プリオンはアルツハイマー病にも関係する
この二つの疾患は、最近、コンフォメーション病と一括りにされたばかりだが、共通点はどちらも蛋白質の立体構造の変化によって引き起こされる病気であり、直接、関係があるとは思われていなかった。
ところが、、、、、、コレだっ。
可溶性アミロイドβ(Aβ)ペプチドオリゴマーが脳の組織内に増えるという現象が、『神の存在を考える時』で考察したように、人の寿命に仕組まれている生理的な現象だとすれば、神経細胞の生死に関わる PrP もそれに一役買っているってことで、特別な“不思議”という訳ではなくなるのだが、、、、、(注)
そもそも、PrP がαヘリックス構造からβシート構造に変化するのに、遺伝子の塩基配列の変化は必要ない。塩基配列が変化するんなら、死ぬのもわかるんだけど・・・。
この変化が無い正常な立体構造の PrP は人生の終わりにおいて、脳機能の低下を助けるんだから、死に行く個体にとっては当然の役割を果たす、、、、、わけだけど、この立体構造が変化する事により、Aβ の情報が正常に伝わらなくなるって事は、どう考えればいいのだろうか???
立体構造が変化して、正常な機能、すなわち、個体に引導を渡す事が出来なくなってしまった場合には、その個体に確実に“死”を与えるために、脳神経細胞にダメージを与えるって視点に立てば、PrP は、個体の死を確実にする為の機能を持った蛋白質だと言える。
人類は、アポトーシスという現象を知るまで、また、精巧に仕組まれた蛋白質の分解系を知るまで、細胞で作られる蛋白質っていうのは、全て“生きる為に必要なものばかりだと思っていた。
「計画的に死ぬ」「計画的に分解される」って事を細胞レベルで、分子レベルで語るときには、さほど“罪悪感”“違和感”を感じずに済んだ。しかし、このような神により仕組まれた現象を、“人生”に当てはめるのは、、、、、かなり、、、、、、だ。
注:正常プリオン蛋白の生理機能も徐々に判明しつつある。遺伝子操作で人工的にプリオン欠損マウスを作り出したところ、出生直後は正常に発育するものの、発育するにつれ運動失調や長期記憶、潜在学習能力の低下が認められる。したがって、正常プリオン蛋白は神経細胞の発育と機能維持に何らかの役割があると考えられている。
医学:プリオンはアルツハイマー病にも関係するNature vol.457 (7233), (Feb 2009)
アルツハイマー病では、可溶性アミロイドβ(Aβ)ペプチドオリゴマーが中心的な役割を果たすという仮説は十分に立証されているが、Aβオリゴマーが神経細胞に影響を及ぼす際の基盤となる仕組みは明らかにされていない。
可溶性Aβオリゴマーに対して高い親和性をもつ細胞表面受容体が神経細胞上に存在することの証拠がいくつか示されており、これがアルツハイマー病の病態の中心となると考えられている。
今回、細胞のプリオンタンパク質PrPCがその受容体候補であることが突き止められた。
脂質ラフトと会合する細胞膜糖タンパク質であるPrPは、Aβオリゴマーと高い親和性で選択的に結合し、ペプチドの有害な作用を仲介する。
今回の結果は、PrPCに特異的な薬物がアルツハイマー病に対する治療薬となる可能性を示しており、また、感染性プリオン病とアルツハイマー病との予想外のつながりを示している。
Letters to Nature p.1128News and Views p.1090
狂牛病の牛肉を食べると発症すると考えられている、Variant-CJD は、本来やっちゃいけない行為、共食い、を禁じた神の戒めなのかも。
いやいや、Variant-CJD を発症した人が“共食い”をしたわけじゃなく、牛が牛を食べたという事を言っているのだが、、、、、。いやいや、牛が牛を食べたんじゃなくって、人間が牛に牛を食べさせた・・・・・・・、罰が、何の落ち度も無い人に Variant-CJD 発症させた・・・・・。
経済性を優先させた、、、、金儲けに走って、、、、、
共食いをする生物種が地球上に、どれ位いるのだろう?『やむにやまれず』やってしまったなんてのは、どんな種でもありそうだけど、それが常態化しているのって、いないんじゃないのかなぁ??
だとしたら、共食いを常態化するって事は、コレを禁じた神による“罰”として、予め、“死”に直結する蛋白質に立体構造の変化を来すように仕組んであった。。。。。
ウー c(`Д´c)
考えているうちに、恐ろしくなってきた。こんな事、大っぴらに言うもんじゃねぇ~よな。
良い子ちゃん的な発言を繰り返す奴らには、強烈な関節技を決めまくっている私だが、さすがに、気持ち悪くなってきた。これが、いわゆる“死を恐れる”基本的な“生存本能”なんだろうなぁ・・・・・。
人の死を“可哀想”だとか“哀れむ”ってのは、高等な脳機能なんだと思う。悲惨な人の屍体を見て、“哀れむ”よりは“気持ち悪くなる”“怖くなる”というのは、本能に近い反応だろう。
“可哀想”だとか“哀れむ”って言ったような“気持ち”を操る“良い子ちゃん”には、関節技のをお見舞いするけど、“気持ち悪くなる”“怖くなる”のは、対応のしようもない。
ってなわけで、ここに書けないような、気持ち悪いことを一杯考えた私は、書き続ける気力が萎えてしまいました・・・・。そして、一つ、不思議な現象が気になり始めました。
それは、旧約聖書、モーゼがエジプトを出発してから色んな所で食糧難になった時、朝になるとその辺、一面に落ちていた“マナ”って食べ物の事だ。
これって、一体、何なんだろう??もしかして、死んじゃった仲間じゃないだろうねぇ?!















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