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March 2009

知らないという事

20090327_ignorance経験的には、受容体のコンフォメーションが違うんだろうなって、誰でも思っていたに違いない。だから、私的には驚くには値しなかったんだけど、でも、分子レベルでの“形の違い”がわからなきゃ、対策も立てられない・・・・?

わからなくっても、チャンピックスっていう内服薬は作れたわけだし・・・・?

でも、まぁ、『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』から、もう少し“科学的”に“創薬”出来る・・・・・・・。

これって、凄いことなのだろうか??

あっ!!これが『トリプトファン残基の近傍にある単一の点変異と関連している』って事が解明出来たって事が凄いことなのだろうか??それとも、“立体構造を解析できた”という事が凄いことなのだろうか??

Nature に掲載されるんだから、凄いことには違いないんだろうけど、これは、私にとって『“知らない”という事が、価値の判断すら不可能にする』という戒めにはなったことは間違いない・・・・。よくある事だけど。

生化学:ニコチンの二重生活

Nature vol.458 (7237), (Mar 2009)

ニコチンは、嗜癖、つまりニコチン中毒を引き起こす力が極めて高いが、それは脳のアセチルコリン(ACh)受容体に高い親和性で結合することができるからだ。

筋肉のACh受容体は脳の受容体とほとんど同じものだが、もし筋肉の受容体がニコチンにより同じような効率で活性化されれば、喫煙は激しい筋収縮を引き起こすだろう。

このような事態が起こらないことは、薬理学における長年の謎だったが、今回、この2種類のニコチン受容体とニコチンとの相互作用の化学的性質が詳細に調べられ、謎が解かれた。

ニコチン中毒の原因となるα4とβ2という受容体サブユニットへの結合には、水素結合の形成に加えて、ニコチンの正電荷と進化的に保存された特定のトリプトファン残基の間の強い陽イオン-π電子相互作用の両方がかかわっている。

筋肉型の受容体もこのトリプトファンをもっているが、陽イオン-π相互作用が存在せず、水素結合もより弱い。

これは、結合ポケットの全体的な形の差異によると思われ、差異は重要なトリプトファン残基の近傍にある単一の点変異と関連している。

これらの結果は、分子レベルの謎を解いただけでなく、神経学的症状や禁煙に関して治療に使えると思われる新しいニコチン類似体開発のための指針ともなる。


Letters to Nature p.534


今朝の読売新聞に『麻生さんと小沢さんのどちらが首相にふさわしいか』って世論調査の結果が“逆転”して、麻生さんが盛り返した・・・って事が書いてあった。

小沢さんが逆転されたのは、例の“政治献金”によるイメージダウンが響いていると解説している。

国民は、『政治献金は悪いことだ』って思っているのだろう。

政治家は、お金を貰っちゃイケナイものだと思っているとしか思えない、短絡的な調査結果だ。

マスコミが『政治には金がかかる』ということを言ってる記憶は無いので、ほとんどの国民は、献金されたお金は、政治家のポケットに入るものだと思っているのかもしれない。

マイコミのイメージ操作は、天下一品、お手の物だから・・・・って事で済ませることも出来るんだけど、国民が“知らない”為に自ら判断出来ずに、誘導された価値判断を下す事になる、、、って現実がある事の方が、恐ろしいんだけどなぁ。


次に引用する論文からも、同様の事が言える。

論文の結果自体、人間も地球上で進化してきた生き物の一種であるという理由で、私は、当然だと思うんだけど、見方を変えれば、医学を科学にしたい人達が作り上げたイメージが、崩壊しつつある“エビデンス”と言っても良いのかも知れない。

現代の医学の最先端においても、素人が経験から来る『まぁ、普通に考えれば当然の結果では?』と思うことに対して、『いやいや、それは素人の浅はかさだよ』と言いたいが為に発展して来た“常識”が生き残っているって事なのだろう。

中途半端に“医学知識”を身につけた素人は、これに簡単に騙されてきた。

そして、現代の第一線の医療人は、騙された“常識”による『病院に担ぎ込まれたのに、何故、死んだのだ?』という疑問から始まる“モンスター患者”出現という形で“ツケ”を払わされているのだ。

重症患者における強化血糖コントロールと標準血糖コントロールの比較

Intensive versus Conventional Glucose Control in Critically Ill Patients

The NICE-SUGAR Study Investigators

背 景

重症患者における目標血糖値の最適な範囲は明らかにされていない。


方 法

集中治療室(ICU)での治療が 3 日間以上必要と予想される成人患者を、ICU に入室後 24 時間以内に、目標血糖値を 81~108 mg/dL(4.5~6.0 mmol/L)とする強化血糖コントロール群と、目標血糖値を 180 mg/dL(10.0 mmol/L)以下とする標準血糖コントロール群のいずれかに無作為に割り付けた。主要エンドポイントは、無作為化後 90 日以内のあらゆる原因による死亡とした。


結 果

無作為化された 6,104 例のうち、3,054 例を強化血糖コントロール群に、3,050 例を標準血糖コントロール群に割り付けた。90 日目の主要転帰に関するデータは、強化コントロール群 3,010 例、標準コントロール群 3,012 例から入手できた。両群のベースライン特性は同等であった。強化コントロール群の 829 例(27.5%)、標準コントロール群の 751 例(24.9%)が死亡した(強化コントロール群のオッズ比 1.14、95%信頼区間 1.02~1.28、P=0.02)。手術を受けた例(外科患者)と手術を受けなかった例(内科患者)とで、治療効果に有意差はみられなかった(強化コントロール群における死亡のオッズ比は外科患者 1.31、内科患者 1.07;P=0.10)。重度の低血糖(血糖値40 mg/dL [2.2 mmol/L] 以下)は、強化コントロール群の 3,016 例中 206 例(6.8%)と、標準コントロール群の 3,014 例中 15 例(0.5%)で報告された(P<0.001)。両群で、ICU 在室日数の中央値(P=0.84)、入院日数の中央値(P=0.86)、人工呼吸器装着日数(P=0.56)、腎代替療法日数(P=0.39)に有意差はみられなかった。


