移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

20090708_transplantation私は、娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。


移植法A案が参議院に回って、一部を修正して可決しそうな雰囲気だ。

衆議院で可決された段階では、親族への臓器優先提供という文言が盛り込まれていたそうだが(ぜんぜん知らなかった)、修正A案では、取り消され?(読売新聞社の概要図が曖昧の為、よくわからない)かわりに、法施行3年後の見直しなどの文言が盛り込まれるようだ。

そして、もっとも不思議なのは、現行法と同様、脳死の位置付けを曖昧なままに置き去り、移植だけは15歳以下でも可能にしようというものだ。

・・・・・・なんなのだ???これは???
(穿って見れば、賛成派、反対派の双方のガス抜きが出来る折衷案なのだろうが、よくわからん)

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

 自民、民主、公明党の参院有志議員は7日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案をまとめ、発表した。

 A案が脳死を「人の死」を前提としている点を修正し、現行法通り臓器提供時に限って人の死とすることが主な柱だ。9日にA案を審議している参院厚生労働委員会で修正動議を提出する見通しだ。脳死が「人の死」であることを前提とせずに、本人の意思が不明確な場合でも家族の同意だけで臓器提供が可能かどうかが議論になりそうだ。

 修正案をまとめたのは、西島英利、衛藤晟一(自民)、谷博之(民主)各参院議員ら6人。

(2009年7月8日 読売新聞)


さて、冒頭の私の『絶対、臓器提供はしない』という決意を読んで、あなたはどのように感じられたであろうか?

私の事を『人道的じゃない』『人の情けを知らない』『自分勝手で冷徹なヤツ』などと感じなかっただろうか?

そう感じたあなたは、多分、新聞などで見かける『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章で、目頭を熱くするタイプなのだろう。

こういう感情を惹起する人達は、移植法案採決などという状況で、臓器の提供側ではなく臓器移植を受ける側にシンパシーを感じがちで、自分自身に当てはめる時提供を受ける側として想像しがちな人達だ(新聞やテレビ報道でそのように仕向けられているからかもしれないが)。

そして、多分、その人達は、自分らの感情や態度を“人道的”であり“情に熱い”人間だとして誇りに感じている。

『人の命を救う事は、何にもまして尊い』、心からそれを思える自分は、、、、と。

そして、そのような認識は、世論(せろん)にもある。

それが証拠に、新聞にも『「前日まで元気だった子が、急に事故や病気で脳死状態になった場合、家族は冷静な判断ができない」として、本人の意思が不明でも家族に判断が委ねられるA案に異議を唱えた。』と書かれるように、反対する人達も、臓器提供を断るのに、“冷静な判断の上である”という大義名分を必要としている事からもわかる。

つまり、臓器提供を断るのに“うしろめたさ”を感じているのだ。

冷静に判断するなら“臓器提供することが人道的である”と皆が思っているから、拒否する事は“非人道的”な人間だと思われてしまうんじゃないのか・・・・・と。
 
 
 
嫌なものを嫌といえない、、、、、、これって、一体何なのだろう?

人命を人質に言論・思想の弾圧・・・・?価値観の画一化・・・・?ある種の全体主義・・・・??
 
 
 
マスコミは、そういう方向に、もって行こうとしている???

マスコミのやりそうなことだ。マッチポンプの“マッチ”の仕込みなのだろう。。。。そのうち、反対方向にいくんじゃない?子供の臓器が狙われる事件が起きたりしたらね。
 
 
 
だから、敢えて私は、『娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。』と言う。
 
 
子供の命を救う事自体に異を唱える人はいないだろう。当たり前だ。

いくら私が事あるごとに『日本は人口過剰だ』なんて言っていたとしても、救うことが可能な命を救う事に異論はない。だが、単なる延命は違和感を覚える(価値観を異にする事を否定するわけじゃない)。


人が生まれるのは、その親の“性欲”の結果だ。行為をしなければ生まれはしない。自然の摂理だ。そして、自然の摂理は、100%を保証していない。(保証したら、種から亜種が発生せず、生物の進化はない)

現代人の感覚で言う“五体満足”で生まれない場合もあるのだ。これこそ、万人に平等に、機会は均等に訪れる。

“五体満足”で生まれる事を100%望む事自体が間違い。悲しい事ではあるけれど。

五体満足で生まれなかったことが、不平等ではないのだ。

自然の摂理に不満があるのなら、神様に恨みを言えば良い。

こんな辛い目に逢いたくなければ、“性欲”の結果、子供が出来ないようにすれば良い。ペットの死に遭遇するのが辛いから、動物は飼わないというのと同じだ。

現代人は知恵も術もがあるんだから、臓器の不全で子供を失うなどの悲劇を味わいたくなければ、子供を作らなければ良い。

子供を作るって言う事は、それだけの覚悟の上で、すべき事だと、、、私は思っている。

だから、『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章を新聞で読むと、非常に違和感というか、嫌悪感を覚えるのだ。


(私が、“出来ちゃった結婚”に、嫌悪を感じるのも同じ理由だ。どうでもいいけど)


ここまで読まれて、私の事を『人道的じゃない』などと感じた人の中には、『(おまえは=私のこと)どうせ、自分の子供が移植を必要としてないからだ』なんて思う人もいるだろう。

私の子供は、心臓移植を必要としている。。。。。

かどうかは、わからない。現時点では必要はなさそうだ。今まで、娘の心臓を調べた事もないし。

いずれにせよ、もし、娘に移植が必要になっても、移植して延命しようとは考えていない。

今、死ぬ事と、3年後、5年後、10年後、15年後、20年後、25年後(現時点で心臓移植に、これ以上の実績は無い)に死ぬ事に、特別な差を見出せないからだ。

でも、私の価値観を、他人に押し付ける気は、ない。


だから、移植が人道的であるなんて価値観を強要するような世論(せろん=雰囲気)に嫌悪を感じるのだ。


価値観は、人それぞれ。臓器提供したい人はすればいいし、子供が脳死になって親がその臓器を提供したいならすればいいし、臓器移植を受けたい人は受ければ良いし。

それぞれの価値観にしたがって行動すれば良いだけで、他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない。

新聞に取り上げられている(移植が出来ずに)子を失った親は『もっとはやく、、、、』と言っているが、移植を受けさせなかった法律を恨み、制度を恨み、そのうち、『脳死のくせに、何故、臓器を提供してくれないんだ』と人を恨むんだろう。。。(かわいそうに・・・ある意味、偽善者達の犠牲でマスコミのオモチャだ)
 
 
マスコミ!なんでも世論(せろん)調査すれば良いってもんじゃねぇんだぞ!!わかってんのか?ゴルァ!!こんな事(死生観)は、どっちが多いとか、どっちが正しいとか、どっちが正義だとか、どっちが人道的だとか決める事じゃねぇんだよっ!バカっ。

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医療従事者向けN95マスク・防じんマスクDS2 フィットテストビデオ

20090707_aston_one77昨夜は、娘と七夕の飾りつけをせっせと作っていて(作らされて)、今日は、すこし首筋が痛い・・・・・のだが、インフルエンザ騒動は、まるで台風一過のような静けさだ(意味不明)。熱しやすく冷めやすい日本人気質をよく表していると思う。感染症に対してこんな事じゃイケナイんだけど、まぁ、ショウガナイ。その昔、寺田寅彦が指摘しているように、日本人は、適切に恐れる事が出来ないのだ。

さて、時代はエコだ。

そんな時代に、アストンマーチンは One-77 を発売した。名前のごとく 77台の限定生産だ。価格は100万ポンド(1.5~2億円)でV12気筒7.3リッターエンジン搭載、最高出力は700psオーバー、0-96km/h加速は3.5秒をマークする。

恣意的なマスコミや環境問題に一家言ある有識者などは、格好のネタにする。

『こんな時代に、なんと空気の読めない・・・・・』
『時代錯誤も甚だしい・・・・・』

などと。

だけど、考えてみて欲しい。One-77 を買うには手付金3000万円をポンと払い、納車時には残り全額を支払う。こんな人達が購入者だ。その半分の車は、実際には動かされる事は無く、コレクションとして飾られるという。まして、一般庶民がしているように日常の足として、あるいは通勤の足として、使われる事は皆無であろう。

化石燃料消費による CO2 排出の絶対量は、どれほどのものだろう??

