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June 01, 2010

鳩山首相を悪者にしても何も解決しない

20100601_loopyグリーフ・ケア( Grief Care )。

ネットで調べると、葬儀屋さん、ターミナルケア、、、、など人の死と直結したところで働く人が、悲嘆にくれている当事者を“癒す”ことだと書いてある。

臓器移植の分野でも、「死にゆく人が最後の善き行為として臓器を提供することで、遺族の悲しみが癒される」という意味で使われているらしい。(私は、MMJ 5月号コラム“医風堂々”で知った)

それ故、臓器提供をすることは、残された者の悲しみを癒す、、、、残された者を癒すためにに臓器を提供しましょう、、、、、なんて、、、、、言う人もいるらしい。


私は、脳死はヒトの死だと思うけど移植には反対である。臓器提供する意思も無い。理由が気になる人は、過去のエントリーに書いてあるので、探してもらうとして、、、、今回、取り上げたグリーフ・ケア、、、この考え方をどうこう言うつもりは無い。

日本人は、“因果関係”というものの理解が乏しいので、それだけが気にかかるという事を言いたいために引っ張り出した。

結局、前々回でも指摘したとおり、日本人はお子様、すなわち、知識は貯めこむ(過去のことはよく知ってる)んだけど、その知識を検証する習慣が無い。盲目的に信じる。前向きに(未来のことを)考えることが出来ない、、、というか、そういう習慣が無い。

これは、“平和の印”とも言えるんだけど、そのせいなのか?他人のやったことに対し、まだ結果も出ていない出来事には過去の事例を引っ張り出し、結果がわかっていることに対しては結果論でウジウジと、、、、難癖ばっかりつける。コレは、、、かなり上手!!


この「臓器提供することで遺族が癒される」って“ものの見方”も、お子様にとっては、“因果関係”になってしまう。必ず、結果があって、その原因を考える“癖”が付いてるから、その呪縛から離れられない。「歴史は、癒しを求める人の心が作り出した」でも書いたけど、現状を受け入れるために、因果関係のアル・ナシに関わらず、「あの事が原因だった」と決め付ける行為は、心理学的効能はあるにせよ、それ以上の適用は禁忌なのだ。


だから、日本人は「癒されるために、臓器を提供しましょう」に引っかかると思う。


遺族が癒されるのは、単なる結果であって、臓器提供とは、なんら関係ない。例えば、臓器提供しなくたって、生前、世の中のために、あるいは、他人のために何かをしておれば、遺族は癒されるだろう。「死が無駄にならない」って思えれば、同様の効果がある。そういうことだ。


お子様の思考回路はこうだ。

癒された

何か原因がある

直前に臓器提供した

ああ、これが原因だ!


お子様じゃなくても、そう考える日本人は多い。感情的にはそう考えることには“異論”はないけど、理論的な思考じゃない。が、当人たちは、理論的な思考方法だと思っているのだろう。

理論的に考えなきゃならない場面で、そんな“お子様”的な考え方で振り回されちゃたまったもんじゃない。


ところで、前出の MMJ 5月号巻頭に国立生育医療センター名誉総長 松尾宣武氏の寄稿があるのだが、氏は、「育児の社会化の危うさ」と題して、戦後社会が、戦前の日本の伝統的な育児思想である“家の継続・親孝行”を全否定した結果、小児虐待が日常化する社会になってしまった事を指摘している。

戦後、一部の“思想的”な人達が、戦前の教育は、帝国主義的で軍国主義的で、そうすると、また、戦争に突入する・・・・みたいな、短絡的な捉え方をしたことにあるのだろう。

そういう面はあるにはあっただろうけど、お子様には別な面が見えなかったのかもしれない。お子様は、そういう思想的な人に憧れ、好意をよせると“盲目的に信じる”からね。


松尾氏は、、、、

育児は、古今東西、親にとって大きな負担であり、育児を放棄したい親の思いは、普遍性を持つ。ヨーロッパの上中流家庭では、長く育児を乳母に委ねることが一般的で、1780年のパリ警視庁の統計では、年間出生数21,000人のうち、17,000人は農村の乳母に預けられ、2,000~3,000人は乳児院収容、700人は住み込みの乳母により保育され、実母による育児は700人で、3%に過ぎなかったという。

乳児院に収容された2,000~3,000人の子供は捨て子と推測されるが、実態は定かではない。

子どもが乳母宅から自宅に戻った後も、育児は親の役目ではなく、召使にゆだねられた。また、自宅にとどまれる期間は限られ、7歳までには就学、奉公、教会のいずれかの理由により施設に送り出され、施設収容による実質的な捨て子状態が続いた。