結 論

この大規模多国間無作為化試験において、成人の ICU 患者に強化血糖コントロールを行うと、死亡率が上昇することが明らかになった。すなわち目標血糖値を 180 mg/dL 以下にしたほうが、81~108 mg/dL にした場合より死亡率が低かった。(ClinicalTrials.gov 番号 NCT00220987)

本論文(10.1056/NEJMoa0810625)は、2009 年 3 月 24 日に NEJM.org で発表された。
N Engl J Med 2009; 360 : 1283 - 97 : Original Article
(C)2009 Massachusetts Medical Society.


医療分野では専門家が理論武装するために作り上げた“虚構(これは言い過ぎかもしれないけれど)”のツケが、そろそろ出始めている現代、政治家、それも、一国の首相の選択をも左右しかねない“選挙制度”の下での、この“恐るべき現象(世論調査)”の“ツケ”は、一体、どのような形で現れるのだろうか???

世の中が、しっちゃかめっちゃかになって、誰でも平等に投票権があるっていう“選挙制度”自体が変わるキッカケになれば、それはそれで“良い事”なんだろうけど。(選挙権は個人献金の額や納税額に応じて与えられる、もしくは、選挙権は売買できるのが良いと思ってるもんでねっ・・・金を払ったヤツは、その使い道に厳しい目を光らせるんだからね)
 
 
 
次に引用する論文は、『なんだか、よく、わからない』を助長するだけの代表のようなものだと思う。よくわからない状態にかこつけて、包茎手術の“宣伝”に使われる事がない事を、祈るばかりである。

HSV-2 感染、HPV 感染、梅毒の予防を目的とした包皮環状切除

Male Circumcision for the Prevention of HSV-2 and HPV Infections and Syphilis

A.A.R. Tobian and others

背 景

3 件の臨床試験で、包皮環状切除により男性のヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染率が有意に低下することが示された。HIV 陰性の青年男性と成人男性を対象に、単純ヘルペスウイルス 2 型(HSV-2)とヒトパピローマウイルス(HPV)への感染、および梅毒の予防を目的とした男性の包皮環状切除の有効性を検討した。


方 法

HIV およびその他の性感染症の予防を目的とした男性の包皮環状切除に関する 2 件の試験に、HIV 陰性で包皮環状切除歴のない 15~49 歳の男性 5,534 人を登録した。このうち、3,393 人(61.3%)は登録時点で HSV-2 血清陰性であった。その 3,393 人のうち、1,684 人をただちに包皮環状切除を行う群(介入群)に、1,709 人を 24 ヵ月後に包皮環状切除を行う群(対照群)に無作為に割り付けた。ベースライン、6 ヵ月後、12 ヵ月後、24 ヵ月後に、HSV-2 感染、HIV 感染、梅毒の検査とともに、身体診察と面接を実施した。また、ベースラインと 24 ヵ月後に、HPV 感染患者のサブグループについて評価を行った。


結 果

24 ヵ月後の HSV-2 セロコンバージョンの累積確率は、介入群で 7.8%、対照群で 10.3%であった(介入群の補正ハザード比 0.72、95%信頼区間 [CI] 0.56~0.92、P=0.008)。高リスク HPV 遺伝子型の保有率は、介入群で 18.0%、対照群で 27.9%であった(補正リスク比 0.65、95% CI 0.46~0.90、P=0.009)。しかし、梅毒の発症率には両群間で有意差は認められなかった(補正ハザード比 1.10、95% CI 0.75~1.65、P=0.44)。


結 論

包皮環状切除により、男性の HIV 感染率が低下したことに加え、HSV-2 感染率と HPV 感染率も有意に低下した。この結果は、包皮環状切除が公衆衛生上の有益性をもちうることを強調するものである。(ClinicalTrials.gov 番号:NCT00425984、NCT00124878)


N Engl J Med 2009; 360 : 1298 - 309 : Original Article
(C)2009 Massachusetts Medical Society.


私が知る範囲では、“ズルむけチンポ”の方が粘膜の角質化が起こる為に、HIV が“感染しづらい”という理由が一番わかりやすいと思う。誰しも、拳法や空手で拳を鍛えれると、ちょっとやそっとでは“痛まなく”なるというのを知っているはずだ。ぶっちゃけ、その延長線上だろう。

さらに、専門っぽい理由が必要な人には、『亀頭を包んでいる、余分な皮に HIV のターゲットとなる細胞が高密度で存在する為、それを切っちゃえば良い』って事で良いんじゃないのか?

アフリカ大陸では、割礼の習慣がある地域で AIDS 発症者が少ないという事実がある。“割礼”という習慣を“野蛮”であると決め付けた西洋文明(宗教的な側面もあるが)は、高度だと自認していた事を恥じて、謙虚に受け止めるべきだろう。


そして、マスコミは、国民に『自分は、よく知らないから、判断できない』という事を知ってもらえるように行動すべきである。『無知は至福である』『知らぬが仏』なんだから、『(わからないことを)判断なんかしなくていいんだよ』と。日本人に合ってるし。

逆に、判断させたいのなら、“知らせる”べきである。

その“知る”内容なんて、“政治には金がかかる”や“ズルむけチンポ”のようなわかりやすい理由でいいんだからね。


※“ズルむけチンポ”って、放送禁止用語なのかなぁ?!でも、わかりやすいからご容赦!!って事でお願いします。

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木の上でウンコをするな!!