この車が与える環境への影響は、一体どれ程になると言うのだろう??

私は、この車の生産に対して環境への配慮がどうのこうの、購入者の環境に対するモラルがどうのこうの・・・との方向に話を持ち込むマスコミや有識者の姿勢が、豚インフルエンザの時の報道姿勢と酷似していると、寒気を覚えた。

実際の被害より、イメージで話を飛躍させるのだ。プリウスと One-77 を直接比較するみたいな。

そして、一般庶民は科学的常識の欠除(何が肝心要なのか理解できない)により、このような扇動の餌食となり暴徒と化す。

やがて、のどもと過ぎた頃には、(リスクの評価を出来ない、理解不能の事だから仕方ないのだが)無関心となるのだ。。。。。エイズやプリオン病のごとく。


マスクの着用に関しては、当時のテレビ映像で見る限り、まともな物を使用し、まともな装着法をしている人は、皆無であった。

『マスク着用で感染が予防できる』という“文字通り”この文脈だけの、情報と言うにはあまりにもお粗末な“噂話”を頼りに暴徒の如く販売店に押しかけ、我先に買い漁った人達がいたのは記憶に新しい。

企業の対応にしても、また、然である。フィルターとして機能してないような装着法であっても、つまり、形だけあれば社屋への出入りを許す、装着なしなら出入り禁止みたいな姿勢・・・・これ、すなわち、人を思い、感染を防ぐにあらず、責任逃れの以外のなにものでもない。

行政の対応にしても然である。とんでもなく過剰反応で意味の無い行動をとった事だけをみても、責任逃れと言われても仕方が無い。

もっとも、企業と行政は、世論(せろん)が怖いから、同情の余地はある・・・・・。毅然とした態度で対応・・・・・、ババ抜きのババを引くような行為を、誰がやるのか、、、、誰もやれないから。。。。。しょうがない。


“頭に血が上っている状態”では、『マスク着用で感染が予防できる』という文字通り、この文字数以上の情報を与えても理解してもらえないだろうが、今なら、冷静に“聞く耳”を持ってくれるかも知れない。
(熱くなった頭に解らせるには、『マスクは効果が無い』と言うしかなかったのも同様。これ以上の文字数は右耳から左耳にぬけてしまっただろうが、今なら文字数は増やせるかもしれない。結局、『予防できる』から始めても『予防できない』から始めても条件を付けて詳しく説明していくと、同じ意味になる。同じ現象をどのように表現するかの違いなのだ)


マスクは“道具”である。

だから、正しい使い方がある。

正しい使い方をしないと、本来の機能を果たせない。

電源を入れないパソコン、ソフトウェアを起動しないパソコンが、なんの役にも立たないのと一緒だ。

そして、道具に100%はない。

正しく使っても限界がある。

正しい使い方と、それを使う場所、使う状況によって、又、使う人によって、使う環境によって、その有効率は変化するのだ。

これらを踏まえて、秋口からと予想されている、もう一つの感染の山に備えるのも大事な事だと思う。

医療従事者の末席を汚(けが)すものの一人として、正しい情報を伝える・・・・・なんて、殊勝な事を言うつもりはさらさらないけど、こんなビデオがあるって、私も最近知ったので、ここをご覧の方に、情報のおすそ分け、、、、って感じで、エントリーしておく事にする。


見るも見ないも、その人次第だけど、私には役に立ったよ!!!

だから、私の職場では、N95 マスクを何種類か購入して、フィッティングテストして、(もし、強毒性なら)秋以降の流行に備えようと思っている。。。(管理者の責任!?)


だけど、まぁ、一般の人が雑踏の中や電車や職場での感染する機会と、そんな状況での感染防御率でメリットがあるかどうかはわからないんだけどね。それが、「マスクでの市中感染予防のエビデンスはない」という結論になるわけだが、医療機関のようなハイリスクに場所では、恩恵はあるんじゃないかなぁ!!

ところで、最近、YouTube 動画を貼り付けてるエントリーが多いんだけど、職場でのインターネット接続環境によっては見られない人もありそうだ。

そんな人は、、、、、、プロキシ回、、あっ、まっ、がんばってくだされ。

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ダブル交配は質が低下(Two's a Crowd)

20090703_gender_free子供を作りたくなかったら、、、、、、。

夫には言えないが、妻だけが子供が欲しくない場合、夫に隠れて不特定多数と交われば、子供が出来にくい。


今、通勤電車での読書は、渡辺淳一。

20年以上も前の一時期、渡辺淳一に凝っていたことがあり、その時、買い漁って、まだ、読んでなかった本を読んでいる。『1Q84』は、まだ買ってない、、、ってゆーか、まだ買えないから。

で、渡辺淳一の“濃い男女関係”ものを読んでいるせいか、真っ先に、こんな事を考えてしまった。

これが、普段なら、『少子化は、女性の性のモラルの変化だ』となったであろう。

こんな事を言ったら、ジェンダー関係(なんだそれ?)の論客にコテンパンにされそうだが、生物としての性の分化と進化の結果だから仕方がないよなぁ!

結局、昔ながらの“淑女”が子供を得るには必然だったのだ。(微妙な差だけど大きな差なんだよ・・・きっと)

Science June 26 2009, Vol.323

オスとメスがそれぞれの適応度を最大にするために競い合うというこのプロセスは、彼らの子孫の適応度にも影響する。

性の選択の多くは、一妻多夫(polyandry:メスによる複数の交配)に由来し、この一妻多夫の進化を説明する幾つかの拮抗する仮説が出されている。

Bildeたち(p.1705)は、潜在的なメスの選択と性的拮抗作用の根底にある二つの理論を明白にするため、カブトムシ類(seed beetles)においてダブルの交配実験を行った。

予想に反して、遺伝的な適応度が高いオス(メスと一回の交配をした時に生まれる子供の数に基づいた尺度による)は、メスが高、低の遺伝的適応度を持つオスの双方とダブルで交配すると子供の数が少なくなった。

このように、交配後の性の選択は低い適応度を持つたオスの遺伝子型に有利となり、メスは複数のオスと交配する時には遺伝的な代償というリスクを負うことになる。

Postmating Sexual Selection Favors Males That Sire Offspring with Low Fitness
p. 1705-1706.


