「脳死は人の死」案、衆院通過
「脳死は人の死」案、衆院通過まで“脳”の話題でエントリーを繰り返してきた。
いんな意見があると思う。だが、日本は民主主義で法治国家であるのだから、多数で決まった事(まだ、参院で可決されてないので・・・)は、受け入れるのが、この国の国民の務めだろう。絶対嫌なら、亡命でもすれば良い。。。。
だが、そういう私も「脳死は人の死」を、移植医療の為に成文化するところに、憤りを感じる。嫌だ。気持ち悪い。私の脳は、そのような感情を惹起している。弱者のエゴと弱者を利用して善人面する行為を助長するだけにしか感じられないからだ。
だから、私は、自分が死んでも臓器を提供するつもりはない。これは、意思表示だ!(私の臓器が子供に使えるかどうかは疑問だが、自分の子供になら自分の臓器が使えれば躊躇なく提供するけれど)
また、本心から他人に臓器提供したい人に、とやかく言うものではないので、あしからず。(“死”を考える時点で、それは個人の価値観であり、宗教である。多様性があるのが自然。決して医学・生物学、サイエンスで画一的にすべきではないと思っている。脳に“宗教モジュール”があることを証明するのが科学だとしても・・・)
ただ、どうして、こんな“究極の利他行動”を私は嫌悪するのか?と、自分なりに考えてみると、結局、現在の日本の人口、地球上の人類の総数、これが多すぎると、本能的に感じているからかもしれない。
リュック・ベッソン製作総指揮の『HOME 空から見た地球(リンク先は音が出るので注意!)』を見たのだが、私には、人口過剰で地球は壊れつつあるという事だけが、強烈に伝わってきた。
そもそも、ヒトにも、個体数に対するセンサーが存在していておかしくない。
過剰であれば、減らす方向に作動する。。。。。
戦争と平和?(War and Peace?)Science June 5 2009, Vol.323
進んだ道具や楽器、芸術などの発達を含む現在の人類の行動様式は、人類に段階を追って出現してきたように見える。
最も初期の手がかりは、7万年から9万年前のアフリカにおいて見られるが、ヨーロッパでは4万5千年前ぐらいと遅れて出現している。
最近の議論の的となっているテーマは人類の社会性の起源とその意義である。
人類の初期の発展期中において、利他主義的な振舞いの利益は、その損失を上回ったのであろうか (Mace による展望記事を参照のこと)?
Bowles (p.1293) は、人間グループ間の紛争のモデルを構築し、考古学的および民族学的なデータから結果が分かれる境界となるパラメータ値を大まかに算出した。物議をかもすものではあるが、戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える。
Powell たち(p.1298) は、ひとつの人口モデルを与えており、それでは、現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している。
このモデルは、アフリカとヨーロッパにおける人口ダイナミクスに関する遺伝的な推測と整合しており、これらの文化的な変化は、単に認識的進化の進展を反映しているのではない可能性があることを示唆している。
Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors?
p. 1293-1298.
Late Pleistocene Demography and the Appearance of Modern Human Behavior
p. 1298-1301.
まさに、『現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している』であり、『戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える』だ。
ヒトは、人口過剰だと感じれば、利他行動は少なくなるように脳が変化し、人口が少なくなる(=戦争などなど)と感じれば、利他行動を多くするように変化するのだ。戦争をしている時のほうが、人間は他人に優しくなれる・・・なんて人間賛歌するつもりは無いけれど、単なるフィード・バックとして機能している!逆に現在の日本は、平和すぎるから、人間関係が殺伐として・・・・・。
まだ、十分に検証されてはいないのだろうが、十分、納得できる考察だ。
今現在、本心から『他人に臓器提供したい人』と思っている人は、その人の五感から入力される刺激が脳に伝わって、具体的に意識できるまでの過程が、私とは違うのだろう。日本、もしくは地球における人口を多く感じるか、少なく感じるか、、、ヒトは大脳皮質の肥大と共に、その感受性を多様化させたのだ。
培養細胞が、生育環境を感知して増殖をストップする過程に、個体差はないけれど、ヒトの場合は、高度な知恵が、そのセンサーに多様性を与えた・・・・・。何か利点があるのだろう・・・・。それが人類の進歩の原動力になっているのかも・・・・・。
人類の進歩の原動力が、地球にとって、地球に生存する人類以外の生命にとって、好ましいかどうかは、甚だ、疑問ではあるが・・・・。
追記:午後に追記する。
たまたま、『gooニュース畑』なるサイトを覗いたら、一般庶民の移植医療の勘違いの甚大さに気づいた。これは、国会議員にも言えることだから、ビックリだ。
これが世論(せろん=よろん)を形成し、法律を作っているのかと思うと・・・・。
例えば、心臓移植。これが“延命治療”といわれる所以は、ウィキペディアにすら出ている事だが、5年生存率という言葉があることからもわかると思う。
一般庶民や勘違い国会議員の言葉、『これで命が助かる人が増える・・・・』は、確実になにか勘違いしていると言える。移植を受ければ、あとは健常人と同じ余生が送れると。5歳の子供に心臓移植して、みんな80歳まで生きられると思ってるみたい・・・・・。
もしかして、、、、ヤラセのアンケートなの?ここって??俺は釣られたの??
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