20090316_indian_buddhist_priest仏教の発祥の地、インド仏教の仏典には『木の上でウンコをするな』と書いてあるらしい。。。。。

。。。。。。どうしてこんな取り決めをしなくっちゃならなかったのか????


まぁ、その答えは、宗教とか文化の研究者にお任せするとして、ちょっと日本人には想像できないと思う。。。

価値観の相違と言ってしまえばそれまでなんだけど、日本人どうしの間でも、『えっ!?ちょっと』という事が結構ある。

先週の土曜日、従兄弟と飯を食っていて、そこでの話し。(私には想像できなかったし、従兄弟も同様だったみたい)

彼の勤務先の上司(教授)が、95歳で亡くなった患者さんのご家族にお悔やみとともに『大往生でした』と言ったところ、家族から猛烈な抗議にあったとのこと。

・・・・・

私は、インド仏教の仏典に『木の上でウンコをするな』という事が書いてあるのを知ったときと同様なショックを受けた。


私も、いつも来ていた患者さんのご家族から『先日、亡くなりました。いつも、お薬でお世話になり、ありがとうございました』と言われることが、たまにだが、ある。そんな時は、お悔やみの後『大往生ですよ』と言葉を添えていた。。。。っていうか、高齢の場合そのように言うもんだと思っていた。

しかし、、、、である。

世の中、医学部の教授ですら、価値観に合わなければ一刀両断されるご時勢、私なんぞ、一介の薬剤師は、対応に誤まれば、竜巻に巻き込まれるようにもみくちゃにされ、ボロ雑巾のように力尽きる・・・・・・。対応に誤まれば・・・・・・。


言葉は難しい。同じ言葉でもタイミングにより印象は変わるのだ・・・・・・。


でも、【言葉は難しい。同じ言葉でもタイミングにより印象は変わる】は、お互いが平等の関係にある時に、用いる“理屈”であるべきなんじゃないのかなぁ。

『お前の言い方は気に入らない。人の感情は千差万別だ。私は患者の遺族だ。無性に悲しいんだ。勝手に“大往生”なんて言われたくない。もっと、生きられた筈だ・・・・・』

なんて一方的に言われて『申し訳ございませんでした』と詫びるのは日本人くらいだろう。


ところで、日本の客商売における“接客術”は世界一なんだとか。常に“平身低頭”な所が他国では絶対見られないので、そういう評価があるらしい。

そのくせ、日本人が客になった時には、世界一、嫌な客なんだとか。諸外国で横柄な態度で「俺は客だぞ」とやっても、ぶっ飛ばされるだけだしねぇ。
 
 
 
木の上でウンコをするヤツがいなきゃ、インドでも仏典に禁止事項として記されなかったんだと思う。インド人(仏教徒)は、木の上でウンコをするヤツに対して嫌悪を感じるのだろう。だから、禁止行為とした。

だが、日本人が、木上からウンコをするヤツをみても、“嫌悪”というよりは奇異なモノに対する“興味”の方が強いのではないか?
 
 
 
日本でも“モンスター患者”が話題になっているが、それを『諸外国並みに増えた』というのは、間違っているんじゃないのかなと、ふと、思った。

外国での“患者からのクレーム”と、日本での“患者からのクレーム”は質が違うんじゃないのかなぁ???

そう、外国人から見ると、日本の“モンスター患者”は“木の上でウンコをするヤツ”に見えるんじゃないの?!


そういう目で見てあげれば、日本のモンスター患者もカワイイもんだ・・・・。

     ┐(´∀`)┌ヤレヤレ(ってワケにはいかねぇ~かっ!)

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卒園

20090313_parent_and_child娘が明日卒園式を迎える。

あっという間の3年間だった。入園式がつい先月のことのように感じられる。

入園式で私達夫婦から離れて、一人でちいさな椅子に腰掛けていたあの娘が、、、後ろを振り返りながら泣き出して妻のところに駆けつけてしまったあの娘が、明日、卒園する。

私は、仕事が休めず式には出られないのだが、出席すると、なんか泣きそうで、仕事していた方がいいみたい。

そんな親の気も知らず、娘は、あっけらかんと『幼稚園、きらいだから、もう行かないの嬉しい』だとさ。


---まったくぅ---


そういえば、私も卒業というものに、感極まったことなど一度も無かった。

幼稚園、小学校、中学校の卒業式は、全く記憶に無い。しかも、親が来たのかどうかさえ、定かではない。

高校の卒業式は、卒業証書をもらった記憶がかすかにあるだけ。大学は、卒業式の後の謝恩会しか覚えていない。

全ての式で、悲しかったり、感極まったりして、泣いた記憶は無いのだ。
 
 
 
来年は父親の13回忌だ。

早いものである。

生前、父親と折り合いが悪く、ほとんど口を聞いた事もなかった私だが、子供を持って、子供の成長に連れ湧き起こる感情を経験することになったわけだが、、、、かつて、父が私に対しても同様だったのかも・・・って思うと、なんか、胸に詰まるものがある。
 
 
 