ただ、勘違いしないで欲しいのは、私は、少子化自体を“悪”で改善しなくてはならないなんて、これっぽっちも思っていない。それでなくても日本は人口過剰だと思っているのだから、減る事は大歓迎だっ!!!

だから、女性の性のモラルの変化をとやかくいうつもりは、さらさらないっ!

私が気に入らないのは、将来の福祉政策に日本人の“あたまかず”を当てにしていることだ。極端な話、これって、“ねずみ講”と一緒だ。未来永劫、人口が増え続けるなんてありえない。当たり前の話だ。

今、やらなきゃならないのは、将来の人口に依存しない福祉政策、具体的には“税制”の構築だ。

これを考えずして『少子化担当大臣』なんてナンセンス!!これを税金の無駄遣いと言わずしてなんとしょう。イライラを通り越して、あきれ果てる。

ってゆーか、政治家や閣僚に、半数は理系、それもライフサイエンス出身者を入れる法律を作るところからやらなきゃ始まらないよなぁ。キャリア官僚だって、理系が少なすぎる。

そうすりゃ、ポスドク問題もすこしは解消・・・・・(なのかっ?)


まぁ、それは置いといて、科学的な常識を持ち合わせない、裏を返せば事実を知りたくない、知ったところで何も出来ないから敢えて知ろうとしない、理系から逃避する無責任な人間(※注)が増えるってことも、ある意味、大きな流れの中の予定された事なのかも。

“性の解放”、とくに女性の性の解放は、個体数が増えすぎないようなフィードバックとして機能しているのかもしれない。

個々の女性に、『昔の女性のように・・・』と言ったところで、どうにもならない。

どうにもならない、、、、、、事自体が、神の思し召し・・・・・。なんちゃって。


戦争や病気で人が死ななく(死んでる国、地域もあるけど)なって、まだ、100年も経っていない。

そんな時代を予想していたかのように、出生率が減少する・・・・・・・。

私は神の存在なんてものは信じていないけど、自然の摂理を“神”と呼ぶなら、今、こうして無限とも言える偶然の積み重ねの結果の存在である我々人類は、擬人化したそういう存在を考えるのも、自然なのだろう。(脳がそういう機能を持っていたとしても不思議じゃない)


宗教を政治の道具に使うのでなければ、“神”を認めてもいいんだけどなぁ。


※注:移植医療を感情論だけで議論する人達を指す。しっかり議論したいなら、ライフサイエンスを学んでからにしてほしい。誰だって、愛しい人には生きていて欲しい。でも死ぬのは生き物の宿命だ。ドナー臓器がレシピエント(移植を受けた人)の体の一部になる事はありえないのだ。生物学的に。延命治療として議論するならともかく、確立された治療法だと錯覚している人を巻き込んでのイメージ操作的な議論は、吐き気がする。

読売新聞の世論調査で、15歳以下の臓器提供に“是”の人が7割超えるって出てた。

脳死を人の死とする。そこまでは当然だろう。だけど、その後がイケナイ。。。

そのうち、臓器提供しない人は「人道的じゃない」って言いかねないよねっ。いやだねぇ、世も末だよ。(臓器提供を人道問題に摩り替えるのなら、医療に宗教を持ち込むのも“是”とすべきだ!マスコミよっ!)


まぁ、この手の問題は、どちらが正しいと答えを出せるものじゃないから、ややこしいんだけどね。

人は見たいものしか見ないように出来てるし、自分は正しいって思う生き物だから。

(しかも、正しい、正しくないと判定する問題ではないんだよね)このへんは、わかっちゃいるけど、マスコミの正義感や人道的な論調に、嫌悪して反射的に行動しちゃうんだよねぇ・・・・。こういうエントリーみたいに。。。。

脳:見たいものだけを見る

Nature vol.460 (7251), (Jul 2009)

ヒトは、視野の中で興味を引く物体をすばやく見て取る能力が非常に優れている。

健常人に一連の写真を見せ、その中から人か車のどちらかを見つけさせる際の機能的磁気共鳴画像に関する研究で、この現象が視覚系によって達成される仕組みが明らかになった。

取り組んでいる課題にかかわらず、対象が視野のどこにある場合でも、また意識的に見ていない場合ですら、脳は目的とする物体がそこにあるかどうかを即座に決定する。

興味深いことに、脳内では外界が完全に表現されているという我々の主観的経験とは違って、現実の世界の情景の神経表現は、現在行っている行動に直接関係のある物体に限定されることが実証された。


Letters to Nature p.941


オマケ・・・・

私は、悔しくってしょうがない。特に、ポルシェに負けるところ・・・・だって、GT-2 を持ち出すなんてずるいよ。公平をきすなら スペックV を持ってこなきゃ・・・・。

ZR1 Drag Race King - Spanks GTR, 599, and GT2

でも、ブカッティには、誰も勝てなてから・・・・・、これ見て溜飲が下がったけど・・・。

Top Gear Bugatti Veyron vs Mclaren f1

と、いつでも正直なオレでした。チャンチャン。

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コルベット ZR-1 、戦闘機と対決!

20090630_iqいやはや、すげぇ企画で、ぶったまげたよぉ~。

どう考えたって、ジェット戦闘機に適うわけないんだけど、異種格闘技には誰だって興味あるもんねぇ!!モハメッド・アリ vs アントキノ猪木・・・もといアントニオ猪木の試合以来・・・。

でも、こんな事の為に、アメリカ海軍が協力してくれるんだろうか???

GM が国有化されたから、オバマ大統領の鶴の一声・・・・なのか??

でも、私が大好きな海外ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』でも、海兵隊とかが撮影に協力しいる。『24 -TWENTY FOUR-』もシボレー・コルベットもアメリカの象徴であり誇りであり、彼らアメリカ人は、そういうものに対して、寛大で、共感して、労をいとわないどころか、率先して協力したがる・・・・・・。

これが、私の好きなアメリカ人気質なんだよねぇ・・・・、それに比べ、日本人と来たら「税金の無駄遣い」だとか言いそう・・・・。

・・・・なんて考えてたら、『グラン・トリノ』観たくなってきた。

2009年6月28日コルベット ZR-1 、戦闘機と対決!

米国の自動車メディア『モータートレンド』は、シボレー『コルベットZR-1』とアメリカ海軍所属のアクロバット飛行隊、「ブルーエンジェルス」の『F/A18ホーネット』とのワンマイル加速競争を行った。

コルベットZR-1は、2008年1月のデトロイトモーターショーで初公開。「LS9」型6.2リットルV8にイートン製スーパーチャージャーを組み合わせ、最大出力638ps、最大トルク83.5kgmを発生するコルベット史上、最強モデルである。

ブレーキはカーボンセラミックで、キャリパーはフロント6ピストン、リア4ピストン。タイヤはミシュラン『パイロットスポーツ2』で、サイズは前が285/30ZR19、後ろが335/25ZR20だ。

トランスミッションは6速MT、駆動方式はFRと、目立ったハイテクは装備していないが、0-100km/h加速3.6秒、最高速330km/hの実力は世界トップクラス。ドイツ・ニュルブルクリンクのラップタイムは、日産『GT-R』を上回る7分26秒04で、これは現時点の市販車最速記録である。

また、2010年モデルでは、PTM(パフォーマンス・トラクション・マネジメント)を標準装備。これは、いわゆるローンチコントロールで、素早いスタートダッシュを可能にする。米国での価格は、10万9530ドル(約1050万円)というスーパーカーだ。

一方のF/A18ホーネットは、マクドネル・ダグラス社(現在はボーイング社に吸収)が1978年に開発した戦闘攻撃機。GE製ターボファンエンジンを2基搭載し、最大速度マッハ1.8の性能を誇る。湾岸戦争やイラク戦争で活躍したが、現在はアメリカ海軍所属のアクロバット飛行隊、「ブルーエンジェルス」で華麗な舞を披露している。

このブルーエンジェルスが「ブルーデビル」(青いコルベットZR‐1)と、1マイル(約1.6km)の加速競争を実施。注目の対決は、動画共有サイトで見ることができる。



話は変わって、今朝、おもわず、鼻から牛乳を噴出してしまった(ウソ)ほど驚いたニュースがこれっ!!


