展開している文章が載っていた。フランスでは日本より先に既に同様の現象が現れていていたと。『車で女を釣る時代じゃないぜ』ってことらしい。

これらの理論の展開は、俺を、十分、納得させるものだった。


と言うわけで、この女の被害者は、今のところ、中年以降って事になっているけど、最近の若者にとっては対岸の火事だなんて考えている人がいたら、それは、改めたほうがいいと思う。


彼らは、決して、“草食系”なんかじゃない。


環境ホルモン物質の影響なのか、人口過密状態が原因なのか、それ以外の因子があるのか、特定は難しいが、少子化が、民主党や少子化大臣が言うような、お金が無いからではない事はハッキリしている

練炭殺人のターゲットにされなかったのは、単にお金が無かったからだ。

p.s.(今回は、私じゃなくって、俺って使ってます。なんか、こんな内容、私じゃ恥ずかしくって・・・それと、慎ちゃんのマネ)

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わらの男達

20090912_g_loloblijida最近のノートパソコンは強い。

今朝、職場で使っているノートパソコンを落下させた。

1日2回、場所を移動して使っているのだが、朝の移動の最中だった。

でも、動いている。。。。すげぇなぁ!絶対、壊れたと思ったんだけど・・・・。


そのくせ、自宅のデスクトップ型(Gateway)は壊れかかっている。。。。置いてあるだけなのに。。。まだ、2年しか使ってないのに・・・。

最近じゃ、パソコンの蓋を開けて、不具合を見つけて、自分で修理・・・・なんて気も起きない。

壊れかかっていて、使い物にならないと妻から苦情が・・・・。買い替えを考えた。安く済ませるには、Dell がいいかもっ!!って事で、オンラインストアーへ。


色々、オプションを検討していると、なにやらオペレーターがチャットで対応してくれるらしい。面白そうだから、チャットを開始した。仕事中なのに・・・・。

商品のディテールを調べていた時、背面の写真に DVI-I 端子が付いてない事が判明した。一体どうなっているのだ?デフォで、ビデオカード搭載しているのに・・・と聞いてみようかなって。

チャットでわかったのは、写真はイメージだから、、、、実物には付いてるので心配はいらない・・・ということだった。。。。オイオイ、イメージ写真って、、、それはないだろう?って思ったんだけど、対応してくれた方が女性だったので、紳士的に振舞ってしまった。


さて、自宅のデスクトップパソコンはどうなったのかと言うと、、、買うことを決めてから、調子が良い。

今までの不具合が嘘のように消え去っている。。。。チャットしてくれた女性は、オンラインストアーで買うなら、私の名前を営業担当欄に書いてって言ってた。そしたら、お安くしますって。。。。


キャバ嬢の営業スマイルには“免疫”あるんだけど、、、、Dell のオンラインサポーターには“免疫”ないから、ヤバイかも・・・・・。

それに、Windows 7 にも興味あるしなぁ・・・・・。って、Gateway が壊れる事を祈り始めている・・・・・。


さて、フランスには『わらの男』ということわざがあるそうだ。これに引っ掛けて、『わらの女』という小説は書かれた(そうだ)。

『わらの女』は映画にもなった。

『わらの男』というのは、頭のいいヤツにいいように利用される馬鹿のことなんだとか。

『わらの女』も、いいように利用される馬鹿女が出てくる。しかし、小説と映画ではラストが違う。私は、だんぜん小説のほうが好きだ。この救われない感じが、あざとくなくて良い。

映画は、良くも悪くも、水戸黄門のような“勧善懲悪”にしてある。

だが、ジーナ・ロロブリジーダが演じてなかったら、どうだろう??監督はラストを変えたのだろうか?私が監督だったら、待ったなしだ。


男は、つくづく、脳が“テストステロン漬け”なんだよなぁ・・・・・。基本的に、善悪の判断さえコレなんじゃない??(サディスティックに美女を虐めたい男は除く)

そういえば、世界陸上女子800m金のセメンヤ選手は両性具有だったらしいね。彼女?の映画版『わらの女』の評価が知りたいねぇ!

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いのうえひでのり リチャード3世

20090831_richard3日本でシェイクスピアと言えば、蜷川さん、、、、と、いのうえひでのり氏も言っているのだが・・・・・、昨日、いのうえひでのり演出の『リチャード3世』を観ていた。(選挙速報は、最初の10分だけ・・・苦笑)

観たといっても、Wowowで放映していたのを録画しておいたものなのだが、、、

知っている人は良く知っている通り、ロシアの文豪トルストイは『シェイクスピアの何処が良いんだ』とこき下ろしている。ロシア語訳だからいけないのかも、、と英文でも読んだらしいが、それでも、さっぱり、よさが解らない・・・・のだそうだ。

そんでもって、シェイクスピアを褒めちぎっている人にも、『なんで、あんなのが良いんだ?』と。

私は、文学部出身ではないので、この辺の考察は“不可能”なのだが、『なんで、あんなのが良いんだ?』というのは、良く解る。

観ていて、ちっとも面白くない。

これは、『コリオレイナス』を観ていても、感じた。

『なんで、こんなことするの?』
『こういうリアクションするかなぁ・・・』

と、つまりは、、、、突っ込みどころ満載なのだ。


ところで、『突っ込みどころ満載』っていうのは、民主党のマニフェストを読んでいても同じだ。。。

突っ込みどころ・・・って感じるのは、自分が正しい事を知っているからなのか、それとも勘違いしているからなのか、ただ単に嫌いだからなのか、、、、色々なパターンがあると思うんだけど、もう一つ気づいたのは、、、、

男性へのワクチン接種は午前中に

〔独ウィースバーデン〕ヨハネス・グーテンベルク大学(マインツ)小児科のFred Zepp教授は「ワクチンを接種する時間帯と接種後の免疫応答との関連について検討した2件の試験から、男性の場合には午前中にワクチンを接種したほうが、より良好な免疫応答が得られることが示唆された」と学会"Praxis Update"で報告した。

抗体価が2倍以上に
 1件目の試験は、A型肝炎ウイルス(HAV)ワクチンの接種を受けた英国の男子学生を対象としたもので、39人には10~12時の時間帯に、36人には16~18時の時間帯に接種が行われた。2件目の試験では、A/Panamaインフルエンザ・ワクチン接種後の反応が調べられた。被験者は65歳以上の男性89人で、2群に分けた一方の群には8~11時に、もう一方の群には13~16時に接種が行われた。

 いずれの試験でも4週間後に抗体価を測定したが、午前中に接種した群では、抗体価が2倍以上に上昇した者の割合が、午後に接種した群のほぼ2倍であった。

 これに対して、女性ではこうした効果は確認できなかった。Zepp教授らは現在、さらに大規模な試験に取り組んでおり、概日リズムが免疫応答にこうした影響を与えることが確認されれば、特に免疫応答が低下しているリスク群に応用することができるかもしれないとしている。

 同教授は「そもそもワクチン接種は午前中に実施すべきで、接種後の観察時間の確保も容易になる」と述べた。


たとえば、上記のような事を聞かされて、、、、『ちよっと、まってよ!それは、、、、』なんて突っ込むヤツは、そうそう多くはないと思う。

『ふーん、そうなんだぁ!なぜだろ?不思議だねぇ』みたいなリアクションが多いはず。関心がなければ、そんなものだろう。一般の人が、『ワクチンの効果を最大限に引き出すには・・・』なんて考えるほうがおかしい。

・・・・・、そう、一般の人でも“医療オタク”みたいな人、、、それを好きな場合、気になってしょうがない場合なら、『突っ込みたくなる・・・』のかもしれないが。


対象が気になっている場合、好きなのにそれを好きな自分が許せない場合、、、なんかが、当然あるわけだ。

私が、民主党マニフェストに『突っ込みどころ満載』なんて書くのも、よくよく、考えてみると、そうなのだ。

気になっている・・・・、民主党前原誠司氏のことは個人的に応援しているし、それ以外にも応援している人は、ちょっとはいる。だけど、、、中には『小泉元首相がどうしたこうした』と、そればっかりでうんざりするヤツが極めて多い。

私は、こんな事をいう奴が生理的嫌い為、民主党をこき下ろしてるんだが、選挙速報での前原誠司氏へのインタヴューで、彼の受け答えに、はっと気づいたワケだ。

私は、無責任な立場で、ごちゃごちゃと騒ぐやつも生理的に嫌いだ。だから、民主党は、、、、なのだが、もう、責任を伴う立場になったんだから、これからは、応援する事になるだろう。結局、ここが一番大きいのかもしれない・・・・。責任があるかないか。

マスコミを大嫌いなのも、責任取らないからだし・・・・・。


トルストイはシェイクスピアのこと、好きだったのかも。好きな人が、心理的ロジックが破綻しているようなものを書くのが、許せなかった・・・・のかも。

私は、好きでもなんでもないので、『なんだよ!つまんないなぁ』だけどね。

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『ダークナイト』と女子高生のスカート丈

20090824_skirt『ダークナイト』で、ジョーカーが語る“人は何に恐れるか”は、インフルエンザにも当てはまる。

人は、新型インフルエンザの感染拡大に怯える。しかし、、、
現代医学が「季節性インフルエンザ」の感染拡大を止める事ができていない事実には、恐怖しない。

人は、「新型インフルエンザ」で死ぬ事を恐れている。しかし、、、
「季節性インフルエンザ」の感染者の0.1%が死亡している事実には恐怖しない。

私は、『バットマン ビギンズ』から再スタートした新生バットマンシリーズをみた時、あまり面白いとは思わなかった。しかし、、、『ダークナイト』は面白い。

『バットマン シリーズ』はゴッサム・シティーという架空の都市が舞台だ。でも、これが現代の何処にでもある都市のアナロジーである事は、誰でも気づくんじゃないかなぁ。これが、『面白い!』って、私が感じた理由。