これが、子を持ってはじめてわかる親の気持ちってヤツなんだろうなぁ。

言葉にすれば、わかった気になるし、人から言われたり、親から言われたりしてもわかるんだけど、“感じられなかった”んだよねぇ。

『わかる』と『感じる』は脳では別の場所で行われているもんなぁ・・・。


私は、将来、若い人に『子を持つと、感じるよ』と言うことにしよう。

たぶん、『えっ?』って顔されるだろうけど。

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アマリール錠とアルマール錠

20090311_to_err_is_humanヒヤリ・ハットとして、医療人なら誰でも知っている間違いの組み合わせだ。

わかっていても、間違ってしまう。。。。。。

そう、わかっていても、ついに私もやってしまった。

結果から言うと、間違って交付してしまったアルマール錠10mgは、患者さんが薬局まで持って来てくれて、アマリール錠1mgと交換することが出来た。

さらに結果から言うと、この“事故”でトラブルにならなかったのは、事前に『違う薬を手渡してしまった可能性がある』と、患者さん本人に連絡をいれてあったからだと思われる。

それに色々なエピソードが加わって【誤薬を服用してしまう】という最悪の事態を免れることが出来たものと思われる。

『・・・である』と断定的に表現できないのは、一般化することが、かなり困難であると予想されるからだ。このタイトルのエントリーだと、だぶん、同業の方の閲覧が多いはず。その方達に、あやまった情報を発信してしまう事にもなりかねないし、個人が特定されかねないので、詳細は避けるが、さらに、自信がないのは、すべて結果論だからだ。。。。


私自身の事を言うと、、、さすがに、、、、いや、「さすがに」じゃないな、「やっぱり」だなっ。そう、やっぱり間違いが発覚してからは、眠れぬ夜を過ごした。

二十数年の薬剤師生活で、眠れぬ夜は何度かあったけど、やっぱり嫌なものだ。間違った薬で患者さんの身体を傷つけてしまうのかと考えただけでも、いたたまれない。幸い、私の場合は、眠れぬ夜を過ごした後、結果的に最悪の事態にまで発展したことが無かったが。

調剤や服薬指導って、意外と一例ずつ記憶に残るもので、間違えた場合、なんか、嫌な気分になる。「アレっ!さっきの・・・・・」とか「うん?昨日の・・・・」と。それで、患者さん本人に連絡を入れてみて「あぁ、やっぱり」となることが、間々、あるのだ。

でも、大半は、そんな閃きに近いような感覚にはならないんだけど。。。。

今回も、偶然、、、というか、必然というか、在庫の残数がコンピュータの理論値と合ってなかった事が、気づいたキッカケだ。ただし、アルマール錠の方なんだけど。こうなれば、アマリール錠の確認を取ることは、当然のこと・・・・・なのだが。。。。

どうして?、しかも、業務中に?アルマール錠の実在庫数と理論値を確認したのか?は置いとくが、結局、結果オーライをさかのぼってその原因を探ったとしても、それは意味を為さないであろう。
 
 
 
世の中の因果なんて、おしくら饅頭のごとくである。おしくら饅頭では『誰のせいで南南東に移動したんだ?』なんて、誰も知ろうとしないし、知る事が可能だとも思わない。

しかし、『世の中の因果なんて、おしくら饅頭のごとくである』ってわかっていても、見掛けが“おしくら饅頭”じゃないと、因果は探ることが可能であると思ってしまう。

悲しい人の性だ。
 
 
 
『坂の上の雲』は佳境に入った。気になっていた最後の段階だ。文庫本では第7巻の途中に差し掛かっている。

今まで、日本の近代史に関わる小説や資料の類など、一切、読んだことが無かった私は、難しいな!複雑だな!なかなか覚えられないな!という中学、高校の頃のテストの苦い記憶と相まって、『日本史で面白いのは、幕末から明治以降の近代史である』という人の気が知れなかった。

しかし、なるほど、歴史は人を中心に据えると、把握できるようになるものである。

この本のおかげで、私の中では夜道に明かりが灯ったみたいだ。

私がブログで『坂の上の雲』を取り上げる場合、作者の断定的な歴史観、因果関係の論証にバイアスが掛かっている事、さらに、レトリックの多用に辟易する事だけを取り上げているので、『なんで、文句いながら読んでんだ?』と疑問に思われるかもしれない。

まぁ、それはいいとして、時間の経過、ストーリーの展開する部分については、瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」や「ブレイン・バレー」に通ずる面白さがあるのだ。

99%の事実に1%の虚構。この1%が“効く”のだ。『坂の上の雲』で織り交ぜてある虚構が何%なのかは知らないが。


おしくら饅頭では、参加する全ての人の“影響”で移動する“方向”が決定されているのが、一目瞭然だ。

だが、歴史的な結果をそれ以前に遡って“原因”を見つけようとする場合、“影響”を与えるであろう“全ての人”を選択することは不可能だ。

要するに、作者が“虚構”を用いなくても、証拠とする“事実”を取捨選択するだけで、“影響力”の評価に印象を持たせることが出来る。すなわち、“事実”+“事実”=“虚構”にもなりえるのだ。

著者の歴史観に“バイアス”という言葉を使ったのも、そういう理由からだ。資料収集と選択の段階で限界があるということ。
 
 
 
閑話休題。私の“ヒヤリ・ハット”の経験が、全て【誤薬を服用してしまう】という最悪の事態を免れた原因は、、、、私が『これだっ!』って思う原因を提示することによって、本来なら、あまり関係のなかった事が“誇張”されて伝わってしまう可能性がある。