(6/30)トヨタ、超小型車「iQ」を英アストンマーチンに供給

トヨタ自動車は29日、英高級車メーカーのアストンマーチン社に対して、昨年発売した超小型車「iQ」のOEM(相手先ブランドによる生産)供給を始めると発表した。供給時期や台数などは非公開だが、トヨタが供給した車両をアストンマーチンが独自の外観とし、新型車「シグネット」として発売するという。

 iQは4人乗り乗用車で世界最小級の超小型車。高級感を持たせた外観も特徴だ。国内工場で生産している。トヨタは欧州の事業統括会社を通じ、アストンマーチンに車両を供給する。(名古屋)

[2009年6月30日/日経産業新聞]


アストンマーチンと聞いて、ヨダレを流さない人には、『なにそれ?それでっ??』って感じなんだろうが、アストンマーチン萌えぇ~の私にとっては、驚きを隠せない事件なのである。

憧れの存在が身近になる・・・・・、なんとも言えない複雑な気持ち。。。永遠に手の届かない存在でいて欲しいのに、“庶民”が買い漁る・・・・・・。

ただ、アストンマーチンは、いまでも一台一台手作りしている。「iQ」を材料に《独自の外観とし、新型車「シグネット」として》販売するんだから“庶民”が買い漁れる“お値段”ではないのかもしれない。そうなったらそうなったで、ちょっと安心するんだけど。。。。。

で、アストンマーチンをデフォルメした“チョロQ”のような車が出来上がったら、、、、、大人の玩具として、かなり売れそう・・・・・・。

ところで、上の写真のチョロQ、なんだかわかりますかぁ??

答えは、こちらっっ!

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まだらのヘビとおちんちん

20090623_snake_and_penisある日、あなたは男同士の親友数人とキャンプに出かけた。

早朝、あなたは親友の一人の悲鳴で目が覚めた。
急いで外に出ると、トイレの最中だったのだろうか。ズボンを下げた親友が倒れていて、マダラ色のヘビが彼の大事な所に噛みついていたのである。
あなたは、ヘビを棒で叩き殺し親友を助け起こした。
「おい。しっかりしてくれ」彼は必死で親友に呼びかけた。しかし親友は、意識はあるようだが朦朧としており、「う・うん」と唸るばかりである。
あなたは、脱兎の如くテントに戻ると、携帯電話で病院に電話をかけた。
「もしもし。ボクの親友がヘビに噛まれてしまったんです。ボクの大切な親友が!どうしたらいいんでしょうか」
「いいから、おちついて話なさい」医師は言った。「そのヘビの大きさは・・・模様は・・・」
あなたの話を一通り聞き終えた医師は言った。
「それは、かなり危険な毒ヘビだ。噛まれたところからすぐに毒を吸い出すしかない。そうしないと、君の友人の命はないだろう」

医師の助言を得たあなたは、この後、どうしますか??

他の親友達は、昨夜の深酒がたたってか、まだ、深い眠りの中です。。。。
 
 
 
私が、コミック雑誌“週刊モーニング”を読んでいた頃、当寺、連載中の“栄光なき天才達”で、強烈に印象に残っているシーンがある。

北里柴三郎がドイツ留学中の破傷風菌純粋培養および血清療法の創始という輝かしい業績と世界的な名声を土産に気揚々と帰国した時の事だ。港に船が到着する。しかし、誰も迎えに来ていない・・・・。
 北里「おかしいなあ・・・帰国の連絡はちゃんとついているはずなんだが・・・」

その後、東京帝大に出向くのだが、、当時の医学部長、青山胤通が、、、
『師弟の道を解せざるもの、、わが帝大に用なしっ!』
と面会もせず、、、、

状況がが飲み込めない北里
 北里「師弟の道を解せざる者・・・どういう意味だ?(つぶやき)」

そこへ、森林太郎(鴎外)が来る。
 北里「おお、森君。君は何か知ってるのか?」
 森「“師弟の道”の師とは東大教授緒方正規先生のことです」
 北里「緒方君の?」
 森「北里さんはドイツに旅立たれる前、6ヶ月ほど細菌学の基礎を身につけるため緒方さんの助手につきましたね?」
 北里「ああ、確かについた。あの時のおかげで私はドイツに行ってからずい分助かったよ。緒方君には感謝している」
 森「その恩を、あなたはアダで返した」
 北里「え?・・・(ハッとなる)脚気菌のことか?」
  うなずく森。
 北里「バカな・・・あれは・・・」


今でこそ、脚気の原因はビタミンB1不足だと知らない人はいないが、明治18年(1885年)当時、東大教授緒方正規は、脚気の病原菌を発見したと発表。脚気は当時の日本において、深刻な病気であったので、もし事実であれば画期的な発見であるとされていたのである。

留学した当初、北里はドイツ人学者から、脚気菌の真偽について問いを受ける。北里は追試をやってみたが、答えは、否定的。ペーケルハーリングが発見した菌も、師 ― 緒方のものも、いずれも雑菌の一種であって、脚気の病原菌とは認められない、と結論し発表したのだった。

明治14年、最年少(19歳)で東大医学部を卒業した森鴎外は、この時30歳にして陸軍二等軍医正(少佐に相当)。のちには45歳で軍医としての最高位、陸軍軍医総監の座にのぼりつめ、第八代陸軍省医務局長の椅子につく。この超エリートも終始東大医学部側を支持し、以後、北里と対立していくことになるのだが、、、、

重要なのは、このおかげで、当時の陸軍には脚気に倒れる軍人が後を絶たなかったことだ。日清・日露戦争では、戦死者の半数以上は脚気が原因と言われている。ところで、司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、この辺の事情には全く触れていない。全てを野木希典の愚策のせいにしている。もっとも、脚気で死んだ・・・・じゃ、小説は面白くない・・・。おっと、脱線、ご容赦。

海軍は、後に慈恵医大を創立する高木兼寛(海軍軍医総監まで上りつめる)が脚気栄養欠陥説を提唱し、イギリス流の麦食により、脚気の発症を防いでいた。戦地での米食一辺倒の陸軍との違いである。
 
 
 
近年、その機能の見直しと認識改革を迫られた臓器がある。脂肪組織だ。脂肪を臓器と言うのには抵抗があるかもしれないが、単なる“貯蔵庫”だと思われているものが、ホルモンを産生し、恒常性を維持していたとは、、、、、青天の霹靂、、、、、、。

今現在、心臓の機能を“循環のポンプ”の他に“ホルモン産生”としている人は少ないだろう。ポンプ機能だって、形態としてどこからどこまでと厳密に定義できるわけでもないのに、、、、、一般の人に至っては、「ありえなぁ~いっ」って言うだろう。結局、実態ではなく、イメージとして知っているだけなんだよね。

自律神経系の上位中枢は脊髄および脳幹であり、これはさらに上位の視床下部や大脳辺縁系などによる調節を受ける。これはさらに上位の・・・・・・と。心臓も神経支配をうける臓器であるのに、、、、、

そして、移植心臓に神経を接続する事は出来ないのに、、、、、(しかも脳からの無視だけじゃなく胸腺からの拒絶も大きな事実・・・・・なのに、みんなで無視してる?)