中でも、ジョーカーが語る“人は何に恐れるか”の部分、感じることはできるんだけど、巧い言葉で表現できなかった。。。。まさに、コレコレって感じ。


さて、人は、その恐怖が、想定内なら怯えない。。。。。

科学的常識は、通用しない世界だ。。。。私は、科学的常識で過剰な恐れが克服されるのが一番だとは思うが、マスコミがイイカゲンな報道で“麻痺”させてくれるのも、一つの方法じゃないか!?と思うようになった。『ダークナイト』を見てからだ。

インフルエンザの治療薬、タミフル、リレンザなどが特効薬のように扱われているが、服用したって“重症化”を予防できるわけでもないし、重症な患者を救えるわけでもない。。。。こんなものにすがるのは、科学的常識で考えれば愚かな事だけど、溺れる者は藁をもすがるの通り、何もせず死ぬより、何かして死ぬほうが、本人も周りも納得が行く・・・・・。

実も蓋もない話だが、死ぬ人は死ぬし、死なない人は死なない。予測不可能なのだ。懸命な救命によって救われる命がある一方で、救われない命もある。どこが分かれ道なのかは解らない。

想定内なら恐怖しない。

「新型インフルエンザ」では、すべてが予測不可能な事が怖い原因の一つなのだが、「季節性インフルエンザ」の何がわかっているのか?と問われれば、ほとんど、なにもわかっていない。私を含めてほとんどの人は、『何故、あの人が死んで、あの人は助かったの?』『どうしてわが子に重い後遺症が?』『自分の場合はどうなのだ?』に尽きるだろう。。。そんな事にさえ、『高齢が故、、、免疫不全状態で、、、基礎疾患があり、、、免疫が無い、、、』『もっと、受診が早ければ、、、』と歯切れが悪い、、っていうか、解っていないのと同じ。『遺伝子型により、死ぬ運命にあった』とは言えないとはいえ・・・。

でも、「季節性インフルエンザ」に対しては、根拠も無く“怖くない”状態になっている。。。。から、厳密に言えば、予測不可能に怯えているわけでもない。


なんとなく、、、、なのだ。
 
 
 
想定内なら、恐れない、、、、は、何も病気に限っての事じゃなく、政策にしても同様だ。

民主党は、高速道路の無料化を打ち出している。高速道路は、長い事、国民に使われていて、何を変えると、何がどうなる解りやすい(解ったつもりになれる。根拠もなしに)のだが、携帯電話の通信料を大幅に値下げする・・・・とは言わない。

携帯電話は、ほとんどの人が使っているとはいえ、まだまだ、使用年月は浅い。何かを変えるとどうなるのか解らない・・・・って最初から思ってしまうのだろうか?民主党のマニフェスト作成に関わった連中は、、、、?


話は変わって、若者の政治への関心の無さは、甚だしい。

若者を政治に引き込むには、『携帯電話の通信料を今の1/5にする』なんて事をマニフェストに盛り込めば、彼らの票は、濡れ手に粟だろう。。。。。

高齢者に迎合するのか、若者に迎合するのか?

政権交代自体がネタになって、面白がっている中年は、民主党が『携帯電話の通信料を今の1/5にする』って言ったら、どう反応するんだろう???

私は?  さんざん、民主党をけなしてきたけれど、『携帯電話の通信料を今の1/5にする』のなら、民主党に一票だ。色んな意味でね。。。フフフ。


p.s.女子高生のスカート丈、あなたの許せる程度は?(想定内はどれ?)

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ニワトリの脳を持つ男

20090821_chickenデジタルといえば、『0か1か・・・』って、誰しもが思っている。

デジタル=コンピータが、『0か1か・・・』という“2bit”を用いて機能しているからなのだろうが、そのコンピュータが“多bit”を用いるようになると、デジタルという言葉の意味は変化するのだろうか・・・・?

よく、『デジタル人間・・・』などと他人を揶揄する人がいるが、量子コンピュータの時代になっても、こんな事を言うのだろうか・・・・?(っていうか、量子コンピュータが無知な人の“試金石”になる言葉のような気がする・・・)

論文を読んで、ふと、そんな事を考えてしまった。

多値(3値以上)レベルの量子エミュレーション(Higher-Level Quantum Emulation)

Science August 7 2009, Vol.325

情報を符号化するデバイスが量子コンピュータの心臓部である。

この量子符号化は通常、“量子ビット(a qubit)”で取り扱われており、古典的コンピュータにおいて0と1で符号化される2値レベルビットに類似した2値レベルの量子系である。

しかしながら、2値の量子エネルギー準位である必要はない。量子コンピュータの心臓部にあるデバイス中では3値(a qutrit:キュートリット)、あるいは一般にそれ以上のd値レベル(a qudit:キューディット)があっても良いはずである。

Neeleyら(p. 722; Noriによる展望参照)は5値レベル量子デバイスを実証し、そのキューディットを用いて、量子スピンの操作に関与するプロセスをエミュレートすることができることを示している。

多値レベルキューディットの採用により、ある種の計算タスクが簡易化され、また量子コンピュータそれ自体を実現するために必要とされる回路を簡易化する事で量子情報処理実現のポテンシャルを持つている。

Emulation of a Quantum Spin with a Superconducting Phase Qudit
p. 722-725.


量子コンピュータ時代になっても、他人を『デジタル人間・・・』なんていう奴を見付たら、それは、ニワトリの脳を持つ人間。。。


さて、今年の夏休みもまた、車で走り回った1週間だった。

車に乗っていると、『色んな人間がいるなぁ・・・』と、つくづく思う。10~100人に一人の割合?で存在する“ニワトリの脳を持つ男”が、特に面白い。

このニワトリの脳を持つ男は行動面での特徴があるだけだから、街中で出会っても気づかない。

地方の自動車専用道路は片側一車線区間がよくあるが、1台の車の速度が遅いと、その後が金魚のフン状態になることが、ままある。人間の脳を持つ運転手は「まっ、しょうがないかっ」と、普通に先行車に続いて走るものなのだが、“ニワトリの脳を持つ男”は違う。
先に何台もの車が連なって走っていようがおかまいなしに、最後尾の車を『オラオラ、どけよ』と言わんばかりに煽りまくるのだ。最後尾の一台を追い抜いても、意味無いのに、それでも、目先の一台が気になってしょうがないらしい。

混雑しているサービスエリア内で、エンジンを唸らせて猛スピードで突っ走るような男も“ニワトリの脳を持つ男”の典型だろう。

とにかく、前後3秒程度の状況認識力しか持ち合わせていないのだ。


今朝、休み明けの通勤路を歩いていると、“ニワトリの脳を持つ男”が『こんなところにも存在していたのか』と発見してしまった。

駅までの通勤路は、住宅街でスクールゾーンに指定されており、この時間帯は住んでいる人以外の交通を認めていない。通行許可証が必要で、住所者には交付されている。

ここを、規則を破るだけでなく、猛スピードで走り抜けるヤツがいるのだ。今まで苦々しく思っていたのだが、こいつも“ニワトリの脳を持つ男”なんだなぁと、ふと、思ったら、急に哀れになった。


“ニワトリの脳を持つ男”の乗る車は、ある共通点がある。安くて遅いのだ(遅いくせに自分より遅い車は煽り、流れの遅い細い路地で飛ばす)。ニワトリの脳だから、収入も少ないのだろう。中古の外車も多い。スクールゾーンのそいつは、ご他聞に漏れず、中古で旧型の黒の BMW X5 だ(わかり易い)。

万事が、精一杯、無理して頑張ってるから、常にフルスロットル・・・・・なのかもしれない。周りは至極迷惑なのだが・・・。子供たちは、私が言うニワトリが面白いらしく、このような運転をする人間を見つけちゃ『ニワトリがいたよ』って、すでにカラ馬鹿にしている(良いんだか、悪いんだか)。


ところで、もう、40年以上も昔になるだろうか、当時、我が家ではニワトリを飼っていた。卵を得るためと、鶏肉を食するためなのだが、たまに、祖父が、鉈(なた)でニワトリを断頭するのを見る事があった。

知らない人もいるだろうが、ニワトリは断頭されてもしばらくは、庭を走り回るのだ。当時、飼っていた犬がそれを追い回し、ジャレているのを、いまでも鮮明に覚えている。


サスガ・・・・ニワトリ・・・・。頭が無くても体がうごく。


片側一車線の最後尾の車を煽ったり、混雑しているサービスエリア内を爆走したり、通行禁止のスクールゾーンを爆走するヤツは、きっと、頭を使っていないに違いない。。。


彼らを、断頭して様子を見てみたい“衝動”に駆られた私は、自分では“正常”だと思っているが、別の人に言わせれば『○○の脳を持つ男』といわれるのかもしれないなぁ。
 
 
 
p.s. 昨夜、ヒース・レジャーの遺作となった「ダークナイト」を観た。彼が演じる“ジョーカー”が喋る内容に、いたく感心してしまって、自分も試してみたくなって、こんな“締めくくり”にしてみた。