その為に、ここに書かなかった。

おしくら饅頭のように、“全て”の“影響”を知りたいなら、私の職場で、私を観察するのが良いと思う。

でも、おしくら饅頭のように、どの影響が強いのかは、わからないも。

私をつぶさに観察して、その内の一つ二つを真似したとしても、“事実”+“事実”=“虚構”になってしまうかも知れず、別な職場では、ヒヤリ・ハットを助長してしまう事になるかもしれない。

だから、薬剤師は各自、職場、職場で知恵を絞って欲しい。
 
 
 
ましてや、『全て【誤薬を服用してしまう】という最悪の事態を免れたって』いうのも、私が知らないだけ、患者さんが愛想をつかして来なくなっただけで、私の誤認かも知れないのだから・・・・・。ワハハハハ・・・ハぁ

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道徳的嫌悪感は原始的感情と関連

20090309a_sense_of_incongruity「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、確かに興味をそそる」と博士は述べている。「この研究はこれを証明するわけではないが、道徳的な状況で感じる嫌悪感が単なる比喩以上のものであるという考え方のかなり強力なエビデンスになる」。

『・・・この研究はこれを証明するわけではないが、、、、』と言っているので、じゃ、嫌悪感を感じる行動を野放しにしてみて、我々にとって、利益が無いのなら、証明できるんじゃない?

私がよく感じる“嫌悪感”・・・・を例に出す前に、一般的な嫌悪感を例に出してみよう。この場合は、宗教的な洗脳や自分では嫌悪を感じないのに『嫌悪を感じるのが人として当然』と言ったようなお仕着せの“道徳観”などは除外するよ。

例えば、政治家の不正。立場を利用して美味しい目にあっており、そのおかげで、庶民に不利益がもたらされる場合、誰もがその政治家に嫌悪を感じる。

例えば、学校での身体的ではないイジメ。

例えば、スクールゾーンに指定されて進入禁止になっている道路に通勤車で入ってくるヤツ。

例えば、見てみぬ振り。横断歩道をヨチヨチ歩いている老人や幼児を無視する人に対して感じる嫌悪感。

例えば、強姦。姦淫。

法律で禁止されている・いないにかかわらず、これらを野放しにしてみると・・・・・。

集団=公共の利益は損なわれる。


当然、このような行為は、マスコミの格好に餌食にもなる。

2009年3月6日 提供:WebMD

我々のもつ善悪の感覚は古代人の生存本能に起源があることを示す研究

Salynn Boyles


【2月26日】新規研究が、我々のもつ現代的な道徳的嫌悪感の古来の起源を洞察している。

善悪の感覚は、我々の大昔の祖先に嫌な味のする有毒な食べ物を本当に嫌だと感じさせた原始的な生存本能と直接関連するように思われると、トロント大学の研究は示唆している。

研究は『Science』2月27日号に掲載された。

「これらの結果は、道徳性の起源を異なる観点から見直し、我々のもつ道徳的基準は、複雑な思考のみによって導かれるのではなく、毒かもしれないものを避けることに関連する、より原始的な本能によっても導かれることを示唆している」と、首席治験責任医師のAdam K. Anderson, PhDはニュースリリースで述べている。


道徳性と嫌悪感

道徳性は、進化の観点から言うと、我々の論理的思考能力と密接に結びついた、ある程度、最近の現象であると広く考えられてきた。一方で嫌悪感は、食べると死んでしまうものを古代人が食べないようにさせた、古来の原始的な感情だと考えられている。

Anderson博士と研究の筆頭著者であるHanah Chapman博士らのグループは、道徳性と嫌悪感が、専門家がこれまで考えていたよりも密接に関連するかどうかを明らかにするため、一連の実験を行った。

「道徳的に不快なことについて話すときに使う『後味が悪かった』という表現が本当かどうか調べたいと、我々は考えた」と、Chapman博士はWebMDに語った。

「それは冷蔵庫に長く入れたままになっていたテイクアウトの容器を開けた時、または長いこと清掃されていなかった地下鉄のトイレに入った時にわき上がる感情と、何か関係があるのだろうか?」

研究者らは、筋肉の運動を導く電気的活動を記録する筋電図検査という技法を用いた。

検査では、人間が嫌悪感を示すときの表情に特徴的な、上唇を引き上げ鼻にしわを寄せるという動きに関係する、上唇挙筋という1つの特定の筋肉に焦点を合わせた。


「単なる比喩にはとどまらない」

最も基本的な原始的な形の嫌悪感を呼び起こすために行ったある実験では、被験者らにまずく苦い液体を飲ませた。別の実験では、不潔なトイレのように、本当に嫌なものだと一般的に認識されているものの絵を見せた。

道徳的嫌悪感を測定した最後の実験では、古典的な心理学実験で被験者らに不当な扱いをした。

3種類のすべての状況において被験者らの上唇挙筋の活性化が認められたことから、まずいものの味見をしたとき、本当に嫌なものを見たとき、および不当な扱いを受けたときの反応はすべて、同様の嫌悪感と関係することが示唆された。

「人々は道徳性を、ヒトの進化と発達の頂点と考えている」とChapman博士は述べている。「しかし我々は、この非常に古くからある原始的な反応も重要な役割を果たしていることを明らかにした」。

Harvard大学の研究者であるJoshua D. Greene, PhDは、本研究は、博士がこれまでに行った、感情が道徳的判断において重要な役割を果たすことを示唆する研究と合致すると、WebMDに述べている。

「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、確かに興味をそそる」と博士は述べている。「この研究はこれを証明するわけではないが、道徳的な状況で感じる嫌悪感が単なる比喩以上のものであるという考え方のかなり強力なエビデンスになる」。


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(C)2009 WebMD Inc. All rights reserved.