上述の史実は、ヒトの育児行動の危うさを示す。言い換えれば、ヒトの育児行動を制御する遺伝的基盤が脆弱である事を意味する。ヒトにおいては、子供の成長・発達に適う育児行動が、それぞれの親に自然に発生するわけではない。ヒトの親は、生んだ子供を育てないことが出来、殺してコインロッカーに入れることも出来、お金を取って売ることも出来る。

ヒトは、育児行動を根拠付ける規範、育児思想を必要とする動物である。。。。。それなのに、、、、、


として、戦後社会が、、、、云々と続くのである。

人間を美化しない、人間の行動に安易に善悪を付けない、このような“考え方・捉え方”が、私は大好きである。

日本において、戦前の状態が、全て、諸悪の根源かのような評価を下している人(評論家、歴史家、小説家、、、A級戦犯がどうとか言うのが好きな連中や自虐的歴史観の連中)を、たまに見かけるが、この人たちは、「自分は何でも知っている」「自分の主張は膨大な資料に裏付けられている」なんて自負しているのかもしれない。

が、所詮、一人の人間の限界なんて、こんなものである。まるっきり、片手落ち。っていうか、独断と偏見に近い。


マスコミや偽善者は、子育てに疲れた親に向かって「頑張らなくても、いいんだよ」と言葉をかける“いいヒト”を演じたいがために、こういう真実を語らない。そもそも、人間とはそういう生き物であるって、小学校のときから教えておけば、子育てに疲れることも無いのに、そういう“啓蒙”は絶対しない。

戦争でもしかり・・・だ。。。。。(そもそも、戦争裁判は、その後の世の中のための方便だ。全ての真実、全ての人の立場に立ったら、収拾付かない。これは、A級戦犯=諸悪の根源を作り出す裁判を肯定するのと同時に、否定する根拠にもなる。現代において史実として語るだけならいいが、なにかの判断の根拠にする為に引っ張り出すのは“愚か”なのだ)


今、久坂部羊「神の手」を読んでいるんだけど、【安楽死阻止連】の“結果論”ばかりの“イチャモン”“都合の良い線引き”が、すぐに“歴史”を持ち出すお子様とダブって苦笑してしまった。

この手の連中は、「それみろ、だから“瀉血”すれば良かったんだ」というのは“オカシイ”と気づくのに、今、口から出ている“理屈”が“屁”の付くことに気づいていない。

安楽死という選択をしなければならない状況で、“悪者=医者”を作っても、何も解決しないのに。


それを、お子様な大衆も、、、、。胸糞悪い茶番劇は、、、、、。

人間、皆、いいヒトで、話せばわかる・・・なんて綺麗ごとしか見ないようなヤツらに、もう、任せてはおけない。

普天間基地移設、お子様な社民党が、「基地があると、平和が訪れない」とかやっている。我々が基地を取っ払い、沖縄に真の平和を・・・とか。


・・・・・・・・・


それに輪をかけ、昔のことをほじくる歴史好きのお子様たちは、やれ「沖縄の負担が・・」とか「沖縄の精神的苦痛が・・・」とか、やたらに独善を押し付ける。

戦争でつらい思いをしたのは、沖縄の人たちだけじゃない。

それに、戦争だもん、しかたないし、戦後、日本の経済発展の為に“公害”の犠牲になった地域の人たちと“公害”のない沖縄の人たちの苦しみを比べると。。。。。。


あっ・・・・・・!社民党を筆頭に、自虐的な歴史観をお持ちの“お子様”達は、戦争を完璧に回避する術があるって信じてるんだっけ。

だったら、丁度よいから、北朝鮮と韓国の間の“今後(武力衝突の危機)”の処遇を、社民党と自虐的な歴史観をお持ちの“お子様”達に任せてみよう。

彼らなら、完璧に武力衝突をさせないという“結果をもたらす原因(術)”を知っている筈だから。後ろ向きの分析力の威力を見せてもらおう!!


とばっちりは、ゴメンだぞ!と。

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Comments

MMJ5月号巻頭、目からウロコで興味深く読みました。「子供は宝」とは全く異なるような事実。子供礼賛の空気に押し潰されたり、深く沈んで息をつくため水面に顔を出せないで苦しむ親がいるわけだ…

Posted by: RISKY9 | June 03, 2010 at 05:11 PM

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