心無い運転手が人を轢き殺すことには慣れっこになっているが、人の首を刎ねる事にはなれていない人の感情は、最後の一文でどのように動くのか・・・・・・。興味深い。

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ブルートゥスかアントニウスか

20081014_romeローマの時代から変わりないのが、大衆の存在。


カエサルが暗殺された後※1、ブルートゥスとアントニウスは追悼の言葉を述べる。シェイクスピアの戯曲“ジュリアス・シーザー”では一番の見せ場だ。

WOWOW 海外ドラマ『ROME[ローマ]』ではその場面が、“ジュリアス・シーザー”でのシーザー(カエサル)とアントニー(アントニウス)のやり取り※2の場面ように、第三者に語らせるっていう、パスティーシュのような心憎い演出がなされている。

※1:ドラマ『ROME[ローマ]』では、カエサルを暴君としたならば、その暴君が推挙した執政官、法務官など、すべて無効と化す。従って、選挙のやり直しは避けられない。当時でも選挙には莫大な費用が係る。やりたくない。
アントニウスはブルートゥスに持ちかける。『選挙を避けるには、カエサルを暴君とせず国葬に付す。その上で、大衆に対しては対立する双方の代表者が追悼の言葉を述べ、社会の不安を払拭すべきだ』と。

※2:凱旋式にてアントニーがシーザーへ王冠を送る。これをシーザーは三度断る。シェイクスピアはこの場面を役者に演じさせず、物陰から見ているキャシアス(カッシウス)らが、『断っているフリしているが、喉から手が出かかっている』などと、揶揄する場面をもって、シーザーとアントニーのやり取りを示している。
後世の評論家がこの戯曲を評価する理由に、本人(シーザー)の意思(王位に付きたいかどうか)を明確に示さなかった事を挙げる。(ここからは、私の評)実際、シーザーの本意はわからない。。。が真意はどうであれ、どう思われるかが大事で、歴史は暗殺を選ぶ。おしくらまんじゅうのように、進んでしまう事を見事に示している。

補足:ローマの大衆は、王様を嫌悪している。この大衆心理は塩野七生の『ローマ人の物語』をお読みくだされ。


西欧の文化圏では誰もが、カエサルの国葬に際しブルートゥスとアントニウスが何を喋ったのか十分に知っている。そして、二人の政治家としてのスタイルの違いは強烈だ。(ほんとは、これらも結果から推測する一番合理的なシナリオにすぎず、事実かどうかはわからない。ドラマでは第三者に語らせる理由なのかもしれない・・・・が)


ブルートゥスは清く正しく美しく正論を貫く。
アントニウスは大衆にわかりやすく大衆の感情に訴えかける。

そして、大衆はアントニウスを選ぶ。

やがて単なる大衆迎合は大衆に見放され、大衆の気持ちをクレバーに利用する事ができるオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が登場する。
 
 
 
突然、話はがらりと変わる。。。

まず、主成分分析(PCA)の定義から。ウィキペディアによると、、、、

主成分分析(しゅせいぶんぶんせき、principal component analysis)は、経済学の分野などが発祥の統計手法。複数の変数間の共分散(相関)を少数の合成変数で説明する手法。共分散行列の固有値問題の解として得ることができる。

例:
市町村の人口・学校数・商業施設数・進学率・第一次産業の就業率・水道の普及率などには通常高い相関がある。この相関を1つの変数が作った偽相関と仮定し、数学的に算出する。それを第一主成分と呼ぶ。第一主成分は数学的な計算結果に過ぎない。これの意味を分析者が解釈し、たとえば「都市化指数」などと想定し、都市化の指標とする。その残差に対して同じ計算を適用して、主成分は第二、第三、と作れるがその変数間の関係を説明する主成分負荷量が小さくなっていくので、解釈困難になっていく場合が多い。

心理学やマーケティングで使われる因子分析が主成分分析と同一の手法であるとの誤解が生じるのは統計ソフトにおいて類似のルーチンを用いるためである。詳しくは因子分析の項目を参照のこと。


漢方処方の性格付けにメタボローム解析を用いた研究が、千葉大学大学院薬学研究科の山崎真巳・准教授らのグループによって第5回植物メタボロミクス会議で発表された。

一つの細胞に含まれるメタボローム(代謝物総体)は微生物で数百種類、哺乳類で数千種類、植物で数万種類と言われているそうだ。哺乳類より植物の方がたくさん物質を作り出し“生きている”事に、少々、驚いている。まぁ、それはいいとして・・・

漢方薬を飲むと、どのような遺伝子の転写が促進され、その産物が二次代謝され・・・って最終的(ある時点で)にどんなものが出来てるのかを、主成分分析(PCA)で調べて発表している。

面白いのは、処方によりある程度グループ分けが出来きて、これが“証”に依存しないって事だ。微妙な差はあるにせよ小柴胡湯と大柴胡湯が同じクラスタにまとまっているのだ。ちなみに、葛根湯や加味しょうよう散とはかけ離れている。

ということは、、、、“中国4000年の経験”はこの“微妙な差”を臨床に応用している・・・のか???メタボローム解析は非常に科学的だけど、現時点では“中国4000年の経験”にてんでかなわないって事なのか??

現代科学の最先端の分解能は、まだまだ、人間の“かん”に遠く及ばない・・・・。その他の生命科学分野の研究結果が、臨床に直結しない・・・・のも、こんな理由なのかもね。見えてる(解っている)ようで、まだまだ、巨視的にしか見えてなかったってこと。

あっ!もしかして、クラスタの違いは“証”ではなくって、この小さな差が“証”なのかも!!

とすれば、この小さな差は“解像度”を上げれば大きく出来る。とすれば、“証”を科学のスケールで語れる・・・・。


厳密な意味で、因子分析と主成分分析が違うというのは、ウィキペディアの説明でわかったのだが、漢方薬の作用が、大衆の意思に重なってしまって、頭から離れない。メタボローム解析が漢方薬の分解能に及ばないの同様に、現代政治学が未来を予測できない事が興味深い。

漢方薬の構成生薬は複数だ。多いものでは10程もある。その一つ一つの生薬には、それこそ大量の成分が含まれる。それらが渾然一体となって、まるで大衆が一体となって政治家を動かすように人間に効く。

漢方薬の構成成分を一つ二つ取り出して効果をみようとしても、それはナンセンスだ。

大衆の中の人を、一人二人取り出して意見を聞いてみても、それは大衆を代表しない。そればかりか、政治(歴史)は大衆と政治家が渾然一体となって動かしているんだって解釈した方が理にかなっている。


漢方薬に入っている成分を一つ一つ取り上げれば、特に大きな作用を表しそうなのが、カエサルで、それ以下、アントニウス、ブルートゥス、カッシウス、キケロ、、、、それに男だけじゃなく、女達の影響も構成成分としては、ある程度大きな作用を持っている。
カエサルの愛人でブルートゥスの母親セルウィリア、カエサルの姪でオクタビウス(後のオクタビアヌス)の母であるアティア、スッラの孫であり正妻であるポンペイア、当然、エジプトの女王クレオパトラも。
浸剤として抽出している間に蒸発したり失活したり・・・・カトーやスキピオ、そしてポンペイウスもいる。だが、蒸発・失活したからといって、カエサルという有効成分に影響を与えなかったわけじゃない。漢方薬として出来上がった中のカエサルには、ちゃんと影響を与えたわけで、、、、ポンペイウスを追わなかったらエジプトには行かなかったわけで・・・・。

そして、その他の多数の成分は、一つ一つは大きな影響を与えないが、しかし、カエサルやアントニウスをも突き動かす、大衆がいる。
 
 
 
実は『ROME[ローマ]』は、エピソードによって性的表現の大胆なものがあり R-15 指定されている。娘と一緒に見ていると『アーアー声出してるけど何やってるのぉ?』と聞かれて、答えに窮していた。そんな事で妻から『娘がいない時に見るように』とお達しが出た。見始めて1月にもなろうかというのに、まだね全部見終わっていないのは、こういう理由からだ。

この連休(10月12~13日)、私の母親(娘の祖母)が娘を連れ出し遊びに行ってくれたので、チャンスとばかり、6話を2日にかけて観たのだった。ちょうど、カエサルが暗殺され、遺言によりオクタビウスが全ての遺産を相続し、アントニウスと決裂してアグリッパの元へ身を隠すところで、前半が終わった。

このドラマでは、ヴォレヌスとプッロという二人の兵士が登場する。この魅力的なキャラクターが私は大好きだ。実際に存在した兵士じゃないけど、歴史に与えた二人の影響は計り知れない。もしも、あの時、、、だったら、、、だけど。

で、ルキウス・ヴォレヌス役はケヴィン・マクキッドという俳優さんで、日本語吹き替えが、あのプリズン・ブレイクのマイケル・スコフィールド役、東地宏樹氏だ。これがドハマリでカッコイイ!プッロの声優さんはだれかわからなかったけど、ガイウス・ユリウス・カエサル役のキアラン・ハインズの吹き替えは、スパイダーマン2のマッド・サイエンティスト、Dr.オットー・オクタヴィウス役のアルフレッド・モリナをやっている土師孝也氏だ。これもカエサル役にドンピシャ・はまり役で感じが出てて、、、

(・∀・)イイ


今回のエントリーは、日頃、漠然と感じていた漢方薬への“思い”と WOWOW 海外ドラマ『ROME[ローマ]』を観たことにより惹起された“思い”とが一緒になって、吹き出してしまった・・・・・って感じです。

お粗末でした。

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コリオレイナスとスパルタカス

この連休は、共和制ローマ漬けだった。そして、『キケロ -- もう一つのローマ史』だ。
つくづく、政治というものがいつの世でも同じなのにビックリさせられる。まったく、進歩していない・・・。

だけど、政治(形態)に進歩なんて、そもそもあるのか?そして、社会に理想形なんてあるんだろうか?