さて、私の番である。私は以下のような行為にも、ものすごく嫌悪感を感じる。

2009年3月6日の毎日新聞社のニュースそのものが、それに該当する行為なのだが!

島根県では医師の卵達に貸し付けた奨学金、410万円が未回収になっているという。当然、悪いのは“借りた金を返さない人間”であるべきなのに、借金返済をしなかった医師を糾弾するのではなく、それを回収しなかった件の職員を糾弾しているのだ。

『県医療対策課によると、約15年にわたって未処理だったのは14人分で計5136万円。』だそうだ。で、その結果を取り上げて“職務怠慢”だと糾弾しているのだ。

もし、県職員が職務意識に燃えて、医師になった後の職場にまで押しかけて、借金の督促をしていたらどうだろう?新聞は、『やり過ぎの職員』と糾弾するんじゃないの?

私は、こういう姿勢に、生理的に“嫌悪”を感じるのだ。


マスコミって、いつも、すべてこうじゃない??


多分、マスコミ=記者も“借金を踏み倒した行為”にプリミティブに嫌悪を感じたはずなのだ。

それなのに、それを生理的な嫌悪=低レベルなリアクションとして軽視し、いや軽視するだけではなく、そういうプリミティブな感情に従って新聞記事を書く事を“かっこ悪い”或いは“軽薄だ”なんて評価を食らうことを恐れているとしか考えられない行為に出るのだ。あるいは、医師個人を悪者にして糾弾するより、“県”というでかい相手を悪者にした方が、インパクトが大きいという“スケベ根性”もあるのだろう。(これは今回は置いといて)

税金で賄った借金が回収できなかったら、それは社会の不利益である。これに異論のある人はいない筈だ。


借金回収にプライオリティを置くなら、取り立て方法に口を出すのは、履行の妨げ以外のなにものにもならない。職員は『やりすぎ』とマスコミに糾弾されるのを恐れて尻込みしちゃうのだから。

一方、借金取り立て方法を“生ぬるく”すれば、100%借金回収という“理想”は実現しない。ましてこの場合、相手は医師だ。返す金が無いわけがない。

このように、社会の利益、公共の利益が達成されるのを妨げる行為に対して、私が嫌悪感を感じるのは、その結果が社会の不利益になることからも、正しい感覚だといえる。


従って、嫌悪感を感じる行動(=借金を踏み倒す)を野放しにしてみて(=野放しにせざるを得ない状況を作り出す行為=マスコミの独善的な価値観の押し付け)、我々にとって、利益が無い事が証明できた訳だ。


だから、「我々に何か有毒なものを拒絶させる感情は、社会的判断の際にも働くよう選択されていたという考え方は、正しい」と言って差し支えない。


私は最近の新しい進化論を知るに付け、このようなプリミティブな感覚は大事にしなくてはならないなと思っている。

そして、殆どの場合、これは正しいと思っている。

その現象に遭遇した時、まず、沸き起こる感情、、、これは、理屈をこねくり回すより、遥かに正確なのだ。我々の利益にとってね。


島根県の職員が“職務怠慢”かどうかをハッキリさせる為にも、彼らの怠慢をマスコミのせいにさせない為にも、マスコミは借金回収方法に口を出さない方が良い。借金を回収する行為に、なんら制限がかからない状況を作ってあれば、怠慢に“グーの根”も出ず、即刻懲戒免職に出来るし。

ほんとにお金に困っている人に対しては、他の社会保障を考えれば良いんだからね。例えば、医学生の頃お金を借りたんだけど病気で働けない・・・・なんて場合には、免除、或いは行政の借金の肩代わりとかね。


現代において、世の中の道徳的善悪の感覚が“狂った”のは、このようなマスコミの“考えすぎ”で“独善的”な影響が大きいと思うのだが、いかが??

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謎が解けた・・・のか?

20090307_incompetent『「部下のできが悪くて…」の言い訳は、管理職失格?』なんて価値観は専門職には要らない!!そもそも、そんな価値観をが持つことが、専門職のレベルを下げる。

m3.com に【医療維新】というコーナーがある。3月4日付けのコラム『医師のプロ意識の崩壊が“医療崩壊”招く』を読んで、自分にとっての、ある謎が解けた。

まず、著者の主張は、全くもって同感(激同)なのだが、残念ながら日本では著者の言うような事は、まず、実現不可能だろうなぁと感じた。

例えば、米国の病院では、必ずといって良いほど、Mortality & Morbidity Conference(以下、M&M)を定期的に行なっている。これは、不幸な結果に終わった症例を、研修医や指導医全員で再考し、再発を防ぐにはどうしたら良いかを検討するカンファレンスである。医師にしかできないことに焦点を移すべきである。

プロはプロ以外からの批判を好まない。しかし、それならばプロ同士の相互批判はもう少し活発になされるべきである。学会や医学雑誌だけでなく、普段からも院内にそうした場を設けることが必要である。例えば、米国の多くの病院では、Clinical Pathological Conference (以下、CPC)を定期的に行っている。これは、難解な症例を、指導医が全員の前で検討し、診断をつけるという、「指導医のお手並み拝見ショー」である。指導医同士の質疑応答に研修医や医学生は魅了される。また、米国では医療事故についても、ピア・レビューは徹底している。