イメージとして知っているだけで、侃侃諤諤、喧々囂々やっちゃう、、、、、
 
 
 
時を経て、過去を振り返るとき、「なぁ~だ、そんなこともわかったなかったんだぁ」というのは簡単だ。明治期の陸軍の米食を否定するのは簡単である。ただ、当時、一方(海軍)では出来ていた事を出来なかった事情は知る由も無い。あの文豪と呼ばれた天才、森鴎外にしてそうなのだから。
 
 
 
もし、自ら、親友の局所から蛇毒を吸い出すことの出来る人が、「人道的に、子供には臓器移植を・・・・」と訴えれば、私は聞く耳を持つだろう。(毒蛇に噛まれずとも吸いたい人は除く)

この行動は、根拠の無い信念より生ずると思われるが、ある意味、まねの出来ない立派な行為である。(映画“アルマゲドン”で泣ける私の価値観は、こんなものです)

しかし、蛇毒を吸い出すことが出来ない人が、いくら「人道的に・・・・・」と叫んでも、ハッキリ言ってシラけるだけである。私にとっては。現在の最先端の医学をもってしてもね。そういう意味で時期尚早・・・・・。(文科省が本年度iPS細胞研究に100億円がどうたらこうたらって記事を目にしたが、一桁、足りないんじゃないの??不毛な議論を避ける為にもね)

これを言うと喧嘩になりそうだけど、家族も含めて延命治療に賛成する側の自己満足、自慰的な満足感だけは得られる、、、、、現在の移植医療はそんなレベルだと感じている。そして医療行為者はまるで『ハリ・アドラ』だ。

ブラック・ジャックだって言っている。。「X線像で出来損ないということはわかっていたんだ。だから殺した方が母親のためだったんだ。それとそんな赤ん坊を生かすのが神の思し召しなのか」「……」「そのカエルみたいな脳みそのない子がどんな一生を送るというんだ。殺すんだ。そのほうが慈悲なんだ」

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「脳死は人の死」案、衆院通過

20090619_braindeath「脳死は人の死」案、衆院通過まで“脳”の話題でエントリーを繰り返してきた。

いんな意見があると思う。だが、日本は民主主義で法治国家であるのだから、多数で決まった事(まだ、参院で可決されてないので・・・)は、受け入れるのが、この国の国民の務めだろう。絶対嫌なら、亡命でもすれば良い。。。。

だが、そういう私も「脳死は人の死」を、移植医療の為に成文化するところに、憤りを感じる。嫌だ。気持ち悪い。私の脳は、そのような感情を惹起している。弱者のエゴと弱者を利用して善人面する行為を助長するだけにしか感じられないからだ。

だから、私は、自分が死んでも臓器を提供するつもりはない。これは、意思表示だ!(私の臓器が子供に使えるかどうかは疑問だが、自分の子供になら自分の臓器が使えれば躊躇なく提供するけれど)

また、本心から他人に臓器提供したい人に、とやかく言うものではないので、あしからず。(“死”を考える時点で、それは個人の価値観であり、宗教である。多様性があるのが自然。決して医学・生物学、サイエンスで画一的にすべきではないと思っている。脳に“宗教モジュール”があることを証明するのが科学だとしても・・・)


ただ、どうして、こんな“究極の利他行動”を私は嫌悪するのか?と、自分なりに考えてみると、結局、現在の日本の人口、地球上の人類の総数、これが多すぎると、本能的に感じているからかもしれない。

リュック・ベッソン製作総指揮の『HOME 空から見た地球(リンク先は音が出るので注意!)』を見たのだが、私には、人口過剰で地球は壊れつつあるという事だけが、強烈に伝わってきた。

そもそも、ヒトにも、個体数に対するセンサーが存在していておかしくない。

過剰であれば、減らす方向に作動する。。。。。

戦争と平和?(War and Peace?)

Science June 5 2009, Vol.323

進んだ道具や楽器、芸術などの発達を含む現在の人類の行動様式は、人類に段階を追って出現してきたように見える。

最も初期の手がかりは、7万年から9万年前のアフリカにおいて見られるが、ヨーロッパでは4万5千年前ぐらいと遅れて出現している。

最近の議論の的となっているテーマは人類の社会性の起源とその意義である。

人類の初期の発展期中において、利他主義的な振舞いの利益は、その損失を上回ったのであろうか (Mace による展望記事を参照のこと)?

Bowles (p.1293) は、人間グループ間の紛争のモデルを構築し、考古学的および民族学的なデータから結果が分かれる境界となるパラメータ値を大まかに算出した。物議をかもすものではあるが、戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える。

Powell たち(p.1298) は、ひとつの人口モデルを与えており、それでは、現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している。

このモデルは、アフリカとヨーロッパにおける人口ダイナミクスに関する遺伝的な推測と整合しており、これらの文化的な変化は、単に認識的進化の進展を反映しているのではない可能性があることを示唆している。

Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors?
p. 1293-1298.
Late Pleistocene Demography and the Appearance of Modern Human Behavior
p. 1298-1301.


まさに、『現代的な行動の発達は、臨界的な人口密度への到達と、安定な文化の伝播に求められる移動性の行動様式に依存する可能性があることを示している』であり、『戦争状態は、利他的振舞いが現れ、永続することを強化したかのように見える』だ。


ヒトは、人口過剰だと感じれば、利他行動は少なくなるように脳が変化し、人口が少なくなる(=戦争などなど)と感じれば、利他行動を多くするように変化するのだ。戦争をしている時のほうが、人間は他人に優しくなれる・・・なんて人間賛歌するつもりは無いけれど、単なるフィード・バックとして機能している!逆に現在の日本は、平和すぎるから、人間関係が殺伐として・・・・・。

まだ、十分に検証されてはいないのだろうが、十分、納得できる考察だ。


今現在、本心から『他人に臓器提供したい人』と思っている人は、その人の五感から入力される刺激が脳に伝わって、具体的に意識できるまでの過程が、私とは違うのだろう。日本、もしくは地球における人口を多く感じるか、少なく感じるか、、、ヒトは大脳皮質の肥大と共に、その感受性を多様化させたのだ。

培養細胞が、生育環境を感知して増殖をストップする過程に、個体差はないけれど、ヒトの場合は、高度な知恵が、そのセンサーに多様性を与えた・・・・・。何か利点があるのだろう・・・・。それが人類の進歩の原動力になっているのかも・・・・・。

人類の進歩の原動力が、地球にとって、地球に生存する人類以外の生命にとって、好ましいかどうかは、甚だ、疑問ではあるが・・・・。
 
 
 
追記:午後に追記する。
たまたま、『gooニュース畑』なるサイトを覗いたら、一般庶民の移植医療の勘違いの甚大さに気づいた。これは、国会議員にも言えることだから、ビックリだ。

これが世論(せろん=よろん)を形成し、法律を作っているのかと思うと・・・・。

例えば、心臓移植。これが“延命治療”といわれる所以は、ウィキペディアにすら出ている事だが、5年生存率という言葉があることからもわかると思う。

一般庶民や勘違い国会議員の言葉、『これで命が助かる人が増える・・・・』は、確実になにか勘違いしていると言える。移植を受ければ、あとは健常人と同じ余生が送れると。5歳の子供に心臓移植して、みんな80歳まで生きられると思ってるみたい・・・・・。

もしかして、、、、ヤラセのアンケートなの?ここって??俺は釣られたの??