20070918_coriolanusその一つは『コリオレイナス』。ご存知シェイクスピアの歴史モノだ。蜷川幸雄の演出で、主演は唐沢寿明。(シェイクスピアの史劇と言ってはイケイナ!・・・・そうだ。史劇はイギリス王家の歴史に限るのだとか・・・。だから、ジュリアス・シーザーも歴史モノと呼ばれるのだとか)
大衆は平和になると愚かになるというところを鋭く突いているのだが、シェイクスピアの悲劇の常で、大衆の愚をあざ笑うからと言って権力者に迎合する訳ではない。

しかし、政治って、一体、誰のものなんだろう?

コリオレイナスは『何故、祖国のために命をかけて闘い、周辺部族から脅威を拭い去ってやったのに、大衆は自分を支持しないのだ?』と言い、大衆の代表である護民官の罠に嵌り、大衆をなじり、ついには祖国ローマを追放にまでなってしまうのだが。。。。

自分では何もせず、外野から野次を飛ばすだけや策を労するだけの“無責任な人”が大嫌いな私は、コリオレイナスに感情移入する側の人間だ。

そして、『こんなバカな奴らのために、やってられるかい!』ってなっちゃう。

しかし、もともと誰の為に国を守ってきたのか?に立ち返れば、もしかしたらコリオレイナスは“自分の為”だったかもしれない。でも、自分の為に独裁政治を行ったとしても、結果的に国が維持できれば、それは大衆の為になるわけで・・・。政治形態の問題ではなく、それを行う人間の資質で、世の中は良くもなり、悪くもなる・・・・のではないのか?

そして究極は、誰かどうやっても結果は同じ・・・・・。

世が平和になると、愚かな大衆に迎合し煽動する為政者が台頭するところなんざぁ、まさに現代日本をそのまま見ているような気にさせてくれる。護民官が民主党の“小沢一郎”(鳩山とか菅も)に、はたまたマスコミ(特に朝日新聞)にダブってしまい、歯軋りしながら見ていたのだが、最後には“空しさ”で一杯になってしまった。


20070918_spartacusもう一つは、スタンリー・キューブリックの『スパルタカス』だ。カーク・ダクラス主演のこの映画は、たしか中学生の頃に見たと思うのだが、すっかり忘れていた。長すぎて、つまらなくなって、途中で止めてしまったのかもしれない。が、それとも、スクリーンかロードショー(映画雑誌)で見たワンシーンが記憶に残っていただけかもしれない・・・。

史実としての“スパルタクスの乱”があった当時、共和制ローマの登場人物はクラッスス、グラックス、カエサル(まだ若い)、へまをやったことだけ有名なクラウディウスだ。スッラも同様、ミトリダデスと闘っていたポンペイウスは映画の中では名前だけが登場するだけだったが、(キケロが名前すらでなかったのが残念だが)今“ローマ萌え~”の私には、この登場人物だけで興奮しないわけがない。

で、そのスパルタクスの乱は『ローマ人の物語』、『ルビコン』、『キケロ』を読んでいても、それからネットで共和制ローマの情報を漁っていても、この映画のようなイメージは湧いてこなかった。

『スパルタカス』を観たら・・・・・まさに、立場を変えると、事実は違う印象を与えられるという典型だなぁと感じた。

今までは、スパルタクスとその一味は、アッピア街道で磔(ローマの磔は餓死させるものだった)にされたとしても『悪い事したんだから、当然ジャン』『ポンペイウス、がんばれ』ってな調子だったんだけど、この映画を観てからは、『スパルタクスに、シチリアに逃げ延びて欲しかったぁ』『キリキアの海賊に賄賂を贈って裏切らせたなんて、キタナイぜ!ローマ』と。

いつも、大義を背負った大きな争いに“善悪の区別は無い”って言っている私だが、でも、感情移入は激しい。っていうか、“善悪の区別は無い”は自分を戒めるための言葉でもある。

映画では、執政官でありながらローマ全軍の指揮権を得たクラッススの演説とキリキアの海賊に裏切られ最後の決戦を意識しての反乱軍に対するスパルタクスの呼びかけが、数秒ごとに交互に描かれ、対比され、それぞれに大義がある事を印象付けている。

この映画はカーク・ダグラスがキューブリックに頼んで監督を引き受けてもらったそうで、ダグラスの意図が色濃く反映されているらしい。

『スパルタカス -- もう一つのローマ史』って感じてしまった。

ダグラスは、大衆に定着しているローマ史のイメージをぶっ壊せ、或いは反権力は受けるって事で描いたのかもしれない。そんな製作者の罠にまんまと嵌ってしまったのかもしれないが、小説とか映画ってのは、登場人物に感情移入できないと、まったくつまらないものになってしまう。そして、この『スパルタカス』は、印象操作というよりは、私にとって結果的に大衆のイメージを中立に戻してくれたという点で、優れた作品なのかもしれない。

まぁ、そんな映画評論家みたいな批評なんてするつもりはないのだが、『スパルタカス』を通じて観た共和制ローマは、また、別のものに見えてくる。

『キケロ -- もう一つのローマ史』の中で、キケロの言葉として書かれているのだが、国家と言うものは、いろんな考えの人が織り成すハーモニーのようなものだと。弁護士は裁判に勝つ事が使命であるのも、真実を暴く人、正義を貫く人がそれぞれ最善を尽くす事のハーモニーにより、全体として調和の取れたものとなるとの考えからだということだろう。

それと同じで、いろんな考え、いろんな身分、職種、立場、、、、これら違いがある人が一つの国に居るから“和音”になるのだろう。“単音”だけだったり、また、一つ一つの音を単独で取り出して聞いても“和音”の印象にはならないと言う事は、誰でも経験するところだと思う。そして、和音とならない“音”が混じると“全体”を台無しにしてしまうのも、経験するところだ。

あのベートーベンは『Dm(ディー・マイナー)が、どのマイナー和音より一番悲しい』と言ってるとか!(天才ウクレレ奏者 Jake Shimabukuro が言っているのを聞いた。この人、最近の私のお気に入りミュージシャンです)相対的な音の組み合わせによる全体のトーンの他に、絶対的な組み合わせによって“トーン”に差の付く事を言葉に出して指摘するなんて、ベートーベンやっぱスゲェけど、社会に置き換えれば、マスコミの強さと、政治家の強さと、労働者の強さと、経営者の強さと、技術者の強さと、消費者の強さと、生産者の強さと、、、、バランスだけではなく、その音程によっても、暗い社会、落ち着いた社会、成熟した社会、、、、と違いが出るんだろう。

今の日本は、どんなハーモニーなんだろう?(ハーモニーというより、マスコミが突出してハモってるとは思えないけど・・・)

でも、キケロの時代にオーケストラなんてあったのか?

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椿姫

20070721_camille久し振りにビデオを観た。

幼稚園が夏休みに入って、娘と妻は妻の実家に遊びに行ってるので、こうしてのんびりとビデオを観られるのだ。

仕事から帰ってきたのが午後3時過ぎ、パッションでも観ようかなって何気なく本棚にある DVD に目をやる。目にとまったのが“椿姫”。

なんとなく観た気になっていた映画なんだけど、観てなかったのかも知れない。なんたって、、、


グレタ・ガルボにやられてしまった。


椿姫は『義侠心か独占欲か?』でも取り上げてるんだけど、この時は“◎×○×・コンプレックス”をテーマにしてたから、グレタ・ガルボには触れてないんだけど、実は、アンナ・カレーニナを観たときも、そんなに“ぐっ”と来た訳じゃなかったから文章にするつもりすらなかったというのが、実情。

しかし、椿姫のグレタ・ガルボは、、、、、、(・∀・)イイ

20070721_garboでも、もし、中学生の頃、片っ端から見まくった時に観ていたとしても、イイとは感じなかっただろう。今だからイイのかもしれない。なんて言葉にしたらいいのか、良くわかんないけど、兎に角、イイのだ。もちろん、映画の中での設定による“カメリア・コンプレックス”の影響もあるんだろうけど、アンジェリーナ・ジョリーが演じていたら、そんなことは感じない。メグ・ライアンでもダメだし、キャサリン・セタ・ジョーンズでもダメだろう。(もっとも、『椿の花しか持たないため、椿姫と呼ばれるパリの高級娼婦マルグリットと出会った青年アルマンは、、、、』のデュマ・フィスの原作ほど“娼婦”という事は、映画では強調されていないんだけど)えっ?パリス・ヒルトン・・・・、あんなのは回し蹴りだろ!