こういうことって、考えれば、当たり前の事だとおもうし、プロがプロたる所以でもあるのだが、、、、


一方、日経メディカルオンラインでは、『「部下のできが悪くて…」の言い訳は、管理職失格?』なんてタイトルでブログを更新せざるを得ないのも現実。

これは、大衆迎合のうちなのかもしれない。能力のない人間=弱者=守ってあげる対象=弱者保護を唱える人ははいい人・・・・・みたいな、感覚がそうさせるのかも。

そんな日本の風土?がそうさせるって理由もあるのだろうが、もう一つは、管理職の専門知識・技術が“寒い”状況で、くだらない雑用である“部下の人的管理”しか出来なくなっているという事も考えられる。

能力の低い“プロ”にとってみれば、それは逆に“居心地”の良い環境なのかもしれない。まぁ、それは今回は置いといて・・・。


今回、このエントリーでは、プロの代表である“医師”を例に挙げたが、これは医師の世界に限ったことではない。

私の住む“薬剤師”の世界でも、同様だ。いや、同様どころではなく、それ以上であり、かなり悲惨な状況であることを感じざるを得ない。
 
 
 
こんな事を考えるに至って、昔から疑問だった事の謎が解けた。

薬剤師の世界でも、職場を探すにあたって病院志向というものが存在する。病院の薬剤師の方が薬局の薬剤師より“レベルが上”っていう漠然とした価値観だ。いままで私は、医師とは違って薬剤師の世界に、病院も薬局も違いは無いんじゃないの??って思ってた。やることは、ほとんど変わらないし。(宇宙服みたいな服を着て無菌室作業するからスゴイ!なんて可愛いこと言わないでね!)

なるほど、管理職の質を問えば、職員の数が多いところでは、プロはプロにしか出来ないことをやれるようになる。薬学博士の学位をもつ管理職が、職員の仕事中の携帯電話使用なんぞに目を光らせたり、レジのつり銭をチェックするなんて、やらなくてもよい。

逆に言えば、薬局(職員の数の少ない職場)では低能な職員に手取り足取りの養育係りまで管理者がしなくちゃならない。。。。モチベーションが“お金”だけになっていくのは、、、、痛いほどよくわかる・・・。その後は、立ち去り型サボタージュ。。。(この辺を経営者は理解してない可能性がある。理系のプロは転職が易いということを。残るのは馬鹿ばっかりだという事を。朱に染まれば赤くなっちゃうんだから、日本の専門職をプロたらしめるためにも、専門職が必要な職場では、“朱”はばっさり切られても当然という社会的なコンセンサスが形成されるといいなぁと思っている)


私は今まで、薬学生の実習において、学生達が、どうして病院に行きたがるのかわからなかったので、そんな漠然としたイメージだけで病院にいってしまうのを悲しく感じてたから、薬局での薬剤師の“面白さ”を伝える事に腐心していた。

その結果、『薬局というイメージが変わりました』といううれしい言葉を、何度も聞いた。

だが、それは若いうちだけの事だったのかもしれない。巣立っていった彼らにやがて訪れる薬局での責任あるポジションは、アカデミックとは対極に位置するものだからだ。


私は、将来の日本の薬局は、経済的な面から 7~8 割が大規模なチェーン薬局になり、それ以外の隙間を小さな薬局が埋めるような構図になると思っている。

それは、はなはだ、不愉快なことではあるのだが、プロがプロとしての力を思い切り発揮できる環境が小さな薬局に無いとしたら、薬剤師のモチベーションが上がることが質の向上に繋がるとすれば、組織が大きくなることに利があると思えて来たのだ。

薬剤師の質をテーマにすれば、私にすれば勉強しない薬剤師なんぞは問題外なのだが、存在するのも事実で、それらの薬剤師のモチベーションが上がるとすれば、それは結構なことだし。


と、本日は身近な話題で感じたままに。。。。

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siRNA から見た生命の混沌と司馬遼太郎

20090303_mirna哺乳類の siRNA が何から生成されるかといえば、全てがわかっているわけじゃないけど、トランスポゾンだったり、レトロポゾンだったりするわけだ。

理研の林崎らにより、DNA は全体の70%にも及ぶ領域が転写されていたことが解明された事は前にも書いたけど、この中にも、当然、レトロポゾンも含まれている。


一体何のために?・・・・・なんて考えてはいけない!


生命は、とにかく、行き当たりばったり、とりあえず転写しておく、、、、、そして、その転写物の中の一部は、折れ曲がって二本鎖を形成し、あるものは、相補的な相手と二本鎖を形成する。

こんな二本鎖を、(全く役に立たないから、)Dicer が適当なサイズにブツ切りにすると、これが今で言う siRNA として機能し、これらの(役に立たない)二本鎖を排除する。

こんな仕組みでの排除を免れた転写物は、あるものは分子内で小さなループ構造を形成し、それらが Drosha/DGCR8 や Dicer によって miRNA とされ、他の(役に立たない)転写物の排除機能や蛋白質への翻訳制御を担うことになる。

またまた、そんな仕組みでの排除を免れた転写物は、あるものは単に分解されちゃって、あるものは蛋白質の設計図となり、あるものは、アミノ酸の運搬係りとなり、あるものは、タンパク質性製造工場となり、、、、

って、逆から見ると、括弧でくくった→『(役に立たない)』って転写物は、結果論で「役立たず」ということが言えるだけで、最初から、「役立たず」だった訳じゃない。
なぜかと言うと、今、地球上にいる生物は、残り物で、うまく“生きている”を表現できただけだから・・・・だ。それに、見方を変えれば、外来ウイルスに対する防御機構とも見えるし、実際、Dicer がぶった切る作用が防御機構として機能してるし・・・・こんなものが転写されなきゃ、Dicer なんて自然消滅しちゃったかも知れないし。


miRNA、siRNA の産生に必要な Dicer を卵子特異的にノックアウトすると、卵子形成そのものが停止してしまう。で、このノックアウト卵子では卵母細胞のすてべての転写物の10%を占めるレトロポゾンが3倍以上にも上昇している。

このことは、miRNA、siRNA がレトロポゾンの抑制に必要なことは示しているのだが、じゃ、元々、何のためにレトロポゾン領域が転写されるの???ってことの疑問には答えられない。

ってゆーか、「何のためにレトロポゾン領域が転写されるの?」って疑問を持つ事自体がナンセンスなのだ!!!