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自己弁護

20090617_self_justification小太りで豆タンクのような女が、大股でカツカツと私の前を横切り、駅の改札へ向かう。私はおもわず道を譲ってしまい、すこしあとに、チラっとその女に視線をくれる。

やっぱり、、、、怒った顔してる。

なんか最初から怒っている人が増えているような気がする。結局、自分が損をするのに・・・・。

こういう態度をとっている人に、優しくしようとは思わない。それどころか、その人に利益をもたらす情報をあえて与えない“意地悪?”な心が芽生え、積極的にサボタージュする事になる。

私は、日々、こんな小さな事を繰り返し、心の平和を維持している。

「意地悪?」と「?」を付けたのは、私は、これがヒトの脳の仕様であり、自然な事だと理解しているからだ。ヒトの脳には互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能があり、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存しているということを知っているからだ。

だが、世間一般には、このような行為は“意地悪”と呼ばれるのだろう。

でも、何で“意地悪”って評価されるのだろう??

親切でないから意地悪なのか?

私は、後味の悪い自己嫌悪を催す行為は、“意地悪”だったなと感じるのだが、積極的なサボタージュには、後味の悪さは感じない。ただ、こういう行為が“意地悪”と世間一般で理解されている為、自分がそのような評価を受けるかもしれないという事に対して、後味の悪さを感じることはあるにせよ。。。。だ。


ヒトは脳から沸き起こる感情を言葉に置き換える作業をする。言葉で考える。

日本人なら、日本語で怒り、喜ぶ。

これも“脳の機能”とである。

同じ“脳の機能”でも、互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能は『意地悪だ』とされてしまうのは、なんか、道徳的な教育、、、もしくは宗教的な、、、。

でも、側頭葉てんかんの患者のなかには、この宗教的な体験?をする人が多いらしく、神の啓示もまた、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存している脳の機能だとしたら、、、、、。地域、言語(これは脳が考えコミュニケーションする為の手段だっ!)を問わず、宗教が存在しているんだから、ヒトの脳が持つ普遍的な機能、、、、、と考えてもおかしくない??

だとしたら、脳は、自分を否定する機能をも持ち合わせている・・・・?

この“機能”は、抑制性の神経系という“実態=形態”が実現しているのだろうか??


なんだか、ごちゃごちゃしてきたけど、脳の事を脳が考えている、、、、これって、なんか面白い。


まぁ、そんな事はいいとして、最初から“怒っている”ような雰囲気を醸していれば、こっちもやり易い。だけど、したたかに、謙虚に出られると、それが“最善”とは思わないことでも、受け入れざるを得なくなることがある。

いわゆる“巨悪”というのは、そういうふうに存在していけるのだろう。巨悪が必要度と二律背反の関係にあれば、存在するのも止む無しかもしれないのだが、、、、既得権益ばかりは、、、、

既得権益を守る人達が、最初から、喧嘩腰に“俺達の権利だぜ!”ってやらないところがミソなんだろう。
 
 
 
やけに、前フリが長くなってしまったが、、、、、

私の、最近のわからないことの一つに、薬学部学生の臨床実習に、是が非でも調整機構を使うことにしたというのがある。

この話題は過去にも何度かしているので、経緯はご存知の事として話を進めるが、某薬科大学では、調整機構に不安を感じ、OBが運営する薬局での実習を検討していた。ところが、途中で学長が代わると、遮二無二、調整機構を介しての実習に拘り、大学独自の実習カリキュラムを放棄させてしまったのである。

ここで、以下の引用を読んで頂きたい。理化学研究所の発行するオンライン版の小冊子に掲載されていたもので、2009年度より理研脳科学総合研究センターのセンター長に就任した利根川進と理事長野依良治のノーベル賞対談での利根川氏の話・・・

RIKEN NEWS 5月号 No.335 May 2009

日米では学部の入試制度も違いますね。MITには日本のような入学試験はありません。MITでは志望理由を書かせる小論文と面接を重視します。何千人もの入学希望者をどうやって面接するかというと、MITを卒業して各界で活躍している人たちに面接を依頼するのです。面接官はそれぞれの主観で学生を評価します。そして大学側では、その面接官が高く評価した学生が、入学してから本当にMITの欲しい学生だったかどうかを検証して、一致していなければ、その面接官を次回から外します。この方法は、試験で点を付けるほど客観的なものにはなりません。MITだけでなくハーバードなどほかの大学も同じような方法です。

 これは日本と大きく違いますね。日本の社会は戦後、あまりにも平等主義、客観主義を重視して、人の主観というものに信用をおいていません。特に研究のように創造的な仕事をする場合には、これはかなり問題だと思います。


私は、これを読んで、膝を打った。

大学独自で臨床実習先を確保する事自体、“仏作って魂入れず”の実態を放置した当局の怠慢に対する、強烈なカウンターパンチになるし、非常に合理的だと感じていたんだけど、この対談を読んで、大学独自の方式が、より優れていると確信した。

OBが後輩を鍛える・・・・すなわち、大学間の薬剤師養育の競争をもたらすわけだ。

世に出た薬剤師が使い物にならなくて、『どこの大学、出てんだよぉ。ったくぅ』とならない為にも、そして、出身大学の誇りを守るためにも、この方式のほうが利点が多いって思う。


何故、これが出来ないのか??