とにかく、遅ればせながら、銀幕の大女優“神聖ガルボ帝国”の意味がわかったのかもしれない。500円 DVD にはグレタ・ガルボのタイトルが結構ありそうだから、ちょっと買い込んでおくとしよう。

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プリズン・ブレイク

20070123_prison_break24-TWENTY FOUR- 以来、この20世FOXのテレビドラマに嵌まっている。

なんたって、面白い。

テレビ自体を見ることが殆ど無い中で、最近の面白い邦画は『華麗なる一族』だ。やっぱり原作に因っている部分が大きいのだろうか??テレビドラマを評論するなんて、私には、まったくもって不可能であり僭越な行為だと思うが、今のトレンディ・ドラマと言われてい類が、ドラマを面白くなくしたんだろうって、勝手に思っている。

ところで、トレンディ・ドラマって言葉だけど、そもそもトレンドって言葉の意味は、平衡状態を保っている系において、新しい平衡状態へ移行するっていう、その勢いの方向を意味するんであって、一時的な流行に使う言葉じゃない。

当初のドラマを作った製作者達は、『テレビドラマをこの“方向”で定着させるぞ』って意気込みも込めて、ファッションじゃなくってトレンドって呼んだんだろうけど、結果的にはトレンドにはならなかったみたいだ。

この間、『私をスキーに連れてって』周辺を調べていたら、今のトレンディ・ドラマの嚆矢と呼べるものは、三上博史と柳葉敏郎が共演していた『君の瞳を逮捕する』なんだと解説しているサイトに出っくわした。

ふ~ん、なるほどねぇ、確かに俺も見てたし、アレ、面白かったよなぁって、良く覚えている。他には、陣内孝則 浅野ゆう子 工藤静香 三田寛子が出ていて、今までにない感覚のドラマで、毎週、楽しみにしていたっけ。久保田利伸「YOU WERE MINE」がカッコ良かったし。


閑話休題

プリズン・ブレイク、サイト検索すればバンバン hit するから、内容の説明は要らないと思うけど、スピード感・緊迫感がたまらないのだ。見ていて、マジ、ドキドキしちゃう。『ああっ、ヤバイヤバイ、看守がきちゃう』みたいな。

で、これ、放送時間が木曜日の夜中の2時から3時までなんだよね。当然、起きてみてるわけじゃなくって、PSX に録画してみてるわけ。いやー、このハードディスク内蔵のレコーダーは重宝してますよ、ほんと、これ無しじゃ 24-TWENTY FOUR- もプリズン・ブレイクも見られなかったもんね。

テレビドラマなんて、『面白くねぇ、くだらねぇ』なんて言ってる俺が『こりゃ、おもしれぇや』って言うんだから、見たら、もろ嵌まる事請け合いだ。見てない人は、騙されたと思って見てみて、、、、って、今からじゃ遅いから、DVD を借りるしかないけど・・・。


職業柄、気になるのは、第14話で、マイケルがリンカーンに飲ませた“催吐剤”だ。直径5mm くらいの黒い丸薬だったけど、あれ何だろう??しかもマイケルは、それを体に縫い込んで収監されている。あの状況を予見できたんだろうか??

さらにマイケルはタンクレディにインスリンを打ってもらっている。糖尿病って設定だ。でも高血糖を誘発する薬を使っているんだけど、そんなに簡単に血糖値が上がって、インスリンを打ったら下がるって、一体、何?

排水に流し込むと、鉄を溶かす薬品とか・・・・・、オイオイ希釈されちゃったら、王水だって溶かせないだろう?そもそも、王水には見えなかったし・・・・。

ところで、王水ってのは、、、(薀蓄タイム)

王水とは?
王水は、69%HNO3(硝酸)1容と36%HCl(塩酸)3容の混合物。
その“強力さ”は金(Au)をも溶かすことで知られているが、金(Au)が王水に溶ける反応は、次のように考えられている。

HNO3 + 3HCl ⇒ NOCl(塩化ニトロシル) + Cl2(塩素) + 2H2O・・・・・(1)

Au + NOCl+Cl2 ⇒ AuCl3(三塩化金) + NO・・・・・・・・(2)

AuCl3 + HCl ⇒ HAuCl4(塩化金酸)・・・・・・・・(3)

全体の反応は、(1)、(2)、(3)を合わせた下記の通り。

Au + HNO3 + 4HCl ⇒ HAuCl4 + NO + 2H2O

この溶液からは塩化金酸(HAuCl4・4H2O)が得られ、この3価の塩化金酸よりリウマチ治療薬などの特殊な医薬品が作られる。

また、金は、シアン化合物にも溶解する。
2Au + 4KCN (シアン化カリウム) + (O2、酸素) + H2O ⇒ 2KAu(CN)2(シアン化金カリウム) + 2KOH

この反応式には酸素が必須であり、酸素が無ければ溶解しない。この1価の金であるシアン化金カリウムの最大の用途は、めっきである。

昔の推理ドラマなどでは、お馴染みであるので、こんな所で書くのも、なんだか、こっぱずかしいけど・・・。『殺人に用いられた毒は“青酸カリ”・・・いったい何処で入手したのか・・・』なんて、考え込むようでは、恥ずかしいって!!


って訳で、いろいろと突っ込みどころが無いわけじゃないんだけど、そんな細かい事なんて吹っ飛んじゃう位、面白い。

そういう緻密な計算や計画の他に、アルブッチが所内での権限を回復する為に、塀の外の人間にある事を頼むのだが、過って子供を巻き添えにしてしまうシーンでは、人を殺す事なんぞ、何とも思わないごく悪人でも、子供を盲目的に大事にする態度には、日本人の私にはカルチャーショックだった。

日本って、ほんとに子供を大事にしないもんねぇ!

まっ、ここ WebMaster の嗜好 は、そんな日本人の貧しい心を暴き批判するブログじゃないので、これくらいにするけど、子供は社会の宝であるって事は、WebMaster's impressions の方に書きたいと思っている。(風見しんごの子供は、そんな子供を大事にしない社会に殺されたようなもんだからね!)

Prison Break

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ダ・ヴィンチ・コードにスマート

ダ・ヴィンチ・コードの舞台はもちろんフランス。ヨーロッパの都市は、当たり前だけと車に向いていない。車が誕生する前に完成してしまったんだから当然なんだけど・・・。

というわけで、アメリカの車のように“デカイ”車は非常に少なく、小型車がメインだ。その中でも、とくに小さくて絵になる車が、ご存知“MINI”。私もこの愛くるしい形にころっとやられてしまった訳だし、映画に登場する車も、小さいのは圧倒的に MINI が多い(多分・・・)。

ところが、最近、強力なライバルが登場してきた。私も心中穏やかではない。。。。
それは、時計会社のスウォッチがメルセデスとのコラボレーションで作った“スマート”だ。今、スウォッチはこのコラボからは身を引いてしまったが、メルセデスが作りつづけているところをみると、なかなかの売上なのだろう。ヨーロッパの狭い裏路地を気にせず運転できるのは、便利だし、何より“可愛い”から。(MINI ファンとしては複雑なのだ)


20060507_davin112244で、出てるんですよ!スマートが“ダ・ヴィンチ・コード”に!!
ソフィーの愛車として登場し、トム・ハンクス扮するラングドンを乗せて、ジャン・レノ扮する刑事とカーチェイスする・・・。

知的なソフィーには、MINI にのって欲しかったナァってのが素直な感想なのだが、スマートのフォーツーは、確かに可愛い。FIAT500(ルパンⅢ世の車だよ)みたいな感じで、、、

(・∀・)イイ

スマートにはフォーツーとフォーフォーってのがあるんだけど、知ってる人は知ってるんだけど、フォーツーとは、4-2 じゃ無くって for two すなわち、2人乗りってこと。

日本じゃサイズは軽自動車の規格だから、エンジン排気量がとかイロイロなことで、実際、軽自動車として登録している車もある。

実は、私、フォーツーに乗った事がある。某製薬メーカーがメルセデスと関係があって、営業車に何台か使わなきゃならないってことで、これに乗っていた某MR氏に乗っけてもらったのだ。なかなか、、、

(・∀・)イイ


20060507_smart多分、みんな、(・∀・)イイ、、って思ってるんだろう、それが証拠に映画『ピンクパンサー』でクルーゾー警部が乗っている(らしい)。全幅・全高ともに150センチのちっちゃな車に、でかい男がもぐりこむように乗り込む、、、コミック的な面白さを醸すってかんじなのかな!(こっちにも、ジャン・レノが出演しているんだよね、、、、)


それにしても、メルセデスも大衆迎合なのか・・・。

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イリアス

イリアスと聞けば、ほとんどの方が、世界史で『ホメロスの叙事詩』だと丸暗記したことを思い出すだろう。

ところで、イリアスという言葉の意味が“トロイ”の事だと知っている方はどれくらいいるのだろうか。
かくいう私も、一昨年あたりからのマイブーム(ギリシャ・ローマ神話、旧約・新約聖書の世界、古代ヨーロッパの歴史)の中で、『イリアス』『オデュッセイア』に触れるまでは知らなかった事だ。

20050926Ajax_defends_greek_shipsここで、『イリアス』『オデュッセイア』を簡単に定義しておこう。

イリアスは、ギリシャ神話の中で有名な『トロイ戦争』を題材にしている。トロイ戦争は、実際は史実だったという事だが、詳細は神話や叙事詩、これらの周辺の文学にも依っているのだから、何処まで真実なのかはわからないが、トロイ戦争は10年続いた事になっている。

イリアスは、この戦争の最後の1年、詳しくは、数ヶ月の出来事を詠っているものだ。

オデュッセイアの方は、この戦争に参加したイタキの王、オデュッセウスが戦勝後、これまた10年かかって故国に帰る物語である。実際の物語は入れ子構造で、帰り着く1年くらい?の話の中で過去10年を振り返るという構造になっている。