って考えれば「なんで?」なんて“意義”を探さなくても良くなる。
 
 
 
世の中の仕組みも、まさに、DNA 転写物が織り成すこんな仕組みに似ているって感じる。

特定の人の視点を軸にして眺めれば、なるほど、歴史(現在進行形も含めて)はストーリーになるけれど、それを眺める人が“無益”と評価してしまった登場人物は、登場の余地すらない。また、その“影響”を加味して、“アンサンブル”っていうか“ハーモニー”っていうか、全体の流れ(結果)の原因の一つとして“ストーリー”を作ることも出来ない。

トランスポゾンもレトロトランスポゾンもスモールRNAも知られていなかった時代では、それらの“役者”は、歴史上で“無益”と評価してしまった人の“影響”と同様に、物語の中に登場させてもらえなかった。それで生命科学の辻褄を合わせていた(合っていたと思うしかなかった)。重要性は計り知れないというのにである。


現代は、時間の流れが速まってきているって感じる。

インフラっていうか、人を取り巻く環境の変化について行けない世代が、まだ、世の中に生きているっていう現実が、それを、いっそう、切実にさせるのだ。

コンビニのオーナーが廃業する理由が、ATM や その他のIT機器のトラブルに対処出来ないからだという。医療業界では、レセプトオンライン請求についていけず、廃業を考えている診療所が8%もあるのだとか。。。。

ジェネレーションギャップなんて言葉は、すでに、古くなって、10年間隔でギャップが存在しているかのようだ。

本来なら、効果の判定まで“じっくりと待つ”必要がある“改革”まで、じっくりと待てずに、すぐさま“結果”を欲しがり、その“結果”が出る前であっても“間違った事”として“こき下ろす”ということが、当たり前の時代になってしまったって感じる。

しかも、そもそも、期待する結果は、ひとつの原因=改革に拠って達成出来るわけではないのに、、、である。(あたかも、、、癌という病気は一つの遺伝子が悪くなって起こるのだから、その悪くなった遺伝子を直せば、癌は治る・・・なんて幼稚な認識しかないが如くである。)


『坂の上の雲』は、今、通勤電車で読んでいる小説だ。なんどもエントリーのネタにさせてもらっているが、作者の価値観がかなり偏好しているって感じるのは、やっぱり、私の中に、上述のような“理系思考”があるからだって思う。

歴史を専門とする人にとっての“批評”は“結果論”以外はなく、また、因果というのは全て明らかに出来るっていう“幻想”を前提にしないと、自分達の居場所がなくなるという宿命を背負っているからなのだろう。

だから、結果に対して、都合の良い“原因”を選択して『ほらねっ!』ってやるんだけど、『じゃ、あんたの知らないトランスポゾン、レトロトランスポゾン、スモールRNAは、あんたの説明の何処に入れるんだよ!』って、妙な“つっこみ”を入れてしまう。実際、そんなことをしながら楽しんでいるわけだ。(経済をやっている人には“合成の誤謬 (fallacy of composition)”方面から突っ込んでいただけるかも)


ただ、やっぱり、私も、世間の毒気に当てられているせいか、早く結末が知りたい(ってゆーか、日露戦争の結果は周知のごとくなんだけど、小説の最後を知りたい)って感じている。文庫本で全8巻というのは、ボリュームがありすぎで、そのため、中だるみなのである。字面だけを追ってしまっている。(勿体無い!!)

ほとんど朝の電車でしか読まないので、読み始めてからまるまる2ヶ月も経つのに、やっと第5巻にたどり着いたところなのだ。1~3巻に登場していた正岡子規なんて、違う小説の登場人物だったっけ?になってしまっているし。。。。


あっ、このエントリーは“本”だから、『坂の上の雲』の面白さを伝えるわけだけど、私みたいな“理系”に偏った人間が読んでも、かなり、面白いといえる。

理系だからかもしれない・・・。

何処に面白さを感じるかは、人それぞれだと思うけど、私は、作者の文章の“説明好き”な所が、妙に“理系”っぽくって好きなのだ。見当違いの説明に違和感を感じたり、突っ込みを入れたりしてるんだけど、何の説明もない本だったりしたら、突っ込みすら入れられないんだからね。それに、半分は『なるほどぉ~』って事になってるし。


ついでながら、感じたまま書きっぱなしで一切説明のない“エッセイ”の類は、こういう理由でほとんど読まないのである。

つけっ放しのテレビを眺めている時間のように、無駄に時間をだらだらと費やしたくなったときは、エッセイを読むことはあるけれど。


というわけで、このエントリーで、一部の人には『なるほど、司馬遼太郎はおもしろそうだ』って感じていただけたものと思う。今まで、読んだ事のなかった人にもお勧めです。でもって右の Amazon アフィリエイトをポチっと・・・・・・・・

   (。_゜)☆\(ーー;)バキッ

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