新たな学長の履歴書をみるにつけ、目は下(学生)ではなく上(国、保身)に向いているなぁって感じる。細かい事情は知らないけれど。

そして、現場では、暇で休日にも何もする事がない輩が、せっせと講習会に通い“認定”を取得し、この“認定者”以外を臨床実習指導できないように締め出している。

そして、その講習会の内容たるや・・・・・・。愚痴はやめよう。

大学間の薬剤師養育の競争に“質の担保”を求め、調整機構はOBの居ない、もしくは少ない大学の受け皿とする方が、よほど、学生志向で薬剤師資質向上に貢献すると思うのだが。。。。。


どの世界でもそうだが、魑魅魍魎を排除して実利を取るということは、日本語で考える日本人の脳を持っている人達が実行権を持っている限り、無理な事なのだろう。


というわけで、私は、小さな抵抗として、講習会に出席せず、認定も受けず、調整機構に組み込まれることを拒否し、学生実習に参加しないことにする。調整機構が破綻して、大学独自カリキュラムが復活し、低レベルの“認定”を必要としなくなる日まで。

(・・・・やっぱ、サボタージュ・・・だよなっ、どう屁理屈かましても・・・・ハハハ)

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隠喩。暗喩。

20090616_metaphorメタファーと言ったほうが、わかりやすいのかもしれない。

ウィキペディアには、《初めてメタファーの意義に言及したと言われているのはアリストテレスであり、彼は『詩学』のなかで、「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」と述べている。》と書いてある。

メタファーは、すなわち、創造力だ。

この創造力って、脳科学でも全く未解決らしいんだけど、口の悪い人に言わせると『そんなもの、チンパンジーにタイプライターを与えておけば、いずれはシェイクスピアの戯曲ができるさ』なんだとさ。でも、実際には、意味のあるセンテンス一つ出来るのに、10億年はかかりそうだ。

それはいいとして、メタファーを「単なる言葉遊びだろう」「ランダムに組み合わせているうちに出来るよ」とか言っている人に、たとえば『物事をやりすぎる』又は『ばかばかしく過度な行為をする』というメタファーを考えてみよと言うと、まるっきり出来ないらしい。


ことわざや、過去に誰かが言い表した言葉以外で、あなたも考えてみて欲しい。

わたしなんぞ、ここ、何時間も考えているけど、まるっきり出てこない。。。


メタファーという言葉から連想される作家は?と聞かれれば、がほとんどの人が“村上春樹”と答えるだろう。なにしろ、作品自体がメタファーとか、わかったようなわかんないような評をされるくらいだからね。


で、『1Q84』だ。

売り方が巧いのか、『面白いよ』と聞き買いに走ったのかはわからないが、自宅近所の本屋では、まだ、買えない。

kmoto さんはすでに読み始めている。ブログでは、「・・・・夢中になり一日中本を手放さなかった。」とある。ここで、速攻ブラウザを閉じたのは言うまでもない。読もうと思っている本の書評(メタバレ)は読みたくないからね。ただ、本日付の読売新聞朝刊に・・・・おもわず、読んでしまったのだ。遅刻しそうになりながら・・・。


世界中で“村上春樹”が読まれている。

どうやら、その理由はメタファーにあるとみて良さそうである。

ちなみに、先ほど、「あなたも考えてみて」と言ったメタファー、16~17世紀に活躍したシェイクスピアは次のように表現している。

【純金に金箔をはり、ユリの花に絵の具を塗り、スミレに香水をふりかけ、氷をなめらかにし、虹にもう一つ別の色を加える・・・・は無駄で、ばからしい、余分な事でありましょう。】

一回、聞いてしまえば、「あっ、そうだよなぁ」な表現も、自分で生み出すとなると、とんでもなく難しい。難しい事をスラスラ?こなしてしまうシェイクスピアは、やっぱり、天才であり、天才のあやつる言葉は人種、文化を越えて心に触れる。全世界で翻訳されて上演されているワケだ。

アリストテレスは、メタファーの達人は“偉大な人”と言っている。アレキサンダー大王の時代で偉大と言えば、英雄であり賢者だ。その名は世界中に轟く。現在なら、差し詰め“天才”と呼ばれるのだろう。

そういう意味では“村上春樹”は天才であり、世界中で読まれるのは当然、、、なのかもしれない。

あっ、私は村上春樹の回し者じゃありませんよっ!


p.s.(村上春樹の回し者とは、“村上春樹 萌えぇ~”のメタフアーである・・・・・・ゴメン)

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脳相のインスリン分泌に個人差はあるのか?

20090615_nervous_systemいつの頃だったからか忘れたんだけど、ゴルフの昼食時、一口食べると強烈なめまいを感じるようになった。毎回ってワケじゃなく、前日の睡眠時間に関係があるような記憶もないし、昼食に選んだ食事と関係があるわけでもなかった。

初めての時は、かなり動揺した。

---このまま、倒れるんじゃないのか??

でも、10秒もしないうちにケロっと治ってしまって、あれは一体、何だったんだろう??と。

その時、一緒にラウンドしていたのは、普段お世話になっている医師。相談しようかどうか躊躇したのは、心配をかけたくないし、後で調べて何もなかったらカッコ悪いし・・・もし、back9でぶっ倒れても一緒だから死ぬこたぁないだろう、、、、などと複雑な心境だったから。結局、直ぐ治っちゃったのもあって、テーブルは別の話題へ。

その後、何度か、経験?を重ねていった。。。。。


調べもしなかったのだが、インスリン分泌に必要な刺激は血糖値以外にもあるだろうと、以前から漠然とは考えていた。しかし、ゴルフの食事前の“フラフラ・クラクラ”と関係があるとは、全く考えもしなかった。

度々、症状が出るようにはなっていたのだが、それ以外は、何てこともないわけで、いつしか、この症状を「低血糖なんじゃないのか」と疑うようになった。

それでも、こんなに早い反応するもんなのか?だって、料理が運ばれてきて、一口食べたら、5秒もしないうちに“クラクラ”くるんだぜ!って、否定したい部分もあったし、どうせ、調べてもわかんないだろうな・・・・・・なんて。

そうこうするうちに、食直前の“クラクラ”感の頻度も低下し、、、、あってもすぐ治るから、全く動じなくなり、、、、すっかり、忘れていた。


そんなエピソードを急に思い出したのは、ちょうど MMJ で人工膵臓の記事を読んでいたからだ。JAMA にこんな話題が載ってたよって紹介記事なのだが。

完全自動化したクローズドループ型投薬システムとしての人口膵臓を実現するには、いくつかの問題を解決しなきゃならない。その中のひとつが、、、、インスリン投与のタイミングである、と。
正常な膵臓からは、ヒトが食べ物の匂いをかいだり考えただけでもインスリン分泌が始まる。このように、生体のインスリン分泌機構は、一手先を読むように糖代謝状態に対応している、と。これをどうするか???と。


脳相の分泌は味覚神経を介する甘味情報により迷走神経を介して反射性に生じるものであるが、実際に血糖値が低下始めるにはどれ位の時間がかかるのか??

秒単位のシビアなものなら、私がゴルフの昼食前に経験した“クラクラ”感が再現されちゃうんじゃないのか??

まして、脳相のインスリン分泌にだって個人差があるだろう。その個人差をも忠実に再現できるコンピューターアルゴリズムを開発できるのだろうか??

古い記憶が目覚め、私なりにも知りたい事がいくつか出てきたワケだが、JAMA ですら、こんな内容を話題にしてるんだから、ネットで調べても出てくるわけはない・・・・・よなぁ!!


出てくるわけはないと言えば、こんなのも!!