実は、昨日は曇り空の嫌な日曜日だったので、何処にも出かけず、映画鑑賞日と決めて、 DVD を 2本見ていたのだ。(茉莉も一緒に見ていた。なぜ?なぜ?攻撃に耐えながらの映画鑑賞だった)

1本目が昨日書いた『パッション』。そして、2本目が『トロイ』である。そう、ブラッド・ピット主演のあの『トロイ』だ。

独断と偏見で言えば、トロイは、基礎知識なしに楽しめる娯楽スペクタクルと言えるだろう。一本調子で、一気に見ることが出来る。

逆に、下手にギリシャ神話やイリアス、オデュッセイアを知っていると、物足りない。
というか、登場人物のイメージが、私の想像していたものとギャップがありすぎて、違和感を感じる。戦争に突入する経緯に合せて、キャラクターの設定しているのだろう。

トロイ戦争周辺の数多くのエピソードもかなり省いているが、これは時間の関係で仕方の無い事なのかもしれないが、この省略がボディーブローのように“脚本の拙さ”に効いてくるのは否めない。


映画『トロイ』で描かれないエピソードのうち、私だったら入れたいというものを挙げてみれば、、、、

・ギリシャ軍がトロイに向けて出港する際、アガメムノンの娘が生け贄に供されるエピソード
そう、これは、ギリシアの悲劇作家エウリピデスが作った『アウリスのイピゲネイア』だ。
私は、この話が、実はお気に入りである。出汁にされたアキレウスは、この話に猛然と怒り狂う。

・アキレウスの出生と以前の戦いでの戦利品である“女”をアガメムノンに取られてしまったエピソード

・トロイの第二王子であるパリスが“家出”するエピソード

・テティス と ペレウス の結婚を祝う宴席にすべての神が招かれたが、争いの神エリスだけが招かれなかった事に端を発する、パリスの審判エピソード

・トロイの王プリアモスの妹がギリシャの小国に嫁いでいる為、パリスがギリシャに赴く事になり、ヘレネにひとめ惚れしてしまう話や、パリスの妹のカッサンドラは太陽神アポロンに言い寄られ“予知能力”を授かり“トロイ炎上”を予言するが、誰にも信用されなくなるエピソード

・ヘレネ出生のエピソードとメネラオスとの結婚にまつわる“テュンダレオスの掟”のエピソード
(私が思うに、本宮ひろし作『俺の空』に、このエピソードを使っているような気がする)

・アガメムノンが戦勝後、妻クリュタイムネストラに謀られて殺されるエピソードとオデュッセウスの妻ペネロペイアとクリュタイムネストラの対比

・トロイの若者でありアフロディーテの息子であるアイネイアスが戦争を生き延びて、ローマ帝国の芽となるエピソード


これくらいを入れとけば、主人公達の行動の動機がうまく伝わりそうだ。
でも、ギリシャ側の守護神であったアテナに殺されてしまう小アイアスの話などは、どうでも良いのだが、カッサンドラの話が出てくると、触れない訳にはいけないし。。。

---ギリシャ神話の広がりには、ついていけないなぁ---


20050926AphroditI有り得ない話だが、私が映画『トロイ』を作るとしたら、これらのエピソードを交えて、スターウォーズみたいに6部作くらいにしたいなぁなんて空想してしまった。もしくは、お正月の12時間時代劇でもイイ。

お正月に、こたつに入って、マッタリとギリシャ神話の世界を堪能するなんて・・・、考えただけでも・・・
         (・∀・)イイ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ところで・・・
アキレウスとパトロクロスの“仲の良さ”は、ホモセクシャルなのだけど、何故か映画『トロイ』では、いとこ同士という設定だった。
アレキサンダーでは、ヘパイスティオンとの同性愛が肯定されており、古代のギリシャでは珍しくなかった“愛の形”とされるのだが、どうして『トロイ』では“避けた”のだろう???

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パッション(受難)

やっと、パッションを見た。というわけで、感想を書いてみる。
(小学生の宿題みたいだな、ハハハ(^_^;)。)


コンスタンティンの時にも触れた事だが、やっぱり、キリスト教関連の映画って、キリスト教を知らないと、見ても面白くないと思う。

コンスタンティンは、キリスト教を知らなくてもオカルト映画としても楽しめるようだから・・・、事実、DVD が発売になった時期に、朝のズームイン・スーパーの“ビデオランキング”のコーナーで、ずばり『キアヌ・リーブス主演のオカルト映画』って紹介してたくらい(教養の無い事がばれるね)だから、日本人にもそれなりに楽しめるみたいだけど、“パッション”は、新約聖書のエピソードを知らないと、何がなんだかわからないだろうと思う。

そう、言ってみれば、大石蔵之助の『忠臣蔵』なら、ほとんどの日本人が、極端に説明を省いた映画をみても、『うんうん』ってなるのところが、アメリカ人に見せてもちんぷんかんぷんになるようなもんだ。


20050925art_indexさて、このパッション、世界で封切られると同時に、物議を醸したことで評判になったので、是非、見たいと思っていた映画なのだが、見終わってみると、新約聖書を忠実になぞっただけの映画としか感じられなかった。(確かに、ユダヤ教の祭司=悪代官、ローマの総督=正義(中立)、ローマ兵=残客な単細胞に見えるけど、そんな単純な理由なのか??)


話は、有名なゲッセマネの園で、神に祈りを捧げているシーンから始まる。冒頭、狼狽えているイエスが登場するのだが、悟りきった(自分の将来=磔刑)イエスが、その直前に神に対して「死ぬのは怖いよぉ~、助けてよぉ~」と弱音を吐くのだ。その後、気を取り直して・・・となるゲッセマネの祈りは、神学的にいろいろな解釈があるらしいが、私の知るところではない。でも、キリストが人間の弱いところを見せる唯一の聖書での部分だとも言われているところだ。すなわち、明日、貼り付けで死ぬのが判って、逃げ出したいと。

でも、何も知らずに映画を見ると、イエスの内面(心理状態)から来るであろう行動の理由が理解できずに、ワケがわからなくなるところでもある。とにかく、説明が極端に不十分なシナリオなので、ユダにキスされたかと思うと、喧嘩が始まって・・・と、知っている事を前提に、、、、というか、映画鑑賞の対象を日本人に置いてないと、冒頭から気付くことになる。

このエピソードの途中で、12使徒のうちの3人に向かって、『こら、オレが祈っている間は、寝るなっていったろ!』というシーンがある。これなども、聖書の記述を知らないと、『なんだぁ、コレ?12使徒って、そんな馬鹿なの?もしかして違う人たち?』ってなっちゃうところの一つだろう。

ペテロがイエスに『おまえ、鶏が鳴く前にまで(明け方まで)に3度、私の事を「あんな人、知らないよ」っていう』と予言されるエピソードも、マルコの福音書を知っていると言う前提としか考えられない“脚本(ストーリーの運び)”だ。


あとは、ユダヤ司祭の裁判⇒ローマ総督の裁判の場面、ヘロデ王の裁判の場面、などを経て、裏切り者ユダの自殺、ゴルゴタの丘への道のり、最後に“ピエタ”の場面で終わる。と、24時間どころか、15~6時間の時間経過の映画だ。

新約聖書の4つの福音書のなかで、このゴルゴタの丘までの道中でイエスの母マリアがいたという事を書いてあるのは、ただの1つ、しかも史実としての信憑性が最も低いヨハネの福音書だけという事だ。だから、イエスが磔刑に処された時、マリアは近くにはいなかったと言う事でコンセンサスが得られていると聞いた。

従って、この映画では、イエスが息絶えて、十字架から降ろされた後、マリアに抱かれるという《ピエタ》は、映画ならではのシナリオということになる。

お涙頂戴には、もってこいのエピソードだから、ユダヤ教徒が反発したのだろうか??

最後の最後のシーンで、イエスが復活しちゃうところは、ちっょと興ざめしてしまったけど、プロテスタントならいざ知らず、カトリックでは、みんな信じている事なのだろうから、はずせなかったのだろう。(ほんとか?)

そして、冒頭から、最後のシーンまでサタンが登場する。なんで、サタンなのだ?サタンに惑わされるのは、イエスの変容前だと思うのだが、、、何故、このエピソードの場面でサタンなのだろうか?