薬剤師の世界では、調剤ミスを減らす工夫として『薬棚への張り紙で規格の注意喚起』なんてのを見かける。当局に『工夫してますよ』っていうデモンストレーションとしての効果はあるのだが、、、、

この工夫、調剤ミス予防に本当に効果があるのは、最初の1週間だけ。あとは、全く効果ない。そこで探したいのが、その事を示した“ズバリ”のエビデンス。。。。なのだが、、、ねぇだろうなぁ。

ネガティブな証明って誰もやりたがんないもんなぁ・・・・・。

それを良い事に・・・かどうかは知らんけど、こんな事を大真面目に書いてある雑誌がある。読んでるだけでもイライラしてくるワケだが、無料で配布される雑誌だからしょうがないのかも。こんなものを信じる薬剤師がいないことを祈るのみだ。エビデンスがあれば、雑誌に投書するんだけどなぁ・・・。(ヒトの脳の仕様だよ!ビジュアル系注意喚起の効果が無くなるのは!!こんなことも知らないで薬剤師やってんじゃねぇ~よ)


祈るのみといえば、宝くじ。

いやー、ほんとに、大きな事は言わないから、30万円、当たらないかなぁ・・・・って、結構、マジで祈っている。

当たったら、『NISMO R35 Sports resetting』を速攻でレンタルするつもり。

なんで、お金払わないの?って事なんだけど、ハッキリ言って、サーキット走行をするつもりのない私には、猫に小判。ドブに捨てるようなもの。だから、強いて言えば、スピードリミッターを自主的に付けさせるという行政の無言の圧力への抵抗。

そんなに、高尚?な理由なら、自腹切ってやればいいのに!    って??

まっ、それも、カッコ付けた理由で、ほんとは、、、付ければ、320km/hまでいけるんだぜ・・・っていう、子供じみた欲望だ。

こんな事、妻に言えない。320km/h 出せるようになりたい・・・・なんて。

だから、行政の無言の圧力への抵抗だと。

でも、これでも、「どうしてあなたが国相手に?」となるだろうなぁ・・・。

というわけで、宝くじ当たったら、妻には内緒で・・・・・・なのだ。
 
 
 
p.s.違法なスピードを出している時には、手に汗をかいている。しかし、想像しただけでは手に汗をかかない。が、スピードを出していない時に、《ウーウー》とパトのサイレンを聞くと、手に汗が出てくる、、、、、。コレって、一体・・・・。

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女の平和

20090613_peace_of_womenある軍司令官が戦闘を開始しようとしているとする。深夜に作戦本部室で翌日の作戦を立てているところだ。偵察兵がたえずやってきて、地形や明るさの程度などの情報を報告する。彼らの報告では敵の戦車は500台。司令官のほうは600台で、これが戦闘開始の決断を促した。司令官は全ての隊を戦略的な配置につけ、午前6時の夜明けと共に攻撃を仕掛ける事にした。

ところが、午前5時55分に一人の偵察兵が作戦本部室に駆け込んできて、「閣下!悪い知らせです」と言う。攻撃開始まであと何分もない。「何か?」と聞く司令官に偵察兵は答えた。「たったいま、双眼鏡でみました。敵の戦車は500台ではなく700台あります!」

司令官(※1)はどうすれば良いのか。時間が迫り、全ての作戦計画を修正する暇はない。そこで彼は偵察兵に、見たことを誰にも言うなと命じる。否認だ!それどころか、ひょっとすると偵察兵を撃ち殺してその報告を「トップシークレット」の引き出し(※2)に隠すかもしれない。そうしながら彼は、多数の意見--偵察兵たちが先に報告した情報--が正しく、この情報源から入ったただひとつの新しい情報がおそらく間違いである事をあてにする。

こうして司令官は最初の立場に固執する。それだけでなく、混乱を恐れ、偵察兵に命じて他の将官に嘘をつかせ、戦車を500台しか見なかったと言わせる(※3)。すべては行動に安定性を持たせ、動揺を防止するためだ。優柔不断は何の役にも立たないからだ。おそらく正しいという見込みがあるなら、決断したほうが何も決断しないよりもいい。見解がコロコロ変わる司令官では、戦いに勝てるはずもない。


このたとえ話を読んで、あなたはどのあたりに“注目”しただろうか?

人によって、違うはずなのだが、当の本人は、ほとんどの人が自分と同じところに“注目”して感情が沸く、すなわち共感すると思っている。

まぁ、何処にせよ、何故、そこに“注目”したのかを考えてみるのもいいかもしれない。

たとえ話を、もう少し進めてみる。

一人の偵察兵が駆け込んできて、敵の戦車のほうが多いという代わりに「閣下!たったいま望遠鏡で、敵が核兵器を保有しているのが見えました」と報告したとする。

今度はあなたが考える番だ。司令官は、どうすると思うか?


さて、このたとえ話は、(※1)は左脳の働きを、(※2)は抑圧を、(※3)は作話というヒトの脳機能や行動のアナロジーだ。【脳の中の幽霊】にある一部を抜粋させてもらった。


『司令官は、どうすると思うか?』は考えてもらっただろうか?

それは、もしかしたら、あなたの希望になっていないだろうか??最初に沸き起こった感情を貫く為に?

さらに考えてみてほしい。戦車が700台の場合、戦闘の結果はどうなるのか?最初から負けると決めてかかっていなかっただろうか?あなたの“脳”は。さらに犠牲者の数や戦況まで、自分の感情を肯定する為に都合の良いように想定しなかったか。


《私たちが自分の信念の合理的な根拠とみなしているものは、自分の本能を正当化しようとする極度に不合理な試みであることが多い》“ダーウィンのブルドッグ”の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護したトマス・ヘンリー・ハクスリーの言葉である。

抽象的な言葉もまた、人それぞれの“心”にグサっとくるものがある。


さて、私は、この戦闘を行わざるを得ない状況の説明をすることにしよう。言ってなかったからね。

時は近未来。地球上の人類は絶滅寸前。近々に食料が尽きる。種子はあるから来年の収穫まで持ち越せれば、その後はなんとかなりそうだ。司令官の側は10万人。敵も10万人。来年までの食料は、10万人分しかない・・・・・・・。

後出しジャンケンのようで、申し訳ないが、冒頭のたとえ話を読んだ直後に沸き起こった感情が、このシチュエーションを知った後でも、同様だろうか?


私は、司令官の側の強者5万人と敵側の強者5万人が生き残る事になれば、それでいいと思っている。というか、何をやっても、どうあがいても、そうなるんじゃないの?

そして、また、歴史は繰り返す。

何年にもわたる戦争。男どもが戦いに明け暮れている結果、司令官の側は女性と老人や子供しかいなくなった。可愛そうなのは夫に残された妻たちで、2度と夫の顔を見ることがなかったり、なんとか帰ってきてもとうに自分の女としての盛りは過ぎてしまっている。

そこで一人の美しい妻が立ちあがり、仲間をあおり、敵側にも同士を募りクーデターを起こす。

男たちを戦争にやらないため、平和を築く必要があると。

ただ、なんと、その手段は、男たちに対し、女たちみんなで性的ボイコットをするっていう話だったのだ。セクシーなカッコで男を誘惑するも、肝心のところで逃げ、男を生殺し状態にする。『体が欲しければ戦争をやめなさい』って。


お気づきの方もいらっしゃるだろう・・・・・・。コレ、ギリシャ古典喜劇の「女の平和」だ。

でも、喜劇じゃなくって、現実になりそうだよねっ!!


こんなことばかり考えている私は、昨日、民主党に政権を渡しちゃいけない決定打が公になったと思っている。

それは、社民党との連立構想だ。

ここに及んで、小沢一郎氏の“西松献金”事件を“国策捜査”で何が悪い?って感じた。

ってゆーか、検察は、社民党との連立を事前に知ってたのだろうか??

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