ここだけは、とことん、ちんぷんかんぷんなである。

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映画の中での喫煙シーン

今や反体制の象徴なのだそうだ。

映画の中での喫煙シーン、今や反体制の象徴

 かつて映画全盛のころは、スクリーンの男性スターは、ほとんどがタバコをくわえ、紫煙をくゆらせていた。当時はそれが格好いいイメージだった。
 最近の映画での喫煙シーンは、どんなイメージかを米ニュージャージー州のセントマイケル医学センターのカラン・オミバティ博士が調査した。その結果、1990年以降の主要な映画447本の中では、くわえタバコの悪い役、収入の少ない役などが多くなってきていることがわかったという。同博士はその結果を医学誌「Chest」に報告した。

映画でたばこを吸うのは悪役

 「ハリウッドは人々に喫煙させようとしている」というのが一般的認識だが、これに反する調査報告が米医学誌「Chest」8月号に掲載された。「氷の微笑」でシャロン・ストーン(写真)が演じた冷酷な殺人者や、「ディアボロス」でアル・パチーノが演じた悪魔のような役柄がたばこを吸っていたが、こういった役柄は最近の米国映画に登場するニコチン中毒者を象徴するもので、たばこはもっぱら悪者や貧困とリンクしているようだ。

つづき・・・・

医学的な側面は WebMaster's impressions に書いてるので、WebMaster の嗜好 では、記憶に残る映画のワンシーンを取り上げてみたい。

20050924hqfixbkp私の場合、煙草を吸っている姿で一番印象に残っているのは、、、ってゆーより、カッコ良さに衝撃を受けたのが、コレ、アランドロンの『太陽がいっぱい』だ。

たぶん、初めて見たのが、中学生の頃だ。

金持ちの友達を殺した後その友達になりすます為、映写機?みたいなものを使って友人の筆跡を拡大して壁に映し、それをなぞって練習している時の姿が“くわえ煙草”だったのだ。


その頃、私の部屋にはスティーブ・マックイーン『栄光のル・マン』とジャン・ポール・ベルモンドのポスターが貼ってあった。
好きだったのは、アラン・ドロンじゃない。今でも、別に好きな訳じゃない。

マックイーンやベルモンドのくわえ煙草は、、、ジャン・ギャバンのそれと同じように“当たり前”なのだ。正統派の真面目人間のように見えるアランドロンが、“悪い事”をして“くわえ煙草”している姿が、アンバランスで、衝撃的だったのだと思う。

20050924jean_paul_belmondo今、ジャン・ポール・ベルモンドなどを思い浮かべるといつも“タバコ”をくわえている。それが当たり前で、意識しないと、顔の一部なわけだ!!

反対にタバコを吸っているイメージの無い俳優も多い。古くはチャールトン・ヘストン、今ではトム・クルーズなんて、タバコを吸ってる姿がイメージ出来ない。たぶん、吸っている姿はカッコ悪いんじゃないかな!

こんなことを考えていたら、色んな俳優の喫煙シーンが頭に浮かんできた。似合う俳優、似合わない俳優に分類可能だ。そして、ほとんど例外無く、どちらかに分類される。
スタローンやシュワちゃんなども、似合わない筆頭だろう。


吸わなくても、カッコイイ・味がある。吸ってもカッコイイ・さまになる俳優は・・・、意外と少ない。


そうであれば、“好青年、正統派美男子”であるアランドロンは、タバコも似合うという点において、希有な存在なのかもしれない。

古い映画は、気にして見ると、とにかく、煙草の登場回数が多い。
何はともあれ、まず、タバコ(葉巻)に火を付ける。この“間”が俳優の演技力を助けてくれるアイテムのようにさえ思えてくる。タバコがなかったら“間”が持たなかった俳優も多かった事だろう。もっとも、これは、脚本家の力量に負う所もあるのだが・・・。

子供心には“ワル=カッコイイ”がある。

いろんな所で言われているから、その通りなのだろう。ご多分にもれず、私も、映画の中のカッコイイ喫煙シーンに“まいって”しまって、ついつい、法律を破って喫煙習慣が身についてしまった。

でも、考えてみると、私が煙草を吸ってる姿は、はたしてカッコ良かったのだろうか?
当時から『タバコを吸ってる姿がカッコイイ』などとは、付き合っていた彼女でさえ、(人は変われど)言ってくれた人はいなかった。

もしかしたら、私は、タバコを吸っても“カッコ良くならない”タイプだったのかもしれない。

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アレキサンダー

楽しみにしていた映画の DVD が 2005/07/29 に発売になる。もうすぐだ。ネットでの解説を見ると、、、

『紀元前356年、マケドニアの王フィリッポスと西方の王国の出身である妃オリンピアスの間に誕生したアレキサンダー。争いの絶えない父母に悩まされる日々を送る彼は、20歳の時、何者かに暗殺された父王の死を受け、若くして即位することに。父の死を悲しむ間もなく王となったアレキサンダーは強大なペルシア帝国を打ち破り、アジア侵攻を開始する。』

20050719-Alexこのアレキサンダーの母親役が、アンジェリーナ・ジョリーなのが、とっても気になるところなのだ。

歴史的には、フィリッポスの暗殺計画は、その妃(アレキサンダーの母親)であるオリンピアスによって仕組まれたとなっている。当然、配役が大物だけに、映画では簡単に描かれるはずが無い。どんな脚本になるのかが、非常に興味があるのだ。

以下、ネタバレ注意。エピソードⅢをまだ見てない人は、読まない方がいいかも!!

話はかわるが、エピソードⅢというか、スターウォーズシリーズ全般にわたってだが、雑誌やネットなど至る所で、アナキンがダークサイドに“落ちた”と表現されている。そして、本編でも、このこと自体が“悪い事”として描かれている。何の説明もなく、アプリオリに、、、である。そして、この事が、私にとって、唯一、このシリーズの附に落ちない点になった。

いや、附に落ちないのは、エピソードⅢを見てからハッキリと自覚したと言える。それまでは、“ダークサイド=悪”をすんなり受け入れていた。特に、旧3部作では、ダークサイドの描かれ方は、どう解釈しても“悪”以外には有り得なかった。

しかし、アナキンがダークサイドに身を寄せる事になったのは、パドメ・アミダラに対する“愛”があったからだ。それも半端じゃない“愛”だ。絶対に失いたくない人=パドメ・アミダラの命を繋ぐ為の力が必要だったからだ。

愛する人を救う為の行為が“悪”と決め付けられてしまうのは、あまりにも残酷だ。やりきれない。愛する人が死に行くのを、黙って見ている事が“善”なのか?

座して待っても解決できないのなら、積極的に行動する事が、その人にとっては“善”だと思うのだが。

私がアナキンだったら、迷わず、ダークサイドに“落ちる”ことを選ぶ。


共和国側にしても、やがて訪れる戦争に使う為、クローン戦闘員を作っている。これに関しては、ジェダイの中でも極秘裏に行われていたとはいえ、人間?をクローンを戦闘員として使う事に、何のためらいもないように描かれている。そして、このことを誰も“悪”とは呼ばない。

この辺のところ、つっこむヤツはいないのかなぁ???

突っ込みどころと言えば“武力=悪”の単純な図式の演出に、元老院最高議長パルパティーン(実はダース・シディアス)に共和国を廃して自分が皇帝となり銀河帝国を宣言させるあたり、ちょっと、待ってよ!!って感じなのだが・・・。


しかし、このスターウォーズシリーズを見て、つまらない突っ込みどころはあるものの、面白さが損なわれるものではない事は保証する。


話をアレキサンダーに戻そう。

この映画で、アレキサンダーはどのように描かれるのだろうか?

歴史的には、侵略と殺戮を繰り返したことは、事実なのだ。これを善と描くのか悪と描くのか、非常に興味は尽きない。描くとすれば、善と言うよりは“正義”だろうなぁ!?


突っ込みどころのないような、必然と思えるようなストーリーである事を期待するのだが。

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ロミオとジュリエット

さあて、先日、NHK でバチカンに付いてのテレビを見ちゃったもんだから、ますます、バチカンがカトリックの総本山との言葉に、うん?カトリック?プロテスタントは知ってるけど、

---他には何があるのかな?---

と、当然の帰結しての疑問が強くなって来た。


知りたくなるのが、私の性癖・・・。そこで、調べてみると、、キリスト教はおおむね、、
■原始キリスト教
■ローマ・カトリック
■オーソドックス(東方正教会および単性論の諸教会。アルメニア正教など)
■聖公会(英国国教会)
■プロテスタント
と5つに別れているらしい。

なるほど、でも、なんでわかれたんだぁ?と調べれば、やっぱり!仲違いだったのだ。

---大人数でいれば自然のなりゆきか---


マイブームの順番に従えば、英国国教会に絡めて、ブリテン島の歴史に興味が移る。
英国が、ローマ・カトリックに破門を食らった(理由はヘンリー8世は離婚して結婚したからという事らしい)のが、16世紀の中頃。それは、ちょうど、シェークスピアが生まれた時期と一致するのだ。

ってな繋がりで、今、道草を食っているのが、シェークスピアなのだ。

ちょっと齧った感想としては、これも、ギリシャ神話の素養が必須?みたいだし、当然、人種問題(ユダヤ人)の背景も知らねばならないだろう。ってんで、ますます、教養としての必修科目だと認識した。しかも、エッチだぞ!会話がしゃれているのだ。覚えて、何処かで使ってみたくなる奴の気持ちが、痛いほどわかってしまった。

そして、なにより、心理描写の妙が、『やっぱり“心理学は文学部でやる”のが適当なのだ』と発見してしまったくらい素晴らしい。と、まぁ、これはどうでも良い事だけど。

英国国教会が独立した100年後には、ピューリタンによって革命まで起きちゃったのだが、このピューリタン、教科書ではプロテスタントということになっているけど、英国国教会との関係はどうなってんだろう?

この疑問は、後回しにして、先に進もう。


シェークスピアの舞台劇は、それまでフランスなどで行われていたギリシャ古典劇との大きく違うところがある。それは、三・一致の法則に従わないということだ。オイディプス王のところでも触れた、あの“3つの一致”に縛られた中でのシナリオ作製の素晴らしさを競い合うという正統派?の演劇スタイルだ。

5幕あるうち、全てで場所が変わる。
ただし、時の一致は、24時間ではないにしろ、ジュリアス・シーザーなどでは歴史的事実を曲げてでも、3ヶ月の出来事を3日に短縮してしまったりはしている。
筋の一致は、これは、どうしようもないくらい、枝葉末葉のエピソードでごった返している。


だから、面白い!


今みたいに娯楽が無い時代だから、大衆は飛びつく。
しかし、時の統治者クラスの人達は、この演劇に人が集う事を嫌ったらしい。人が集まると反乱だとか、一揆だとか・・・ろくな事が無いからだと、解説されていた。

フランスで隆盛を極めた古典劇を愛する人達も、シェークスピアの劇は、一段低く見ていたのだろうか?大所高所から睥睨していたのだろうか?

でも、だんだんと、その面白さがわかって将軍クラスの人達からも、援助を受けた劇場が作られていく事になる。現代まで生き残ってるんだから、あたりまえだけど。


シェークスピアって、英文学の代名詞だから格調高い文章で読みづらいんだろうなって先入観があったんだけど、ぜんぜん違う!
大衆文学なのだ。しかも、小説ではなく、演劇の台本だから、読むより見る方が、より楽しめるということもわかった。

また、時間を作って、映画『ロミオとジュリエット』と『ウエストサイド物語』を見たくなったのは言うまでもない。

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コンスタンティン (コンスタンティヌス)

最近、映画館で映画を見ていない。映画自体もゆっくり見ている時間が無い。
原因は解っている。茉莉が生まれたからだ。でも、休日は茉莉の相手をしている時が、一番、幸せだから、映画を見られない事が嫌な訳じゃない。

その茉莉が女房と一緒に、来週1週間、女房の実家に出かけてくる事になった。

!!時間ができるので、何かをしたくなった。!!


---映画でも見るか!---

って、考える事は、こんなことだ。
映画館に行ってみるほど時間がある訳じゃ無い。日曜日は東京駅まで送り、翌週の日曜日も東京駅まで迎えに行くのだから、独身気分で・・・なんて優雅な事は出来ないのだ。


というわけで、昨日は、劇場で見られなかった TAXI NY の DVD を買ってきてた。この TAXI NY 、イモラレッド の BMW E66 の爆走シーンがあるんで、とっても見たかったのだ。それから、登場する女性が Good ! チョー・セクシー。
(http://www.foxjapan.com/movies/taxi-ny/trailers/large.mov)
↑これ、映画紹介のショートムービー。興味があれば見てね。


それから、ネットで最近の映画のチェックをしてみた。
キアヌ・リーブス主演の“コンスタンティン”、知らなかったのだが、かなりの キリスト教神学系&人間教育映画らしい。


20050520Daily Yomiuri staff writer の Tom Baker さんという方の、映画の評がとっても意味不明なのだ。

Christian viewers with delicate sensibilities will not be lining up in droves to see this film, but any of them out there should be warned that God comes across as the ultimate absentee landlord, while Satan at least takes an interest in human affairs.


繊細な感受性をもつキリスト教徒の映画鑑賞者は、この映画をみるために群がり並ぶことはしないだろう。
でも、どんなキリスト教映画鑑賞者も、映画館まで出掛けていったならば、この映画から強く警告されるべき点がある。
つまり、キリスト教徒は、この映画から学ぶべき点がある。

神とは、究極の「不在の地主」である。
しかし、サタンは、常に人間の営みに興味をもっている。

このことを、今一度、しっかりと、心に戒めるべきだ。

当たり前だけど、キリスト教は奥が深い。でも、意味不明じゃ、癪なので、ちょっと調べてみたのだが、、、。

調べても良くわかんないってのが、本音なんだけど、、、この地上は、本来、神様所有のもので、我々人間は、これを借りているに過ぎない。だけど、神様はいつもいない、すなわち「不在の地主」になっちゃってるから、人間は、この地球や環境を自分の物だと勘違いしちゃって“不遜”な態度を取り続けている。

神様は、そんな人間に文句も言わず、暖かく見守ってくれているが、サタンは、いつも人間のやることに関心を示していて、いつも、見張っているのだ、、、という事らしい。


---なにを言いたいのかな?---


そもそも、この映画、コンスタンティンなんてタイトルからして、意味ありげだ。
コンスタンティヌスならば、キリスト教を世界に広めたローマの皇帝の事になる。なにか、関係あるのだろうか。

キリスト教の基礎知識が無くって、この映画を見ると、只の CG オカルト映画にしか見えないらしいから、もうちょっと、そっちの世界観を勉強?してから DVD を買う事にするつもりだ。


実は、昨日買ってきた DVD は TAXI NY だけじゃなくって、茉莉用に“ファインディング・ニモ”も一緒に買ったのだった。茉莉には、英語でしか見せていないので、彼女のいぬまに、お父さん(私)が日本語吹き替えをみて、内容を把握しておくことにしよう。

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オイディプス王

ma_asa2◆古典劇

演劇の用語に“三・一致の法則”というシナリオを書く上のルールがある。
17世紀のフランスを中心として流行ったルールである。コルネイユ、ラシーヌ、モリエールなどが活躍した時代だ。『芝居というものは、時の一致、場所の一致、筋の一致を守らねばならない』という原則だ。

時の一致は、芝居が始まってから終わるまで24時間以内の出来事じゃなきゃだめ!
場所の一致は、芝居が始まってから終わるまで、場面は1つの場所じゃなきゃならない!
たとえば、第1幕は城内の一室、第2幕は戦場、第3幕は町の中みたいにセットを変えちゃいけないということ。
筋の一致は、芝居が始まってから大団円に向かって、他のエピソードなどは交えず進行しなきゃならない!筋とは関係の無いラブロマンスなどを織り交ぜることなどもっての外!

がんじがらめの制限の中で、素晴らしいシナリオを作ることが、腕の見せ所だった。


って、物知り顔で書いてるけど、私は舞台や演劇に詳しいわけでもなんでもない。

3月27日の日曜日は、夜10時から NHK教育テレビで、あの“オイディプス王”をやってたので思わず見てしまった。いわずとしれた日本演劇会の重鎮・蜷川幸雄演出、当代人気随一の狂言師・野村萬斎主演で送る、最高の話題作というやつだ!しかもアテネ公演版で絶賛されたといわれている。見たこと無かったので期待度は高い!!
acroporice

---・・・・・・・・・---
---なんだかつまんない---


そうなのだ、見ていて眠くなってしまうほどつまんないのだ!演劇ファン、蜷川ファン、野村萬斎ファンには誠に申し訳ないが、これが偽りの無い感想だ。

---なんでつまんないんだろう?---

疑問に思ったらなんでも調べないと気が済まない私は、演劇について調べてみたら“三・一致の法則”というものが存在する(した)という訳だ。


◆現代劇

現代劇は、偶に見に行く事がある。新橋演舞場の弁当はあまり美味しくないのだが・・・。
舞台装置の中の大掛かりなものといったら“回転する床”だろう。雨が降る歌舞伎もあるらしい・・・。とにかく、シーンは変化する。

それよりなにより、私は“映画(洋画)”に毒されている。


中学1年の頃、何故か友達の間で“モデルガン”が流行った。御徒町のモデルガンショップに通ったのもこの頃だ。マグナム44、ワルサーP38、ルガー。シビリアンやフロンティアと呼ばれていたモデルは、西部劇(マカロニウエスタン)に登場する。

映画を見るようになったのは、多分、これがキッカケだったような気がする。先ず悪友が西部劇にはまり、次第に映画全般に興味は広がる。クラークゲーブル、ヴィヴィアンリー主演の“風と共に去りぬ”の内容を私に“熱く”語ってくれた。

---洋画を知ってるなんて、オトナじゃん。かっこいい!---

先ずは“カッコイイ”ことが私の行動原理だが、面白くて嵌まった後は“カッコ”はどうでも良い。スターウォーズの一作目を、今は無き日劇で見た時は、オープニングから感動しまくりだった。

それから約30年、私はちっょぴりの舞台(現代劇)と数知れない映画を見てきた。だから、めまぐるしく変わるシーンは当たり前、回想シーンで時間をさかのぼるもの当たり前。ミッションの合間にヒロインとのラブシーンは“薬味”だ。


そうなのだ!
オイディプス王は古典中の古典劇なのだ。
だから、私にはつまらなくて当然なのだ!!

◆温故知新

話は映画に戻る。
スクリーン、ロードショーといった映画雑誌を読み漁り、ウンチクも傾けられるようになってはいたが、そういった雑誌に書かれている、古典といわれる映画で『当時、斬新な撮影手法・・・、画期的なシナリオの進め方・・・・』などと評価されている映画を見てもあまりピンとこなかった。

D・W・グリフィスの“イントレランス”がそのストーリーの展開(4つの話が平行して進んで、しかも時代過去から現代まで・・)、想像を絶する撮影方法において絶賛されたという事が、感情的に良く解らなかった。

大道具さんの技術や舞台装置、特殊撮影の技術が未熟な時代だから“画期的”って感じるのかなぁ、なんて漠然と理解していた。


---そうかぁ!---

やっと、解らなかった理由が解ってきた。

演劇の古典的なスタイルを知っていれば、それが常識となり固定観念となり・・・・、それとは全く違う世界を見せられれば、、、、

---おお!すばらしい---

ってなる訳だ。サルトルの実存主義を唱えた背景を知ることで、その本当の意味が解ったのと同様に、映画の世界も、もっともっと昔の古典劇の世界から知っていれば、なるほど、斬新な手法、こんな表現方法があったのかと評価した人の気持ちも理解できるってもんだ。


厄年になって、『もうそろそろ、目から鱗が落ちることもないだろう』って思っていたが、なんのなんの、まだまだ、世の中、知ってるつもりでも知らないことが多くて“目から鱗が落ちる”今日この頃である。

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